■【書評】

「ヴラジーミル・プーチン」―現実主義者の対中・対日戦略― 藤生 健

    石郷岡建著 東洋書店刊 1995円
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 4月末のマスコミ報道は安倍総理の訪露に伴うプーチン大統領との首脳会談一
色となり、主要紙の一面を大きく飾った。その報道は、プーチン大統領が安倍総
理のリーダーシップを認め、領土問題の解決と平和条約交渉を大きく前進させる
ことで合意したというところが大筋だろう。外務省によれば、会談の俎上に上が
ったテーマは以下の通り。

① 安全保障協力-アジアの安定化
② 平和条約交渉-次官級交渉の立ち上げ
③ 国際連携-特に対北朝鮮
④ 経済協力-貿易促進とシベリア開発
⑤ 文化・人的協力の充実-文化センターの設置

 この中で具体的に決まったのは「文化センターの設置」くらいなもので、後は
日ロ間における外交交渉の方向性について合意したというレベルであり、成果が
過剰に評価されているように見受けられる。また、会談においてプーチン大統領
から中露国境画定に際しては面積等分で解決されたという話がなされたことが強
調されており、国民に過剰な期待を抱かせている。

 だが、日ソ共同宣言で一度は合意したにもかかわらず、まず日本、ついでソ連
が履行を拒否して56年が経過した問題が一朝一夕で解決するはずもなく、冷静に
見守る必要がある。
 日露関係は冷戦時代の視点がいまだに根強く残っており、徒にロシアを敵視し、
ことさら領土問題のみを強調、歴史的経緯を踏まえない上に、将来の関係や戦略
的視点を考慮しない感情的な議論が横行している。

 石郷岡氏の新著『ヴラジーミル・プーチン―現実主義者の対中・対日戦略』は、
表題こそプーチンを銘打っているが、プーチン個人の分析というよりも、プーチ
ン氏の目に映っている日露および中露関係を分析、解説することに重点が置かれ
ている。ソ連崩壊による大混乱を経て、今世紀に入りプーチン氏がロシア連邦大
統領に就任、その指導力もあってロシアはようやく国力を再生させつつあるが、
中国の経済成長は著しく、中露間のパワーバランスはいまや完全に中国に傾いて
しまっている。

 ロシアも再生しつつあるとは言っても、その経済はあくまでも資源頼みの脆弱
な環境にあり、その人口は1992年に1億4870万人でピークに達した後減少し始め、
2011年は1億4191万人となり、今後さらに減り続けると見られている。

 シベリア地域では1990年に2112万人いた人口が、2009年には1955万人に減り、
極東地域では、90年の805万人が09年には645万人と急減している。シベリア・極
東地域における労働力不足は、同地域の経済発展どころか主権の維持すらも困難
にさせる可能性すらある。その対岸である中国東北三省の人口が1億1千万人近く
あり、シベリア・極東が中国の商品と労働力で満たされてしまっている現状を考
慮しても、ロシア側で危機意識が高まるのは当然の帰結だった。

 ここ数年来、シベリア・極東地域に対する大々的な投資・開発計画が打ち出さ
れ、昨年9月にウラジオストクで開かれたAPEC首脳会議に際しては1兆8千億
円とも言われる巨費が投じられインフラ整備が行われた。これだけ見ても、ロシ
アのシベリア・極東地域を保持せんとする意志、間接的には中国に対する脅威感
が見て取れよう。

 しかし、国力が減退しているロシアがシベリア再開発を単独で行うことには限
界がある。それ以上に、開発するにしても、石油や天然ガスを始めとする資源の
販路を確保せねば意味がない。そして、その一番の顧客は中国だが、中国一本で
は外交関係が悪化した際のリスクが高く、価格交渉にも不利が生じる。

 シベリア開発に現状以上の中国資本や労働力が入ることをロシア当局は非常に
警戒している。シベリアにおける自国の主権を守り、中国の膨張に対抗する共同
戦線を張るためには、ロシアとしては日本と手を組むことが最も望ましく、その
ためにもシベリア開発に日本資本を導入し、その資源を日本に売りたいと考えて
いる。

 その日本は、日米安保と安価な中東の石油あるいは米国産のシェールガスに固
執し、冷戦思考から脱却できないまま、対露外交を軽視し続けている。その根底
には、サンフランシスコ講和条約も日ソ共同宣言もまともに条文すら読んだこと
のない政治家たちが、ただ「北方領土を返せ」「四島は日本の固有の領土」など
と主張していることがあるが、彼らは自分たちが政府・外務省のプロパガンダに
乗せられているだけであることに全く気付いていない。

 元々ソ連・東欧ブロックに対抗するためにつくられたNATOがポーランドや
バルト三国まで拡大し、アフガニスタンではNATO諸国とイスラム・ゲリラの
戦争が続き、経済成長著しい中国がアジアの盟主になりつつある中で、ロシアは
自らの立ち位置、生きる場所を模索する。ヨーロッパに属するのか、アジアの新
秩序に参画するのか、あるいはプーチン氏が提唱するユーラシア構想が実現する
のか、その議論はいまもなおロシアで続いている。

 ロシアが直面する課題は日本にとっても無縁ではない。中国の覇権が拡大する
傍で、北朝鮮が核開発を進め、韓国とも領土と戦後補償問題でぎくしゃくし、ロ
シアとの間には領土問題を理由に平和条約すら結ばれていない日本は、東アジア
において孤立した存在になっている。日本政府や自民党は日米安保とTPP加盟
によって国際的孤立を回避できると考えているようだが、東アジアにおける日本
の立ち位置に変化は無く、国境に近接する全ての国と不安要素を抱えたまま放置
されている現状が望ましい訳がない。

 本書を読めば、プーチン大統領がどのように現状を捉え、問題を認識し、生き
残りのための国家戦略をどう考えているかが見えてくる。同時にただ現状維持に
固執するだけで、いかなる国家戦略も無いように見える日本の現状は憂慮される
ばかりだ。だが、ロシアの現状認識や問題意識は、隣国の日本にとっても共通す
る部分が少なくない。日本の国際戦略を考えるに際し、安全保障、エネルギー、
木材・食糧などロシアとの連携は不可欠であり、本書はその一助となるはずであ
る。

 (評者は東京都在住・評論家)
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