【コラム】大原雄の『流儀』

「オリンピック株」という名のウイルス

 ~政治家たちの真夏の夢~
大原 雄

東京で開催されるオリンピック・パラリンピックは、7・12から東京に4回目の緊急事態宣言が発出されたことから、首都圏4都県競技会場では、無観客で開催されることになった。無観客といっても、海外からの選手団や役員など関係者の入国は、40,000人を超えるという。彼らは、原理原則から外れる「別枠」でもある。いわゆる「別枠」問題は、「オリンピック株」を説明する場合、キーポイントになるため、これについては、別途、後に述べたい。

東京都のある区役所。入り口ロビー付近には、臨時の二つの会場案内がある。ワクチン集団接種会場という横断幕。もう一つは、東京都議会議員選挙の期日前投票」という案内板である。都議会議員選挙は、6・25告示、7・4投開票。集団接種の受付では、スタッフがワクチン接種を希望する区民の対応に追われている。「期日前投票」も、有権者の出足は、早い。

東京都選挙管理委員会は28日、告示翌日(26日)から始まった期日前投票について、26、27日の2日間で、前回の同じ時期に比べて、1.31倍の24万1,501人が投票したと発表した。選挙人名簿登録者数に占める割合は2.1%。都議選告示後の2日間の人数としては、前回より5万6,930人多く、過去最高の出足だという。

前回、小池百合子知事に引っ張られて善戦した「都民ファーストの会」は、事前の報道では、今回は劣勢が伝えられていた。こうした中、6・22には小池知事が過度の疲労により静養が必要になったと発表され、直ちに入院。5日後の27日には、更なる入院が必要だとして、「数日間程度公務を外れる」という追加発表もあった。「小池劇場」の再現か、という思いが、私の脳裏を走る。

7・4都議選投開票日。結果は、以下の通り(定数は、127議席)。
選挙前、都議会第一党だった「都民ファーストの会」は、14議席減らして、45議席から31議席へ。都議会第二党になる。しかし、第一党の自民党との差は? これこそが、「小池劇場」。小池知事は、選挙戦最終盤で、選挙戦の現場に姿を現した。「都民ファーストの会」(以下、「都民」と略す)には、実質的に、勝利感さえ漂う。

自民党は、8議席増やして、25席から33議席へ。都議会第一党。しかし、実際には、「都民」とは、2議席の差でしかない。史上2番目の少なさ。政権与党内では、事実上の「敗北」という認識が広まった、という。間も無く、解散・総選挙を控える与党内では、菅政権批判が、くすぶり始める。

公明党は、現状維持で、23議席のまま。

立憲民主党は、7議席増やして、8議席から15議席へ。

立憲民主党と事前に議席調整した体制で臨んだ共産党は、1議席増やして、18議席から19議席へ。

そのほかの党派は、省略。

オリンピック・パラリンピックの東京開催の是非や新型コロナウイルス対策の菅政権の対応(いわゆる「不手際」)など、争点は、幾重にもありそうで、単純化すると、開票結果を読み間違いしかねない、のではないか。私は、そう思うので、いま、ここでは拙速な判断はしないが、全体の投票結果を見れば、都民有権者の政治的なバランスの良さを感じる。

「都民」:31。
「自民」:33(「自民・公明」では、56)。
「公明」:23。
「立憲」:15。
「共産」:19。(「立憲・共産」では、34)。

主だったグループを支持する有権者が、都民、自民、立憲+共産、さらに、そのほかも、ほぼ4分の1ずつで、都議会では、抜け出たグループがいないという政治の風景が出現した。総選挙へのマイナスの影響を心配する与党内には、この結果について、「政権への逆風」という深刻な認識が生まれた、という。

この結果、オリピック・パラリンピックは、首都圏(4都県)の会場では「無観客」で開催されることになった。安倍前首相の意向を踏まえた菅首相は、「有観客」開催にこだわっていた、という。二人の首相は、大局観のない人たちで、ゴテゴテ(後手後手)対策といい、事象の全体を見通せない人たちなのだろう。

梅雨入りしたはずの東京は、あまり雨が降らないので(と、思っていたら、梅雨末期7・3に、熱海市でとんでもない規模の土石流被害が発生した。その後も各地で「線状降水帯」が発生、大きな被害を出した)、木々の緑も、水で洗い流したような爽やかさに欠け、葉の色合いの鮮やかさも例年より劣る。

贅言;「線状降水帯(せんじょうこうすいたい)」は、「次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が、列をなし(つまり、組織化した積乱雲群ができて)、数時間にわたってほぼ同じ場所を継続的に「通過」、または「停滞」することで作り出される線状に伸びた雨域。長さ50~300キロ程度、幅20~50キロ程度の範囲で、大雨が降り、災害をもたらすことが多い。

鬱陶しいのは、梅雨のどんよりと立ち込めた雨雲という見慣れた風景ではなく、街を行く人々の頭上からのしかかって来ているように見えるコロナ禍の抑圧感ではないのか。その証拠に、人々は、感染覚悟で、都心の街へ、街へと出かけているではないか。

東京では、毎日の新たな感染者が、200人から500人のゾーンから、なかなか減少へ向けて抜け出せない。いわゆる「下げ止まり」現象が続いていたが、「緊急事態宣言」解除の6・20以降、最近では、500人を超えて、900人前後まで上昇。第五波へのリバウンドの現象というのが、多くの専門家の意見である。第五波は、感染者数最多の「第三波を超える急激な感染拡大が危惧される」(「東京都モニタリング会議」)という。

最近の新たな感染者は、従来の高齢者(65歳以上)グループが抑制され、若い世代が増えた。特に、10代、20代、30代の若い世代が各地で目立つようになった。若い世代の感染者は、これまでより重症化したり、死亡したりする傾向にあるというので、要注意だ。この世代が、現代社会の実質的な労働力の根幹を占めているだけに、感染者が増えるだけでも影響は大きいし、万一、重症化の果てに、死亡したりした場合、社会の人口構成に大きな後遺症を残すのではないか、と危惧する。

こうした中、菅政権は、7・11で終わる東京の「蔓延防止等重点措置」を12日以降は、「緊急事態宣言」に切り替えた。その期間は、7・12から8・22までとする、とした。私たちの前には緊急事態宣言下のオリンピック開催(7・23開会式)という異例の光景が広がることになった。

この結果、以下の通り。
緊急事態宣言;東京、沖縄。
蔓延防止等重点措置:埼玉、千葉、神奈川、大阪。

★ あるジャーナリストの呟き

今回の「大原雄の流儀」は、「新聞を読んで」、というNHKのラジオ番組風のタイトルを真似るならば、「テレビも、インターネットも『読んで』」、ジャーナリストとして一言・二言、というあたりか。

長年、マスメディアの第一線で、つまり、第一次情報(当事者・関係者に直接取材をして情報を集め、ニュース原稿を書く)を自分で取材する(私は、放送メディアだったので、新聞記者たちとの取材合戦をして得た情報を原稿にしたり、テレビ・ラジオの出演を含む電波に載せて視聴者へ伝えたりする)記者稼業に携わってきた。

デスクになると、直接的には、第一次情報から離れて、記者、カメラマン、ディレクターなど、若くて機動力のあるスタッフの取材指揮をしてメディアの職責を果たすように努める。記者たちの書いた原稿をチェックしたり、第二次情報としての原稿の品質管理をしたりする。それでも、第一次情報には、近いところで仕事をする。デスクとして気になる情報は、取材をしてきた記者やカメラマン、ディレクターに直接確認できる。

そういう体験を長年続けてきた身には、現在の稼業は「辛い」。なぜ辛いかというと、他人が書いた第二次情報をベースにして、情報のファクト性やニュースの価値性を判断しなければならない、からだ。判断基準は、その情報が、受け手の人々に役立つ情報かどうか。真実の情報か、フェイクニュースが混じってはいないかどうか。まあ、10年以上もデスク稼業を続けてきた身には、デスクの「妙味」も、私なりにあるのだから、その一点にすがりつこうか。

そこまで考えて、今回は、オーソドックスな手法に戻り、オリンピックをめぐるマスメディアの報道ぶりの検証を軸にしながら、時系列的に、オリンピックとワクチン接種の政治力学に関係する情報をピックアップして、拙稿をまとめてみたい、と思うようになった。

ある老ジャーナリストの呟き。
今回の三題噺のテーマは、
*「(東京五輪)オリンピック・パラリンピック」、
  (以下、「東京五輪」は省略し、「オリンピック」のみの表記としたい)
*「コロナワクチン」、
*「挽回狙う菅政権」、
という3つの角度から情報を分析する。
これらの言葉をキーワードとして、菅政権を軸に関係者を含む言辞の数々をクロニクル・時系列的に整理してみよう。

★ 「緊急事態」宣言解除

継ぎ接ぎだらけの「緊急事態宣言」は、沖縄県を除いて、6・20で解除された。沖縄県は、5・23から7・11まで。東京都などは、「蔓延防止等重点措置」で、「緊急事態宣言」に次ぐ政策として位置付けて、当面の行政の指針としている(既に書いた通り、その後、東京都などは、7・12から、8・22まで、緊急事態宣言となった)。東京都の場合:「緊急事態宣言」(3回目)→ 蔓延防止等重点措置」→ 「緊急事態宣言」(4回目)、と言う、迷走ぶり。

つまり、菅政権としては、「緊急事態宣言」で国民の危機感を煽りながら、この危機感を武器に政局化へ向かう保守政治が迎える「政治の季節」を自分の道として(日本の政治でもなく、自公を軸とした保守の政治でもなく、自民党の政治でもなく、菅政権の権力維持に向かって)、舵取りをして行きたいのだろう、と私は推測している。己の政治を有利にするためには、なんでも使おうとしているようである。まず、外交の力で、つまり、他力本願で「箔をつける」対応をし始めた。

★ 「G7」という「補助エンジン」の利用

6月中旬にイギリスの南西部の海沿いの街・コーンウォールで開催されたG7サミット(主要7ヵ国首脳会議)では、「覇権主義」を強める中国に対抗して「民主主義」に基づく仕組みづくりを世界に広げるというアメリカの戦略が下地にある。その中で、サミットに出席した日本の菅首相は、英語も堪能ではないということもあってか、首脳たちの集合写真を撮るような場面でも、首脳たちと談笑するでもなく、オルド・シティボーイズ&ガールズ風の首脳陣の中にあって、場違いなところに顔を出してしまったカントリーボーイ、というか、カントリージェントルマン風の風貌と無表情で、ひとり孤独そうであった。

6・12。この孤独なカントリージェントルマンが、打席に立たされ、ボックスの中で演説をさせられた。いつもの棒読みのままである。テーマは、今夏の東京オリンピック・パラリンピックについて。「安全・安心の東京大会の開催に向けて、万全な感染対策を講じ、準備を進めていく」と、冒頭強調した。この様子をテレビで見た私は、疑問が湧きだす。こりゃ、ニュースのハナ(アタマ)からフェイクニュースではないのか。「安全・安心」などというところは、地球のどこにもないのではないか。どこもかも危険極まりないのが、現代社会ではないか。

コロナ禍について言っているのであろうが、「万全な感染対策」など、足掛け3年も新型コロナウイルスに責め立てられていて、適切な対策一つ打ち出せないまま、毎日のテレビニュースでも、テレビ画面の右上あたりに、さりげなく数字で表示されるのは、その日の死亡者数。ニュース原稿を読み上げるキャスターも、淡々と数字だけ伝えると、あとは、何もコメントしない。それで済んでしまって、視聴者も疑問に思わないのが、日本政府が言う「万全な感染対策」の実態である。

人間の死も、軽く扱われるようになったものだ。ニュースでは、交通事故死ほどの原因解説もしようとはしない。本来は、四苦八苦している現状を正しく伝え、「明日から役立つ」予防策を日々提言するのがジャーナリストの役割ではないのか。マスメディアを担う報道機関の使命ではないのか。

孤独なカントリージェントルマンこと、菅首相は、演説を続けていた。11日のG7のテーマは、「新型コロナからのより良い回復」だと言う。
菅首相は、冴えない表情のまま、綺麗ごとの官僚作文を「代読」、いや、本人なのだから代読ではないか。本人名義の代筆の「直読」か。しかし、官僚の「代筆」した作文の読み上げであることには、違いはあるまい。

「世界が新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が団結し、人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを日本から世界に発信したい」と菅首相は強調した、という。しかし、改めてキーワードをチェックして行くと、いずれも手垢にまみれた常套句の羅列だということが知れよう。オリンピックがらみでも、同じようなフレーズが連発される。

会議(G7サミット)は6月13日。「首脳宣言」を採択し、閉幕した。閉幕を前に、菅首相はG7サミットで、1カ月余りと迫った東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、各国首脳から「支持」を取り付けた、と言われる。朝日新聞(6・14夕刊記事)から、以下、菅発言を引用。

「全首脳から大変力強い支持をいただいた。改めて主催国の総理大臣として心強く思う」。「東京大会をしっかりと開会し、成功に導かなければならないと決意を新たにした」などなど。ここにあるのは、G7サミットの首脳たちに対する菅首相の印象論だけなのではないのか。

「力強い支持」って、なあに。何をしてくれるというのか。経済的支援か。コロナウイルスの効果のある抑制方法の伝授か。そうだとしても、それは日本国民にとって、具体的に何のメリットがあるのか。
あるいは、G7サミットという国際政治の、いわば「上部機関」、つまり、「お上」の力を利用して、菅政権の都合の良いようにオリンピック・パラリンピック開催を強行する根拠づけに利用しようとしているだけではないのか。菅政権の意図は、くっきりと透けて見えるように思うのは、私だけでは無いだろう。

確かに、G7サミットの首脳宣言では、「安全・安心な形での大会開催を支持」と明文化されているが、「安全・安心」という言葉は、抽象的で、具体的にどういう状況下なら「安全・安心」だと関係国が共通した認識を持てるのか、実際には、各国の認識が異なり、それゆえ、本質的には、旗色(きしょく)不鮮明なのではないのか。
そもそも、この表現も、「安心・安全」と「安全・安心」とふた通りの表記があるなど不統一である。不統一は、新聞記者の「筆の勢い」に任せた誤記かもしれない(あるいは、内閣官房の報道資料の誤記かもしれない)が、文字表現さえ、このように揺らいでいる、のではないのか。というか、菅政権は、文字表現など瑣末なことなど、実際には、どっちでも良いとでも思っているのだろうか。

★ 「インド型」から「デルタ株」へ

新型コロナウイルスの変異型で従来型より感染力が強い「デルタ株」(インド型)による感染拡大への不安は、これからますます深刻になるのではないか。こうした不安から日本国内では、国民の間に、開催に慎重な意見が根強くあるにも関わらず、国際社会の首脳たちの会議という場を巧みに利用して、オリンピック・パラリンピック開催を一気に「既成事実化」しようとした魂胆が透けて見える格好だ。首脳宣言では「安全・安心な形での開催」支持の、事実上の条件となってしまい、会期中の不測の事態発生時には、日本にとって重い課題を背負わされたままだ。

贅言;新型コロナウイルス変異株の型(「懸念すべき変異株」)について、表記が変わった。新旧の区別を記録しておこう。

従来「懸念すべき変異株」の表記:

1)イギリスで見つかったアルファ株。
2)南アフリカで見つかったベータ株。
3)ブラジルで見つかったガンマ株。
4)インドで見つかったデルタ株。
(7月1日で、以上の表記廃止)

新しい「懸念すべき変異株」の表記:

1)アルファ株。
2)ベータ株。
3)ガンマ株。
4)デルタ株。
(ウイルスの流行国だけを指定していた分類を廃止し、「懸念すべき変異株の指定国」と表記する)

G7サミットの首脳宣言の本意をどう理解したのか、していないのか、「懸念すべき日本のマスメディア」は、ワクチン接種とオリンピック強行開催をどう報道してきたのか。いつの間にか、マスメディアの論調から、「強行開催」という表記が消えてしまったのをご承知か。

日本のマスメディアは、そういう重い、国際政治の構造を国民の前で解き明かそうとはしない。「ワクチン接種」のやり方を見れば、ことの本質が透けて見えてくるのではないか、と思うが、いかがだろうか。

東京オリンピック・パラリンピック開催について、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長ら専門家有志26人が6月18日、政府へ提出した「提言」は、それまでの分科会の論調とは違って、オリンピック開催問題は、開催を前提にしていた。開催が是か非かというような、開催の妥当性に関する文言は、封印されていた。開催を前提にした「現実路線」に舵を切ったものだ、とマスメディアは、報じていた。例えば、その15日前の6月3日。NHKのニュースは、以下のように伝えていた。以下、引用。

6月3日の参議院厚生労働委員会で、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長は、東京オリンピック・パラリンピックについて、「本来は、パンデミックの中で開催するということが普通でない。それを開催しようとしているわけで、開催するのであれば、政府もオリンピック委員会もかなり厳しい責任を果たさないと、一般の市民もついてこないのではないか。開催するなら、そういう強い覚悟でやってもらう必要がある」と強調しました。

そして、開催に伴って、人の動きが増える可能性が極めて高く、大会成功のためにはなるべく小規模にする必要があると指摘したうえで、「一般の人に『静かに家でテレビをみてください』というメッセージが伝わらないと、しっかりした感染対策はできない」と述べ、政府や関係者が強い覚悟で感染対策などに取り組む必要があるという認識を示しました。以上、引用終わり。

それが、6月18日には、オリンピックを「パンデミックの中で開催するということが普通でない」という尾身軍団の有志(「勇士」か?)たちが掲げる幟(のぼり)から、この明解な表現が引き摺り下ろされてしまったのではないか。

ただし、期間中にウイルス側の「リバウンド(感染再拡大)」がありうる情勢だということを警告しながら、オリンピック開催前、感染拡大の予兆があれば、「強い対策」をためらわずに実施、つまり緊急事態宣言を発動(「発動」=「発出」すれば、即「無観客」開催ということなのだろう。現実は、尾身会長らの主張通りになった。

★ ワクチン接種は、オリンピック開催への「同調圧力」装置か

日本のワクチン接種は、国民の接種対応が5月末から6月にかけて、急速に増加している。菅政権お得意の思いつきのゴテゴテ(後手後手)政策のパッチワークは、糸は縒られて、織り込まれているように見えるが、実際はスカスカなのではないか。

ワクチン接種の対象は、菅政権の今後の「政局」を睨みながら、菅政権の専門用語の一つ「スピード感を持って」、そのものを体現しているように思える。ワクチン接種の対象は、以下のように変遷してきたように思える。

1)接種券を発行する地方自治体の組織をベースに、かかりつけのクリニックなどを含め、地域の医療機関を利用し、高齢者優先で年齢別・個別に接種する方式。いわゆる「自治体個別接種」。「かかりつけのクリニック」利用の長所と短所があった。当初の接種が、亀の歩みのようであった。

2)地域社会に高齢者優先で年齢別の特設会場を作り、集団接種をする方式。いわば、「自治体集団接種」。

3)防衛省が、自衛隊をフル活用して東京や大阪で自治体の枠を超えて特設した集団接種をする方式。事前予約と接種券持参を条件に、関東では、まず、東京限定、次いで、首都圏限定、次いで、全国規模へと区域を拡大しながら、65歳以上の高齢者優先で年齢別で対応した。医師などの資格を持つ自衛官が担当した。それが参加者減少で機能しなくなると、年齢別を取っ払って、64歳以下18歳以上(高齢者ではない人々、「一般国民」というらしい)で、自治体発行の接種券を持参すれば、集団接種をする、という方式。一時期は、例外的な措置として、事前予約無しでも接種ができたりしていた。徹夜で並ぶ若い人が出てきたりしたため、その後、6・28から中止された。

4)地域の企業に協力させ、「職域」の医療体制(企業の診療所など)を活用して接種を増やす方式。6月21日開始後、ワクチンの配給が間に合わなくなったという理由で(それも、河野太郎担当大臣の眉唾的な表現で混乱に輪をかけたように思う)、「職域」集団接種は、一旦休止に追い込まれた。東京などの大規模接種会場などでは、ワクチン接種が、中止、あるいは休止になる、品不足で延期されるなどという噂がニュースとして流れ、混乱を生じさせた。その後も、混乱は続いていて、職域接種は、「再開」しない、ということになった。「ゴテゴテ」、拙速の思いつき、などなど。

5)地域にある大学に協力させ、医学部、大学診療所などを活用して学生など若い世代を対象に接種を増やす方式。

★ ワクチンとオリンピック強行開催

あの手この手のワクチン接種。接種加速で、不人気を回復させたい菅政権。思いついたのが、この「職域」(大学も含む)接種である。当初からの自治体接種と別ルートの職域接種のダブルトラッキングで、接種の加速を狙ったが、想定を誤り、途中で、中止の憂き目を見た。「どんどん(ワクチンを)打つ。打っていくうちに(オリンピック開催への)雰囲気は、相当、出てくるでしょう」(官邸幹部。朝日新聞6・15記事)。菅政権は、ワクチン接種前倒しでオリンピック開催ムード上昇を狙ったが、うまくいかなかった。ゴテゴテ(後手後手)に回ることが多い、という菅政権の政治姿勢を挽回しようと、ワクチン接種は、融通無碍に対応を試みる政権の、いわば「実験台」にされたようだ。

最悪の事態を考え、さまざまな処方箋を用意して国民に示すのが政治リーダーの責任だが、残念なことに、日本の首相は自分に都合のいいシナリオを描き、当たるかどうか(「一(いち)か、八(ばち)か」という(サイコロ)賭博精神そのものではないのか)を実験しようとしている。首相が期待するように、愛国気分が盛り上がり「五輪の力」が政府への不満を吹き飛ばすか。それとも感染を再拡大して、政権批判に油を注ぐことになるか。

新聞の報道するところによると、首相サイドは、「ワクチン接種が進めば、なんとなく政権に好感が持たれる。五輪への雰囲気も徐々に変わってくる」と期待している(官邸幹部の一人)という。こういう情緒的な思考で、本当に国政を切り盛りしているのだろうか。国民は衆愚とでも思っているのだろうか。

贅言;「ワクチン接種が進めば、なんとなく政権に好感が持たれる」という、ギャンブラーのような精神構造で政策判断をし、頑固にそれに固執する菅首相。そういう彼を取り巻く官邸幹部も、それを諌めるどころか、平気で同調しているようだ。「一か八か」、サイコロの目のままに、政策判断されてしまう現代日本の悲劇。日本国民にとって、こういう人物を国政の責任者に迎えたことが不幸というものだが、「不幸だ」と私たちは居直っているわけには、いかない。なにせ、デルタ株のコロナウイルスは、従来のアルファ株、ベータ株、ガンマ株とは、全く別物と専門家が言うほどの「悪徳(わる)ウイルス」らしいのだ。

★ ワクチンで政権上昇狙う

ワクチン接種促進対策が、国政の政争の道具に使われている。デルタ株(インド型)の恐怖感を煽り、ウイルスへの危機感を強調し、ワクチン接種の効能をオリンピック強行開催に結び付ける。ワクチンもオリンピックも、ここでは、コロナウイルスの有効な対抗馬としてイメージを強調する、という作戦だ。ワクチン接種の普及をオリンピック強行開催是非論の論拠としている。いずれも、国民が同調し易い(もちろん、去年からこうした異常な論拠のあり方に不信感を示し、オリンピックの延期論・中止論を支持する国民もかなりいることも事実であり、オリンピックを巡る複雑な動きの中で、この論争は翻弄されているので、この問題を判りにくくさせているように思う)。

菅政権は、オリンピック開催の是非論を突き破って、オリンピックを「是」とする論拠を優勢にしようとしているのだろう。スポーツと政治をくっきりと分離するのが、オリンピック本来の理想論だが、オリンピックは、ここでは、ワクチン接種を同伴した、いわば「オリンピック株」として、株を植え込むワクチンのように、国民に同調を迫る圧力を加える「同調圧力装置」になっていやしないか。ワクチン接種 → オリンピック開催 → 解散・総選挙へ。「みんないっしょ」「みんな同じ」という「同調圧力装置」を私は、イメージしている。通称「スガ機関」。

★ 閣僚たちの覚悟

6月25日の朝日新聞朝刊は、一面のトップ記事で、見出しを躍らせた。「五輪は誰のために」というシリーズ通しのタイトルを持つ大型記事だ。東京五輪の観客のあり方を決める政府などの「5者協議」の前日の6月20日の光景。以下、記事引用。

「菅義偉首相は周辺に言い放った。『分かってるよ。宣言になったら、やめればいいんだろう』(略)宣言下なら観客は入れられない−—。五輪を開くことができる最低限の条件を確認する周辺の言葉に、首相はいら立ちを隠さなかった。(略)東京などの緊急事態宣言が延長された5月半ば以降は、首相に中止を求める直言も相次いだ。『この状況を考えれば、中止も仕方がありません』『中止で支持率はマイナスになりません』。何人もの閣僚らが、この1カ月ほどの間に首相に五輪中止の決断を迫ったと証言する。(略)自民党内では、首相の先行きを危ぶむ声がじわりと広がる。党幹部は「『安心・安全』を実現できなかった責任をとって退陣となるかもしれない」(引用終わり)
と、言っているとか。

この記事全体の大見出しは、「閣僚『五輪中止を』拒む首相」。

生々しい証言が新聞記者の筆で書き留められているが、辞表を懐に身を呈して、首相を諌める大臣は、いなかったのだろうか。発言したとされる閣僚たちの名前も明記されていない。

★ 「安全・安心、安心・安全」という言葉遊び

「Safety and peace of mind」、あるいは、「safe and secure」、さらに、名詞として表現すれば、「safety and security」となるが、そもそもこの言葉は、どういう意味なのか。

また、「安全・安心」という日本語の表現は、インターネットで検索すると「安心・安全」という語順の表現の方が圧倒的に多く見つかる。なぜ、そうなるのだろうか。それは、菅首相が、「安心・安全の対策をしっかり講じる」などと意味不明の言辞をばらまくからではないか。とにかく、まず「安心」させて、それが結果的に「安全」ならば、それで良しとする。そういう菅政権のイメージが「安全」と「安心」を無原則的に混在させているのではないか。

「安全性が高いから安心」ということであれば、原因と結果が、明確に論理的で判りやすい、と言えるだろう。安心の理由が明確な場合は、「安全」→ だから、「安心」。「信頼」→ できるから、「安心」。「高品質」→ だから、「安心」、というように理由を説明するだけで「安心」という使い方が本来の語順だろう。この場合、語順は、当然、「安全・安心」になるはずである。

確かに、G7サミットの首脳宣言でも、「安全・安心な形での大会開催を支持」という表現が明文化されているが、「安全・安心」という言葉は、実は、抽象的で、具体的にどういう状況下なら「安全・安心」だと関係国が共通した認識を持てるのか。実際には、各国の認識が異なり、それゆえ、本質的には、旗色(きしょく)不鮮明である。この表現も、「安心・安全」と「安全・安心」とふた通りの表記があるなど不統一である。文字表現さえ、このように揺らいでいる。

その結果として、「安心・安全」の原発。「安心・安全」の菅政権。「安心・安全」なオリンピック。「安心・安全」の居酒屋。「安心・安全」の…。という具合に、「安心・安全」という表現が、「護符」か何かのように、政治家、官僚に限らず、一般の人も含めて、さまざまな場面で氾濫して使われ、インターネットの世界でも、検索をすれば、どしどし検索欄に並び出す始末である。

この表記の震源地は、もはや、最初の発言者が誰だか判らないが、「オリンピック」なのではないか。試しに、アスリートや大会関係者向けに作られた、いわゆるルールブックである「プレイブック」を覗いてみよう。「プレイブック」には、オリンピック・パラリンピックへの参加に当たって、選手・関係者(報道陣含む)に求められる「ルール」が記載されている。

その記述に、以下のような表現がある。「感染症対策に万全を期すべく、WHOや感染症の専門家の意見をいままで以上に積極的に取り入れていく所存。(略)関係機関とともに尽力し、コロナ対策に万全を期して安全で安心な大会開催に努めてまいりたい」。

この結果、「万全」・「安心」・「安全」が、あたかも、言葉の遊びのように、繰り返し、繰り返し、空回りしているのが、浮き彫りにされて来る。

★ 「酒類販売」で、ひと騒ぎ

オリンピック・パラリンピックの組織委員会は、オリンピックなどの競技会場内で、観客に酒類の販売をすることを検討していたが、一方で、一般の居酒屋や料理店などに酒類の提供を制限、自粛させるなどしておきながら、競技会場では、スポンサーの意向を優先させて、例外的に酒類の販売をする方針だと発表した途端、居酒屋関係者を始め、国民から厳しい批判が巻き起こる、という、いわば、ひと騒ぎがあった。
当初、組織委員会は、酒類の提供を認める方向で、午後7時までの販売時間制限なども検討していたが、国民の間から吹き荒れる批判の嵐を受け、「このままでは収まらない」と販売中止へ踏切らざるを得なくなったのだ。

オリンピック東京大会では、スポンサーのビール会社が会場内で酒類を独占販売できる契約になっているが、「飲酒容認」となれば、観客に強いる「直行直帰」の要請や「大声の禁止」など、観客の側の「ルールブック」も、守られない懸念が出てくることなどに大会関係者も気づいたというわけだ。「新型コロナ対策の視点を忘れてはいないか」、という基本的な指摘に、頷かざるを得ず、酒類販売を断念したというわけだ。

酒類販売を巡っては、自民党の二階俊博幹事長も「注意喚起する意味ではアルコールの禁止は大事だ」と発言していた。「安心・安全の飲酒容認」は、通用しなかった。

★ オリンピック開催とパブリックビューイング中止問題

6・10。時事通信は、「東京都が主催する会場でオリンピック開催中のテレビ番組を中継する大画面(パブリックビューイング、以下、PVと略す)を中止する方向で検討している」と記事配信で報じた。さらに、PVを予定していた会場は、新型ウイルスのワクチンの集団接種の会場として転用する方針だと伝えた。

これに対して、東京都のオリンピック・パラリンピック準備局は、記事を書いた時事通信の記者宛に10日付で「記事には、重大な事実誤認があるので、記事の削除と訂正を求める」(概要)という内容の抗議文を送った、という(朝日新聞、6月30日付け朝刊)。これについて、東京都の小池百合子知事は、翌日、11日の定例記者会見で時事通信の記事配信について、「これはファクト(事実)ではございません」と改めて、時事通信の記事を否定した、という。

しかし、小池知事は、19日には、東京都が予定していた都内のPVの全会場の開催を中止すると記者会見で発表し、一部の会場は、ワクチン集団接種の会場に転用すると説明した。

贅言;さはさりながら、東京都議会の選挙戦。それに合わせるように、小池知事は、体調不良での入院と退院。都庁には、顔を出さない「在宅勤務」。何か、臭うような気がしませんか。再び、強調しておくが、これぞ「小池劇場」。小池百合子という政治家は、同床異夢の名人ではなかったか。

時事通信のPV報道問題を報じた朝日新聞の記事によると、東京都のオリンピック・パラリンピック準備局は、「東京都の当局に対する事前取材もなく、記事は執筆された。(略)担当記者宛に抗議文を送ったことは、報道機関の自由な言論活動を妨げる目的ではなく、(当局)の円滑な事業推進に多大な支障をきたす内容だったため」と時事通信に回答している、という。

私も、昔、東京都庁の記者クラブ(当時は、通称「有楽記者クラブ」。そう、都庁は、有楽町にあった)に3年間ほど在籍し、美濃部革新都政・鈴木保守都政を取材していたことがある。担当部局のひとつに東京都公害局を持っていた私は、ある時期、継続して六価クロム(鉱滓)公害問題を取材していた。工場内の労働現場からクロム公害が周辺の住宅地に漏れ及んでいるという東京都の調査結果があることを突き止め、「日本の公害Gメン」と呼ばれた東京都の田尻宗昭部長から、直接、調査報告書の内容を聞き取り、NHKの朝の5時・6時・7時の、全国向けの「NHKニュース」のトップ項目として、報道されたことがある。

その後、田尻宗昭部長に聞いた話だが、担当部局のひとつに公害局が入る当時の副知事に、「テレビをつけたら、朝のNHKニュースで、自分も知らない東京都公害局の六価クロム(鉱滓)調査報告が、報道されていて驚いた。事前に副知事にも説明すべきだった、と言われたよ」と、聞かされた。田尻さんは、笑みを浮かべながら、「朝、いちばんに副知事室に行って、報告の内容を説明してきた」と、言った。当時は、その程度で終わったものだ。しかし、小池知事のように、直接、報道機関に事実を否定する偽りの抗議文を突きつけるようなことは、なかった。

国政であれ、地方自治体の行政であれ、政策の発表まで記者が待っているのではなく、事前の取材で知り得たことは、発表前に速報することは、ママ、ある。いまだって、あるだろう。むしろ、私たち記者は、いずれ発表されるニュースであっても、記者クラブと行政当局の間で、「しばり」(発表時刻を双方で同意する約束を結ぶ)がかかる前に、いち早く、報道しようとするのが、取材活動の正道である、と心得ているほどである。

行政が、報道機関に抗議文を突きつけるとしたら、それは、行政の進捗を阻害し、国民に被害を与えるような誤報事件を起こした時など、限られているはずである。行政の責任者が担当記者宛に文書で記事の訂正・削除などを求めるということは、かなり異例なことだろう、と思う。東京都の抗議文は、全マスメディアにとっても、問題性のある言動だったと思う。

まして、今回の場合、時事通信が報じた内容の正しさは、東京都のオリンピック・パラリンピック準備局の、その後の対応が明らかにしている通りであった。時事通信の記事配信は、ファクトではないどころか、ファクトそのもの。フェイクニュースの記者会見をしたのは、小池知事を筆頭とする東京都の側であった。
報道機関には、憲法で保障する国民の知る権利で担保された報道の自由という役割があり、そのためにも、取材者は、報道や表現の自由を維持するためにも、取材活動を萎縮させてはならないのである。

★ 緊急事態再宣言という「事態」

6月下旬から、東京都では、新型コロナウイルス感染再拡大の兆候が強まってきた、と専門家たちは口を揃える。「蔓延防止等重点措置」の期限である7月11日で解除するシナリオは、今や崩れた。

「月内の緊急事態宣言もあり得る」(政府関係者)という声すら、早くから上がっていた、と言われるが、それとともに、声高に語られていたのは、「無観客」でのオリンピック・パラリンピックの強行開催という声だった。ついこの前まで、オリンピック開催の選択肢には、1)中止・延期、2)無観客開催、3)有観客開催、という具合に、3つの幟(のぼり)がはためいていたように、私は記憶しているが、いつの間にか、開催は、当然の前提であるという言説が現実味を帯びてきているように思う。無観客か、有観客か、というだけの論調では、開催是非論(中止・延期論)に目隠ししてしまう。これだから、マスメディアの報道は信用ができない。菅政権は、反対の少ないワクチン接種を是とする世相の潮流に乗っかり、スピード感を持って、「加速させる」とともに、都心部の人の流れを抑える対策を強化しようとしている。

贅言;「無観客」開催で、収入が減るのは、JOC。東京でのオリンピック開催で大会組織委員会が承認した予算は、約1兆6,000億円、という。暑さ対策、警備対策などの関連経費を含めると、日本側の支出は、ざっと3兆円と、いわれる。無観客になると、JOCのチケット収入(当初見込み)900億円が、入ってこない計算になる。無観客、有観客論議は、IOCの財政には、余り影響しない。懐が痛まない。IOCには、無観客であれ、オリンピックが開催さえすれば、テレビの放送権料やスポンサー企業の協賛金が潤沢に入るからである。

東京の大手町。都心部などで、深夜未明から、ビルの周りに人の長い行列が出始めていた、という。ワクチンの大規模接種会場では、利用者が当初は大勢詰め掛けていたものの、地域限定、年齢制限などの条件を敬遠する人も増えてきたため、途中でなかなか人が集まらなくなった。ワクチン人気は、コロナ対策だけではなく、オリンピック・パラリンピックの世評のバロメーターの役も果たしているようで、菅政権は、己の政権に対する国民の状況が悪化してきたな、と思うと、これに歯止めをかけようとする。そして、担当大臣が、アクセルとブレーキを適時使い分けているのが、判る。

いわゆる「第五波」。新型コロナウイルスのリバウンド(感染再拡大)が懸念されている。こうした中で、オリンピックが強行されようとしている。「中止・延期論」は、いつの間にか、声を潜めてしまったようだ。社説などで、中止論をぶち上げていたマスメディアを含めて、沈黙してしまった。菅政権は、「開催」強行に突き進み、国民の間には、不安・不信・諦め、というような無力感が広がっている。その結果、都心部の人の流れは、減るどころか、増えたままである。

いま、東京でのオリンピックの開幕を楽しみにしている日本国民は、どのぐらいいるのだろうか。むしろ、オリンピック開催に伴って、地球規模のパンデミックのコロナウイルスを海外から運んでくる人々が、どういう実害を日本に及ぼすか、という不安感・危惧感が強いのではないか。これほど多くの国民が開催に疑問を抱くオリンピックは、歴史上なかったのではないか。戦争で、開催を中止したオリンピックは、あったが、戦争に匹敵するパンデミックでも開催を強行しようとするオリンピックは、なかったのではないか。

★ オリンピック開催について、都民世論調査

7・4。東京都議会議員選挙の投開票が行われた。都議選でも、オリンピック・パラリンピックの開催について、争点となった。NHKを含め、報道機関は、世論調査を実施した。例えば、朝日新聞社は、6・26、27日に世論調査をした、という(朝日新聞7・2付け朝刊記事)。このうち、開催問題についての世論調査結果は、以下の通りである。

* 今年の夏に予定通り開催する:38%。
* 中止する:33%。
* 再び延期する:27%。

中止・延期論は、合わせると、60%である。開催論は、38%。

東京都民の思惑とは別に、権力者の思惑はあるのだろう。それは、ワクチンとオリンピックが、両輪となって菅政権の失政をカバーし、権力を維持するための「装置」になってきたからだろう。菅政権が描く政権維持策とは、次のようなものではないか、と私は思う。

★ 政治家たちの「真夏の夢」

パンデミックと言われる100年に一度の手強い感染症。日本で開催される二度目の東京オリンピック。ワクチン接種がうまくいけば、感染症のゴテゴテ政策の失敗を一気に解消させるかもしれない。国民の評価も変わってくるだろう。

それに加えて、強行開催に突入するオリンピック効果。オリンピックが始まれば、自国開催の地の利を生かして金メダルラッシュが期待できるかもしれない。勝ちさえすれば、菅政権に対する有権者の評価も、変わってくる。となれば、やはりオリンピックは、政権にとっては、開催して良かった、ということになる。

贅言;6・30付けの毎日新聞記事によると、「感染対策で厳しい制限を強いられる海外勢からは『不公平』と不満の声も上がり、メダルラッシュも予想される日本に冷ややかな視線も向けられ」ているというではないか。そうか、もう、そういう声も上がっているのか。

メダルラッシュのオリンピックで上気した日本の有権者は、菅政権支持に変わる可能性が期待できるかもしれない。その余勢を駆って、菅首相は、解散・総選挙に臨むことができる。総選挙でも、勝ちさえすれば、自民党の総裁選挙で、政治家・菅義偉は、無投票で総裁再任への道が開けるかもしれない。やはり、彼は、ギャンブラー首相か。

コロナ下のオリンピック強行開催。コロナは、菅政権の不公正さを改めて浮き彫りにした。感染症対策として、国民の生活は様々な制約下に置かれ続けている。一方で、菅政権は、オリンピック開催のためなら、と、いろいろな例外措置を備えながら国民には隠してきたが、ここへきて、そういう水面下の見えなかった実態が、水面に浮き上がってきた。

チケットを販売するための観客は、首都圏以外の自治体での開催は、「有観客」(北海道、福島は、無観客)。コロナ対策として、イベント一般の基準とされた「収容人員の50%以内で、最大、観客5.000人以内」というルールは、オリンピック開催を前に、「最大、観客10,000人以内」にと、大幅に緩められてしまった。さらに、この観客ルールとは「別枠」で外国選手団や役員などの席も用意されているという。
巷の酒類の販売規制という「禁酒政策」も、競技会場内では、別ルールで、あわや緩和されようとしたが、発覚後、国民の厳しい批判で断念させられた。これも「別枠」問題である。海外からの大会関係者らの入国制限や入国後の対応も、大幅に緩和された。この結果、日本国民は、いまや、コロナウイルスの第五波の恐怖に晒されようとしている。

贅言;このように、当初、純粋な事情を勘案して「原理原則」を決めていたことが、その後の「事情」と称して、緩和策が付加され、挟雑物(余計なこと)が入り、当初の判断が骨抜きにされるようなやり方をしていると、必ず失敗する。「東京五輪・パラリンピックを控え、政府内では4度目の緊急事態宣言は避けたいとの思いが強い」とマスメディアは、伝えていた。これが政権の本音なのだろう。
「宣言」は、「避けたい」とか、「避けない」とか、こちらの都合で判断すべきものではないだろう。事実に基づいて判断すべきである。実際、オリンピックは、首都圏と北海道では、無観客で開催される。それなのに、菅政権から伝えられるメッセージからは、ちぐはぐなイメージが混在したままである。筋の通った一本化は、「発想外」のようである。「別枠」問題は、オリンピック・パラリンピックの本質的な問題を浮き彫りにする。

「無観客」:開会式や大規模会場の競技では、「無観客」。
「有観客」:小規模会場では、「有観客」。
「別枠」:IOC関係者やスポンサーは、一般とは、取り扱いを変える、いわゆる「別枠」。「特別扱い」、「便宜を図る」、「忖度」するなど。
「別枠」という仕掛けの悪巧みということも視野に入れるべきではないか。「『別枠』の観戦を認める以上、一般の観客を完全に認めないのは難しい」(朝日新聞7・6付け記事)。ということで、負のスパイラル(連鎖)が、続くことを忘れてはならない。

菅政権は、「有観客」開催に「強くこだわっている」(朝日新聞7・6付け記事)と言われる。菅政権には、変異したコロナ禍から国民の生命と暮らしを守り抜く(これぞ、「原理原則」)という政治的な責任があるのだから、それを貫いて欲しい。いったい、彼らは、何度、同じ過ちを繰り返すつもりなのか。

そういう対処の典型的なものをJOCのやり方に強く感じる。「これでは、ダメだ。オリンピック期間中に、日本は、コロナ禍第五波のピークを迎える可能性は高い」という多くの国民が抱くだろう危惧感が、また、ひとつ私たちの心の中に積み増しされた、と思う。

「オリンピック株」という名の強力な変異ウイルスは、「菅ワクチン」では、抑制(制圧)できなくなるのではないか。菅政権を維持しようとする保守政治家たちが見る「真夏の夢」(政局化へ向かう菅政治)とは、何か。その辺りについての無手勝流の「大原雄の流儀」は、「別枠」をキーワードに引き続き、次号でも、観察をし続けたい。

<付記>
八月歌舞伎座、花形歌舞伎の予告。
「花形」歌舞伎は、歌舞伎座で通年上演する「大」歌舞伎とは違って、若手・花形クラスの若い世代の歌舞伎役者たちが、ひとつ上のランクの芝居(演目)の舞台に立ち、舞台裏で稽古・研鑽を積んできたひとつ上の役柄(主役など)に挑戦する舞台である。中堅の先輩役者たちが、若手に胸を貸す舞台でもある。

今回の花形歌舞伎の演目と主な配役は、以下の通りである。

第一部:「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)・岩藤怪異編」(猿之助、お得意の六役早替りの演出。二代目中老尾上を雀右衛門が演じる。笑也、笑三郎、門之助ほか、澤瀉屋一門の役者たちと共演)。
第二部:「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)・豊志賀(とよしが)の死」(豊志賀を七之助が演じる。お久は、児太郎。噺家さん蝶は、勘九郎。ほか)。若返り。「仇(あだ)ゆめ」(中村屋兄弟の共演。狸を勘九郎が演じ、深雪太夫を七之助が演じる。揚屋の亭主は、扇雀。舞の師匠は、虎之介)。
第三部:「義賢最期(よしかたさいご)(木曽先生義賢を幸四郎が演じる。九郎助娘小万は、梅枝。ほかに隼人、米吉ら。葵御前は、高麗蔵)。「伊達競曲輪鞘當(だてくらべくるわのさやあて)」(不破伴左衛門は、歌昇。名古屋山三は、隼人。茶屋女房は、新悟。ほか)。「三社祭」(悪玉が染五郎。善玉が、團子)。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)
                             (2021.07.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧