【紀行】

“Everything is (im)possible in Iran.”

塩井 狸狗


 イランと聞いて何を最初に思い浮かべるだろう。産油国であること、サウジアラビアとの軋轢、政教一致のイスラーム主義を掲げる革命政権や国教であるシーア派など、報道で目にして思い浮かべられることは多い。難解なイラン映画や悠久のペルシャ帝国に想いを馳せる人もいるだろう。ルーミーやハイヤームの詩を愛読した人もいれば、イラン人の明るい性格に魅了された人も多いはずだ。しかし大国としてのイラン、そしてその多民族・多文化・多宗教・多言語的な風土と歴史を思い浮かべる人はほとんどいない。一民族・一文化・一言語を是とする日本のような「模範的な国民国家」とは対照をなす、多極的なこの国のあり様を感じ取ることは難しい。

 イランは大国だ。現領土は日本の4倍強、人口は8,000万。中東屈指の人口と領土を誇る。ペルシャ系の他、トルコ系のアゼリ人やカシュガイ人、クルド人やアルメニア人、ユダヤ人やアラブ人などの多民族を擁する。歴史的版図は中央アジアから北インドにまで及び、19世紀を通じて英露間で繰り広げられたグレイトゲームの舞台にもなった。今でも旧イラン圏(元々はイラン文化圏に属しながらも現在はイラン国境外にある地域)に目を向ければ、大国イランの名残をはっきりと見出すことができる。
 17世紀末の仏商人シャルダンは今でも顕著なこの様子を評して「諸大国の間にありながら土地を放置しておける」ことにこそ「イランの真の偉大さ」があると記している。黒海からカスピ海、紅海、ペルシャ湾、ウラル海まで、ユーフラテス、チグリス、オクサス、インダスの大河に囲まれた壮大な地域を、直接統治せず放置しておけるほどにイランの風土と文化は広く深く浸透していた。

 しかしその本来の深遠なあり様とは対照的に、我々の思い描くイランのイメージはかなり浅薄だ。イランに関する報道が増えている今でも、報道に写し出されるイメージには中東や外交、アメリカやイスラエル、サウジアラビア、国際関係や原理主義、テロや核といったキーワードが必ず纏わり付く。オバマ外交を核合意で締めくくった国として、トランプ外交の不吉な未来を予兆する国として、ISIS制圧後のアサド政権とイラクを支える国として、デモに揺れる政情不安定で弾圧的な国として、様々なイメージが錯綜し、イランが単体で論じられることはほとんどない。並列された安易な言葉に絡み取られた形でしか知り得ないイランのイメージはその本来のあり様とはかけ離れている。うわべだけの断片的なストーリーが満ち溢れている。

 今、領域国民国家の時代、中東のように数千年にわたって多民族を擁し多文化・多宗教・多言語を謳った地域も、欧米のように民族意識に起因する領土と国民の意志に裏付けられた主権を主張してのみ国家を維持している。国内で同胞意識を鼓舞し異者と自己とを差異化するという統治構造の基本に例外はない。そうしなければ主権が危ぶまれ領土を確定できないからだ。自然と、差異化によって生じる緊張関係を管理し、治安維持と国民育成のためにプロパガンダが国家経営の常套手段になる。

 それはつまり翻せば、暴力が突発的に、しかし構造的に起こりかねない矛盾を抱えるような、微妙なバランスの上でしか国民国家は維持されえないということを示している。実際、国民国家の成立期にどれだけの人々が土地を追われ血が流れたか、その例は現代史に多く見出すことができる。中東と同じようにかつては多民族・多文化・多宗教・多言語の地域だった中欧も、2度の大戦を経て複数の一民族・一文化・一言語の国民国家の群れに成り果て、分裂し、その過程で多くの悲劇を生んだ。冷戦終結とEU加盟を経た今も尚、多くの中欧諸国が現国家成立の結果として生じた、過去と現代の間のねじれを克服できていない。

 イラン・イスラーム共和国も例外ではない。むしろねじれの中にこそ存在を強いられている。多民族・多文化・多宗教・多言語的な性格を残しつつも尚、国民国家として、そして大国として存続しなければならないディレンマを抱えている。今や「土地と人々を放置」できないイランは「領土と国民を管理」する国民国家のサガとして緊張を避けることができない。自己保全のために近隣諸国に対抗して自己差異化と自己主張を繰り返しながらも、領内に多くの異民族と異文化、異言語と異宗教を内包しなければならない。国家存続のために多くの自己矛盾を余儀なくされる。異民族を追放してできた中欧諸国やその存在を無視し続けてきた日本では許容された自己矛盾の隠蔽もイランでは許されない。多極的な性格があまりにも露骨に表れているからだ 。

 国民国家という統治構造が持つ矛盾と緊張を示す端的な例としてのみイランを捉えることには幾ばくの抵抗もある。しかしその理解があって初めてこの国のあり様を感じ取れると私は考えている。この国が自身のディレンマに向き合う手段を模索する過程を注視できなければ、恣意的なキーワードに絡み取られたうわべだけの理解を脱することはできないだろう。
 地域を知るためにはまず、その地域とそこに住む人々が何に悩み苦しんでいるのか、どのような自己矛盾を強いられているのかを感じ取らなければならない。イランの場合、苦悩と矛盾の多くが軽視されがちな多極性に起因している。外交問題は無論、イラン映画に現れる民族や宗教、男女関係に抵触する暗喩や、中世スンナ派の詩人が今もなおシーア派の国イランで読まれ続けている訳を理解するためには、国民国家イランが直面するねじれを解きほぐす必要がある。イランに関する問いに答える糸口はキーワードの羅列にではなく、その多極的な地域のあり様を理解する試みの中でしか見つけられない、と私は思う。

 「近代=国民国家」という構図の時代がいま終わりつつある。20世紀初頭までの非西欧諸国にとって、国民国家として新しい自画像を形成することは近代化のために絶対不可欠な作法だった。トルコやイラン、中国や日本、中欧・バルカン諸国、いずれも多極的な歴史と文化を擁したそれまでの自画像を拒絶し、個々が信じる単極的な国家像を自己の理想の未来に見据え、崇めた。
 しかし今、国民国家に重ねた理想の自画像も、それによって体現された夢と理想も脆弱化し、自己破綻しつつある。安易な言葉に絡みとられることなくこの問題の本質を捉えるためには、過去と現代の間に生じたねじれを自覚し、そのあり様を想像しなければならない。想像の手立てはあらゆる場面に見出すことができる。日本でも見つかるはずだ。この国がまだ「模範的な国民国家」になる前、複数の民族と文化を擁した過去を思い出すことさえできれば、イランが直面する苦難を感じ取るために必要な最低限の視座を得ることも不可能ではない。

 イランを鏡としその未来を案ずることは、我々日本人が「模範的な国民国家」として戦後いままで無視してきた現実を見直し、反省する上での手助けになる。同時に我々自身の過去への視線を糧とできればイランを、そして中東から世界の行方を案じることもできるはずだ。そうして遠い中東と世界とを、我々の住む極東日本と同じ問題意識をもって結びつけることさえできれば、そんな視座を得られれば、ポスト国民国家の未来を見据えられるのではないか。一つの終わりゆく時代を見送ることができるのではないか。何れにしてもその可否は我々の想像力にかかっている。

 (中欧地域研究者・ナショナリズム論・プロパガンダ論)

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