■ワールドカップを知らない日本のスポーツジャーナリズム

                         三ツ谷 洋子
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 7月9日に幕を閉じたサッカー・ワールドカップドイツ大会で、日本代表の
応援をしてきました。「それにしても日本と外国は、小学生と大学生くらいの実
力差がありましたよね。素人の私でもわかりました」。帰国の挨拶をすると、サ
ッカーに詳しくないと自称している人たちから、必ずといっていいほど、こんな
感想が聞かれます。

 逆にサッカーに詳しい人の間からは、「監督ジーコのチーム作りが間違ってい
た」「彼を抜擢した日本サッカー協会の川淵会長の責任だ」など、不満が渦巻い
ています。

 私の正直な感想は、サッカーに詳しくない人と同様です。ご指摘どおりの実力。
日本はまだまだサッカー後進国なのです。Jリーグがスタートしてわずか13年。
世界のトップと互角に戦えるほどのレベルには達していないのが現状です。それ
でも大会前のマスコミの異常な盛り上がりでファンの期待を煽った分、グループ
リーグ最下位という結果は必要以上の大きな落胆を呼び込んでしまったようです。

 サッカーというスポーツは、時として実力のあるチームが負けることがありま
す。弱いチームがとつぜん強くなったわけではなく、運がよかっただけなのです
が、そんな番狂わせが起こるのがサッカーです。しかし、運がよければ、という
前提で勝利を期待するのは占い師がすることで、サッカーを専門的立場から報道
するマスコミがすべき予想ではありません。

 マスコミの業界用語に「自社モノ」という言葉があります。自社が主催や後援
をするイベントの番組や記事では、ジャーナリズムが持つべき批判的視点を封じ
て自画自賛し、盛り上げることが原則です。読売新聞とプロ野球の読売巨人軍、
朝日新聞と全国高校野球選手権の関係を思い浮かべれば、お分かりいただけるか
と思います。

 今回のワールドカップでは、試合を放映するテレビ局がまさに番組を「自社モ
ノ」として扱い、日本代表に過大な期待を寄せて盛り上げました。新聞も負けて
はいません。前回の日韓大会で、日本の快進撃が販売部数に直結した経験から、
とにかく日本がベスト16、あわよくばベスト8にでも残ってくれれば、という
希望的観測に立った記事が紙面を埋め、冷静なジャーナリズムの視点はほとんど
見られませんでした。

 ドイツのプロサッカーリーグ(ブンデスリーガ)は、Jリーグがお手本とした
リーグ組織です。また全国に8万7000 以上のスポーツクラブを抱え、国民の4
人に1人が会員となってるドイツのスポーツ環境は、Jリーグが掲げる「百年構
想」の到達点です。

 そんなドイツでのワールドカップは、私がこれまで観戦してきた米国大会(1
994年)、フランス大会(1998年)、日韓大会(2002年)のどれと比
較しても、はるかに楽しい大会でした。チケットを入手できなかった国内外サポ
ーターのために、各地に「ファンフェスタ」と称する特設会場が設けられ、巨大
画面を使って試合を放映するパブリックビューイングが行なわれていました。

 街の中のカフェやバーでもテレビで試合を流し、夜中までワイワイとお祭気分
で様々な国からのサポーターが入り混じっての観戦風景が見られました。チケッ
トを持っているサポーターはスタジアムに向かう地下鉄のホームで、電車の中で、
応援歌を歌って何時間も前から気勢をあげて会場に乗り込んでいました。試合が
終われば勝っても負けても、また楽しく騒ぐお祭り。それがドイツのワールドカ
ップでした。

 サポーター同士が衝突して100人単位で逮捕されたという「事件」があって
も、それほど大騒ぎをしないことに驚きました。フーリガンの小競り合いに巻き
込まれることを心配して、スタジアム周辺の飲食店が営業をやめたのは日本のワ
ールドカップでした。サッカーの楽しみ方が分からない国民だったことを、ドイ
ツで改めて知りました。

 ドイツの代表チームは、大会前の下馬評ではそれほど期待されていなかったの
ですが、予想外の活躍でドイツ人自身も大いにサッカー観戦を満喫していました。
「運営も雰囲気も過去最高の大会だった」というFIFA(国際サッカー連盟)
の高い評価は、私自身の実感でもありました。

 サッカーの楽しみ方は試合の勝敗を追うだけではありません。日本代表の成長
を楽しみにしながら、今後も日本のスポーツジャーナリズムがワールドカップを
どう伝えていくかを注目していくつもりです。
 (筆者は(株)スポーツ21エンタープライズ代表取締役・Jリーグ理事)

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