【視点】

徴用工問題、日韓の雪解けなるか

——甘い「歴史認識」に将来はない
羽原 清雅

 日韓間の焦点のひとつ、旧徴用工の問題が打開の方向に進み、岸田文雄首相、尹錫悦大統領の16日の会談で決まった。両国関係が久々に雪解けに向かい、大きな朗報だ。
 これを機会に、停滞する慰安婦、佐渡金山の世界文化遺産登録や、さらには懸案の竹島問題などの打開に向けた協議に進めばなによりだ。台湾の緊張、北朝鮮の攻勢などに影響を及ぼす可能性もあろう。
 建前として両国が言う「民主主義の価値をともにする」基調が本物なら、期待の余地はある。また、植民地支配、侵略など許され難い事態も多かったが、今は少子高齢化、教育や就職などの社会的格差、将来への不安など共通の課題も多く、食べ物や音楽、映画、アニメなど共有できる文化の風土もある。在日の人たちとの共存は改善されつつあり、民族的な理解と交流も根を下ろそうとしている。
 大きくとらえれば、両首脳の会談は「いざ出発!」の起点であり、重要な約束のスタートである。ただ、これは期待であり、進むべき方向だが、残念ながら現実はそれほど甘くない。

 *韓国側の課題 現に、尹大統領決断の、韓国側の財団による旧徴用工への賠償は韓国側の寄付で賄い、日本政府や財界は「1965年の日韓請求権協定は完全かつ最終的に解決済みで、韓国内の問題」としたままだ。確かに「経済協力金」として無償3億ドル・有償2億ドルを出資し、その資金が当時の韓国経済の成長に役立った。だが、この協力金についても企業中心に使われ、韓国民にまで十分届かなかったとして、不満や反日感情を残す。
最近の、この徴用工問題の処理についての韓国の世論調査では、6割前後の反発があり、支持論は少数、と言われる。慰安婦問題の打開のための基金の扱いが、韓国側の不調から途中で挫折したように、こうした交渉成立後の不幸が相互の不信を招き、その後の関係を一層こじらせた経験もある。
 尹政権はこれらの反省をもって、国内対応の整備と説得・納得を取り付けることが課題になる。この問題の「解決策」を示した尹大統領の決断は立派だが、政界の与党勢力が少ないことなど、今後は彼の手腕が問われよう。失敗すれば、両国の関係は再び閉ざされることにもなりかねず、杞憂であってほしい。

 *日本側の責任感覚 一方、日本側もさらに大きな問題を抱える。それは、条約や協定が結ばれたのだから、すべて決着した、という姿勢である。確かに外交上、国家関係上は正しいかもしれない。だが、国は国民の税金で成り立ち、国民の納得のもとに対外関係を維持する立場にある。
 「カネを払ったから、いいだろう」と開き直れるのか。日本が植民地化し、皇民化政策のもとに創氏改名、朝鮮語教育の禁止など民族の誇りを奪い、日本の引き起こした戦乱の都合で労働力の連行を進め、財閥系企業が伸長した、という歴史は、どうなるのか。
韓国の人々の怒りはそこにある。日本人の心に、いまも戦争の犠牲、被害への思いが消えないように、ましてそれ以上の苦難、屈辱、悲哀、怨念を長期にわたって押し付けられてきた相手国・民族の怒りや怨念はいかばかりか。
 物事をあまり長期的に考えない傾向のある日本だが、政府や経済界などの指導者たちは、相手民族の心を甘く見すぎていないか。一本の条約で、すべての国民の心を納得させられるとでも考えているのか。韓国側財団への寄付の代わりに、経団連は韓国留学生ら青少年の交流事業などを検討する、という。それはそれでいいが、個々の政治家、企業は戦前の歴史を振り返り、なにをすべきか、をもっと深く、広く、長く考え直すべきだろう。

 *日韓の不幸な歴史 日韓両国の歴史を見ておきたい。
 豊臣秀吉の朝鮮征伐まではさかのぼらない。明治維新後、西郷隆盛らの「征韓論」は岩倉具視ら欧米使節団の帰国により一時中止(1873年)、だが翌年の台湾出兵を経て、朝鮮近海に軍艦を派遣し武力紛争を起こす江華島事件(75年)が朝鮮攻略の第1歩だった。この10年近く前から、米仏、次いで英露の各国が統治能力の弱い朝鮮半島に目を付けており、日本もこの動きに乗り遅れまいとの判断があった。その後、日清、日露両戦争が絡みながら、朝鮮支配が進められる。
 植民地以前の予備段階は、江華島事件から日韓併合(1910年)までの35年間、植民地化から第2次世界大戦終結・解放(45年)までが同じ35年間。この70年間、朝鮮半島は日本の軍事力と圧政のもとに苦しんできたことになる。もちろん、朝鮮統監府を率いた伊藤博文暗殺、3・1独立運動などの抵抗運動が続いたが、日本の軍事支配を覆すことはできなかった。

 *戦争と動員 関東大震災時(23年)には、朝鮮人蜂起といった誤報による多数の殺害事件(司法省調査で233人、吉野作造は2711人、朝鮮学生慰問団は6415人などで確定不能)はあったが、朝鮮人の来日は次第に加速、満州事変(31年)のころから急増して満州、樺太への配備も進めた。日中戦争(37年)が始まると、日本兵の動員で労働力不足が強まり、代わりに朝鮮人が「産業戦士」として、募集・官の斡旋・徴用(労働者の意思を無視した「供出」と言われた)の3種の形態で動員が強められた。
 40年の閣議決定の「労務動員実施計画綱領」によると、内地の炭鉱6万800、鉱山1万4500、土木建設1万500、工場3千、計8万8800人の動員計画、とある。

 *「解決済み」と言えるか この歴史的現実の前に、政府や財界企業は今、一片の協定だけで「解決済み」という。動員された労働者の酷使はひどく、死者も相当数にのぼり、存命できた人たちの訴訟には「カネ」以上の、企業側の反省を問う気持ちがある。日本側が、この史実に思いを致さないところに怒り・憤りがあるし、さらには慰安婦の問題にしても言葉だけの域を出ず、「反省」「お詫び」の心のなさが事態の解決を妨げている。

 *歴史改ざんを望むか 安倍談話 村山富市首相は戦後50年を迎えた95年の終戦記念日の談話で、小渕恵三首相は98年の日韓共同宣言で、ともに「植民地支配と侵略によって、多大の損害と苦痛を与えた」ことを認め、「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した。
自民党内には、これに反発する動きが続く。それを象徴するのが、2015年の戦後70年の際の安倍晋三首相の談話だ。「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んだ」としながらも「(19世紀の)植民地支配の波は、――その危機感が、日本にとって、近代化の原動力になった」とする。「我が国は、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」と、その事実は述べているが、自身の気持ちの表明はない。また「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命背負わせてはなりません」として、あれだけの侵略戦争がもたらした相手国への責任を忘れようとする。戦争の過去と、長く続く相手国民の苦痛と怨念、そして日本人の加害や犠牲への思いを語り継がず、むしろ消し去ろうとする。

 *謝罪の心を持て まさに、政治による歴史の改ざんである。甘い「歴史認識」に将来はない。徴用工問題、慰安婦問題をはじめ、こうした姿勢では隣国との関係は改善されまい。外交は「北風」でなく「太陽」の姿勢であるべきだ。
課題は「賠償」ではあっても、日韓関係改善の本筋は心からの「謝罪」である。
          
(この原稿は「山陰中央新報」紙2023年3月20、21両日に掲載されたものの再録です。)

                     (元朝日新聞政治部長)

(2023.3.20)
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