【アフリカ大湖地域の雑草たち】

武力をつかって平和を追求する

大賀 敏子

 本稿は、コンゴ動乱をテーマにした先行の8稿(『アフリカ大湖地域の雑草たち(17)-(19)、(21)-(25)』(それぞれオルタ広場2022年5-7月号、9-11月号、2023年1-2月号掲載(末尾のリンク参照))の続きである。

I 安保理は忙しい

2020年代の安保理
 2020年、アフガニスタン情勢が注目を集めていたとき、とある途上国出身の筆者の友人は、ニューヨークの国連職員で安保理事務局で働いていた。午前1時、2時にたびたびたたき起こされた。その後別のオフィスに移り、「おかげでウクライナ(関連の議案を担当すること)を免れた、やれやれ」と、人なつっこい目で語っていた。
 緊急対応を余儀なくされる仕事は多々あるが、国連事務局も部署によっては、その一つだ。

1960年代の安保理
 1960年代初頭、コンゴ動乱のころの忙しさはどれほどだっただろう。
 記録を見ると、安保理、または(安保理が合意できないとき)国連総会は、ほぼ通年にわたってコンゴ情勢をとりあげ、しばしば徹夜の会合を開いた。アルジェリア、キューバ、新たに独立した国々の加盟など、ほかにも重要な議案が山積する中でだ。

 コンゴでの国連活動に対し、1961年の安保理は二度も「やむを得ぬ場合には、武力行使も可」と指示する決議をあげたが、この裏には、交渉努力にもかかわらず、合意に至らず捨てられた決議案も多数あった。国連事務総長(タグ・ハマーショルド、スウェーデン人)が現職・コンゴ出張中に飛行機事故で亡くなったのも、この1961年のことだ。

II 国連の軍事活動

国連軍・多国籍軍・平和維持活動
 コンゴで、1960年7月から4年間活動した国連ミッションは、英語はUN Operation in the Congo、フランス語はOpération des Nations Unies au Congoで、フランス語の頭文字から通称ONUCである。「国連軍(United Nations Force)」と呼ばれるが、性格は「多国籍軍」だ。また、その内容は、軍事的支援(military assistance)のみならず、技術的支援(technical assistance)も兼ね備えた、活動の集合体と言ったほうがよい。
 安保理の指示を受け、様々な国から兵士と技術者を募り、国連旗の下に束ねるこのような活動は、いまでは「平和維持活動(Peacekeeping Operation (PKO))」という呼称ですっかり知られている。しかし、1960年代初頭、いまほど確立した共通理解があったわけではない。

コンゴ以前のPKO
 国連史上PKOの始まりは、1948年の国連休戦監視機構(UNTSO、イスラエルと近隣諸国との休戦協定の監視)と1949年国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)だ。監視員は非武装で、軽武装の兵員に伴われた数百人のチームだった。続く1956年、スエズ危機に対応した第一次国連緊急軍(UNEF I)が初の武装ミッションだ(1956年11月-1967年6月、軍事要員は10ヶ国から6073人(ピーク時)*、本部はガザ)。
 これに対しONUCは、当時としては空前の規模(軍事要員は30ヶ国から19828人(ピーク時)**、本部はレオポードビル(いまのキンシャサ))で、1960年7月から1964年6月までの4年間続いた。
 なお、1950年の朝鮮戦争は、PKOには分類されないが、安保理は、アメリカ軍が国連旗を掲げるのを認めた(1950年7月7日決議84(1950))。ソ連が拒否権を発動しなかったのは、欠席だったためである。

 * UNEF Iに兵力を出した10ヶ国は、Brazil, Canada, Colombia, Denmark, Finland, India, Indonesia, Norway, Sweden and Yugoslavia
 ** ONUCに兵力を出した30ヶ国は、Argentina, Austria, Brazil, Burma, Canada, Ceylon, Denmark, Ethiopia, Ghana, Guinea, India, Indonesia, Iran, Ireland, Italy, Liberia, Malaya, Federation of Mali, Morocco, Netherlands, Nigeria, Norway, Pakistan, Philippines, Sierra Leone, Sudan, Sweden, Tunisia, United Arab Republic and Yugoslavia

使い勝手が悪い
 ハマーショルド事務総長はONUC創設にあたり、安保理に対し、その活動はいかにあるべきか(活動の原則)について所信を述べ(1960年7月13-14日第873会合、7月20-21日第887会合など)た。それは次のようにまとめられる。

 〇 活動エリア(area of operation)―コンゴ全土。すなわち、分離独立の動きのある州での外国介入を排除し、コンゴ領土を保全するためだ。
 〇 構成員(composition)―当時独立していたアフリカ諸国を主力とし(その他の地域からの参加も可)、直接利害を持つ国(とくにベルギー)と5常任理事国からは出さないこと。
 〇 権限の制限(Limitations of the powers of the United Nations Force)―国内政治問題には関与しないこと(すなわち「impartiality」***)、自衛以外には武力を使わないこと、つまり、自ら先んじて武力を使って(initiation)はならないこと。あくまで目指すのは法と秩序の回復である。
 PKOという呼称も、いまほど共通理解となった原則もなかったが、先立つ10年以上の経験はあったので、それに基づいたものだ。しかし、やがてこれらの原則は、コンゴの現状では期待するほど政策効果があがらない、つまり「使い勝手が良くない」ことがわかってきた。

 *** 「impartiality」は、日本語訳は「中立性」のほか、「不偏性」「公平性」が使われる。

走りながら考えねば
 たとえば、コンゴ全土を活動エリアにかぎると、近隣国(ブラザビル・コンゴ、ルワンダ・ブルンディ、北ローデシアなど)の動きには、対応できなかった。
 5常任理事国の兵士が構成員となることを表向きには除外しても、後方支援(輸送機の提供など)まではコントロールできなかった。また、誰でもいつでもONUCをバイパスすることはできた。なかでも問題となったのは、正規軍の兵士より民間人の傭兵だった。
 武力不行使の原則は、平和のための使者としては当然ではあるが、そもそも「国連軍は強い」という期待があったためだ。諸外国の軍隊が、それぞれの最新鋭の武器とそれぞれの訓練された兵士を送るのだから、負けるはずがないと。ところが、事実は必ずしも期待どおりではなかった。カタンガ州はその典型だ。
 こうして、安保理も事務局も、すでにコンゴにミッションを出してしまってから活動原則を再検討する、つまり、走りながら考えることを余儀なくされた。

III PKOと国連憲章

原則づくりに半世紀以上かかった
 いまのPKOには、「自衛およびマンデート防衛以外における武力の不行使」、つまり、武力は使わない、ただし自衛とマンデート防衛のときは例外、という、明示的ですっかり定着した原則がある(2008年原則)****。しかし、この共通理解ができるまでには、実に半世紀以上がかかった。
 というのも、国連憲章がPKOについてはっきり規定していないためもあるだろう。

 **** 現行のPKO原則は次の三つに定められている(2008 United Nations Peacekeeping Operations Principles and Guidelines)。 [#f209d672]
(a)紛争当事者の合意:主な紛争当事者による、活動に対する政治レベルでの合意
(b)不偏性(impartiality):紛争当事者に対するマンデートの偏りなき適用
(c)自衛およびマンデート防衛以外における武力の不行使

国連憲章の根拠
 憲章にPKOに関して明示的規定はないものの、第6章「紛争の平和的」と第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略⾏為に関する⾏動」が関連する(末尾に関連条文)。
 第6章はその名から分かるように、武力紛争は、まずは「交渉、審査、仲介、調停」など話し合いで解決しようという趣旨だ。
 一方、第7章で定める「行動」の内容は、武力行使を伴わない措置(第41条)と、それでは不十分な場合の、空軍、海軍または陸軍の行動(第42条)に分けられる。前者は「経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の⼿段の全部⼜は⼀部の中断並びに外交関係の断絶」など、後者は「国際連合加盟国の空軍、海軍⼜は陸軍による⽰威、封鎖その他の⾏動」とある。
 1960年9月初頭、ONUCは、混乱を最小限にする目的でコンゴの主要空港とラジオ局を一時閉鎖したが、これは第41条にあるとおりだ。
 国連憲章では、もう戦争は止めようという趣旨が繰り返し謳われている。前文の「われらの⼀⽣のうちに⼆度まで⾔語に絶する悲哀を⼈類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」は有名だ。しかし、だからと言って、憲章全体を通じて、武力はもういっさい認めない、と言っているわけではけっしてない。

もう戦いはやめようと言いつつも
 ここで少しだけ「平和維持」「平和執行・平和強制」「強力な平和維持」といった用語の整理を試みよう。
 安保理の承認のもとに、加盟国が軍事行動をとる(平和執行・平和強制(peace enforcement))場合がある。憲章第7章(上述)に基づき、かつ、第2条第4項にある限定の範囲(武⼒による威嚇⼜は武⼒の⾏使を慎まなければならないという趣旨)だ。これは平和維持活動(PKO)には分類されない(例は、1991年対イラク攻撃)。
 一方、安保理の指示で、主たる当事者の同意のもとで、事務総長が戦術的な武力行使(強力な平和維持(Robust Peacekeeping))を指揮する場合があるが、これはPKOである。
 さらに2013年安保理決議(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)についての決議2098 (2013), 28 March 2013)は「介入旅団(Intervention Brigade)」について定め、PKOに平和強制任務を与えた。平和強制はPKOではないと先述したが、では、2013年決議は例外なのか、それともPKOに新しい性格を持たせるのか、関心を呼んだ。
 このような説明は、残念ながら、まったくわかりやすくはない(少なくとも筆者には)。PKOの活動原則というテーマは、国連のあり方そのものをさぐるテーマと言ってもよく、その複雑さと深さを理解するのはとても難しい。武力を前提にしながら平和を追求するという、この現実に対応するための苦肉の工夫が、いまもなお続いていると言うべきか。

IV 世界の最高ばかりを結集した

われもわれも
 1961年当時の安保理メンバーは11ヶ国で、5常任理事国(中国(中華民国)、フランス、ソ連、イギリス、アメリカ)のほか、セイロン、チリ、エクアドル、リベリア、トルコ、アラブ連合だった。ただし、理事国でなくても、安保理が認めれば、投票権無しで参加し発言できる(国連憲章第31条)。コンゴ議案は多くの国の関心を呼び、たとえば、1961年2月1日の安保理928会合では、直接の当事者であるコンゴとベルギーのほかに9ヶ国が参加した(マリ、インド、ユーゴスラビア、インドネシア、ギニア、ガーナ、モロッコ、ポーランド、リビア)。
 このとき、常任理事国であるフランス代表が、これらの国々の参加に反対するわけではないと断りながらも、多くの参加は議論を複雑にするので「健康な習慣とは思えぬ」と苦言を呈したという記録がある。フランス独自の意見というよりは、5常任理事国を代表しての発言だったのかもしれない。

時代が今とは違う
 にもかかわらず、コンゴ議案の安保理に参加したいという国は減るどころかさらに増え、この同じ月(2月20日942会合)には、さらに12ヶ国が特別参加した(スーダン、ナイジェリア、マダガスカル、カメルーン、コンゴ(ブラザビル)、セネガル、ガボン、中央アフリカ、オートボルタ、イラク、チェコスロバキア、パキスタン)。
 加盟国数がぐんぐん増えていたとき(1958年末、1960年末、1961年末時点で、それぞれ82、99、104ヶ国)、国連という仕組みに対する期待がいま以上に高かったのであろう。なお、日本は1956年12月に加盟したところだ。

同じ役者を使いまわす
 ONUCを指揮したのは、ハマーショルド事務総長(在任期間は1953年4月10日-1961年9月18日)のほか、事務総長特別代表のRalph J. Bunche(アメリカ人、在任1960年7-8月)、Andrew W. Cordier(アメリカ人、同1960年8- 9月)、Rajeshwar Dayal(インド人、同1960年9月-1961年5月)らである。コンゴ以前の記録を見ると、朝鮮半島、スエズ、レバノンと異なる場所で、これらの名が繰り返し出てくる。バンチは、中東和平調停への貢献で、1950年ノーベル平和賞を受賞したことで知られるし、ハマーショルドは、事務総長就任以前(1951年から)スウェーデンの国連代表として活躍した(下記写真参照)。

 つまり、ONUCチームには、アフリカ情勢の専門家ではないかもしれないが、国連の多国籍軍と国際紛争の調停に精通した者が起用された。これは「同じ役者を使いまわす」「仲間うちでやっている」「構成員が西側に偏りすぎ」といった批判にもつながった。
 ただ一つ確かなことがある。ONUCは、当時の最高レベルのリーダーたちの指揮で、文字どおり世界中の国々が参加し、これを、世界の熱い期待が集まっていた国連の旗で束ねたことだ。当時の超一流ばかりを結集させた、人類の大きな大きなチャレンジだったと言える。
 さて、そうならば、はたして期待どおりの成果を上げたのだろうか(つづく)。

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(左:ハマーショルド事務総長、1959年4月22日、キューバのカストロ首相と。
中:ラルフ・バンチ元国連職員・ノーベル平和賞受賞者、1950年9月1日
右:ラルフ・バンチ国連事務次長、1962年9月22日、レオポードビルのONUC本部前で いずれもUN Photo)

ライター・ナイロビ在住

主な参考文献

2008 United Nations Peacekeeping Operations Principles and Guidelines
2008年「国連 平和維持活動 原則と指針」
Department of Political and Security Council Affairs, Repertoire of the Practice of the Security Council: Supplement 1959-1963, ST/PSCA/1/Add.3
国連広報センター
Global Governance Institute, “History of UN Peacekeeping Factsheet” Rebecca Usden & Hubertus Juergenliemk
山下光「MONUSCO 介入旅団と現代の平和維持活動」防衛研究所紀要第 18 巻第 1 号(2015 年 11 月)
Hikaru Yamashita, “‘Impartial’ Use of Force in United Nations Peacekeeping,” International Peacekeeping 15, No.5, November 2008, pp. 615-630

参考:国連憲章抜粋

国連憲章抜粋(1945年6月26日サンフランシスコで調印、同年10月24日発効)
第1章 ⽬的及び原則
第2条 この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる⽬的を達成するに当っては、次の原則に従って⾏動しなければならない。
 3. すべての加盟国は、その国際紛争を平和的⼿段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
 4. すべての加盟国は、その国際関係において、武⼒による威嚇⼜は武⼒の⾏使を、いかなる国の領⼟保全⼜は政治的独⽴に対するものも、また、国際連合の⽬的と両⽴しない他のいかなる⽅法によるものも慎まなければならない。

第5章 安全保障理事会
第31条 安全保障理事会の理事国でない国際連合加盟国は、安全保障理事会に付託された問題について、理事会がこの加盟国の利害に特に影響があると認めるときはいつでも、この問題の討議に投票権なしで参加することができる。
第6章 紛争の平和的解決
第33条 1. いかなる紛争でも継続が国際の平和及び安全の維持を危うくする虞のあるものについては、その当事者は、まず第⼀に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的 解決、地域的機関⼜は地域的取極の利⽤その他当事者が選ぶ平和的⼿段による解決を求めなければならない。
2. 安全保障理事会は、必要と認めるときは、当事者に対して、その紛争を前記の⼿段によって解決するように要請する。
第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略⾏為に関する⾏動
第39条 安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊⼜は侵略⾏為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し⼜は回復するために、勧告をし、⼜は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。
第40条 事態の悪化を防ぐため、第39条の規定により勧告をし、⼜は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要⼜は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権⼜は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当時者がこの暫定措置に従わなかったときは、そのことに妥当な考慮を払わなければならない。
第41条 安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵⼒の使⽤を伴わないいかなる措置を使⽤すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適⽤するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の⼿段の全部⼜は⼀部の中断並びに外交関係の断絶 を含むことができる。
第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、⼜は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持⼜は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の⾏動をとることができる。この⾏動は、国際連合加盟国の空軍、海軍⼜は陸軍による⽰威、封鎖その他の⾏動を含むことができる。

先稿のリンク
・アフリカ大湖地域の雑草たち(17)「1960年の国連安保理」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(18)「ベルギー統治時代のコンゴ」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(19)「国連職員のクライアント」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(21)「相手の実力」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(22)「お兄さんと弟」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(23)「生涯感謝している」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(24)「国連のきれいごと」
・アフリカ大湖地域の雑草たち(25)「武力をつかって平和を追求する の編集」

(2023.4.20)
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