【コラム】大原雄の『流儀』

α、β、γ、δ……λ、μ / ウイルスの秋

大原 雄

2021年のノーベル平和賞は、少数派メディアのジャーナリストに贈られた。一つは、ロシアの独立系リベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラトフ編集長。もう一つは、フィリピンのネットメディア「ラップラー」のマリア・レッサ代表。このうち、マリア・レッサさんは、「ノーベル委員会が光を当てたのは、私でもラップラーでもなく、世界で自分の仕事を続ける記者たちだ」と述べている。生涯、一記者の私にも、胸に響いた。

さて、冒頭の見出しは、私には、一部しか読めない。α、βくらい? 多くの読者も似たようなものかもしれない。これは、なに文字? ギリシャ文字?

新型コロナウイルスの変異株について、WHO(世界保健機関)は、なぜ、ギリシャ文字を用いるよう「推奨」する、と発表したのだろうか。

現在日本列島を始め、世界各地で猛威を振るっていた新型コロナウイルスのデルタ株のほかに、今後難敵になるかもしれない新型コロナウイルスでは、既にラムダ株、ミュー株など未知の変異ウイルスが姿を見せている。ここで使われる、「デルタ」「ラムダ」「ミュー」は、ギリシャ文字の「アルファベット」の中にある。ギリシャ文字は、大文字より、小文字が美しい、と私は思う。ギリシャ文字の「アルファベット」24文字は、次の通りである。小文字で表記する。

α、β、γ、δ、ε、ζ、η、θ、ι、κ、λ、μ、ν、ξ、ο、π、ρ、σ、τ、υ、φ、χ、ψ、ω。

これらのアルファベットの読み方は、日本語の発音をカタカナで表記すると、次のようになる。

アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ゼータ、イータ、シータ、イオタ、カッパ、ラムダ、ミュー、ニュー、クサイ、オミクロン、パイ、ロー、シグマ、タウ、ユプシロン、ファイ、カイ、プサイ、オメガ。

このうち、新型コロナ株に既に付けられた名称としては、次の通りである。ゴシック文字で表記してみたら、次のようになった。

アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ゼータ、イータ、シータ、イオタ、カッパ、ラムダ、ミュー。以上、現在は、12番まである。
残りは、ニュー、クサイ、オミクロン、パイ、ロー、シグマ、タウ、ユプシロン、ファイ、カイ、プサイ、オメガ。こちらも、12番。つまり、新型コロナウイルスは、既にギリシャ文字の半分を使っていることになる。

変異型の新型コロナウイルスは、アルファからデルタまで、というようにアルファベット順に名をつけられてきた。その結果、WHOは、「懸念される変異株」に4種類を確認・指定した。また、「注目すべき変異株」に8種類を確認し、その後、6種類を除外したので、「注目すべき変異株」の指定は、現在2種類である。「注目すべき変異株」は、増えたり、減ったりしている。

整理すると、「VOCs」(懸念される変異株)の指定は、現在4種類。「懸念される」という意味は、危険度が他のウイルスよりワンランク高いということである。「VOCs」は、感染力が高く、国際的にも重視が必要とされている。また、「VOIs」(注目すべき変異株)の指定は、現在2種類ある。将来、懸念される変異株に変わる可能性もあるということで、当面、「注目」しておこうと、いうことである。

新型コロナウイルスの変異株を整理して見よう。
「VOCs」(懸念される変異株)は、以下の通り。「→ の」後ろの名称が、新しい呼称である。

 1)・「イギリス由来の変異株」→ 「アルファ株」
 2)・「南アフリカ由来の変異株」→ 「ベータ株」
 3)・「ブラジル由来の変異株」→ 「ガンマ株」
 4)・「インド由来の変異株」→ 「デルタ株」

「VOIs」(注目すべき変異株。感染力が変異した、複数国で流行している)は、以下の通り。

 5)・「アメリカ由来の変異株」→ 「イプシロン株」(後に除外)
 6)・「ブラジル由来の変異株」→ 「ゼータ株」(後に除外)

 7)・「複数国由来の変異株」→ 「イータ株」(後に除外)
 8)・「フィリピン由来の変異株」→ 「シータ株」(後に除外)

 9)・「アメリカ由来の変異株」→ 「イオタ株」(後に除外)
10)・「インド由来の変異株」→ 「カッパ株」(後に除外)
11)・「ペルー由来の変異株」→ 「ラムダ株」
12)・「コロンビア由来の変異株」→ 「ミュー株」

こういうデータを見ると、地球にグローバルなマラソンコースのようなものがあり、そのコースをまさにウイルス(いろいろある)と人類(いろいろいる)が、地球上での、生存をかけた競「走」(競「争」でもある)をしているのではないか、というイメージが湧き出てくる。

★ 菅政権の崩壊 岸田政権の発足

ところで、日本の政界は、10月初め、政権が交代した。派閥力学に乗って、自民党総裁選挙に勝ち、1年前に誕生した菅義偉首相が、コロナ禍対策での不手際など、失政で辞職した。民意を汲み取れなかった。1年前の、自民党総裁選挙で負けた岸田文雄候補が、同じ派閥力学に乗って、今度は、河野太郎候補らとの総裁選挙に勝ち、菅政権の後に、岸田政権を手に入れた。政権の主は、実は派閥。この派閥という風見鶏は、くるくる廻る。

デルタ株が蔓延中だった新型コロナウイルスは、たまたま、第5波の収束期になっていたのか、デルタ株のワクチン接種が、徐々に普及してきたのか、ウイルスは日本の政局を横目で見ているように、日々、感染率を下げている。このまま、コロナ禍は「収束」(終息:完全に息絶えること。コロナと人類の関係では、「終息」は無い。互いに巧く「共存」するしかない。)に向かうのか、秋冬のシーズンには、ラムダ株か、ミュー株かと「居処替り」をして、第6波として押し寄せてくるのか。日本の国民たちは、期待と不安に翻弄されながら、暮らしている。

派閥政治による擬似「政権交代」は、従来、長く続いた日本政治の、一種の「政権交代」の形態であり、このところ、先祖返りのように、政治の巷に広がってきたようだ。菅政権に一旦は、敗北した岸田政権は、グループの組み合わせに腐心するベテラン議員(長老政治家というらしい)を軸としたいくつかの派閥が盛衰を繰り返す力学に乗って、復活したらしい。長期(長命)政権(安倍政権)の後、日本政治の過去の歴史によくあるように、短命政権(菅政権)・短命政権(岸田政権)・短命政権(?)、というような不安定な政局が、これからしばらく続くのかもしれない。

贅言;短命政権は、1年前後。線香花火の火の玉のように、シューっと、消えて行く。短命とは、ワンテーマ(単一命題=単命)と取り組む政権と内閣。菅政権では、不手際ながら、「コロナワクチン接種」のワンテーマが、大きい。

岸田内閣は、長く続かないのかもしれない。その緒戦とも言える総選挙は、任期満了総選挙を考えていた前政権・菅政権の思惑の日程より早く、岸田政権は、別の思惑に乗っかり、10月14日解散、19日公示、31日投開票で実施すると表明するなど、派閥力学のバランスの上で、自民党政治は、早くも不安定に揺れている。

★ 派閥というラベルは、なくならないのか

派閥ならぬ、ウイルスの蠕動は、ラムダ株にしろ、ミュー株にしろ、どういう蠢きを示すのか。ならば、まずは、さしかけのウイルスの呼称の話に戻ろうか。
ウイルスの呼称であれ、「能力の悪辣化」を表現することに名前が使われるのは、欧米では、「名誉なことではない」らしい。だから、相手に「汚名を着せることや差別につながることを避け、双方のコミュニケーションをしやすくするため、当局やメディアが新しいラベルを使うことを推奨する」(WHO:2021年5月31日付)ということになるらしい。WHOの推奨する「ラベル」とは、なにか?

ウイルスが、ある国で最初に見つかった、としても、その国で変異株が生まれたとは限らない。例えば、ざっと100年前に「スペイン風邪」というインフルエンザの大流行があった。スペインは、この風邪について世界に対して最初に報告をしただけであったが、100年後の今も、このインフルエンザは、いまだに「スペイン風邪」と呼ばれている。このように、ウイルスに地名などをつけると、あたかもその国が、感染症の発祥地と間違えられるという危惧があるからである。WHOが変異株にギリシャ文字の呼び名をつけたのは、そういう配慮が働いたためだ、という。

★︎ 退潮の「デルタ株」/ 未解明の「ラムダ株」

次々に現れるコロナの変異種ウイルス。マスメディアの報道によると、今、日本各地で猛威を振るっている新型コロナウイルスは、既に、変異種の「デルタ株」に置き換わっている。デルタ株もワクチン開発などの波に呑まれ、弱まってきたようだ。

さらに、国立感染症研究所によると、新型コロナウイルスでは、「デルタ株」に加えて、新たに「ラムダ株」という新種も、去年8月にペルーで最初に報告された、という。それ以降、ペルーやチリ、エクアドルなど南アメリカを中心に「ラムダ株」の感染が広がり、WHO(世界保健機関)は、「注目すべき変異株(VOIs)」に分類している、という。
しかし、日本の国立感染症研究所は、「感染力やワクチンへの抵抗力が従来のウイルスより強い可能性はあるものの、データが限られている」という理由で、現時点では「注目すべき変異株」には位置づけていない、という。「上位」の国際機関が位置付けをしようと、同意できなければ、独自の位置付けをする。科学者の頑固ぶりが、実に立派で、脱帽ものだ。最近、日本社会では、このように筋を通す人やことが少なくなったような気がする。

閑話休題。つまり、「ラムダ株」は未だ、検証途中である、ということだ。未解明の部分も多い。それほど、コロナウイルスの変異種への、いわば「進化」は早い。走りながら変化(へんげ)する、というわけだ。ということは、「ラムダ株」も、まだまだ、悪辣に「進化」する可能性がある、ということであろうか。私たちは、デルタ株にばかり注目してはいられない、ということだろう。
そのラムダ株は、今年(2021年)7月23日には、日本国内でも初めて感染者が見つかっている。マスメディアの報道では、厚生労働省によると、ペルーから羽田空港に到着した30代の女性(東京オリンピックの大会関係者)が、検疫所の検査で新型コロナウイルス感染者と確認された、という。検体の遺伝子を解析したところ、「ラムダ株」が検出された、という。

すでに触れたことだが、ラムダ株は、現在のところ、「VOIs」(感染力が変異した上、複数国で流行している。注目すべき変異株)の新型コロナウイルス。これに対して、デルタ株は、「VOCs」(感染力が高く、国際的重視が必要で、懸念される変異株)の新型コロナウイルスということで、ラムダ株よりデルタ株の方が、世界の感染症の専門機関や専門家から、警戒されている度合いが高い、というわけだ。

そして、日本列島では、新型コロナウイルスのほとんどが「懸念されるデルタ株」に変わってしまったということで、デルタ株が我が物顔で猛威を振るっていた、というわけだ。これに対して、ラムダ株は、現状では、デルタ株ほど危険度は高くなさそうだが、今後の変異などパワーをプラスにすることがあれば、デルタ株より厄介な変異種になりかねない懸念がある、ということらしい。

WHOも、こうした背景を踏まえて、ラムダ株を「VOIs(注目すべき変異株)」に位置づけているが、今のところ、デルタ株やアルファ株などのような「VOCs(懸念される変異株)」には位置づけてはいない。つまり、感染の現況が、「VOCs」ランクの変異ウイルスほどの広がりが、未だ見られないからだが、いつ、感染拡大しないとも限らない。そういう危惧がつきまとっているのではないか、という懸念がある。

厚生労働省は、ラムダ株については、「情報が限られているので、今は、評価が難しい。引き続きWHOや各国政府、専門家と情報を共有しながら監視を強化していきたい」と説明している、という。

ワクチンは、こうした変異ウイルスに対しても感染、発症を抑制する効果があるとされる。一方で専門家は、コロナ感染者を減らすためには従来の想定よりも多くの人が接種をする必要があると指摘しているWHOの位置づけでは、ペルーで見つかったラムダ株は、各地で広がっているデルタ株より警戒レベルは低い、という。ならば、ラムダ株は、デルタ株より、弱いのか。ラムダ株とミュー株との比較はどうなのか? 感染症の専門家や医療現場で働く臨床医は、目の前に広がる感染者と同伴併走しながら、彼らの命を救う工夫に明け暮れている。ウイルスの蔓延に伴い、絶えず逼迫しかねない医療現場。第6波に向かって不気味に蠕動するウイルスとの闘い。見えない地下水脈の中で、両者の闘いは、続いているのだろう。

WHOは、2020年2月、新型コロナウイルスの正式名称を「COVID-1」と、名付けた。

海外の画像を見ると、防疫服にこの文字をプリントした担当者が活動している光景を見ることがあるだろう。
 coronavirus disease 2019 2019年に発生した新型コロナウイルス感染症

★ 「ミュー株」の謎?

各地で猛威を振るった「デルタ株」後の新型コロナウイルスの一つ、「ミュー株」はまだ判っていないことが多い。例えば、ミュー株は、ワクチン接種などで得られた抗体の効果を弱める力があるという研究報告がある、という。東京大学医科学研究所などのチームが、ワクチンを接種した人や感染して治った人の、感染や重症化を防ぐ「中和抗体」の効果を調べたところ、従来の株に比べて7分の1以下(弱さ?)になったという。

贅言;人間の体内でできる「抗体」には、いくつかの種類があるが、その中でウイルスを抑制できるのは一部の抗体に限られる。特に、新型コロナのようなウイルスの「感染力」や「毒素の活性」を「中和」できる抗体を「中和抗体」という。新型コロナウイルスは、その表面に「スパイクタンパク質」と呼ばれる突起状の「トゲ」を持っている。そのトゲが細胞のもつ受容体という部分に「結合」して細胞の中に入り込んで感染する。中和抗体は、この新型コロナウイルスのトゲの部分に先回りして着くことで、ウイルスと細胞との結合をさまたげ、ウイルスが細胞に侵入できないようにしている、という。

しかし、中和抗体の効果が弱くなったとしても、ワクチンそのものが、全く効かなくなるということはない、と専門家は言う。「そもそも、ワクチンは血中の中和抗体の量を高く保つためだけに打つわけではなく、免疫の記憶をつくり、次に感染した際に免疫がウイルスを排除できるようにするために打つものだ、という。だから、血中の抗体が低く(弱く)なっても、ワクチンがミュー株に全く効かないということはない」という。
また、ミュー株は、デルタ株に比べて、感染力は弱いと見られる、という。デルタ株後を考えた場合、新しい変異株のラムダ株やミュー株が、デルタ株の「居処替り」というポストを占めるのか、デルタ株が、「居処替り」を拒否して、新たな変異を自ら獲得し、そのまま居続け、長期間流行し続けるのか、ということを懸念する専門家もいる。まるで、人間世界を見ているようではないか。

東京医科歯科大学は8月30日、国内で新たな変異が加わったデルタ株の市中感染事例が確認された、と発表した。大阪大学微生物病研究所は、デルタ株に特定の変異が四つ加わると、現在のワクチンの効果を大きく弱める可能性があるとする研究結果をまとめている、という。デルタ株が居座り続けるのか、新たな変異株が登場するのか、こういうウイルスの「居処替り」のタイミングを適切に掴み、コロナ対策に生かして行くことが求められているだろう。

★ 日本語の「破壊」

こちらは、ウイルスによる被害ではなく、人間、特に、官僚やマスメディアの関係者による被害である。

私は、一般社団法人「日本ペンクラブ」の会員である。それ以前は、NHK記者であった。東京の報道局所属が長かったが、社会部・特報部(「特報部」は、当時の職制名。いまは、ない。遊軍記者やディレクターを結集した機動グループ)、ニュース7(セブン)部(当時の職制名。現在は、テレビニュース部か)など報道現場で働いてきた。記者・デスクの現役時代から、つまり、在職の途中から、作家らに推薦されて日本ペンクラブ会員(会員による推薦制)になった。ペンクラブでは、理事や委員会委員長(電子文藝館委員会委員長、財務委員会委員長)、各種委員会の委員(言論表現委員会委員、獄中作家委員会委員、女性作家委員会委員)などに関わり、日本の報道の自由や表現の自由を守る活動の一隅を照らすことに努めてきた。ボランティア活動である。

特に、どの委員会にも共通して、私が関心を持ち続けたことでは、「言葉」の適切で、自主的で自由な使用のされ方をチェックすること。サイレントな言葉に成り代わって、ノイジーなほど気を使って、ここ10数年間、ペンの理事会などで表現の自由を守るための発言を続けてきた、つもりである。そうした中で、ここ2年ほどのコロナ禍の蔓延の中で、恰も言葉(ここでは、日本語表記に限定しているが…)が闇夜の辻斬りに襲われたように、無残に背後から斬りつけられた上、膾を切るかのように解体される場面を目撃してきた。それは、特に、コロナ禍の対策をとる厚生労働省やそれを指示する内閣官房が用いる官僚(行政)言語(特に、日本語独特の四文字表現など)という形で、出現してきたように思える。官僚言語については、いちいち出所を明記しないが、ご容赦願いたい。

例えば、「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」「まん延防止等重点措置」では、ガイドラインとして定められた「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」の中に、次のように書いてある。以下、引用。

「『人と人との距離の確保』、『マスクの着用』、『手洗いなどの手指衛生』等の基本的な感染対策を行う必要に応じ、『外出自粛の要請』…」(以下略)という文言が見える。以上、引用終り。

まず、「外出自粛の要請」。
「感染を防止するための協力要請等について 【法第45条】」には、次の通り記載されている。以下、引用。

1 不要不急の外出自粛等の要請(第1項)

○ 都道府県知事は、緊急事態において、住民に対し、期間と区域を定めて、生活の維持に必要な場合を除きみだりに外出しないことその他の感染防止に必要な協力を要請することができる。以上、引用終り。

★「自粛」という指示(命令)

ここで使われている「自粛要請」の真意は「自粛指示(命令に近い)」であろう。「要請」を「指示」だと私が思うのは、「みだりに外出しない」という高圧的な表現があるからだ。「みだりか、みだりではないか」誰が、どういう基準で、判断するというのか。外出を可能な限り抑制して、私たち自身が、ウイルスの「運び屋」になる機会を極力減らす、ということが「理想的な対策」であるとして、誰に、理想的な行動が取れるというのか。これは、今回のコロナ禍の直接的な下手人である私たち・国民への行動抑制の指示である。

しかし、本来「自粛」という言葉は、主体的な行為の場合に使われるはずである。外出という私人の権利、基本的人権でもある行為を自粛(取りやめて)してほしいと要請(指示)するのである。法律なり、恐怖なりで、強制力を裏打ちしない限り、要請も指示も効果的には機能できないのではないか。まして、「自粛」は、強制力と対極にある自主的、自発的な行為であろう。
一方、「要請」、指示は、他者からの働きかけであろう。ベクトルが、お互いに真逆を向いている。こういう場合、世間では、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなり、その場に「立ち往生」することになる、と私が主張してきたではないか。その予想通り、菅政権は、内閣スタート後、1年で二進も三進もいかなくなったではないか。

「不要不急」という言葉も、高圧的、権力的ではないのか。「不要」とか、「不急」とかいう判断は、本来私人の自由な判断に基づくことであろう。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大がダラダラと続いた結果、また、後手後手の行政対応もあって、以前はあまり耳にしなかった、これらの日本語がマスメディアで、当たり前のように毎日使われるようになった。「不要」も「不急」も、私なら、自分で判断する。「余計なお世話だ」と、言うべきだろう。このような耳慣れない日本語の「誤用」に違和感を感じて、言葉のアンテナが不快音を発し、イライラするのは、私だけではないのではないか。マスメディアの後輩たちは、イライラした様子も見せないところから推測するに、そういうアンテナは、もう、すっかりすり減ってしまったのだろうか。

デルタ株蔓延後、急激に広まってきた日本語に、「自宅療養」というのがあるだろう。従来の言葉の使い方なら、自宅療養は、例えば、入院し、手術を受け、術後の療養生活を病院のベッドで過ごすなど「入院生活」を送り、やがて退院を迎える。自宅に帰り、家族の支援を受けながら、暮らすような段階の生活ぶりを「自宅療養」というのではないだろうか。退院から快癒へ向かうまでの病人の状態。それが自宅療養なのではないのか。

★ ポジティブな、いな、ネガティブな「自宅療養」

行政の説明に耳を傾けよう。例えば、「新型コロナウイルス感染症の軽症者等に係る自宅療養の実施に関する留意事項」と題する行政の文書を見てみよう。以下、引用。

〇 新型コロナウイルス感染症の患者の増加に伴う医療提供体制の移行については、「地域で新型コロナウイルス感染症の患者が増加した場合の各対策(サーべイランス、感染拡大防止策、医療提供体制)の移行について」(令和2年3月1日付け事務連絡)で、その考え方が示されているが、今後、更に新型コロナウイルス感染症の感染拡大が進み、入院患者の増加が見られた場合、重症者に対する医療資源の確保及び新型コロナ軽症者等に対する宿泊療養及び自宅療養(以下「宿泊療養等」という。)に係る体制整備がより重要となる。

○ 宿泊療養等については、「新型コロナウイルス感染症の軽症者等に係る宿泊療養又は自宅療養の考え方について」(令和2年4月23日付け事務連絡。以下「4月23日事務連絡」という。)において示しているとおり、宿泊施設が十分に確保されているような地域では、家庭内での感染事例が発生していることや、症状急変時の適時適切な対応が必要であることから、宿泊療養を基本とすることとされている。その際、子育て等の家庭の事情により本人が自宅での療養を選択する場合は、自宅療養をすることとしても差し支えないこととされている。
そのため、宿泊療養実施のための宿泊施設の確保を着実に進めていただき、その上で、宿泊施設の受入可能人数の状況を考慮し、また、宿泊療養の対象となる方のご理解を得ることが極めて困難な場合には、対象となる方が外出しないことを前提に、臨時応急的な措置として自宅療養を行うこととなる。(宿泊施設が確保できたときは、速やかに宿泊療養に移行が必要) 以上、引用終り。

贅言;以上の引用文は、官僚文書としては、特に、難しいわけではないが、読み慣れていないと、文意が掴みにくいだろう。だが、ここで言っている「自宅療養」が、「子育て等の家庭の事情により本人が自宅での療養を選択する場合は、自宅療養をすることとしても差し支えない」という「臨時応急的な措置として自宅療養を行うこととなる」。積極的(ポジティブ)な施策ではない、という印象だが、首都圏などで、医療供給体制が逼塞となり、病院のベッドにたどり着けなかったことから自宅療養せざるを得なかった感染者たちは、「積極的に」自宅に放置されたという印象を抱いたことだろう。

後手後手対策の、一つの典型を表す文書だということは、判って戴けるのではないか。「自宅療養」は、ポジティブな政策ではなく、ネガティブな政策として、いわば、最後の手段として、医療のメニューに残さざるを得なかったのだろう。それだけでも、蔓延ピーク時の医療提供体制が、いかに危機的だったかが、想像できる。そう思って、ながながしいが、引用してみた。

贅言1);「二条河原落書」より、以下、引用。
口遊(くちずさみ) 去年八月二条河原落書云々 元年歟

此比(このごろ)都ニハヤル物/今、「みやこ」ではやっているのは、コロナ禍の中等程度の症状では、入院できる病床はない。重症化するまで、放置されることを「自宅療養」というらしい。

コロナ禍の第5波は、なんとか峠を越えたが、これで終わりではない。今冬季には、第6波が襲ってくるだろうというのは、専門家の予想。その通りだと思う。是非とも、第6波では、ワクチンによるコロナ抑制(特に、遅れている30代以下の若年層のワクチン接種=2回分)を促進しておいてほしい。医療提供体制の拡充で、「自宅療養」だけは、やらずに済ませるように、設備・施設、スタッフのマンパワー確保を早めに準備しておいてほしい。

贅言2);おもしろい話。以下、引用。
「オンライン日本語校正サービスとして有名な「Enno」では、「自粛要請」という単語を入力欄に入れて校正を実行すると、正しくない日本語として『純粋エラー』が表示される、という。エラーの理由としては、「『自粛』と『要請』は両立しない言葉。『自粛』は自ら行うものであり、『要請』は相手に強く求めるもの」と、バッサリ斬って捨ててくる、という。(略)校正ツールにまで正しくない日本語として指摘されては形無しだ」と、批判している。引用終り。
自粛と要請が、正面衝突したら、そこには、渦巻きができるのではないか。こういう渦は、「迷走」というのだろう。

最後に、もう一つ。「人と人との距離の確保」も、「ソーシャル・ディスタンス」という単語を振り当てる英訳は、おかしいのではないか。本来、「ソーシャル・ディスタンス」という単語は、感染症の予防戦略の一つだ、という。

以下、いろいろ引用をまとめてみると……。
(「ソーシャル・ディスタンス」は、)有効な治療薬や予防薬などがない重大な感染症が国や地域に侵入した場合に、人の「移動」(今回「人流(じんりゅう)」という用語で使われている)や社会・経済活動に制限を加えて、人同士の会食を減らす取り組みのこと。例えば、学校などの一時的な閉鎖、事業所や商店などの営業縮小、企業の在宅勤務(リモートワーク)や在宅勤務への切り替え、公共交通機関の間引き運転、外出自粛、集会・大規模イベントの開催自粛などが、イメージされる。

この言葉は「人と人との社会的なつながりを断たなければならないとの誤解を招きかねず、社会的孤立が生じさせる」おそれがあることから、WHO(世界保健機関)では「人と人との距離の確保」という言葉のための訳語なら、「身体的、物理的距離の確保」を意味する「フィジカル・ディスタンス(物理的距離)」に言い換えるよう推奨している、という。

こうしたことから、現在では、新型コロナウイルス感染防止対策として、2メートル以上の対人距離を呼びかける言葉としては、「ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)」という訳語は使わずに、「フィジカル・ディスタンス(物理的距離)」という言葉が各自治体では、使われるようになった。以上、引用の概要まとめ。

贅言;新型コロナウイルスがらみの用語は、日進月歩している。例えば、「空気感染」は、するのか、しないのか。目下、激論中。そもそも、コロナによる感染は、
1)「飛沫感染」(サイズが大きく、重力ですぐに落下する)がある、という。
2)「接触感染」(ウイルスそのものが付着する)もある。
今、検証されているのが、
3)「空気感染」(ウイルスを含んだエアロゾルを吸い込んで感染する)。
エアロゾルとは、空中に吐き出された液体や固体が、重力ですぐに落下せず、空気中を漂う状態のことを言う。霧や煙、花粉を連想すれば良い。コロナのエアロゾルは、空気感染を起こしうる。コロナのウイルスは、くしゃみや呼吸の時に口や鼻から出る粒子で広がる、という。

★ 選挙「合わせ鏡」(横浜市長選挙・自民党総裁選挙・総選挙)

関係なさそうな横浜市長選挙の結果は、自民党の総裁選挙をガラリと変えた。なぜ変わったのか。

横浜市長選挙の開票結果は、次の通りである。以下の票は、メディアの報道を引用。

  山中 竹春(新)=50万6,392票・当選
  小此木八郎(新)=32万5,947票
  林  文子(現)=19万6,926票
  田中 康夫(新)=19万4,713票
  松沢 成文(新)=16万2,206票
  福田 峰之(新)= 6万2,455票
  太田 正孝(新)= 3万9,802票
  坪倉 良和(新)= 1万9,113票

唯一の女性候補の林文子さんが、現職市長の候補で、ほかの男性候補は、皆、新人候補。現職の閣僚を辞めて立候補したり、神奈川県知事、あるいは、長野県知事を経て立候補したりした新人候補が3人も混じるなど、豪華な顔ぶれであった。以下、私見に基づき、勝手なメモをまとめてみた。

ポイント(1)争点:

「オルタ広場」前号の連載「大原雄の『流儀』」でも書いたので、一部重複するが、今号だけ読む人には、書かないとわかりにくいと思うので、ご海容戴きたい。横浜市長選挙は、岡目八目で、他所から横目で垣間見ただけだが、私が、素朴に思ったことは、この選挙は、争点がはっきりしない選挙だった、ということだ。

8人が立候補したが、与党系の現職の女性市長・林候補は、蚊帳の外に置かれ、実質的には、国会の勢力分野の野党系の山中候補、与党系の小此木候補の一騎打ちという選挙。各候補が掲げたコロナ対策、IR問題(カジノのほかホテルや劇場、国際会議場、展示場などの施設、ショッピングモールなどが集まった複合的な施設。統合型リゾートともいう)は、実は、争点にならない。誰も、コロナ禍が「収束」しなくて良いなどと思っていないからだし、ここには、政府として、政治問題としてのコロナ禍を討議する場でもないからだ。

コロナ対策は、これまでのところ、デルタ株を「終息」させるような決定打もないが、大局的には、この時点では、それまで危惧されていたような感染爆発コースとは違う、とりあえず、「高止まりコース」の水路へと、向かっているように私には思えた。こうした状況の中で、コロナ対策を十二分に利用したのは、医師で、「私だけがコロナ禍の専門家」というキャッチを掲げた山中候補の一人勝ちであっただろう。
わかりやすい経歴を実線でくっきりと描いた作戦は、成功したと思う。自民党の国政レベルのコロナ対策の不手際に不満を持つ無党派層の票を引きつけるには、効果的であったと思う。

ローカルの政治課題・「IR(統合型リゾート)問題」では、実質的に林候補のみが、「建設 ゴー!」の幟を掲げたが、与党系の別の候補も含めて、建設に批判的な野党系候補も、同じような主張で、大きな争点には、ならなかったのではないか。

ポイント(2)選挙体制(構造)の問題

山中候補は、野党統一候補:50万票。小此木候補との差は、本当に18万票もあるのか?

小此木候補と林候補は、与党系票(保守票)二分:32万余票(小此木)+19万余票(林)=52万票。→ 保守票が、一つにまとまっていれば、52万票対50万票(山中)で、保守陣営の統一候補が、やや上で、当選となるはず。現職の市長候補をさし置き、さらに、現職閣僚を辞めさせてまで、もう一人の保守系候補を立てた動機はなんだったのか。菅首相お得意のトップダウン、判断理由は、説明無し。

贅言;以下、引用。「横浜市長選で共同通信社が実施した出口調査を支持政党別に見ると、自民党支持層のうち、前国家公安委員長小此木八郎氏が固めたのは42.7%にとどまり、現職林文子氏に19.7%流れた。自民は自主投票で、一部市議は林氏の支持に回っていた。(略)立憲民主党推薦の横浜市立大元教授山中竹春氏は同党支持層の71.7%、支援を受けた共産党支持層の63.5%をまとめた。「支持政党なし」とした無党派層でも、山中氏は39.5%に上り、小此木氏は11.1%、林氏は9.6%だった。以上、引用終り。日本経済新聞社が、共同通信社の記事を使用した。以下、引用続き。「出口調査は22日に市内の36投票所で実施し、投票を終えた有権者2,050人から回答を得た。〔共同〕」。以上、引用終り。

田中候補:19万票。他県の知事経験候補で、来年の参議院選挙にも神奈川で立候補するか。市長選挙で、参議院選挙のシミュレーションを試みる。無党派層の票(与野党系)の受け皿となるか。合わせて、市長選挙で保守票を増やさない、という効果は期待できそうか。

松沢候補:16万票。神奈川県知事経験候補で、来年の参議院選挙にも立候補するか。無党派層の票(与野党系)の受け皿となるか。保守票を増やさない、という効果は期待できそう。

ポイント(3):菅票の解析

菅の票田は、衆議院選挙神奈川第2区。小選挙区に改変されてから、菅義偉が、8期続けて一人当選を続けてきた。しかし、2009年の総選挙では、薄氷を踏んだ。この時の選挙結果が、ポイントになると、私は思う。この選挙では、次点の民主党候補とは、僅少差。548票差しかなかった、という、あの選挙だ。危うし、菅義偉。この選挙に、今回の「菅政権崩壊」の兆しを測る「装置」があるなら、繋げてみたいのだが、そういう使い方は牽強付会だろうか?

従来、菅票は、衆議院選挙の神奈川県第2区。横浜票(西区、南区、港南区)なのだ。これが、近づく総選挙を前に、菅政権継続か否かを占うべく、スガ(菅首相)が密かに仕掛けた、小此木出馬案を軸にした横浜市長選挙の真意ではなかったのだろうか。菅首相は、自分が選挙の顔になりうるかどうか、迷っていたのではないか。説明しない、裏面で暗躍する、指示や人事は、トップダウン型という秘密主義の政治家の退陣。何が、菅首相に自民党の総裁選挙不出馬を決断させたのか。

*小選挙区・神奈川県第2区:菅義偉票(得票数、得票率 *特記)
*衆議院選挙
  (2017年)123,218票(57.11%)
  (2014年)147,084票(67.71%)
  (2012年)138,040票(57.93%)
  (2009年)132,270票(46.52%)*548票差
  (2005年)160,111票(58.41%)
  (2003年)115,495票(49.85%)*22,089票差
  (2000年) 95,960票(42.30%)*2,526票差
  (1996年) 70,459票(32.25%)*4,554票差

1996年から2009年までの僅少差で次点を免れてきた。09年の選挙の548票という極僅少差(惜敗率99.586%)が、その後のトラウマになっていないか。2000年、2003年、2009年には、小選挙区次点で惜敗した民主党候補が比例復活している。

失政続きで、菅では、次の総選挙では、自民党選挙の顔にならない。菅自民党では、大負けするかもしれない。それどころか、菅自身の落選もありうるのではないか。選挙の実施時期が近いので、横浜市長選挙・自民党総裁選挙・総選挙の投票行動が、互いに「響きあう(影響し合う)」可能性があるのではないか。
8回連続当選で、小選挙区ひとり勝ちの独走を続けてきた菅も、今回は自身の不人気の中の選挙対応だけに、自分自身も落選するかもしれない、という不安感。「9選」(くせん)連続ならず? というような冗句が、頭をよぎったのではないか。

ポイント(4):次の総選挙の「争点」の設定や統一候補など支援体制の選挙構造は、どうあるべきか?

短期間の選挙準備。争点などを十分に検討できる余裕もないまま、野党なら統一候補も組む時間があるかどうか。政権発足直後の有権者の期待感。これを「ご祝儀相場」という。一瞬だけ、内閣支持率が上がるという「神話」を信じて、与党は、選挙戦に飛び込む。野党は、与党に乗せられて従来型の選挙戦に突入しても良いのか、横浜市長選挙の結果分析は、極めて大事だ。今回の総選挙のシミュレーションに使えないか。どこの陣営の、どういう策士が、頭を悩ませ、新たな戦術を編み出すか。

★ 菅政権の「総括」で、気をつけなければいけないこと''''

横浜市長選挙の結果が、自民党総裁選挙に大きな影を落とした。総裁選挙の結果が、総選挙に、大きな影を落とした。岸田政権は、安倍・菅政権との違いが出せるか。岸田政権は、河野政権との違いが出せるか。総選挙の結果が、コロナ禍という装置を悪用して、憲法改定論議に大きな影を落としている。これぞ、合わせ鏡。

菅政権は、派閥の力のバランスに乗って、「思いがけなく」成立したが、砂上の楼閣であったことは、間違いない。日本の首相は、菅義偉首相で99人となる。政治学者の御厨貴さんは、(菅首相)ほど「無残な退陣劇」はない、「この1年、日本は首相が空席だったようなものです」という。「権力の中枢にいすぎて、都合の良い情報ばかりが集まるようになり、裸の王様になったのではないでしょうか」。「世界的なパンデミックの中、本来は国民と危機感を共有し、メッセージを発することが指導者に求められるはず」だったのが、ほとんど、コロナ禍に煩わされ、まさに翻弄されて、何もできなかったし、しようとしなかった、ように映る、という(この項、朝日新聞記事参照)。

コロナ禍で菅首相がやったことは、ワクチン接種一本やり(槍)で、ワクチン接種以外のコロナ禍全体の対策(本質的に国民の命を守るという危機管理)を見据える眼力は、乏しかった。感染症の科学的な対応は、潔く専門家に任せて、大局的な危機管理こそは、首相が「有能な官僚」を指揮すべきだったのではないか、と思う。危機管理は、常に、その状況では最悪な事態を想定して、対応すべきなのに、楽観論に溺れ、壁土をこねて塗るべき「コテ」を持たずに、「後手(ごて)」ばかり。常に後手に回っていて、国民の顰蹙を招いていた。それが、敗因の一つだろう。

だが、菅首相は、政治家として、本当に何もしなかったのか。そんなことはないだろう。彼の裏面には、ズル賢い官房長官の面(おもて)が隠れているはずだ。

★ 緊急事態「宣言」を緊急事態「条項」の隠れ蓑にするなかれ

自民党には、特に、ウルトラ保守派の連中には、憲法改定意欲が強い。
コロナ禍のドタドタを利用して、緊急事態「宣言」を緊急事態「条項」にすり替えようとしている連中がいるらしい。

贅言;戦争・テロ・大規模災害などの緊急事態(非常事態)が発生した場合、行政権(政府)や立法権(国会)の権限を一時的に内閣(特に、内閣官房)に集中させる規定。三権分立という民主主義の原理の制限となる。

菅政権は、安倍政権を引き継ぎ、「緊急事態宣言」を幾度も発したり、延長したりした。この首相が水面下で潜航的に行ったことを考えてみると、私の脳裏には、今回の緊急事態宣言は、憲法改定問題の大きな柱の一つである「緊急事態条項」創設とつながっているように見える。後手に回ることが多かった菅政権が、拙速主義で進めたのが、デジタル庁創設ではなかったか。

デジタル庁創設の真意は、戦前の内務省デジタル版の復活ではないのか。

と、私は、懸念している。

「緊急時に国民の命と安全を守るため、国家や国民の役割を憲法に位置付ける」。菅首相は、超党派の国会議員らによる改憲推進集会にビデオメッセージを寄せ、緊急事態条項の必要性を強調したことがある。首相は緊急事態宣言の延長を表明した21年5月7日の記者会見でも「緊急事態への国民の関心は高まっている」と指摘し、自民党総裁選挙や総選挙を見据え、憲法改定に向けて緊急事態条項の付加を保守層にアピールする思惑が透けて見えていた。

今回は、総裁選挙への立候補を取りやめた自民党改憲派の下村博文政調会長(当時)も「憲法に緊急事態条項がないことが(コロナ対応の)スピード感を鈍らせている」とコロナ禍に合わせて、問題をすり替えている。国民の「世論調査でも大勢が憲法上の対応を求めている」とコロナ禍を悪用して、緊急事態条項付加へと訴える。
菅退陣、岸田内閣発足、総選挙へと政治が動く中で、総選挙後の国会では、本格的な改憲論議が始まるのではないか。自民党関係者は、発議に必要な「3分の2」の議席維持について「与党だけでは難しい」としつつ、「コロナが国会を動かすかもしれない。大事なのは議席数ではなく国民の声だ」、コロナ後に「期待」を寄せている、という。自民党改憲派の思惑通りに行くかどうか。

★ 自民党総裁選挙は、「擬似」公職選挙で「国民投票」的効果を出すシステム?

自民党の総裁選挙でおよそ2週間もの無駄な時間を浪費した、という声があちこちから、聞こえてきた。例えば、「アエラ」の記事(編集部の西岡千史、池田正史)から、以下、引用。

(告示後、)「その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか」。以上、引用終り。

という、ありさまである。

「これから9月29日の投開票まで、「ポスト菅」は誰なのかをめぐって、永田町と同様にテレビも確実に〝ヒートアップ〟していく」(「Yahoo!ニュース」より引用)。

確かに、テレビは、立憲民主党が党首選びの選挙をしても、こうまで過熱気味に報道はしないだろう。自民党の党首を選ぶ「党営選挙」に過ぎない総裁選挙をあたかも、国政選挙、つまり「公職選挙」並みに報道している。これはおかしいのではないか。総裁選挙「加熱」のイメージを倍加しながら、マスメディアは、超保守化の炎を巻き上げて、好んで炎上して行く。

自民党の総裁選挙。特に、党員・党友の投票を擬似国民投票に見立てるのは、マスメディアの作り出す幻想、あるいは、フェイクニュース。
党員・党友(公称110万人)が投票。いわゆる「地方票」として、1回目の投票では、全部で382票に換算される。382票とは、今回の自民党の国会議員の総数である。つまり、国会議員票の100%と地方票の100%の比率割合を同じにするというフェイクさ加減。この仕組みを自民党では、「総党員算定票」と称するらしい(2020年総裁選挙から実施)。
この「装置」(システム)では、地方票は、国会議員票を上回る「熱気」を持っているのに、国会議員票を超えないようにする「悪魔の箱」(熱冷まし)なのではないか。自民党では、会費をきちんと納めている党員は、投票権(葉書一枚)を持つ。しかし、投票結果は、110万票でも、最大で国会議員の数と同じ、382票で抑え込ませる、という仕組みになっている。単純計算だが、110万を382で割る。そうすると、国会議員票1票の重さは、地方票の2,879.58倍になる、という計算だ。地方票1票! この票の軽さ。

自民党は、政権政党であるから、マスメディアでは、一応「公職選挙に準ずる」(あまり、強い根拠とは、思われないが)扱いにしている。しかし、国会議員選挙のような「公職選挙」ではないから、法律的に公職選挙法の制約を受けることはない。番組の中では、各候補の「票読み」(「予想票」というファクトではない票を推定する)をすることもできる。公職選挙のように、公平性、中立性などのバランス維持に頭を悩ませることも、原則的には「不要」である。かつて弊害が騒がれた時期に派閥は解消されたはずの自民党の政策集団の各グループ(実は、これが「派閥」)が支持する候補をどうした、こうしたといった生々しい裏話や詳しい票読みなど、公職選挙では、公にしない内部情報も番組の中で、伝えることができる。

自民党としては、マスメディアで、派閥の動きが肯定的に描かれようと、否定的に描かれようと、要は、自党の存在感を強める宣伝効果が期待できるだけに、よほどのことがない限り批判したり、抗議したりはしない。つまりテレビ報道にとって、自民党総裁選挙は、視聴者にとって、国政選挙なみの関心事でありながら、公職選挙ではないから、公職選挙法のような細かい規制=報道の制約が少ない、という美味しい題材なのである。

特に、自民党の総裁選挙は、国会議員による選挙という側面と限定的な党員・党友による選挙という「二重性を持った選挙」であることから、「会員(党員)選挙」と「国民(有権者)選挙」の両用(現実と幻想)の様相を呈してくる。
1年前の総裁選挙のように、自分たちの都合に合わせて、地方票を外して、限定的に国会議員票だけの選挙でも「良し」とし、地方票は、そもそも投票させないシステムにしてみたり、1年後には、余裕があるからと、地方票を復活してみたり、その「地方票」も、党員・党友票としてみたり、都道府県連票として見たり、誠に得手勝手、融通無碍に変化させたりする厚顔無恥な「無邪気さ」さえ、持つこともできるのである。

選挙でさまざまな形でのアピールをする候補者の動きを、視聴者であり国民である人々は、選挙権のある党員・党友だけでなく、選挙権がなくても、見たいならば、毎日、テレビでその展開ぶりを見ることができるだろう。自民党とすれば、誰が勝つにしても負けるにしても、コップの中の嵐。政党としては、「テレビの露出」が増えるという、自民党の「広報本部長」という立場に立てば、願ったりかなったりの状況になる、というわけだ。後は、党勢拡大、党会費の増収という、夢でも見ていれば良いのかもしれない。

実際の総裁選挙は、様々な事前運動を経て、都内のホテルの会場を借りて、一連の投開票公開で開催される。

投開票:
 1)地方票(事前に所定ハガキ投函、当日開票)、
 2)国会議員票(即日・投開票)/

 3)(過半数得票候補無しの場合)決選投票、
 4)結果発表/
 5)両院議員総会で正式に総裁選出。

こういう曖昧な一連の儀式(一種のお祭り騒ぎ)を公開する自民党の総裁選挙が、「擬似国民投票システム(自民党の)国会議員投票+党員・党友投票」の結果をベースに臨時国会の与野党国会議員投票を経て、内閣首班を決める」という議院内閣制度システムの幻想性を隠す。

コロナ対策、景気対策、福祉、教育、外交、防衛などについて候補者の考えを知りたいというニーズは、党員じゃなくても、一国民として知りたいところだ。もちろん国民のニーズに貢献する役目もあり、そこに力を割くのが報道としての王道だろう。絶対に必要だと思う。ただ、「政策を伝えてほしい」というまともに思える指摘以上に、「街頭演説バトル」や「水面下で蠢く派閥領袖」の動きの方に多くの視聴者の関心が集まるのも事実である。裏話、生々しい話は、フェイクニュースであろうが、ファクトニュースであろうが、どちらも、確かにおもしろいのであるから。

改めて、こうして検証してみると、自民党の総裁選挙は、自由民主党規約で規定しているが、公職選挙法とは無関係であることが判る。自民党の総裁選挙は、ほんとうに、「非」公職選挙法。あるいは、「擬似」公職選挙法である。有権者のうち、どのくらいの人々が、そういう本質的なことを理解しているか。

政権政党であるから自民党は、国会議員の集団であり、議院内閣制の国会で首班指名(内閣の首相)をすれば、議員数の多い自民党は、国会の「首班」に我らが党の総裁を選ぶ。総裁が、首班指名されれば、閣僚候補たちは内閣を構成することができる。9・30、10・1のマスメディアの報道ぶりを見ると、党の役員人事の取材が枠を飛び越えて、閣僚の人事を報道しているのではないのか。国会が開かれていないのに、国会議員による内閣体制を喧しく論じ合っている。

*自民党総裁選挙:9・29投開票(得票順)。
       1回目  2回目(決選投票)白票:1票、無効:1票(高市早苗)
  ――――――――――――――――――――――――――――――――――
  岸田文雄 256票  257票(国会:249票、地方: 8票)
  河野太郎 255票  170票(国会:131票、地方:39票)
  高市早苗 188票
  野田聖子  63票

贅言;1回目の票の内訳は、以下の通り。
  岸田/国会:146票、地方:110票
  高市/国会:114票、地方: 74票
  河野/国会: 86票、地方:169票
  野田/国会: 34票、地方: 29票

マスメディアは、1回目の選挙では、河野トップ説。実際、今回は、岸田が1票ながら、トップ。新聞は、選挙当日の朝刊に予測記事を書き、夕刊、ないし、翌日の朝刊では、事実上の訂正記事を書くハメになる。
2回目の決選投票では、刺身のツマのような地方票を飾った「国会議員盛り」(勝ち馬に乗る、「勝ち馬丼」)で、勝負あった、となる。

私の「算数」。1回目の投票結果から、2回目の決戦投票結果を読み解くと(というほど難しい算数ではないが)、決選投票は、単純化すれば、次のように票が動いたと推測する。地方票は、1回目も2回目も実相を表しているようだから、いじらないが、国会議員票は、

  1回目の岸田票+高市票=2回目の岸田票(260票)。→ 実際は249票。
  1回目の河野票+野田票=2回目の河野票(120票)。 131票。

贅言;1回目の岸田票、高市票から10票ほどが、河野票へ戻る。誰かが、調整したか。

贅言;自民党の総裁選規程。自由民主党総裁は、「自由民主党党則第6条」及び「総裁公選規程」により、「党所属の国会議員(衆議院議員、参議院議員)、党員、自由国民会議会員、国民政治協会会員による公選」が原則であり、実施年の12月31日までに満年齢20歳となる日本国民で、前年や前々年の党費や会費を2年連続納入していなければ、投票参加不可能である。
「公選」というが、一般性、普遍性を持った「公選」ではない。まさに、自民党の総裁選挙は、典型的な「会員選挙」ではないのか。だから、政治資金集めに、会員に向けた政治パーティをやるのか。法律の公職選挙法と組織の総裁選規定のルールは、大違い。

コロナ禍のワクチン担当の責任者になった河野太郎は、今回の総選挙の顔になるはずであった。だが、マスメディアが言う所の、「河野包囲」で、河野を締め出していた。さらに、総裁選挙後の、党役員人事や新内閣人事では、河野本人を含め、河野陣営を重要ポストから締め出した。自民党のポスト争いなど、私の関心の外にあるが、もう、ほんとうに情けなくなる。
河野包囲は、「河野いじめ」であった。岸田が、いくら「前へ進もう」(ゴー、ゴー、ゴー)と指揮官ばりの声を張り上げても、前へ進むはずがない。足は、竦(すく)み、同じ場所にとどまって、脚は小刻みに震えているだけで、前に踏み出せない。こんなことを繰り返していると、小刻みの足の持ち主は、体のバランスを崩して、全身が前倒しの姿勢になり、一本の立木になったようになって、ドウーッと倒れてしまうのではないか。

河野太郎が好きなわけではないが、ルールに則って、選挙戦に立候補し、言論表現で主張を闘わせ、勝ったか、負けたかしたから、と言って、対抗した相手を選挙戦後までにも、差別をする、そういう連中が、自民党の政治の中核でのうのうとしている。
意見の違い、多様性の尊重などこそ、求められる。民主主義の日本である。そして、時は、コロナ禍蔓延の日本ではないか。国民の命を守るために、政権政党は、挙党体制こそ取るべきなのではないか。与野党で連立政権樹立。救命救民の臨時政権のようなものこそ必要なのに、そうならない。そういう状況を情けないと思う。民主主義日本の根幹を揺るがすのは、こちらの方だ。これでは、日本は、「何よりもダメな日本」に成り下がり続けるだけだ。

論戦をして、手応えある相手と思ったのなら、戦が終われば、陣営に引き入れて、知恵を借りるくらいの度量を持てないものか。かつて、「禅譲志願」の時代もあったような岸田首相は、派閥の言うがままなのではないのか。そういう痕跡が残る人事などして欲しくなかった。岸田政権は、そういう意味では、自民党の古い体質を持ったままなのではないのか。そうだとしたら、岸田政権は、政権選択選挙である総選挙を前に、早くも、負けているのではないだろうか。もう、日本は、先進国などではあり得ない。日本から学ぶものが、どんどん減り続けている。そういう「日本劣化」の先頭を走り続けるような自民党の政権には、期待ができない、と私は、思っている。

自民党の岸田政権の周りには、幹事長に据えたAがいる。菅(そう言えば、前首相は、河野推薦だったのではないのか)や二階は、背を丸めて姿を消していった。近いうちに、有権者からも忘れ去られるのだろうか。岸田の背後には、背後霊のように、Aがいる、もう一人のAもいる。この3人のティームワークは、「3A」というらしい。安倍元首相は、岸田内閣を牛耳り、得意満面なのかと思ったら、岸田内閣の顔ぶれに不満らしい。それはそうだろう、年功序列を無視した「配役」の芝居では、ご機嫌斜めなのかもしれない。

★ 総選挙の「入口」調査

マスメディアは、政権発足直後に、直ちに世論調査を実施する。
例えば、朝日新聞の電話による全国世論調査は、10・4、10・5に実施された。組閣されたばかりの岸田内閣は、顔ぶれが判明した程度で、有権者にとって判断材料は極めて乏しい。つまり、ほとんどの有権者は、第一印象という直感的な判断で回答するしかない。この、世論調査は、いわば、投票所に入る有権者の投票行動の「入口調査」なのである。

回答結果を見ると、以下、引用の通り。内閣は、2021年(岸田内閣)から2001年(小泉内閣)へと遡る。

  岸田内閣支持は、   45%、不支持は、20%。
  菅(義偉)内閣支持は、65%、不支持は、13%。
  安倍内閣支持は、   59%、不支持は、24%。
  野田内閣支持は、   53%、不支持は、18%。
  菅(直人)内閣支持は、60%、不支持は、20%。
  鳩山内閣支持は、   71%、不支持は、14%。
  麻生内閣支持は、   48%、不支持は、36%。
  福田内閣支持は、   53%、不支持は、27%。
  安倍内閣支持は、   63%、不支持は、18%。
  小泉内閣支持は、   78%、不支持は、 8%。

ご祝儀相場の支持率で、50%に届かない岸田内閣に似ているのは、麻生内閣か。それでも、支持率は、麻生内閣の48%にも届かず、45%と、このデータでは、最低になっている。不支持率は、20%を超えていて、麻生、福田、安倍(第2次)、菅直人/岸田、ということで、菅と並んで、4番目である。岸田内閣の支持率の45%は、退陣表明前の菅義偉内閣の28%に比べると、かなり回復しているが、しかし、1年前の菅内閣発足時の65%には、及ばない。

岸田首相が期待した、内閣発足直後の、いわゆる「ご祝儀相場」に近づけようとした選挙期日の前倒しも、必ずしも効果を上げていない。むしろ、長期政権崩壊後の短命政権の連鎖という、ここ20年間の日本政治史の過去の教訓から見れば、安倍政権(長命)・菅政権(短命)・岸田政権(短命?)・?政権(短命?)という流れのほうが、自然な流れのように見えているのを、私は否定しない。

その一つの理由として、岸田首相の安倍政権「禅譲・依存」体質は、菅政権の派閥「相乗り」体質と、本質的に同根だと思うからである。つまり、他力本願・岸田不支持の流れは、安倍・菅・岸田という「長・短・短」というせせらぎの音に乗って、上流から流れ込んでいることを有権者は、知っているということなのだろう。

付記:十月歌舞伎座の演目と主な配役は、以下の通りである。そろそろ、歌舞伎座に出向きますか?

第一部:「三代猿之助四十八撰の内 天竺徳兵衛新噺 小平次外伝」(南北原作狂言を猿翁演出により新作歌舞伎にした。当代猿之助を軸に松也、巳之助、米吉らが出演)。「俄獅子」(松也、笑也、新悟)。
第二部:「時平の七笑」(白鸚、歌六ほか)。「太刀盗人」(松緑、彦三郎ほか)。
第三部:「松竹梅湯島掛額」(菊五郎、魁春ほか)。通称、「お土砂」。歌舞伎では珍しい喜劇。菊五郎の孫(寺嶋しのぶの息子)、寺嶋眞秀が丁稚役で出演。「喜撰」(芝翫、孝太郎ほか)。「六歌仙容彩」から生まれた所作事(舞踊劇)。喜撰法師を芝翫が演じる。先代の三津五郎の舞台が懐かしい。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

(2021.10.20)
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