【コラム】あなたの近くの外国人(裏話)(54)

 「カレー屋さん」たち(3)

坪野 和子

 いわゆる「自粛」の制限が解除された。2年ぶりの制限なし連休が明け、新規感染者の人数が気になるところだ。連休明けすぐは連休中の検査数は多くないだろうから、増加していないのは予想の範囲だ。その1週間後くらいはどうなっているのだろうか? 一日も早く不安や疑問がない生活に戻れることを望んでいるのは誰もが同じだろうと思う。

 さて、私は、このGW中、本業?の日本語オンライン授業はまったくなかったかというと、そうでもない。私のクラスの休講は意外と少なかった。インド現地の生徒は日本のGWと無関係、日本在住のIT社会人生徒たちはというと、子どもは学校があるし、ずっと出かけていられるはずがないと、短期旅行や友人宅訪問など普段の休日と変わらなかったようだった。また本社がインドやアメリカなどの国外の会社に勤務している生徒たちは、日本の連休は関係なかった等、結果、クラス休講は少なかった。主婦のクラスは休みの日はかえって忙しいので休講。

 一方、この間、毎日パキスタン・インド料理ナワブのテラスモール松戸店でランチタイム限定2時間ヘルプ、パートのおばちゃんをしていた。このパートで忘れかけていたヒンディ語を話す機会があったり、中国人のお客様や向いのお惣菜屋さんと中国語を話したりという機会もあり、とても楽しい毎日だった。このパートは、お金を稼ぐためというより、この店を手伝いたかった理由があった。
 手助けに行くことを決めたいきさつや、技能ビザ(調理)で日本に来て色々な店を渡り歩いたシェフたちから学んだこと、日本人相手のカレーのビジネスのことなど、現場で知りえた様々なこと、意外と知られていないカレーのこと、またお客さまも様々であったこと、などを次回から数回、現場とお客目線から述べていきたい。

 尚、「カレー屋さん」の話題はコロナ禍前の2019年9月10月に始めたがそのあと中断してしまったものである。
  「カレー屋さん」たち(1) https://bit.ly/3yCP8QA
  「カレー屋さん」たち(2) https://bit.ly/3ww0SS9

 2019年。(1)はフランチャイズの店長になったものの経営がうまくいかず、チェーン店に戻ったお店の元店長デーベンドラさんの話し。(2)はカレー屋さんの閉店・移転の俯瞰。その当時の予定では、いくつかの事例、個別のお店の事情、シェフやオーナーさんの話しをシリーズ展開するはずだった。今回からこのテーマを再開しようと思う。初めてご高覧になるものとして、述べていく。

 ◆ 0.日本(東京近辺)の「本場」カレー屋さん概要

 今や、日本の大抵の土地には、外国人とみられる店員が各国の料理を提供しているレストランや、ショッピングモールのイートインコーナー兼お惣菜、移動販売など、最近まであまりみられなかった国や特殊な地域の料理や食材が普通に街の光景として見られるし、食べることができる。
 私の埼玉大学非常勤講師時代前半、1990年代後半から2000年半ばにかけて、新しいエスニック料理の店ができたら受講学生たちと一緒に「異文化味体験・学外学習」と称して食事探検体験に出かけたものだった。「それ行けぇ!」と学生たちはバイトのシフトを調整して集まり参加してくれた。当時はベトナム料理ですら珍しかった。今思うと非常勤講師なので無賃金時間外労働だったのかもしれない。

 その後、新華僑の中国家庭料理の店や(インド料理ではなく)インド・ネパール料理、タイ料理、ベトナム料理が続々と出店してきた。「こんなにいろいろな国の国旗を見られるのは日本ぐらいじゃない?」「きっと日本人が世界一、色々な国の国旗を知っているよ」そう言われれば、韓国料理以外は国旗そのものやロゴがなにかしら国旗である。
 そのうち「偽○○料理」と言われる料理店が出てくる。特に中国料理。香港・台湾と看板にかかれているが、ほとんどただの中華料理である。インド料理も、ネパール人などが「インド料理」と呼ぶ「バターチキンカレー&ナン(食べ放題)」をはじめとした「日本のインド料理」が増加してきた。

 南アジアの人たちが「インド料理」と称するのは理由がある。パキスタン料理・バングラデシュ料理では日本人がイメージできないからであるという。だから、「インド・パキスタン料理」「インド・ネパール料理」「インド・バングラデシュ料理」と並べる。
見分け方だが、
・パキスタン料理店はおススメメニュー「ビリヤニ」(炊き込み風ごはん)、ハラルマーク。
・ネパール料理店は「モモ」(チベット小籠包)と「チョー麺」(チベット焼きそばカレー味)が看板で目立つ。
・バングラデシュ料理店は「魚」「シーフード」が数種類ある。

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[パキスタン]マトン・ゴシュート

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[バングラデシュ]フスカ

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[バングラデシュ]オムライス

 さらにその後、インド料理も北と南に大きく分かれるが、南は「タミル料理」「アンドラ料理」「マンガロール料理」と地域の特性を目玉にした料理屋が瞬く間に増え、しかも美味しい。今まで北の料理を提供していた南出身のオーナーシェフなどは徐々に南のメニューを出してきている。北は、現地ホテル料理の辛くないカレーをお店の味として出したりしてきていた。
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[北インド]ランチ・バイキング

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[南インド]ドーサ[甘くないクレープ]

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[南インド]ミールス[定食]

 ネパール料理も「日本のインド料理」ではなく本当のネパール料理、ダルバート、タルカリ、また郷土料理を出すようになってきた。パキスタン料理の店があるが、そこはチベット系言語で習慣もチベットと共通する(でもイスラム)のバルティの料理を出す店だ、コロナ禍で県境を越えるのがイヤでまだ行けていない。一度行ってみたいと思っている。このように多様化している。
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[ネパール]ダルバート青菜炒め+豆カレー+ご飯+ほか

 またいつの間にかスリランカ料理店も増えている。これは不思議なことに、店名が日本の居酒屋のような店が少なくない。もちろん茶色い国旗ライオンのイメージロゴの店もある。その他、耳慣れない国や地域の料理店が増えているが、話しが広がりそうなので、ここは堪えて、カレー屋に焦点を絞って次に進めよう。
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[スリランカ]料理

◆ 1.2019年からコロナ禍とその後【2022年5月現在】

●(1)のフランチャイズの店長になったものの経営がうまくいかず、チェーン店に戻ったお店の元店長デーベンドラさん。
 その後であるが、彼は柏市の店から他店に移った。その途中、コックをさがしているパキスタン料理のお店を紹介しようと思ったら、宗教の違いで面接まで至らなかった。彼はヒンドゥ教である。ベジタリアンではない。しかし多くのパキスタン料理店では牛を扱う。牛は触れられないし、まして肉となっているので無理だ。双方から「無理」と言われた。他店のインド人ベジタリアンのシェフはグレービーとソースだけしっかりした味見をして肉をぶち込んで非ベジタリアンのスタッフに味見をしてもらっている。だから自分が口にしなければいいだろうと思って紹介しようと思ったのだ。しかしそれは間違いだった。

 その後、デーベンドラさんは千葉の店に移動し、しばらく帰国するね、と言ってインドへ帰った。その矢先、コロナのロックダウンが始まった。日本に戻るつもりだったようだが、在留期限が切れてしまった。また勤めていたレストランも以前のレストランも、コロナ禍が関係するのかしないのか不明だが、閉店してしまった。どちらもチェーン店である。

 デーベンドラさんからは何回か連絡があった。「今インド」日本にいた頃は日本語で話していたが、疲れていると英語になっていた。連絡のうち1年くらいは日本語で話していたが、だんだん日本語を話す気力がなくなったのか「今インド」の次はずっと英語になっていった。そして4月の半ば、「新しいビジネスをはじめることにした」…商品をビデオ画面に映した。見るとコックとは無関係の仕事。どのくらいうまくいくのかわからないが、またなにか変化があったら連絡があるだろう。

●(2)のカレー屋さんの閉店・移転の俯瞰から現在【2022年5月】
 2019年当時、カレー屋さんの閉店・移転が多いと感じていた。多角経営による決断の速さでの閉店・移転、作り置きクセで味が悪く閉店・移転、外国人のたまり場になり日本人が敬遠して閉店・移転、近隣にネパール人料理屋が多くでき経営者交代(→その後、もう一度経営者が変わって、なんと!知り合いの旦那さんの叔父さんがその新しい経営者だった!)、またナンやタンドリーを焼く窯があり、売却或いは経営譲渡で移転する資金となるほどであるがため移転する…ここまでが以前の話しである。

 その後、まだ閉店・移転は続いている。「タンドリーの窯があるレストラン」はインターネットの「売ります・買います」に掲載し、独立を狙うシェフたちが日本人(元外国人・外国籍で日本人の配偶者[配偶者の名義])やきょうだい・友人と共同経営で借りたり買ったりしている。元々ランチタイムがメインの店は、あまりコロナ禍の打撃はなかったとのことだ。

 最初から地域の開発計画で立ち退きがわかっていて開店し、そのまま立退料を貰い、タンドリー窯を置いて転売・貸店舗などを行っていると噂されるレストランもいくつか知っている。噂が本当の場合もあるが、悪口は得てして「儲かっているヤツは悪者」と思われるケースもある。
 また、どうしてもレストランを外国人のたまり場でなく料理屋でやりたいシェフは無理をしても都内に移転する。

 その逆にコロナ禍直前くらいに多くできたのが、「昼は日本人のランチ向け+夜は外国人のたまり場」を狙った夜集会場レストランだ。以前からも「このレストランはAさんのグループ、あのレストランはBさんのグループ」と集会場になっている店がけっこうあった。コロナ禍自粛でかえって身内のお仲間が集まりやすい場所になって、密になっている集合写真など、日本の空気が読めない人たちの姿を見かける。

 それをやりたくないレストランは、移転して誰彼関係のない料理屋をやっていたが、飲食店の休業要請等でけっこう苦しかった時期もあったようだ。そして…給付金では足りないというのが多数だが―日本の経営者も同じような人がいるらしいが(新聞メディア web 版)―少数のレストランでは、いつもの売り上げより給付金のほうが大きい…と喜んでいた経営者もいた。しかし、そのレストランは、今なくなっている。潰れたのではなく移転の噂もなく、単なる廃業か帰国か、同国人の誰もが知らない珍しいケースだ。

 ここまでが2019年にはじめようとした「カレー屋さん」たちの振り返りと現在である。次回は、ナワブ・テラスモール松戸で働いてみた現場について述べる予定だ。しばらく、何もなければ「カレー屋さん」たちの話しを続けたい。どうか収束・終息しますように!

 (東京ベイインターナショナルスクール顧問)

(2022.5.20)
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