【視点】

宗教困窮者を見捨て、「票」目当ての「広告塔」でいいのか

——国会議員らの旧統一教会問題をめぐって
羽原 清雅

 自民党は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と接点のある国会議員の「点検」結果を発表した(9月8日)。衆参379人のうち47%にあたる179人が関わっていた。戦後政治を通じて、こうしたいかがわしい宗教絡みの事態はかつてない異常さだと言えよう。
 だが、この事態に対する自民党内の認識は極めて甘く、どこまで改革されるだろうか。今後に尾を引く点も多く、むしろこれまでの表に出た実態が、深く裏側に隠れて生き続ける可能性が高い。「今後、関係を断つ」という茂木敏充幹事長の弁は、この場しのぎに過ぎず、状況的には信じがたい。
 今後の課題は、霊感商法、強制的勧誘などはもちろんとして、
 ①各地方自治体での教団活動やイベントへの後援などの要請は拒否、都道府県議や市町村議、知事ら首長への浸透は遮断、といった地方組織への影響を監視、抑制する。 
 ②同教団の関連団体や組織名称、全国的展開のイベント名などを開示し、とくに行政機関に周知して、後援、共催などの関わりをなくし、信者勧誘の機会や信頼の付与を断つ。 
 ③同教団や勝共連合などに密接し、信者の供給源になる「全国大学連合原理研究会(CARPカープ)」の活動をチェックする——などである。

 政党としてのなすべき改革は多々あろうが、それが期待できない以上、問われるのは個々の「政治家自身」の倫理性だろう。何のために政治に関わろうとするのか。国民の生活を守ろうというのか。議員職の名誉栄達を示したいのか。金銭欲か——各人の「志」「良心」に問うしかあるまい。政党の影に隠れ、おのれをごまかし、社会を欺き、それでも民主的であるべき政治に関わるのか。その判断はまずは本人、という原点に返るしかない。

 顧れば、こうした責任は選ばれる側だけにあるわけではない。
 自分の選挙区から送り出した議員についての責任は、選挙区から送り出した有権者の「一票」にある。多くの信者群に多大な不幸をもたらし、それが政治の方向を乱す現実の責任は、天に唾するように有権者の身に振りかかってくる。選挙区民はとかく騙される側になりがちだが、政治家や候補者の「質」を見極めることはかなり難しい。だが、政党が責任をもって「公認」していない現状では、その悪や邪、あるいは舌先三寸のウソを見抜くのは有権者にかかってくる。信頼を裏切られたら、せめて政治家らのマイナス部分を見つけ、問題があれば疑惑を持ち、二度と投票しないというペナルティを課すことしかあるまい。
 そうした「政治」側の不誠実、虚偽疑惑の隠ぺいなどは、それ以外の事情もあるが、有権者の半数近く、あるいは7、8割が国政や地方自治体などから政治離れして、「棄権」に向かわせる傾向になっている。本来、おのれのための政治、である。棄権、は政治家の「質」をさらに劣化させることになる。「疑惑」を持ちつつも、投票だけはしていきたい。

 政治、政治家を「信頼」の眼で見ず、「疑惑」のまなざしで見ざるを得ない。政党、そして政治家自身が、そうした事態を招く時代に代わりつつあるのだろうか。民主主義の形骸化を加速させる旧統一教会の姿だが、政党に期待が持てない以上、有権者の「一票」を結集させて、改革への闘いに挑むしかあるまい。

*なぜ政党、政治家の責任を問うのか
 自民党の今度の「点検」はザルである。
 1>「点検」結果自体がおぼろげで、具体的な事実が示されず、言いわけ的にとどまる。
 2>離党中とはいえ多くの疑惑を持たれながら記者会見も一切しない三権の長である衆院議長細田博之、旧統一教会主導の日韓トンネル絡みの疑惑のかかる党副総裁麻生太郎をはじめ、話題になりながら陰に隠れたままの議員もまだ少なくあるまい。
 3>率直に関係を公表した一部議員のいる一方、すでにメディアに公表されながら党の「点検」に応えていない「隠し得」の議員も目立つ。すでに「点検」の申告漏れを暴かれた議員が出ている。
 4>問題のある教団という「認識」がなかった、とかわす議員が9割近く、というが、秘書らを含めたチェック不足や、韓国やネパールでの教団関係の会合に行きながら「忘れた」「資料がない」などと言い逃れるなど、通用しない逃げ口上が多い。
 5>氏名公表の議員121人のほか、未公表の議員が58人。その区分基準の甘さに逃げ込んだ者など、教団や関連団体などとの関係の濃淡が問題ながら、不明瞭のままだ。

 同教団の信者自身はともあれ、その家族や親族はじめ周辺は、生活の困窮、心身の不安定、家庭の崩壊、人生の進路障害などに苦しみ、追い詰められる事例が多く伝えられる。しかも、その状態は1960年代後半から続くままだ。半世紀を越えて続く課題ながら、「政治」の関わりはなく、改善されないままになっている。
 この問題は、珍しい病気、あるいは様々な障がいなど「少数者」にはとかく陽が当たりにくく、放置されがちな政治課題に通じるものがある。
 たしかに、宗教・信教の自由との関わりなどの難しさはあるが、しかし一般的に受け入れがたい論理の、特殊な教義のもとに「金儲け」を主眼とするような「宗教」の名のもとの活動は、宗教として許容されるのだろうか。心の安らぎを奪い、苦境に追い込む教団。そして反社会的と認める判例も示されながら、名称を変え、名目を言い換えながら長期間加害的な行動をとる集団。解散に追い込むことは別としても、放置されるままでいいのか。
 信者は確かに存在するし、強固な信仰心を持つこと自体は許容されようが、その信者周辺に与える生活苦、将来への道を阻むかの所業は黙許、放置するしかないのか。個人の問題が、社会に及ぼす危害にブレーキはかけらないものなのか。

 今度の事態の政党の取り組みは、まずそうした視点を欠いている。「生命、財産を守る」と公言する政治、政治家たちの動きは鈍い。そればかりではない。
 1>「政治」が、その異常とも言える教団と手を組んでいる。布教、つまり信者獲得に類する活動の際に挨拶し、参加し、祝電を送って同調・共感・礼賛を示す。教団にとっては願ってもない効用だ。その見返りに、選挙での支援を受け「票」をもらう。
 2>それは、対外的に教団への存在感、信頼をもたらし、信者には自信や誇りを与え、教団の狙う「集金」効果を高める。ひいては、社会的に認知され、自治体などの公的行事などに参加できるようになり、さらに信者増殖の機会や集金効果を生み出す。この政治家らの「広告塔」の結果、信者周辺の被害者はさらに拡大されることになる。
 3>「政治」を動かしうる政治家が、まして権力を長期に握り続ける与党勢力が、癒着的、邪教的とは言わないまでも、問題を抱える教団の「票」という甘いエサに食いつくことは許されない。権力を握る側ほど冷静に、反対勢力の発言に耳を傾け、自制する気持ちがなければ、社会は順調には動いていかない。
 その前提でいえば、「政治」を動かしうる政党や、個々の政治家は、選挙での「得票」にのみ関心を持ち、おのれの当選のみに走って、献身的かつコスト不要の支援部隊に飛びついてはならない。教団の言動を知り、その正邪を見極め、自戒がなければなるまい。政治家は当選以前に、政治家としての「社会倫理」をわきまえなければなるまい。
 筆者<羽原>は長らく佐藤政権時の官房長官、幹事長を務めた保利茂なる政治家を10数年見続けるなかで、紆余曲折の政界を泳いだ政治家の反省を聞くとともに、正邪、打算を見極め、「世論」の厳しさに耳を傾け、眼を見開いていたことを印象的に思い出す。

 4>政治家は本来、近寄るものの安全と危険を動物的に見抜く力を持つ。その才覚あって、初めて議員業が務まる。利害関係、背後関係には慎重で、相手を知ろうとする気配は尋常でないほどに気を使う。自民党を長く担当し、経験的に見てきた多くの政治家、とくに保守系の政治家にはその傾向が強くあった。通常の社会人以上に神経を使う風であった。その見抜いたうえに、信頼関係が生まれていたとも感じる。秘書任せのようにふるまう政治家もいたが、秘書たる者に政治家自身のシビアな判断を代行し、必要な時には議員に仰ぐ選別力もあった。従って、見境いなく祝電を打つなどのことはなかったし、会う相手や出席の会合などは自ら確認し、新聞記者に「何者か」と聴くことさえあった。

 5>初めて付き合う宗教団体なら、さらに慎重だ。どのような宗教か、大まかな宗旨や教義、活動の様子など調べたうえで付き合う。仮に「勝共連合」の姿勢は合致していても、韓国優先の教義、植民地時代への反日感情をテコとするプロパガンダ、共同結婚式のおかしさなどを調べてみれば、手を組むことはなかっただろう。岸信介氏の最初のつまずきが「反共」での一致だった。そして、後年の「選挙に使える」との自民党内の目先の打算につながっていったに違いない。
 政治家が挨拶し、会合に出、祝電を打つにせよ、相手の氏素性を知らずして、発言や文面を考えることはあり得ない。これは、ごく一般の常識である。「結婚式」での挨拶を考えればわかるはずだ。ウソを平然と言い訳に使う。政治家の「質」の低劣さである。

 結論的に言えば、「数」で勝ちえた長期政権に酔いしれ、政党政治の原点を忘れ、権力のおごりに溺れ、ついには目先の打算で「政治」は動かせる、との幼稚な政治家が群れなしてしまったのだ。野党も相変わらず、弱い。権力にすり寄るが、攻勢をかける知恵もない。自力で有権者を取り込もうとの迫力も、また政権への蓄積努力もない。なによりも正義感がない。自民党の集団の列が教団に向かう、そのあとに野党議員が並ぶ。それでいいものか。
 哀れな日本、の現状である。そうした舞台に、旧統一教会の跳梁がある。

*36年前の勝共連合と国会議員
 旧統一教会は1954年に韓国で設立、5年後には日本で布教を開始、64年に宗教法人として認められた。68年に統一教会関連でも中軸となる勝共連合が結成され、岸信介元首相、右翼の笹川良一(ともにA級戦犯容疑者)に接近して、自民党との関わりを深めていった。
 以来、持ちつ持たれつの関わりが長く続くことになるのだが、少しさかのぼって、今回表面化した状況を裏付けるデータを示しておこう。

 36年前、つまり1986年7月に行われた衆参ダブル選挙の際、旧統一教会の主要な関連団体であるプロパガンダ紙「世界日報」は、この選挙に合わせて「スパイ防止法を推進する議員を当選させよう」という趣旨の大会を各地で開いた。この選挙で、争点の一つになったのは「スパイ防止法(国家秘密法)」の可否だった。この選挙は中曽根康弘首相のもと、自民党の圧勝に終わったが、この立法が「特定秘密保護法」として実るのは、2013年の第1次安倍晋三内閣の時だった。
 これは、1957年祖父の岸信介首相が訪米した際に、米側から秘密保持のための立法を求められ、長年の課題にもなった。1985年には安倍晋太郎外相時に国会に提出され、実らなかったが、選挙前から「スパイ防止法制定促進国民会議」(議長・宇野精一東大名誉教授)が発足、勝共連合はこれにタイアップして「3000万署名」運動や、地方議会での決議推進運動を起こすなど、資金面をはじめ派手な活動を展開していた。いわばこの法制化は、岸、安倍親子と3代、半世紀余にわたる悲願だった。

 両選挙開票の翌日、「世界日報」は「勝共推進議員一三〇人の当選を祝す」という1ページ全面の広告を出し、当選議員のリストを掲載した。衆参13人の実名は記されていないが、衆院110、参院7の計117人を表示。内訳は自民党107、民社党10だった。衆院自民党の当選は300議席だったので、3分の1以上が「勝共推進議員」だったことになる。

 つまり、自民党と旧統一教会・勝共連合の関係はすでに36年前に公然化していたことになる。争点が「スパイ防止法」という政治的課題だったことで勝共連合が前面に出てきたのだろう。このリストには、当時の中曽根首相、安倍外相、竹下登蔵相、宮澤喜一党総務会長をはじめ、政府、ニューリーダーなど党の要職者の名は出ていない。政治的配慮、だろうか。

 今も「勝共」の現役議員本人は4人いる。麻生太郎、船田元は昨今の旧統一教会関連が取りざたされる。額賀福志郎、衛藤征士郎の関わりの有無は不明だ。
 旧統一教会関連団体との関係を言われる議員が10人いた。いわば、教団関連の世襲だ。
  ・高鳥修一(新潟6区)  ←高鳥 修 
  ・若林健太(長野1区)  ←若林正俊
  ・橋本 岳(岡山4区)  ←橋本龍太郎
  ・中川郁子(北海道11区)←中川昭一
  ・奥野信亮(比例・近畿) ←奥野誠亮
  ・大野泰正(参・岐阜)  ←大野 明  
  ・加藤勝信(岡山5区)  ←加藤武徳
  ・保岡宏武(比・九州)  ←保岡弘治
  ・石原宏高(東京3区)  ←石原慎太郎
  ・鳩山二郎(福岡6区)  ←鳩山邦夫

 今のところ疑惑を持たれていない世襲組も見ておこう。
 越智隆雄(東京6区←通雄)、武部新(北海道12区←勤)、柿沢未途(東京15区←弘治)、江藤拓(宮崎2区←隆美)、小泉進次郎(神奈川11区←純一郎)、亀岡偉民(福島1区←高夫)、高村正大(山口1区←正彦)、平沼正二郎(岡山3区←赳夫)、自見英子(参・比例←庄三郎)、羽田次郎(立憲、参・長野←孜=当時自民)、根本匠(福島2区←粟山明)
 彼らの実名の公表がないだけで、この教団に関わりがない、とは言いきれない。2代、3代の温床が培われているのかもしれない。 

*見えない関連団体 
 旧統一教会はいま、「世界平和統一家庭連合」という。2015年まではブレーキのかかっていた名称変更が、この教団に近い下村博文文科相(安倍派)の時期に認められ、その経緯は明らかにされないままに今日に至っている。官僚の忖度であったか、文科相の癒着的指示であったか、は明らかにされていない。
 そうした問題とは別に、この教団には幹部をそれぞれに配置して独立体に見えるような関連団体が数多く群がっている。都道府県や市町村などの自治体が、この関連団体のイベント類を後援するなど、信用保証を与え、何も知らない人たちを数多く巻き込むケースがあちこちに見かけられた。自民党内の汚染が判明した安倍元首相の死後、イベント類の後援などを中止した自治体も少なくない。地方では、それほどに浸透しているのだ。
 江戸川区は140ほどの関連団体があるといい、一部に500という数字も言われている。弁護士連絡会は、70以上、とする。

 自治体が迷うのも当然である。だが、本来は迷ってはいけない。
 そこで、この関連団体なる組織を明らかにしておかなければ、この教団の延命にもなりかねない。朝日新聞が紹介したのは、「同じビジョンを共有している」同教団の認めた「友好団体」は大手のわずか24団体だけだが、その限りではない。
 ・国際勝共連合 
 ・世界日報
 ・世界平和女性連合
 ・世界平和連合 
 ・天宙平和連合
 ・平和大使協議会
 ・HJ天宙天寶修錬苑
 ・統一思想研究院
 ・国際平和学術協会
 ・科学の統一に関する国際会議
 ・ユニバーサル・ピース・フェデレーション
 ・世界平和青年学生連合
 ・国際平和言論人協会
 ・世界言論人協会
 ・鮮文大学
 ・世界平和宗教人連合/平和と開発のための宗教者協議会
 ・世界平和教授アカデミー
 ・一般財団法人孝情教育文化財団
 ・統一神学校
 ・平和ボランティア隊
 ・ワールド・カープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会
 ・真の家庭運動推進協議会
 ・株式会社光言社
 ・一般財団法人国際ハイウエイ財団

 実態としては、これらの団体が都道府県単位に組織を擁し、中央の指示に従って活動している、ということのようだ。関連性を持ちつつ、正体を見せにくくして、各方面に食い込みやすくする、と見ていいだろう。
 したがって、地方自治体は「天宙」「世界」「国際」「平和」「家庭」「教育」「統一」など、概して当たり障りのない用語を使った組織に要注意、ということだろうか。

*したたかな旧統一教会
 この教団と関連団体は、これを機に姿勢を改め、本来あるべき宗教組織に改革するだろうか。状況から判断すれば、ノーと言わざるを得ない。
 例えば、安倍元首相の非業の死で霊感商法などが問題化した直後、教団などは一斉に、各地に置かれている消費者生活センターにアプローチし、自分たちでも対応したいといって、持ち込まれた相談について情報をもらおうとしている。つまり、組織内で説得工作にあたるなど、内々に手を打とうとの意図がうかがわれる。
 また、安倍元首相の事件以降、教団などの幹部が記者会見を避けず、これに応じることで改革するかの姿勢を見せている。だが、2009年の有罪判決以降、霊感商法などはやめた、相談もない、という。しかし、実態は変わっていないことが弁護士たちから示されている。  
 つまり、記者会見を活用しての鎮静策であり、見せかけだけの反省で取り繕うふうである。60年以上の活動での場馴れ、を感じさせる。ちなみに、霊感商法問題に関わる弁護士連絡会によると、1987-2021年間の相談件数は2万8236件、被害額は1181億円だという。
 また今後、自民党は議員の対応に任せるので、選挙支援などのメリットを隠蔽して裏取引の余地を残し、また教団自体も実態を見せない支援態勢を取りうる可能性が十分にある。
 有罪判決がいくつも示されながら、改まらない現状を甘く見るべきではない。信者周辺や元信者らの苦渋の日々から、そして半世紀以上の悪質な取り組みから、今後のありようを考えていかなければならない。

*行政は期待できるか
 この問題が浮上して、政府は①法務省中心の「関係省庁連絡会議」 ②消費者庁の「霊感商法対策有識者検討会」を設置、動き出した。この責任者を務める葉梨康弘法相、河野太郎消費者相はともに関連疑惑が持たれるなど、どこまでやるか不安がある。信教の自由論争に持ち込まれ、中途半端な結論に終わる可能性もある。自民党与党議員の半数が関わる問題なので、秘かなプレッシャーがかかる懸念もある。
 民間の有識者の選び方によって、結論は甘くもなる。教団問題には法的な難しさもあり、またこの種の問題に関与してこなかった有識者がどれだけ信者周辺の痛みを実感するか、ということもある。
 長年関わってきた全国霊感商法対策弁護士連絡会(全日弁連)の実態報告がどれだけ生かされるか。霊感商法の禁止、自己暗示的高額献金、生活困窮の救済、児童らに及ぶ間接的虐待、宗教二世問題など、課題は多く、広い。

*自民党と旧統一教会・勝共連合との共通性
 さらに、同教団の主張する選択的男女別姓の阻止、ジェンダー思考の拡散防止、伝統的家族関係の維持、LGBT対応などについて、自民党内に3割を占めるといわれる右系議員の認識と共通することが多く、それらに関わる政策、法案作りなどにもたらされる影響に注意が必要だろう。
 選択的男女別姓制度は、法相の諮問機関が導入を答申し、法務省が民法の改正案を作成したが、自民党内の強い反対で提出されない。97年6月29日付「世界日報」日曜版には、党青年局長安倍晋三が「別姓は世界の潮流と逆行している」「推進派の核心の方々は、家名そのもの、家族の絆そのものをバラバラにすることを狙っている」として反対している。この立場は、教団の主張と共通し、党内、特に安倍派内の右系の議員らに強く支持されているところだ。主要政党の中で、この制度導入に同調しないのは自民党のみであり、教団の意向を受けているようにも見えている。
 伝統的な「家族」制度の維持存続に志向する「家庭教育支援法」の制定でも、教団と自民党右系とに共通性がある。だが、教団の活動が既に、家族の崩壊を招いているにも拘らず、である。
 教団の姿勢は「勝共」を名乗る通り、まさに右寄りである。自民党内に潜在的な共通基盤があり、行を共にし、影響を受けやすい傾向は否めない。
 自民党の改憲4項目のうち、「自衛隊の明記」「緊急事態事項」の安全保障関係の2項目ではまったく一致する。安倍内閣推進の安保関連法案が論議を呼ぶなか、大量のビラを配布し、支援活動を展開したのが教団関連の「勝共連合」だった。「改憲」推進の活動でも、自民党の別動隊同様のてこ入れを続けている。   
 「敵基地攻撃能力保有」の自民党内論議や、岸田内閣の前向きな能力保有への検討をも積極的な同調ぶりを見せる。
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 以上の問題に関連して、安倍氏の「国葬」の問題に若干触れておきたい。
 岸田首相の思い立った政治状況は、自派閥の力の弱さを大派閥の「安倍派」に接近しててこ入れをもくろんだことに始まる。その思いはわかる。
 ただ、浅慮としか言いようのない点は、「国葬」とする以上、「国」を代表する立法・行政・司法の三権の長に説明し協力を得る必要があった。さらに国権の最高機関としての国会を尊重して、与野党の政党に了解を求めるべきだった。そこに民主主義、立憲主義の無視、ひいては国民軽視の事態を招いた。野党の反対を想定して、避けるのではなく、正面から説明をしたうえで得意の「強行」の道もあった。少なくとも、このような民主主義のルールの無視はまずかった。
 もう一点、国葬の法的根拠がないことだ。岸田首相は内閣府設置法と閣議によって「国葬儀」の正当性を説いた。閣議は上記の三権の長の了解のあとでも必要だろうが、内閣府設置法がその法的論拠としたのは極めて浅知恵だ。この法律は、国葬的なことが決まれば、その事務を担うのは総理府だ、と受け取れる。戦後初の「国葬」の吉田茂の場合(1967年)も、法的根拠がなく、法制局の慎重論に沿って手続きを踏んだ。「国葬」ではない、「国葬儀」だという言い訳では済まされまい。
 また岸田首相は、国葬の対象者は「政府が総合的に判断」「そのときの国際情勢や国内情勢で(対象者の)評価が変わる」から関連法制定を不要とした。一見、もっともらしいが、国際、国内情勢次第で国葬の対象を政府が決めるとなると、場合によってはとんでもない人物さえ決められかねない。
 簡単に言えば、安倍氏の最長在任、外交や経済の貢献、非業の死などを評価の理由としたが、しかし一方では経済面の不調、北方問題の勇み足、国会での大量の虚偽発言、モリカケサクラなどの不祥事もあった。そこに、国葬に値するか、との論議がある。

 つまりは、社会が複雑化し、多様な価値観の存在する現代は、国民のものの見方が単一に、あるいは大多数のまとまる評価などはあり得ず、いかなる政府でも、客観的な「国葬」などありえない時代である。まして「国際情勢、国内情勢による」判断など、政府に任せることなどできようもない。つまるところ、「国葬」なる行事は戦後の一例をもって完了すべきなのだ。死者に対して、状況を揺り動かす理由は何もなくなったのだ。

                      (元朝日新聞政治部長)

(2022.9.20)
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