【コラム】槿と桜(85)

「あきらめたらそこで試合終了だよ」

延 恩株
 
 「あきらめたらそこで試合終了だよ」、これは、日本の漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」に登場する「安西先生」が言った言葉です。高等学校バスケットボールチームに所属する選手たちの奮戦ぶりが描かれたスポーツ漫画で、1990年から1996年まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載(全276話)されて、連載開始から数えれば30年以上が経過しています。当時日本では、バスケットボールへの関心が高まり、実際にバスケットボールを始めた若者が多くいたようです。現在でもこの漫画は日本で広く知られ、人気があります。
 だからでしょうか、2022年12月3日から原作者の井上雄彦(いのうえ たけひこ)が脚本を書き、演出を務めたアニメーション映画『THE FIRST SLAM DUNK』(ザ・ファーストスラムダンク)が公開、上映され始めました。バスケットボールのインターハイで、神奈川県の高校が強豪校と戦う一試合を描いたもので、この映画への関心は高く、公開からおよそ3カ月経過した2023年3月5日までの観客動員数は797万人を超えたとのことです。
 
 ところで、このアニメーション映画、日本で公開、上映されてからわずか1カ月後の2023年1月4日から韓国でも公開、上映され始めました。そして、驚くことにわずか2か月後の3月5日には、韓国映画振興委員会の集計によりますと、累計観客動員数381万人余りを記録し、韓国で公開された日本映画の歴代興行ランキング1位となっています。
 これまでの1位は2017年に公開された『君の名は』で、第2位は2004年の『ハウルの動く城』、第3位は2002年の『千と千尋の神隠し』でした。日本では爆発的な人気を博した『鬼滅の刃』も(韓国では『鬼滅の刃 無限列車編』が2021年1月に公開、上映)『THE FIRST SLAM DUNK』には及ばなかったわけです。
 
 日本のアニメが世界中で人気があることはよく知られていますが、韓国でも例外ではありません。非常に身近な存在で、あまり違和感を感じる人はいません。テレビはもちろんさまざまな映像メディアで日本のアニメが放送されています(字幕、吹替いずれでも)。『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』、『名探偵コナン』、『ポケットモンスター』、『ワンピース』などは韓国人でも知らない人は少なく、劇場用映画としても公開されてきていました。
 ですから今回、『THE FIRST SLAM DUNK』が歓迎されてもそれほど不思議ではないのですが、これほどの人気が出るとは予想していませんでした。
 観客動員数があっという間に日本の映画として観客動員数歴代第1位となった理由にはいくつか考えられます。
 一つはこのアニメの内容です。「SLAM DUNK(スラムダンク)」が韓国で翻訳、出版されたのは今から30年以上前のことです。『少年ジャンプ』で連載が始まった2年後の1992年には、早くも韓国でも連載が始まり、単行本化、アニメビデオ発売、そして、テレビでも放映されました。当時、日本と同様に小、中、高校生たちには非常に人気があり、このアニメでバスケットボールを始めた子どももこれまた日本と同じく多くいました。
 つまり、韓国には「SLAM DUNK(スラムダンク)」の固定ファンが存在し続けていて、当時、小、中、高校生だった人たちにとっては懐かしく、青春時代に戻る機会となった人が少なくなかったのです。1990年代に原作漫画を愛読した、現在は30~40代となっている人びとには「あきらめたらそこで試合終了だよ」といった言葉が青春時代の多感な時に強烈な印象を残し、決してあきらめない高校生たちの戦いぶりから生きる勇気を与えられた韓国の若者たちも少なくなかったのでしょう。
 そのためでしょうか、このアニメ映画の観客に30〜40歳代の人が比較的多く、しかも何度も映画館に足を運ぶ人が多いというのも頷けます。
 
 そして、もう一つの理由は、2022年5月10日に第20代大統領として尹錫悦(윤석열 ユン・ソンニョル)氏が就任したことが考えられます。
 大統領選挙中から韓国と日本の関係改善を訴え、文在寅(문재인 ムン・ジェイン)前大統領の対日強硬路線の転換を示唆していました。その結果、大統領就任式には日本の林芳正外務大臣が出席し、当日午後には尹錫悦大統領が岸田首相の特使である林外相と会談し、首相からの親書を受け取りました。これによって、韓国ではこれまでのぎくしゃくとした日本との関係が変わるかもしれないという空気を敏感に感じ取った人も少なくありませんでした。もちろん日本政府の対応も文前大統領時代とは明らかに違っていました。
 南北融和を最優先政策としてきた文前大統領は韓国の政界や社会の弊害を徹底的になくすという「積弊清算」をスローガンとして、これには日本の植民地統治時代の「積弊」も含まれ、従軍慰安婦、徴用工問題も対立構造だけが先鋭化するばかりで、解決の糸口すら見つかりませんでした。
 しかも、2019年7月に始まった日本製品不買運動(日本政府の半導体素材3品目に対する韓国への輸出規制強化がきっかけ)以降、日本(人)のことを褒めるような言葉や態度を公にできないような相互監視の空気が色濃く漂っていました。最近ではこの不買運動もすっかり勢いが失われてしまっていますが、文在寅前大統領時代は政府主導で反日感情が醸成されていたと言えます。
 そうした空気が確実に変わり始めました。
 尹錫悦大統領は2022年8月15日の日本の植民地支配から解放された記念日の「光復節」(クァンボクジョル 광복절)77周年の記念式典の演説の中で「かつて私たちの自由を取り戻し、守るために政治的な支配から脱すべき対象だった日本は今、世界市民の自由を脅かす挑戦に立ち向かい、共に力を合わせて進むべき隣人です」と語りました。
 このような日本に向けた融和政策と感じさせる大統領の姿勢が韓国の人びとにも伝わっていったようです。
 2023年2月27日に韓国の経済団体の全国経済人連合会(全経連)が韓国の20~30代626人(20代331人、30代295人)に対して(その調査対象人数は多くないのですが)、韓日関係に関する意識調査の結果を発表しました。
 日本に対する印象……「肯定的」42.3% 「否定的」17.4% 「普通」40.3%
 韓日関係の改善…… 「必要」71.3%
 この結果と、「言論NPO」と東アジア研究院が2019年6月12日に公表した「第7回日韓共同世論調査結果」とでは、好対照を示しています。
 日本に良い印象……31.7% 日本によくない印象……49.9% 
 どちらとも言えない…… 18.2%
 というものでした。
 調査方法や調査対象が異なりますので、まったく同列では論じられませんが、おおよその傾向として、文前大統領時代からの対日評価が様変わりして、肯定的評価が大きく伸びていることがわかります。
 対日政策の転換が日本に対する韓国民の感情を改善し、日本文化への接近にこれまで以上に積極性が出てきているように見えます。『THE FIRST SLAM DUNK』は、こうした韓国の対日感情好転という社会的な状況変化とも重なっているのではないでしょうか。
 
 さらにもう一つは、2023年3月6日には日韓関係改善の障害となっていた元徴用工問題で、日本企業に合計約4億円に上る賠償金を支払うように命じた判決に対して、尹政府が韓国の財団が日本企業に代わって賠償金を支払う解決策を正式に発表しました。朴振(パク・ジン)外相はこの発表に際し、「今回の解決策が韓日両国にとって、反目と葛藤を越えて未来に向かう、新しい歴史の機会」となることを望むとも語りました。
 それから3日後の9日には、韓日両国政府からそれぞれ尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が3月16~17日の日程で日本の岸田首相と東京で日韓首脳会談を行うことが発表されました。
 韓日の雪解けが一気に進んでいることを実感させる動きと言え、韓国大統領府は今回の訪日で「両国が過去の不幸な歴史を克服し、未来に進むために協力が拡大して、国民間の交流がいっそう活発になることを願う」というコメントを出しました。
 前述した韓国の全国経済人連合会(全経連)の調査では、関係改善に向けて優先的に考慮すべきは「未来」(54.4%)で、「過去」(45.6%)を上回り、「歴史問題」は未来を追求しながら長期的な観点で解決すべき(48.9%)だったことが報告されていて、韓国大統領府のコメントと実によく付合しています。
 
 日本のアニメ映画に戻ってみますと、韓国では『THE FIRST SLAM DUNK』の人気ぶりを追いかけるように、3月3日からは『「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』が公開され、3月8日からは「君の名は」「天気の子」を制作した新海誠監督の新作『すずめの戸締まり』が公開、上映され始めました。
 この二つのアニメ映画がどれほど韓国で観客を動員できるのかわかりませんが、韓日に横たわる「歴史問題」について、韓国の若者たちは「未来を追求しながら長期的に解決する」ことを望んでいる人が少なくないようです。
 こうした若者たちが主力となって、「あきらめたら試合終了」とならないためにも粘り強く、協力関係を維持し、両国のさまざまな交流が深まることを願わずにいられません。
 
 大妻女子大学准教授

(2023.3.20)
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