【コラム】八十路の影法師

「ゼロ」という日本語

竹本 泰則

 地球温暖化はからだで実感できるほどまで進んできました。夏の暑さなどは「異次元」の域にでもはいったよう。冬になっても、霜柱や水たまりの氷などは、もう何年も見ていません。
 それでも冬は冬。今季も寒さに身をすくめた日もありました。2月初めには東京でも積雪を見ました。
 住まいがある調布市と気象的に近似しているように思われる府中市のデータを検索してみると、昨年10月以降本年3月までの間に記録した冬日の日数は29日、最低気温が最も低かった日は1月25日で-5.6℃でした。80年前の東京の冬日は70日くらいあったように思われますし、最低気温を比べても3~4度は上がっているのではないでしょうか。
 
 冬日とは一日の最低気温が0℃未満(マイナス)となった日をいうそうですが、この数字の「0」の読みはややこしい。日本国語大辞典のゼロの項には「ゼロ【零】」と表記されています。まさか「零」の漢字をゼロとは読まんでしょうに…。
 インターネットには「0%」の読み方についての記事がありました。「レーパーセント」と読むか、それとも「ゼロパーセント」かという質問です。
 これに対するNHK放送文化研究所の回答は以下のような内容でした。
 
 「0」の読み方には、漢字「零」の音読みである[レー]と、英語の「zero」に由来する[ゼロ]とがありますが、放送では、原則として前者の[レー]を使っています。
 0回、0点、0ポイントなどのように、うしろに単位など助数詞がついた場合も[レー]と読むことを原則としています。
 ただし、「0(ゼロ)金利」などのように、ないことを強調する場合や、固有の読み方が決まっている場合(「海抜0(ゼロ)メートル地帯」「0(ゼロ)歳児」など)は[ゼロ]と読みます。
 
 「0(ゼロ)歳児」などは「固有の読み方が決まっている」のですかね。単にその読み方をする人が多い、あるいは聞き手に意味が伝わりやすい読み方を使うということではないでしょうか。「れーメートル」は発音しづらい、「れーさいじ」は零細という別の言葉とまぎれるおそれがある、その程度の理由による使い分けと想像します。日本語の場合、語音はルールによって合理的に決まるとは限らず、個々に使い分けされるということが言葉の難しさにつながっていると思っています。
 
 一方、「零」という漢字にゼロの意味があるというのも奇妙です。この字の部首である「あめかんむり」の仲間は雲、雪、雷など気象現象に関係する字が多い。しかし英語のゼロは雨や気象などとは縁がありません。
 「零」は中学校に進んでから学習する常用漢字です。常用漢字表を見ると、音読みのレイがあるだけで、訓読みはありません。もちろんゼロという読みの表示はありません。付記されている漢字の用例は零下、零細、零落です。いうまでもなく、零下の「零」は数字の0の意味。
 漢和辞典(『漢辞海』三省堂)で「零」の意味を調べてみると、この字が動詞として使われている場合は、雨が降る(零雨という熟語もある)、したたる(熟語には零涙などがある)といった語義。しかし現代のわが国ではこの意味にそった使い方は見かけません。ほかに、おちぶれるという意味もありました。常用漢字表にある零落はこれでしょう。形容詞になると、細かいさま、はんぱなといった意味としています。零細はこちらでしょう。これらに続いて数詞として「ゼロ」という語義をあげています。しかし、この意味の用例を示す熟語は見られず、ゼロを零の字で表す歴史は比較的新しいものかもしれません。
  
 フルネームで呼ぶと少々長いのですが、日本ではジョゼフ・ニーダムあるいは単にニーダムと書き表されるイギリスの学者(1900年~1995年)がいます。中国科学の歴史を研究した人で、ライフワークに『中国の科学と文明』があります(この学者の存在は、本稿を書くにあたってはじめてその存在を知ったのですが)。
 この人によれば、「零」がゼロの意味で使われ出すのは、明王朝の時代(14~17世紀)のことのようです。ただし、それ以前から記号「○」をゼロの意味で用いることはあったようで、この「〇」の読み方と「零」の発音が同じだったことから、「零」が「〇」の代わりに用いられるようになったのではないか、と説明しているそうです。
 一方で、零はもともと「雨だれ」を表す文字だった。後に、屋根から雨だれが「こぼれる」「したたる」という意味に発展し、さらには「こぼれたもの」「あまり」という意味でも使われるようになった。この「あまり」という意味が数に対して用いられた場合、「端数」を表すようになり、それが「ごく小さな数」、やがては「何もない数」を表すようになっていったという説もあるようです。
 
 ゼロはインドにおいて発見されたということはよく知られています。ここでいうゼロとは「数としてのゼロ」ということらしい。つまり0(ゼロ)を、他の整数と同じように、数学的な計算対象として扱うことをいうのだそうです。
 2世紀頃のインドでは、「空白」「うつろな」などを意味するサンスクリット語の「Sunya」が「ゼロ」や「無」を意味する言葉として使われていたそうですが、そのころは数字として扱われていたというわけではなかったようです。
 7世紀(紀元628年)に、数学者・天文学者であるブラーマグプタという人が、その天文に関する著書の中で「0(ゼロ)と他の整数との加減乗除」について論じており、そこでは現在と同じ定義を用いているといいます(ただし、0/0を0と定義していることが現在と唯一異なるそうです)。これが「数としてのゼロ」、つまりは数学的演算の対象として、0(ゼロ)を取り扱った発端だそうです。
 
 古代中国では古くから十進法が用いられ、位取りによる数の表し方がされていたようです。思い浮かぶのは『論語』の中にある孔子の言葉です。「吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。…」というのがあります。最初の文節は、わたし(孔子)は15歳の時に学ぶことを決心したという意味ですが、年の数を十有五と記しています。「十と五」、つまり十五です。これを見ても孔子さまの時代には数字の位づけがすでにあったことがうかがえます。
 日本では、特に江戸時代以降、「そろばん」が大いに普及しますが、中国ではそろばんができる以前から数の四則計算などの方法を確立しています。布などに枠を書き該当する位の枠に木の小さな棒を並べ、それらを「九九(くく)」にしたがって動かして答えを導くというやり方です。これによって高度な計算もこなしていたらしいのですが、数学音痴のためよく理解できない。
 それはともかく、この計算道具(算木(さんぎ)または算籌(さんちゅう)など呼称がありますが一定していない)がそろばんにつながります。
 こうした計算道具では、枠に棒を1本も置かないことでゼロを表すことはできるのですが、これを紙などに記録するのは厄介です。一文字分スペースを空けたとしても、まぎれる恐れは十分にあります。そこで「零」という漢字や〇が使われたということでしょう。
 ちなみに漢和辞典などでは〇は文字として扱われていませんが、数の記号としては使われています。たとえば、ある漢字を「音訓」あるいは画数による索引で引くと、その字の掲載頁がわかります。その頁の数にゼロが入っている場合は〇で表記されています。ちょっと押しつぶされたような形ですが……。
 
 わが国における算術・算学は、中国式をそのまま導入して誕生しています。近世まではこれといった独自の発達はなかったようですが、そろばんが社会に普及した江戸時代になると、中国式算術を基礎としながら和算が発展しました。「零」の漢字も〇も、中国の書籍などを通して知られたのでしょう、和算の学者により使われていたようです。しかし明治新政府は西洋数学を導入し、日本の算数・数学は西洋式に一変します。
 
 インドを源流とするゼロの概念はわが国でも西洋数学の導入以前から知られていたようですが、その時期、背景などははっきりしていないようです。中国を含めて、キリスト教宣教師によって伝えられたのではないかという説が有力なようですが…。
 当初は「レイ」と理解し、その言葉を当てていたのでしょう。ところが、いつのころからかゼロともいうようになった。一つの数字に、使い分けのルールもないままに、二つの呼称があるなど珍奇であり、混乱のもとです。現に「0%」の読み方が問題になることがそのことを物語っています。些末なことともいえますが、国語表記にカタカナの占める割合がどんどん増えている状況だけに考えさせられる問題と思っています。
 
(2024.4.20)
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