【コラム】
大原雄の『流儀』

「○○ノマスク」と「おにのパンツ」

 ~見えない敵と見える敵との闘い~

大原 雄

 「おにのパンツは いいパンツ
  つよいぞ つよいぞ
  トラの毛皮で できている
  つよいぞ つよいぞ」

 これは、「おにのパンツ」という童謡の歌詞である。この歌を産んだのは、実は、NHKである。NHKの「みんなのうた」という子ども向けのミニ番組で、1975年に放送された。「みんなのうた」はNHKのテレビ・ラジオで放送されている5分間の音楽番組。1961年4月3日の放送開始以来、今も続いている長寿番組である。NHKのホームページには、「みんなのうた」について、次のような記述がある。「1300曲以上の国民的愛唱歌を時代とともに生み出してきました」。

 「おにのパンツ」の 原曲は、「フニクリ・フニクラ」という。1880年に作曲されたイタリアの登山電車のコマーシャルソングである。歌詞の意味は、「行こう 行こう 火の山へ」(日本語訳)である。1880年にヴェスヴィオ山という標高1,281メートルの休火山の山頂まで登る登山電車(「ケーブルカー」。イタリア語で「フニコラーレ(Funicolare)」という)が敷設されたが、当初は、利用者が少なく、登山電車の宣伝をしようとコマーシャルソングを歌い始めた、というのである。「フニクリ・フニクラ」とは、登山電車「フニコラーレ」の愛称である。現在は、廃線となっているそうだ。

 歌詞は、ナポリ地方の言葉で書かれている、という。内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としながら、男性が意中の女性への熱い愛と結婚への思いを歌い上げる、という内容だ。この原曲に、誰かが「鬼のパンツ」という日本語の替え歌の歌詞をつけた、という。JASRACのデータベースでは「作詞者不詳」となっている、という。

 さて、さらに、どこからか、「おにのパンツ」の新しい替え歌が聞こえてきた。タイトルは、「◯◯ノマスク」とか。

 「◯◯ノマスクは 「いぃ」(「もういらん」の意味を込めて)マスク
  くさいぞ くさいぞ
  きたない布(ぬの)で できている
  におうぞ におうぞ
  5年つけたら 穴だらけ 
  10年つけたら 穴だらけ
  こまるぞ こまるぞ
  やめた やめた ◯◯ノマスク
  やめた やめた ◯◯ノマスク
  あなたも あなたも あなたも あなたも
  みんなでやめよぅ ◯◯ノマスク」

 安倍政権は、鳴り物入り(のつもりだったのだろう)、官邸のアイディアマンの入れ知恵(だったのだろう)という触れ込みで、466億円の予算(その後、予算額は精査されている)を計上して、各世帯にマスク2枚を配布すると宣言した(ウイルス抑制対応に奮闘している医療の現場に、予算をそのまま回していれば、「医療対応崩壊」防止に向けて役だったのではないか)。

 このネタは、官製ニュースらしく、「行くぞ、行くぞ」「行ったぞ、行ったぞ」「着いたぞ、着いたぞ」と、歌舞伎の「聞いたか坊主」(花道から出てきた所化の集団が、花道を歩きながら「聞いたか、聞いたか」「聞いたぞ、聞いたぞ」と声を合わせて、応答する場面がある)ばりに、同じ情報を繰り返すというニュース性の乏しい「ネタ」なのにも関わらず、マスメディアを幾度も賑わせた。
 「いつやる、かにやる」、「いつ送る、かに送る」などと同じ情報のニュースがマスメディアの手で何回も繰り返された挙句、妊産婦向けに郵送し始めたというニュースが流れたと思ったのも、つかの間、マスクそのものにミスが発覚してしまった。送られてきた郵便物に入れられたマスクには、髪の毛やゴミ、つまり、「異物混入」や、汚れなどが付着していて汚い(不良品)という声が受け手の市民の間から上がり始めた。取り扱った業者(複数の企業名公表)の検品ミス」だった、というのが、真相(?)らしい。

 実際、マスクを受け取った側からも、不衛生だし、気持ち悪いから使わないなどと拒否反応の声が相次ぎ、返品の山。結局、マスクは、配布開始直後ながら「中止」(あるいは、一旦見合わせ、政府の責任で「検品し直し」の上、再配送という仕儀になったらしい。だから、私の手元にも皆さんの手元にも、まだ、マスクは届いていないが……)、ということで繰り返しの官製広報という、「いつもの手か?」作戦になった、という報道で一応終わってしまったかのようだ。「検品し直し」というのは、良いアイディアで、安倍政権のほかの施策についても、是非、見直しをやっていただきたい。

 私の根本的認識は、以下の通り。
 安倍政権は、コロナ問題では、初期段階で、オリンピック・パラリンピックの予定通り開催(2020年7月から)にこだわり続け、オリンピックを最優先にしていたため、対応に遅れをとったのではないか。それなのに、閣僚たちは、ウイルス問題を緊急事態と言いながら、蔓延、あるいは蔓延に近い、という事態になっても、緊張感、緊迫感、深刻感がないように見受けられるのは、なぜだろうか?

 この問題をマスメディアは、検証・総点検すべきではないか。オリンピック開催配慮でウイルス対応に遅れたのを始め、その後も施策は後手後手のまま。いまだに、ウイルス禍の全体像が描けるような「検査」さえ遅れている。検査も治療もなされないまま、重篤化して亡くなって行く人々がいた。首相もマスメディアの諸兄も、私も含めて、皆、「明日は、我が身」だろうに…。
 ここでは、詳しくは書かないが、その後もさまざまな局面で、首相の「政治的判断」を含めて判断ミスが相次ぎ、今日の事態を招いている。このままでは、ウイルスの第一波は、今回なんとか凌げたとしても、秋以降にも迫り来るかもしれない変種コロナの第二波、第三波への対応は、大丈夫だろうか。このままでは、心許ない限りだ。

 マスク問題は、ウイルス禍診察のスタートラインである「PCR検査」の遅れと合わせて、レイムダック化した政権の末路を象徴するような究極のエピソードではないのか。政権が末路でもなんでも、政治に関心のない「国民」にとっては構わないのだろうが、コロナウイルスによって、命と健康を脅かされる「市民」の方は、たまったものではない。一日も早く、コロナウイルスを抑制し、妊産婦も、乳幼児も、子どもも大人も、安心して暮らせるような社会を取り戻してほしい。

贅言;PCR検査とは、ウイルスなど顕微鏡では見ることのできない病原体の有無を調べるため、採取した微量の検体を高感度で検出する手法。Polymerase Chain Reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)の頭文字をとってPCRと呼ばれている。日本は、諸外国に比べて、この検査のデータが極端に少ない。

 以下、今回は、「緊急事態宣言」(期間延長中)で、「ステイ・ホーム」(家に閉じこもっていろ=外出自粛要請)の日々を慰めながら、あるいは、第二波、第三波に備えるために、また、新型コロナウイルスを理解するために、医学の解説書とは一味違う(コロナウイルスへの関心の幅を広げるよう努めたい)大原流「コロナ・メモ」でも書いてみようか、と思った次第である。第二波対策を前に、私たちには時間的な余裕がたっぷりあるというわけではないだろう。

◆ ウイルスとは?

 そもそも、ウイルスというものは、生物と無生物のあいだに存在する。生命の最小単位である細胞や細胞膜を持たない。だから、生物ではない、という。そのためウイルスは、自己増殖できず、ほかの生物を宿主として寄生し、宿主と共存することを求めているだけの存在だという。自らの力で移動することもできない。なのに、なぜ感染するのか。動かないウイルスを連れて動き回るのは、人間の方だ。ヒトが動き回ることで、ウイルスは、東西南北、地球上を動き回るというわけだ。

 ウイルスは、タンパク質の殻と殻の中にある核酸からできている。宿主の生物の細胞を利用して自己を「複製」(「増殖」ではない、という)する。生物のようでありながら生物ではない。宿主との「共存」を求めて、己を複製する存在。だからと言って、無生物でもないという存在である、という。「半生物」というところだろうか。ウイルスに寄生されると、宿主細胞は、本来自分自身のために産生・利用していたエネルギーやアミノ酸などの栄養源がウイルス複製のために奪われてしまい、宿主の生物(例えば、ヒトなど)は、いわば「店子」のウイルスに家を「乗っ取られた」状態になって、ダメージを受けることになる。

◆ 新型コロナウイルスとは?

 今、地球上を席巻している新型コロナウイルスは、人類との「共存」を求めながらも、人間の命を日々奪い続けている。時代小説風に書けば、闇夜にどこからともなく現れて通行人に突然斬りつけてくる「辻斬り」のような無体な奴だ。新型コロナウイルスの「性能」は、ウイルスの中でも、かなり「ずる賢い」、というか、「リコウ」というか、「悪知恵」の回るというか、非常に癖の悪い存在なのだ。今回は、2020年5月8日現在、既に全世界で384万人を超える人たちが感染し、27万人を殺している。目下、各国は、新型コロナウイルス封殺のための新薬開発を懸命に続けている。間に合ってほしい。

 ところで、「コロナウイルス」の「コロナ」とは、何か。コロナとは本来は、皆既日食の時、太陽のまわりに真珠色の淡い冠状の光として見えるもの。このウイルスの周りにある冠状(王冠など連想する)のような形が似ていることから、「コロナ」と名付けられた。考えれば、華麗とも言えるネーミングだが、その性質は、凶暴と言える。

◆ 新型コロナウイルスと「センザンコウ」

 哺乳類を介して人類に感染するコロナウイルスとヒトとの間に介在しているのではないかと言われるのは、通説のコウモリ以外に「センザンコウ」という動物がいる、という。センザンコウは、全身が硬い鱗に覆われた哺乳類。特徴的な長い舌を持つ。世界で最も多く違法取引される動物で、多くが中国やベトナムから違法に輸入される、という。肉が珍味だとかで、食用として珍重されている。さらに硬い鱗が何やらの病気に効くと信じられ、かの地では、漢方薬の原料とされている、という(朝日新聞、4・16夕刊)。

 インドネシア海軍が、インドネシアのスマトラ島の東沖合で、漁船に対して抜き打ち捜査をした際のニュース映像を見たことがある。この捜査では、生きたセンザンコウ101匹が押収された。その際、インドネシア当局は、センザンコウをマレーシアへ密輸出するために雇われたというふたりの男を逮捕した、という。
 映像で見たセンザンコウは、全身が硬い茶色の鱗に覆われていた。この鱗は、人間の髪や爪にも含まれているケラチンというタンパク質でできている。敵に対して防御姿勢を取る時、センザンコウは、身を守るために全身がボールのように丸くなる。異常に長い円錐状の舌を持っている。この舌でアリなどを舐めるようにして食べる、という。「歩く松ぼっくり」というあだ名が付けられているというが、確かに鱗は、松ぼっくりやパイナップルのように見える。映像で見える体長は、子犬か猫くらいの大きさである。両手両足と体長の連続のような太い尻尾がある。森の中では、手足と尻尾を使って、尺取り虫のような動作を繰り返しながら、器用に木を上っていた。

◆ 新型コロナウイルスの「変種」

 新型コロナウイルスは、遺伝子型で分類すると、武漢型、アジア型、ヨーロッパ型など、既に3種類に「進化」して、「変種」ができている、という。中国の武漢市を中心に暴れまわった武漢型コロナウイルスが一旦鎮火したはずの北海道では、現在、第二波が襲っている。北海道と同じかどうかは未だ不明だが、コロナの第二波は、秋ころには、日本列島を襲ってくるらしい。新型コロナウイルス禍の対応策について、安倍政権に医学的な知見などを提言する「専門家委員会」は、5月1日、コロナ対応は「長丁場」にならざるを得ない、という判断を政権に伝え、国民にも周知した。

 現在までに伝えられている3種類の新型コロナウイルスとは、以下の通り(朝日新聞記事参照)。

・Aタイプ:コウモリから見つかったウイルスに最も似た群。中国南部の広東省のほか、日本、アメリカ、オーストラリアなど。
・Bタイプ:Aタイプから分かれたBタイプは、武漢市(中国)を含む中国やその周辺国、東アジアに多いタイプ。武漢型と言われるのは、このタイプ。
・Cタイプ:Bタイプに由来するCタイプは、欧米中心で、シンガポール、香港、台湾、韓国でも見つかっているが、中国では見つかっていない、という。

 日本では、武漢からの帰国者がBタイプの新型コロナウイルスを持ち帰ったのが、第一波。現在、日本国中に蔓延している。それゆえ、緊急事態宣言中(5月7日継続)。続いて、欧米からの帰国者や来訪者などが、ウイルスを持ち込んだのが、第二波。第一波の抑制に成功した北海道が、今は第二波に襲われている。既に触れたように、日本列島各地への第二波ウイルス禍も懸念されている。

◆ 「武漢ウイルス」の謎

 外電によると、アメリカの情報当局は、新型コロナウイルスが武漢市(中国)にある「武漢ウイルス研究所」から流出したのではないか、という可能性について、調査をしていることを公式に表明し、さらにトランプ大統領も、その後、ホワイトハウスでの記者会見で、この情報を強調し、いずれ「非常に強力な報告書が出るだろう」と話した、という。継続して中国を非難するなど、アメリカと中国の間では、中米ウイルス論争になっている。地球規模的には、国際協調で各国・地域で力をあわせるべき危急存亡の状況なのに、大局観のない政治家というのは、困ったものだ。この論争は、日々、熱を帯びているようなので、今後も継続して、見守りたい。

 武漢ウイルス研究所(中国科学院武漢病毒研究所)は、中国政府系研究機関である中国科学院に所属する。2017年には、フランスのパスツール研究所などの支援を受け、安全性が最高レベルの環境下で研究を行うことができる実験室を完成させた、という。

 5月2日の読売新聞の記事などによれば、「トランプ大統領は、研究所が発生源とする説に『高い信頼度を与える何かを見たことがあるのか』という記者の質問に答えた。『アイ シイ、アイ シイ』。トランプ氏は詳細については言及を避けたが、中国に対する報復措置として、関税引き上げの可能性も示唆した」という。武漢ウイルスの「謎」は、深まるばかりだが、マスメディアの奮起がこの謎を解き明かしてくれることを期待したい。

 それにしても、新型コロナウイルスは、「パンデミック」(世界的大流行)という、世界各国・地域の市民たちの命と健康を襲うだけでなく、パンデミック禍による事後の市民たちの「生活様式(ウェイズ・オブ・ライフ)」(文化のあり方、価値観)を変える可能性があるいう知見が出始めた。そういうドラスティックな変化が予想されるとすれば、市民たちの世界観、人生観、価値観などを根底的に変えるばかりでなく、国際政治の地図さえも大きく書き換える可能性があるかもしれない。

◆ 乱発される官僚用語が、日本語を乱れさせている

 コロナウイルス禍は、日本語を乱れさせているのではないか。
 新型コロナウイルスがらみの記者会見や委員会本会議での政治家の発言を聞いていると、政府側の発言に共通する用語が散見されているが、皆さんもお気づきだろうか。ウイルスがらみだけでなく、安倍政権の産み出す疑惑の数々、詳しくは繰り返さないが、例えば、「森友問題」、「公文書の隠蔽・廃棄問題」、「桜を見る会問題」など、いずれも、予算執行の疑惑、忖度による「公僕意識(主権者国民のために仕事をする、という意識)」の摩滅、政治の私物化(税金の不正使用疑惑)など由々しき政治行動が、首相を軸にした人間関係・体制の中で、幾層にも分けて進行していることが浮き彫りにされているではないか。

 繰り返すが、新型コロナウイルス禍は、パンデミックとして、世界各国・地域を一様に襲っている。ゆえに、日本でも国を挙げ一丸となって、この「国難」ともいうべき災禍に立ち向かっているのは、言うまでもない。こうした中で、安倍首相も加藤厚生労働大臣も西村経済再生担当大臣も、そのほか、官僚たちなどが、記者会見の発言の中で使う表現の中に、私には耳障りな日本語表現があることに気がついた。たくさんあるが、幾つか例示しておこう。

 1)「スピード感を持って」:この用語は、物事に対処する際に、テンポよく対応するように、という願望を込めた「決意表明」の時に使われることが多いようだ。例えば、マスクの全(?)世帯配布という提案が安倍首相から表明された後、なかなか事態(マスク配布問題が、なぜ、安倍政権のもとでは「事態」になってしまうのか、これも不思議なことだが……)が、進展しないということに国民の間に、イライラが募っていると感じられるようになる頃になると、「スピード感を持って」ことを進めている、進めなければならない、などの語感を込めて、自覚的(実態的には、真逆?)に使われているようだ。それだけに、実際には、まごまごしていて、ことがなかなかはかどらない時が多いように見受けられる。
 首相や大臣、官僚たちは、もたもたしていることへの責任について、国民からお叱りを受ける前に、先回りして、自覚的(確信的?)に、判っていますという認識を伝えておこうという表現方法らしい。

 2)「しっかり」:これも、「スピード感を持って」という表現と同じように、「しっかりしろ」と大向こうから声がかかりそうな状況になると、「しっかり支えて」「しっかり踏ん張って」、というようなニュアンスで使用されている。つまり、自分たちの行為が、「しっかりしていない」という懸念を持つ時に、発言者は、せめて気持ちだけでも、「しっかりやっていますよ」という意味で、使っているように見える。

 3)「目詰まり」:例えば、PCR検査が、当初から、そして、諸外国に比べて、「遅延」を何度も指摘、批判されながらも、「迷走」というか、「遅々」というか、意図的(意識的)に遅らせているのか、なかなか進まない。そういう状況を担当大臣らは、「目詰まり」という表現で、済ませた。自分たちの責任を隠蔽し、検査システムに責任を転嫁しているように、私には、聞こえる。極めて、不適切な表現ではないのか。

 4)「前広で」:「まえびろ」と読む。「前広」は「あらかじめ」「前もって」などの意味。「前向きで、幅広く」というような意味かな、と見当をつけたが、私にはあまり馴染みのない用語だったので、インターネットで検索して調べてみたら、次のような説明があった。「官庁では『時間の余裕を持って検討する』という趣旨で使われることが多い」という。官僚の間では、馴染みのある表現らしい。つまり、本質的に、仲間内だけで通用する用語。
 私は、公立学校などの一斉休校問題の継続的検討の中の、国会での安倍首相の答弁の中で、唐突感を持って、この表現を聞いた。唐突に浮上し、提案された「9月新学期説」に関連して、この用語を安倍首相は使っていた。この表現のベクトルは、国民の方に向かっていない、ということになる。国民の多くは、意味も知らず、官庁の仲間内の言葉、いわば「業界用語」のまま、国民には背を向けたまま、この用語は、使われていたように思った。

 このほかにも、彼らが使う独特の表現がいろいろあるだろう。いずれも、共通しているのは、実態を国民の目から隠蔽するか、他者に責任を転嫁しているように感じられるのではないか。いかがだろうか。

◆ スペイン風邪 ~マックス・ヴェーバーもクリムトも死んだ~

 マックス・ヴェーバー。
 1864年-1920年。ミュンヘンで逝去。享年56。死因は、通称「スペイン風邪」による肺炎、という。

 グスタフ・クリムト。
 1862年-1918年。ウィーンで逝去。享年55。死因は、通称「スペイン風邪」の症状悪化により発症した肺炎と脳梗塞、という。

 ギョーム・アポリネール。
 1880年-1918年。パリで逝去。享年38。死因は、通称「スペイン風邪」による肺炎、という。1918年5月にピカソらの立会いのもと、ジャクリーヌという女性と結婚したが、半年後の11月、死去。

︎ エゴン・シーレ。
 1890年-1918年。ウイーンで逝去。享年28。死因は、通称「スペイン風邪」による肺炎、という。妻のエーディトが、スペイン風邪に罹り、シーレの子供を宿したまま、1918年10月28日に亡くなった。看病をしていて感染したシーレも同じ病に倒れ、妻の家族に看護されながら、3日後の31日に死去。

 日本でも名前を挙げるなら、例えば、島村抱月。
 1871年-1918年。東京で逝去。享年47。死因は、通称「スペイン風邪」による肺炎、という。妻子ある島村抱月と恋愛関係にあった女優の松井須磨子は、抱月の後を追って、2ヶ月後自殺した。享年32。

 WHOから「パンデミック」と評価(フェーズ6)された新型コロナウイルスで私が連想するのは、人類の歴史から見れば、「ペスト」や「スペイン風邪」などである。「ペスト」は、青春期にカミュの小説で読んだ。「スペイン風邪」は、およそ100年前、1918年から20年にかけて、全世界的に流行したインフルエンザの通称である。発祥地は、複数の説があり、不明という。「スペイン風邪」の「感染者」数は、資料によって差異があるが、全世界で5億人からから18億人(幅がありすぎるが)とされているようだ。このうち、「死亡者」数は、1億人を超えていたという説がある。これが、人類史上最も多くの死者を出した「パンデミック」と言われている。この時の流行の発祥地は不明と言われるが、感染情報が初めて世界に発信された場所がスペインであったことから、歴史的事項としては「スペイン風邪」と呼ばれるようになった。今回の新型コロナウイルスについて、歴史家たちは、どういう名称をつけるのだろうか。

贅言;「パンデミック」の語源は、ギリシャ語のパンデミア。パン=「全て」、デミ=「人々」。感染症・伝染病が、世界的に大流行し、非常に多くの感染者・患者・死亡者を発生すること。日本語では、「世界的大流行」(世界的に大流行している状態)とか、「感染爆発」とか、翻訳されたりしている。
 スペイン風邪で亡くなった人の中には、ギョーム・アポリネール(詩人)、マックス・ヴェーバー(政治学者)、グスタフ・クリムト(画家)、エゴン・シーレ(画家)などがいる。日本人では、辰野金吾(建築家)、島村抱月(劇作家)大山捨松(女子教育者、大山巌夫人)、村山槐多(画家)など。

◆ ペストという不条理

 小説「ペスト」の文庫本が、増刷されて、売れている。
 アルベール・カミュ原作の『ペスト』は、1947年に刊行された。カミュは、10年後、ノーベル文学賞を受賞する。フランツ・カフカと並んで、不条理をテーマとする作家の代表として知られる。カフカの『変身』が、個人を襲う不条理を描いたとすれば、『ペスト』は、集団を襲う不条理を描いた。『ペスト』は、ペスト蔓延という猛威にさらされた北アフリカのアルジェリアにある港湾都市を舞台とする。猖獗を極めるペストは、感染性の伝染病。致命率が高く、罹患すると6割から9割が死に至ると言われる。ペストは、史上、何回か人類を襲い、複数回のパンデミックの記録が残されている。特に、14世紀の大流行では、世界各地で、およそ数千万から1億の人たちが死亡したと推計されている。

 小説『ペスト』の主人公である語り手は、結局、人類はウイルスに対して何もできない、人生では誰も不条理を避けることができない、という考えを力説する。カミュは不条理に対する人々のさまざまな反応を描き、いかに世界が不条理に満ちているかを表現しようとした。21世紀、パンデミックとなった新型コロナウイルスは、再び、不条理という姿で、今、私たち人類に襲いかかっている。

 「見えない敵と見える敵との闘い」というタイトルのコラムは、先が見通せないコロナウイルス状況の中で、とりあえず、人間の眼には、「見えない敵」である新型コロナウイルスについて書き始めることにした。一方、「見える敵」とは、何か。その辺りは、以下、次号にて。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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