【コラム】
大原雄の『流儀』

「コロナ」と「マスクマン」
~見えない敵と見える敵との闘い②~

大原 雄

 今年も今月で、はや、半年が過ぎ去ろうとしている。誰にとっても2020年ほど、念頭で思い描いた年とは違ってしまった1年もないであろう。「どこにも行けないので自宅で本を読む時間が増える。この機会を利用として古典に触れようと思う人も多いのではないか」と、新聞の文芸時評である作家が書いていたが、私の場合、例年といちばん違うことは、今年に入って、本(書籍)を読む時間が少なくなったということだろう。

 1月の前半は、まあ、小説など普通に本を読んでいたが、特に、読書量が減ったのは、1月後半から2月にかけて以降、「新型コロナウイルス」という未知の存在に出会い、それに関する報道が新聞や雑誌の記事となって私の周辺にも、どっと押しかけてきたからに違いない。特に、新聞は、あらゆる紙面を使って「新型コロナウイルス」について、書き出した。どの記者も、どの寄稿家も「コロナ、コロナ」という感じ原稿を書いている。大きな記事より、囲みのコラムの方に、面白い情報が埋まっていることもあるから、「コロナ」の三文字があれば、ほとんどの記事を読む仕儀となる。

 テレビもラジオも、インターネットも、まるで、洪水のごとく、時空を「新型コロナウイルス」で埋め尽くす、という感じである。テレビでは、以前は見たこともなかったワイドショーも、見てしまう。インターネットも、ダムが決壊したようだ。その勢いは、今月も続いている。

 メールマガジン『オルタ広場』の前号(25号、通算197号)の拙稿では、「見えない敵との闘い」と題して、去年の年末に突然出現したパンデミック「見えない敵」新型コロナウイルスについて書いてみた。ここ暫くは、パンデミックをキーワードに、いろいろ多面的に書いてみたい。

★「マスク」作戦、その後

 前号で取り上げた「○○ノマスク」問題。当該の「マスク」は、この時点では、拙宅を含む地域には届いていない(6月10日現在)。どこかの郵便局の配達区域では、「配布始まる」というローカルニュースをテレビでやっていた。郵便局員が赤い配達用のボックスから「マスク」の入った郵便物を取り出し、各戸の郵便受けに投函する。しばらくすると、当家の人が玄関から出てきて、「マスク」を入手し、何たらかんたら感想を言う。これで、何度目の「マスク」ニュースを見せられたことだろうか。

 郵便局やテレビ局を使った安倍政権の広報効果としては、マスク代金の費用を埋めて、大きなものがあったのではないか。政府の緊縮借金財政の折から、この収支は、「悪くない」として、一連の作業が終わった時点で、政府は、不良品混入による検品やり直しを含めて、「マスク」作戦の収支決算を誇らしげにマスメディアを使って、広報するのではないか、と勘ぐりたくなる。しかし、朝日新聞記事(6月2日付)によると、「5月29日時点で配布したのは4,800万枚。届いたのは37%の世帯」だ、という。マスク配布の迷走ぶりだ。マスク配布は、安倍政権「末期」の迷走現象の象徴という認識は、私に限らず、衆目の一致するところではないか。

★「新型コロナウイルス」クロニクル

 世界の各国・地域を席巻している「見えない敵」ウイルスは、6月09日現在で、712万人以上が感染し、40万を超える人びとが亡くなっている。このうち、日本では、1万7千人以上が感染し、923人が亡くなっている。去年の末、中国の武漢で最初の感染者が見つかったことが報じられた後、東京では、およそ2ヶ月後の2020年1月24日に最初の感染者が都内で見つかった。以来、4月17日に、1日当たりでは、最多となる204人の感染者の判明が報告された。5月1日で、新型コロナウイルス禍の拡大は100日を超え、6月10日現在も、ウイルスの「鎮圧」はされておらず、さらに、「共存」状態が続いている。
 この間のクロニクルをまとめておく。主な出来事は、以下のようになる(( )内のメモは、大原による。従って、誤記などの文責は、大原が負う)。

*2月27日。安倍首相は、自分の政治責任で、全国一律の休校を「要請」(この判断は、「失敗」だったのではないか。そもそも、日本の制度として、本来は、首相に休校要請権限はなく、各教育委員会マターの事柄)。

*3月24日。東京オリンピック・パラリンピックの延期決定(オリンピック・パラリンピックの7月以降の開催に拘っていたため、コロナ対策に本腰が入らなかった、と思われる安倍政権は、やっと動き出したが、東京で最初の感染者が見つかった時点から考えても、2ヶ月ほど、対応のスタートが遅れた。この遅れが、「市中感染」、経路の判らない感染、事実上の「蔓延」状態を引き起こしたことになる)。

*4月1日。安倍首相は、各世帯に布マスク2枚配布表明(以後、マスクは、何度もニュースになったが、拙宅には、いまだに配布されてこない。2ヶ月以上経ったが、「マスク配布」問題は、末期の安倍政権を象徴する迷走ぶりではないか)。

*4月7日。急遽作られた新型コロナウイルスに対する「特措法」に基づく、「緊急事態宣言」を、東京都、大阪府など7都府県に5月6日までとすると宣言を発出した。

*4月16日。9日後、「緊急事態宣言」の対象地域は、一気に全国に拡大された。この宣言に基づき、全国の地方自治体の知事は、住民の生命と健康や暮らしを守るため、ウイルスの囲い込みと住民や事業主の経済的欠損対応策に乗り出した。

*5月1日。安倍首相は、「宣言」の期間延長・継続(5月末まで)方針を表明した。

*5月14日。延長・継続された「宣言」の地域の内、39県が、解除された。

*5月21日。「宣言」が継続されていた大阪府など3府県が、解除された。

*5月25日。「宣言」が継続されていた東京都など首都圏と北海道の5都道県が、解除された。これで、4月から5月にかけて発出された「宣言」は、とりあえず、すべて解除された。ご承知のように、宣言は解除されたものの、感染者は、相変わらず日々増え続けているし、死者も増えている。秋には、新型コロナウイルスの第二波の襲来も懸念され、警戒を続けている、というのが実態である。

 今回の新型コロナウイルスに対する安倍政権の対応原理の特徴は、次のようなものであったろう。科学(医学、特に感染症)と政治という大玉に乗ったまま、左右上下のバランスを取り続けていて、決して、百年に一度のパンデミック対応を医学を優先して推し進めなかった、ということではないか。特に感染症の専門家も、その分野でどこまで医学に拘る人たちが、科学的知見に基づいて頑固に知見を貫き通したのか、私には判りかねるが、感染症対策後の「経済再生」を専ら行政判断の最終目標とする西村経済再生担当大臣に比べて、厚生労働省の加藤大臣に、国民の生命と健康を守ることを最優先として、専門家会議の後押しの元、医学の知見の優先を政治の場でも押し通す、という深刻感、悲壮感が感じられなかったのは、なぜだろう。

 彼ら二人の大臣の背後にいて、官邸から指令を発していると思われる、二人の政治家の判断が、いつもチラチラして、透けて見えた、ように感じていた。二人の政治家とは、安倍首相と菅官房長官であった。その象徴的な場面が、5月25日の宣言解除であった。自分らで定めた解除の目安を、自分たちの都合の良いように「総合判断」したという屁理屈で、神奈川県と北海道を引き連れて、一気に「宣言」地域なし、としてしまったことだろう。パンデミックは、秋にも第二波が日本列島を襲来するのではないか、と危惧される中で、日本国民は、己の生命と健康、さらに家族(特に、経済的基盤)を守らなければならなくなるだろう。

★ 見える敵・〇〇マン(マスクマン)

 ここまでは、前号の余波。ここから、「大原雄の『流儀』」シリーズ第2回目のニューウエーブ。今回は、早速、意図的に起承転結の「転」、ということで別件を書いてみたい。ということで、まずは、法という仮面(マスク)を顔に貼り付けた正義の味方・検察官(マスクマン)について、考えてみたが、その前に、急がば回れで、「マスクマン」について、説明しておこう。

 〇〇マン(マスクマン)といえば、私のような世代には、子ども時代の頃親しんだ「漫画」(まだ、「コミックス」などとは、呼んでいなかった)やテレビドラマのヒーローたちには、いろいろなマスクを着けたマスクマンがいたものだ。まずは、アメリカ製のスーパーマンの登場。ジャーナリスト、実は、空も飛べるスーパーマンであるクラーク・ケントは、正義漢であった。現在のマスメディアの現況を見ると、ジャーナリストは正義漢とは言えないだろうが、以前は、ジャーナリストは正義漢であった。

贅言;スーパーマン。1938年、原作ジェリー・シーゲル/作画ジョー・シャスターで創造されたコミックスの主人公(架空の人物)。人気テレビドラマにもなった。「空を見ろ!鳥だ!飛行機だ! いや、スーパーマンだ!(Look! Up in the sky! It's a bird! It's a plane! It's Superman!)が、キャッチフレーズ。私たち少年は、モノクロテレビの中で、弱者を助け、悪を懲らしめる正義漢の新聞記者(クラーク・ケント)、実は、空を飛ぶ超人・スーパーマンの活躍に胸を躍らせた。

 スーパーマン以外のヒーローたちについて、時系列を精査することなく、ここでは思い出すままに書けば、私の少年時代のヒーローたちは、それぞれ、キャラクターに合ったマスクをつけていた。

 私にとって、ヒーローたちは、まず、街頭当の紙芝居の中に現れた。最初に私の記憶に今、甦ってくるのは、ライオンマン。当時、街頭紙芝居で人気を二分していたヒーローは、戦前からの黄金バットと戦後のライオンマンではなかったか。「ライオンマン」は、紙芝居以外に雑誌の絵物語としても連載されたり、「快傑ライオン丸」といういわば、兄妹モノのモデルになったり、人気があった、というが、私は覚えていない。

 街角紙芝居では、重い自転車荷台にヒーロー漫画の紙芝居を載せていた、紙芝居のほかに観劇料金がわりに子どもたちに売り付ける駄菓子。料金は、5円くらいだったか、薄焼きの丸い煎餅にジャムか、ソースかをその場で塗り、それを割り箸の裏表にはりつけたものなどが、売られていた。街角の隙間のような場所や空き地などに自転車を停め、拍子木を鳴らして町内を一回りして、子どもたちを集める。「ただ見」(無銭観劇)は禁止となっていたので、小遣いを持ち合わせていない時は、観劇を諦めるか、離れた場所からの、いわば「遠見」。
 私の家庭では、原則、決まった小遣いは無し、駄菓子は不衛生だから食べてはダメ、というのが、母が宣言したルールであったから、なかなか、街頭紙芝居は見ることができなかった。商店街で商売をしている家庭育ちの同級生らは、小遣いが自由になったようで、羨ましかったのを覚えている。

 やがて、街頭紙芝居もブームが去る時期が来る。街頭にテレビが進出してきたのだ。プロレスなどの生放送番組が、街頭の無料テレビで見ることができるようになった。子どもの世界では、駄菓子屋の店先にセットされたテレビが街頭テレビのような存在になり、夕方になると小遣いを握りしめた子どもを集めた。店先テレビは、街頭紙芝居を駆逐してしまった。

 和製ヒーローでは、月光仮面、怪傑ハリマオ、少年ジェット、エイトマン、タイガーマスクなど(読者の、それぞれの年代で、自分たちのヒーローを持っているに違いない)。いずれも法の正義を体現するようなヒーローたちであった。

 考えてみれば、理念的には、法の正義を体現する検察官、検事は、全員、誰であっても、検察の正義を体現するスーパーマンのような存在であらねばならなかったはずだ。法の正義 → 検察の正義、というフィクション(擬制)の成立。そもそも検察の正義とは、なんだろうか。検察官のマスクの内を覗いてみよう。検察の正義は、中立性にあり。中立性とは? 政治からの独立性とは? 国民の信頼感とは?

 検察自身が描く理想の検事像、つまり、「検事の星」をイメージする時、必読の文書がある。5月半ば(15日と18日)に法務省に提出された以下の意見書が参考になる、と思う。この時期、検察OBは「検察庁法改正案」について、二つのグループから意見書が出ていることを注意しておきたい。

★ 検察OBたちが描く検察の正義
  (二つのOB意見書から見える景色)

1)一つ目の意見書

 この意見書は、5月15日、法務省に提出された。提出後、元検事総長(77歳)ら検察OBたちが、記者会見をした。
 OBたちの検察像とは、何か。これには、最近、とても良いテキストが提供された。前号の『オルタ広場』にも、原文全文が引用掲載されているので、ここでは、検察OBが描く「検事の星」的な部分のみをポイントに引用・抄録してみたい。引用に当たっては、フォントを含めて、原文のママとしたが、文責は、引用者たる私にある。以下、引用・抄録。

≪ 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている(その後、賭博スキャンダルで辞職したことは、衆知の通り―引用者注)。
 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である(その後、状況は変わったことも衆知の通り―引用者注)。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。
 いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている(その後、状況は変わったことも衆知の通り―引用者注)。≫

検察官の特権と責任:
≪ 検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。
 こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。≫

三権分立主義否定への危惧:
≪ 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。≫

「ロッキード事件」:
≪ かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
 事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶(やすよし)(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。
 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。≫

贅言(大原);前年の1975年夏、初任地の大阪から転勤してきて、警視庁の方面本部のうち、2方面(品川区、大田区)担当(所轄署回り。つまり、「サツ回り」のこと)になった私は、NHK社会部記者最若手であった。サツ回り生活が半年ほど過ぎた1976年2月、ロッキード事件発覚後、首相経験者の田中角栄氏が受託収賄容疑で逮捕されるまで、NHKで言えば、社会部、政治部、経済部、国際部(当時は、外信部)の記者を始め、報道番組、スペシャル番組のPD(ディレクター)ら組織を挙げてのロッキード事件取材の「最末端」(最先端は、司法担当の先輩記者ばかり)で、私も取材活動を続けたものである。私たち若手の記者たちは、最末端(現場的には「最先端」)の現場取材なので、「張り番」記者を続けた。張り番取材とは、事件関係者たちのポイント(自宅、職場、事務所など)の人の出入りをチェックするという地味な取材。ロッキード事件の捜査は、当初噂されたように「蝉の鳴く頃」(田中角栄氏逮捕)、つまり1976年夏まで連日続いた。

検察OBの懸念と自負:
≪ しかし検察の歴史には、捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。

 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。≫

贅言(大原);以上の意見書(ここでは、抄録とした)に名を連ねた14人の検事たち。この中に、この意見書をまとめた85歳の清水勇男検事(肩書きは、元最高検検事となっている)がいる。ロッキード世代の検事として、権力とも正々堂々と対峙した燃えるような検事魂を滲ませた文書に、かろうじてロッキード事件の末端で取材を続けた社会部駆け出し記者の一人として、あの時代の空気を共有させてもらった縁を踏まえて、敬意を表したい。

 以上述べてきたように検察の中立性というのは、政治的中立性のことである。不偏不党(厳正公平)。つまり、どういう時代であれ、時の権力関係(国会地図で見れば、与党と野党の勢力図に惑わされずに、どちらにも与せず、行動原理としては、厳正に法の常識(コモンセンス)にのみ依拠して、検事として職務を執行する、ということだろう。
 しかし、検察は、普通の市民(国民)から見れば、決して中立的ではない。場合によっては、国民(理論的には全員)を刑事被告人にする権限を一手に独占している職業であるからだ。もちろんお仲間の検事さえも犯罪者として容疑があれば、誰であっても刑事被告人にすることができる。政治的な権力者であれ、財界の権力者であれ、容疑があれば、刑事被告人として、裁きの場に引き出す。こうした強力な検察の権力の源泉は、何かと言えば、「法の支配」を体現する、というフィクション(仮構性、擬制)で武装しているからであり、検察の権力に抗えず、刑事被告人になる可能性がある国民全員が、信頼感に裏打ちされた検察のフィクションを許容しているからである。

 この国民の「信頼感」は、検事が体現する「法的な正義」、つまり、国家意思というイマジネーションを国民が共有するところから発生する。明治時代の帝国国家・大日本帝国のような国家の意思、つまり「国家意思(当時は、万世一系の天皇制国家)」に逆らっていると検察が判断すれば、今の世には存在しないような「大逆罪」で、国民は処断されたのである。そういう意味では、検察には、中立性はない。それにもかかわらず、検察には、中立性がある、という仮構は、検察は政治的に中立性を保て、という民主主義国家の政治体制からの要請に基づいて構成されている。
 従って、生身の検事は、検察官といえども、「法の支配」を体現していないと思われれば、一般国民同様、場合によっては、刑事被告人として、司法(三権分立主義の、立法、司法、行政の三権の一つ)の、裁きの場に引きずり出される可能性がある。司法の場に引きずりだされない場合でも、行政によって、処分されることがある。

2)二つ目の意見書

 検察庁法改正案をめぐり、元東京地方検察庁特捜部長だった検察OBなど38人が、5月18日に改正案への別の意見書を公表している(新聞各紙参照)。以下(*)、適宜、引用・抄録した(文脈の前後、途中に省略部分あり。引用箇所の明示は省略)。
 有志の主張のポイントは、「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼」の主張である。いかにも、現場派の検事たちの主張らしく、都合の悪い部分は書いていないが、その辺りは、後段で説明したい。文責は、大原。

*私たちは、贈収賄事件などの捜査・訴追を重要な任務の一つとする東京地検特捜部で仕事をした検事として、このたびの検察庁法改正案の性急な審議により、検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼が損なわれかねないと、深く憂慮しています。
 独立検察官などの制度がない我が国において、準司法機関である検察がよく機能するためには、民主的統制の下で独立性・政治的中立性を確保し、厳正公平・不偏不党の検察権行使によって、国民の信頼を維持することが極めて重要です。
 検察官は、内閣または法務大臣により任命されますが、任命に当たって検察の意見を尊重する人事慣行と任命後の法的な身分保障により、これまで長年にわたって民主的統制の下で、その独立性・政治的中立性が確保されてきました。
 ところが、現在国会で審議中の検察庁法改正案のうち、幹部検察官の定年および役職定年の延長規定は、これまで任命時に限られていた政治の関与を任期終了時にまで拡大するものです。その程度も、検事総長を例にとると、1年以内のサイクルで定年延長の要否を判断し、最長3年までの延長を可能とするもので、通例2年程度の任期が5年程度になり得る大幅な制度変更といえます。これは、民主的統制と検察の独立性・政治的中立性確保のバランスを大きく変動させかねないものであり、検察権行使に政治的な影響が及ぶことが強く懸念されます。

 そもそも、これまで多種多様な事件処理などの過程で、幹部検察官の定年延長の具体的必要性が顕在化した例は一度もありません。先週の衆院内閣委員会でのご審議も含め、これまで国会でも具体的な法改正の必要性は明らかにされていません。今、これを性急に法制化する必要は全く見当たらず、今回の法改正は、失礼ながら、不要不急のものと言わざるを得ないのではないでしょうか。法制化は、何とぞ考え直していただきたく存じます。
 さらに、先般の東京高検検事長の定年延長によって、幹部検察官任命に当たり、政府が検察の意向を尊重してきた人事慣行が今後どうなっていくのか、検察現場に無用な萎縮を招き、検察権行使に政治的影響が及ぶのではないかなど、検察の独立性・政治的中立性に係る国民の疑念が高まっています。
 このような中、今回の法改正を急ぐことは、検察に対する国民の信頼をも損ないかねないと案じています。
 検察は、現場を中心とする組織であり、法と証拠に基づき堅実に職務を遂行する有為の人材に支えられています。万一、幹部検察官人事に政治的関与が強まったとしても、少々のことで検察権行使に大きく影響することはないと、私たちは後輩を信じています。しかしながら、事柄の重要性に思いをいたすとき、将来に禍根を残しかねない今回の改正を看過できないと考え、私たち有志は、あえて声を上げることとしました(引用終了―引用者注)。

 特に、二つ目の意見書には、独善的な主張もある、と思うので、次号で分析してみたい。
 (以下、次号)

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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