【オルタ広場の視点】

2020年 年金制度改正に向けてのメモランダム
~2004年改正が制度崩壊の序曲

山口 希望

 1961年に始まったわが国の国民皆年金制度は、世代と世代の助け合いを基本とする世代間扶養の制度であり、老後生活の所得保障の中心を担うものであると説明されてきた。公的年金の原資は、国民から集めた保険料と国庫負担、積立金からなり、本来はそれを老後に分配するだけのシンプルな制度である。ところが後述する様々な制度改正などにより、複雑でわかりにくい制度となっている。

 分配の仕方も変遷している。制度が未成熟の時期、すなわち平準保険料率(給付に見合った保険料率)に到達する以前にさまざまな給付水準を改善したことが後代の負担額増大の要因となっていた。これは保険料を払っていない世代に給付を行ったことに加え、各政党とも給付水準の向上には同意してきたからである。しかし、バブル崩壊後の低成長期になると、「給付は厚く、負担は軽くというわけにはいきません」と言い放った小泉首相以来、負担の増大と給付の削減が繰り返され、制度への信頼が揺らいでいる。

 本稿では、年金制度に大きな変更を加えた2004年の制度改正を振り返りつつ、年金問題の論点を考えたい。

◆◆ 政局を動かしてきた年金問題

 年金問題はしばしば政局を動かしてきた。
 2004年の制度改正時には、政治家の年金未納問題で与野党問わず政治の未納が多数発覚し、福田康夫官房長官が辞任するなど、一大政局となった。
 2007年の「消えた年金」問題は、2009年の民主党政権誕生の大きな原動力となった。誰のものかわからない5,000万件以上の年金記録が残っていたことが発覚し、記録の突合によって1兆6,000億円以上の一時金が支払われることになった。当時の安倍首相(第一次政権)は、「私の内閣の責任において必ず早期に解決をし、最後の一人までチェックして正しい年金をきちんとお支払いをします」と述べていたが、本年(2019年)2月の衆議院予算委員会では「残念ながら最後の一人まで支払うことは難しくなった」と述べた。質問者はミスター年金の異名をとった立憲民主党の長妻昭であった。「消えた年金問題」は遂に解決しなかったのである。

◆◆ 今年も持ち上がった年金問題

 2020年は年金制度改正の年にあたるが、その前年である今年(2019年)も様々な年金をめぐる問題が現れた。
 上述の「消えた年金」の支払い断念に続いて、6月3日に金融庁市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」によって「老後資金2,000万円」問題が持ち上がる。報告書は、公的年金以外に老後生活は約2,000万円が必要になるとの試算を打ち出していた。報告書の狙いは、老後に資産運用を行わなければ30年で2,000万円の資産を取崩すことになるとして、つみたてNISAやiDeCo等への資産運用を促すものであった。だが、年金だけでは老後が成り立たないとの印象が強く、野党や多くの有識者からの批判を呼んだ。

 公的年金・恩給を受給している高齢者世帯の中で、公的年金・恩給の総所得に占める割合が100パーセントの世帯は54.2%を占め、80%から100%未満の階層を加えると66.2%にも上る(平成30年高齢者白書)ことや、統計不正による実質所得の伸びの不透明化(実際には低下か)、終身雇用制度の崩壊による非正規雇用の増大など、老後への不安が高まる中での報告はショッキングに受け取られた。
 年金制度改正とは直接関係のない金融庁の報告書がこれほどの批判を浴びたのは、年金だけでの老後生活は成り立たないことを政府が公認したとみられたことによる。安倍政権は火消しに走らざるを得なかったのである。
 またたく間に広がった批判の大合唱の中、麻生太郎金融相はわずか一週間後の6月11日「正式な報告書として受け取らない」と表明し、金融庁は報告書の事実上の撤回に追い込まれた。

◆◆ 5年に一度の財政検証

 こうした中、8月27日に公表された年金財政検証の結果が公表された。
 国民年金法第4条の3では、「政府は、少なくとも五年ごとに、保険料及び国庫負担の額並びにこの法律による給付に要する費用の額その他の国民年金事業の財政に係る収支についてその現況及び財政均衡期間における見通し(以下「財政の現況及び見通し」という。)を作成しなければならない」とされている(厚生年金保険法では第2条の4)。その結果、次の財政検証までの間に現役世代の50%を下回ると見込まれる場合、政府は給付及び費用負担の在り方について検討を行い、所要の措置を講ずるものとすることとされている(国民年金法等の一部を改正する法律(平成16年法律第104号)附則第2条)。
 坂口力厚労大臣(当時)が「100年安心にしていくという案を作った」と述べ、「100年安心プラン」といわれた制度改正である。だが、現下の情勢では、人口減・高齢化や経済の低成長、非正規雇用の増大等によって、5年ごとの財政検証は暗い様相を帯びざるを得ない。

 この財政検証が導入されたのは、2004年の年金法改正においてである。それまでは、5年ごとに給付水準を固定した上で、保険料の段階的な引上げ計画を再計算する「財政再計算」が行われ、また、この財政再計算の実施に併せて、公的年金の財政バランスを取るために、負担水準と給付水準どちらも見直すような制度改正が実施されてきた。
 5年ごとに負担と給付が明示されてきたそれ以前と比較すれば、2004年改正は年金の将来像をわかりにくく、不透明なものにしたのである。
 この改正が小泉純一郎首相のもとで行われたことは特記しておかなければならない。冒頭の発言は首相就任後初の所信表明演説においてなされた。やや長いがさらにくわしく引用してみよう。

 ――社会保障制度は、国民の「安心」と生活の「安定」を支えるものであります。今世紀、我が国は、いまだ経験したことのない少子高齢社会を迎えます。これからは、「給付は厚く、負担は軽く」というわけにはいきません。社会保障の三本柱である、年金、医療、介護については、「自助と自律」の精神を基本とし、世代間の給付と負担の均衡を図り、お互いが支え合う、将来にわたり持続可能な、安心できる制度を再構築する決意です。私は、国民に対して道筋を明快に語りかけ、理解と協力を得ながら、改革を進める考えです。また、広く地域住民やNPO等のボランティアの参加を呼びかけ、介護や子育て等を皆で支え合う「共助」の社会を築いてまいります――(第151回国会における小泉総理大臣所信表明演説、2001年5月7日)。

 上記発言には「公助」という言葉がないのである。かつて、これほどあからさまに社会保障制度に対する公的責任の撤退を行った首相はいない。「自民党をぶっ壊す」との発言で何故か人気を博した小泉首相だが、わが国の社会保障制度は確実に破壊したのである。

◆◆ 2004年改正の特徴

 これに先立つ2000年改正では、小渕恵三政権の思惑から「景気対策」として保険料引き上げが凍結されていた。その上、「現下の厳しい財政事情」では年金に回す金がないとして、基礎年金に対する国庫負担増は見送られ、2000年改正は給付減に主眼が置かれたものとなった。
 こうしたことから小泉政権における2004年改正では負担増とさらなる給付減が企図されたのである。以下、改正の要点を三点挙げておく。

 第一に、上限を固定した上で保険料の引き上げが行われたことである。厚生年金加入者の保険料は当時年収の13.58%の保険料だったが、これを毎年0.354%ずつ引き上げ、最終的な保険料水準を18.3%を上限とする保険料水準固定方式を採用したのである。この18.3%という数字は、20%を主張した厚労省とこれに反発した財務省、経産省、経済界などの妥協の産物であり、意味のある数字ではない。この保険料率引上げは2017年度まで続き、現在は固定されている。

 問題は、この改正で短時間労働者に対する厚生年金の適用拡大が見送られたことである。非正規雇用の推進でコスト削減を図っているスーパー業界や外食産業からの反対によるものであった。ただし、厚労省が「低年金者が発生する」として導入に消極的だったことも事実である。
 このため、保険料引上げは企業の非正規雇用の増大に直結した。当時、日本経団連幹部は、「保険料引上げには雇用調整で対応する」と明言しており、その後、大企業が非正規雇用の拡大によって保険料負担の軽減を図ったことは否めない事実である。

 2012年改正で「政府は、短時間労働者に対する厚生年金保険及び健康保険の適用範囲について、平成三十一年九月三十日までに検討を加え、その結果に基づき、必要な措置を講ずる」こととされていたが、2016年から一部適用拡大されたものの今回の財政検証でようやく提案されるに至った。実に15年遅れである。
 保険料固定方式が導入されても、将来における年金受給額は「現役世代の所得の50.2%パーセントが維持される」と説明されていた。しかし、当時の所得代替率は59%であったため、自民党安倍晋三幹事長らは給付水準が一割近く下がることになるという指摘に対して、「名目額は維持するから、受給額が下がる人はいない」などと述べていた。このロジックは現在の安倍首相答弁にも通じるものである。

 第二に、基礎年金国庫負担割合の2分の1への引上げが2009年度以降に行われることになったことである。国庫負担増が2000年改正で見送られたことによって、年金財政は悪化していた。そもそも1995年の第132回臨時国会の、国民年金法等の一部を改正する法律の附則修正において、基礎年金の国庫負担の割合には1999年に行われる次期年金再計算期を目途に「国庫負担の割合を引き上げることについて検討を加える」ことが明記され、附帯決議において、「所要財源の確保を図りつつ、2分の1を目途に引き上げることを検討すること」が盛り込まれていたのである。10年遅れの改正であった。

 第三は、悪名高きマクロ経済スライドの導入である。それまで年金給付額は賃金と物価にスライドして上昇する仕組みだったが、マクロ経済スライドでは、公的年金加入者の減少率と平均余命の延びを勘案した調整率によって、年金額が自動的に改定されることになった。すなわち年金の給付水準を現役世代の保険料で賄える範囲に調整(抑制)する仕組みであり、賃金や物価の伸びよりも年金給付水準の伸びを抑制し、おおむね100年後に十分な積立金(給付費1年分)を保有して年金財政が均衡すると見込まれるようになると終了することとなっている。
 これに加え2017年の「公的年金制度の持続可能性の向上を図るための国民年金法等の一部を改正する法律」によって、キャリーオーバー制度が導入され、さらに複雑な制度となっている。

 だが端的にいって、マクロ経済スライドは、年金給付水準の引下げを長期的にしかも迂遠に行うものであり、たとえ引下げが避けられないとしても、もっとわかりやすい仕組みに改めるべきである。

 以上、2004年改正の背景と問題点を中心に年金制度をめぐる情勢を振り返ったが、現行制度の主要な問題点がこの改正を起点としていることがわかる。次稿においては、民主党政権時を含むその後の制度改正から本年の財政検証にいたる論点を検証したい。

 (国会議員政策担当秘書)

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