【コラム】神社の源流を訪ねて(50)

対馬の神と記紀の神(上)

栗原 猛

◆対馬神話、記紀神話から独自色を守る
 対馬の観光物産協会でもらい受けた同協会編纂の神社ガイドブックは、対馬の神社をコンパクトにまとめていてなかなか便利だ。その中で、神社について「特に明治期に日本各地の伝承が、古事記、日本書紀の伝承によって『上書き』され、その多様性を失ってしまったのではないだろうかと強く感じる」と指摘しているが、なかなかの見識だと思われた。
 記紀をバッグに入れて神社を回っていて、私も同じようことを感じた。参拝者にもほとんど会わない郊外の森の中にある神社の由緒書きに、中央の有名な祭神を遷座したなどとあったりすると、神社の味わいといえば、創立以来の神々が祭られてきた長い歴史を知るところにあるのにと思ったりした。                

 記紀神話を編纂したメンバーの中には、漢字を駆使する渡来人も参加していたといわれるから、半島の事跡なども反映されていると思われるが、記紀に書いてあることの半分ぐらいは百済と関係ではないかという専門家もいる。
 明治政府は神仏の分離を国家的な事業として展開する一方、地域の独自の信仰などは迷信として排除し、ご神体とされてきた原始林などの伐採も行った。神社の統廃合も進め、記紀神話の歴史観を広めようとしたといわれる。
 対馬では山頂にも石の祠があり、ここでも神事が行われていたが、時代が下るにつれて山腹や麓の集落に移っていく。海岸にある神社は航海の拠点として、海神が祭られた。無人島などにも祠を祭ってある。元寇などからの安全祈願だった。ただしこういうところは人里離れたところにあったので、統廃合からは免れたようだ。
 ただし対馬の神話や伝承に独自色が残されとされる。古事記は冒頭で原初17柱の神々の誕生を描いている。最初に出てくるのはアメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビで、このうちタカミムスビはアマテラスに天孫降臨を指示したり、神武の東征を助けたりする特別の神になっている。最後の神イザナギ、イザナミが生んだ淡路島、四国、沖ノ島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州は「大八島」と呼ばれる。これが、当時の人々の国土意識とされ、北海道と沖縄、本州でも東北地方は視野に入っていない。
 これに対して対馬の神話や伝承をみると、厳原町豆酘にタカミムスビが、上方町佐護にはカミムスビが鎮座している。5世紀に、ここから磐余(奈良県桜井市・橿原市)に遷座している。対馬では国土創造の神は、アメノサデヨリヒメ(天之狭手依比売)という女神で、上県町の国本神社、上対馬町の大國魂神社などの主祭神でもある。
 対馬の神が磐余の地に鎮座したということは、大和政権の古神道の源流に重要な位置を占めているということであろう。豆酘と佐護は神社と切り離せない亀卜が朝鮮半島から伝わり、その先進地でもあった。延喜式の式内社は九州全体で98社あるがこのうち対馬29社、壱岐が24社も占めていることからも、古神道における対馬の重要性がうかがえる。
 以上

*編集事務局注 文中で紹介されている「対馬神社ガイドブック ~神話の源流への旅~」はこちらからダウンロードできます。
https://www.kacchell-tsushima.net/kanbutsu/tourism/pamph/tsushima_shrine_guidebook.pdf

(2023.1.20)
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