&size(15){【マスコミを叱る】(34)}

2016年9〜10月

田中 良太


◆◆ 【解散風を吹かす政治記者たち】

 解散風が吹きまくっている。「政界で」というのが素直だろうが、その「政界」には「政治報道」も含む。永田町の政界(注)で吹きまくっているから、政治報道もそれを伝えている……。政治記者たちはそう主張するに違いない。

(注)私は政治記者経験者で、永田町の政界には、政治記者たちが深く入り込んでいることを知っている。政治家たちとともに政治記者たちも加わり、渾然一体となって、「永田町」を構成しているとみなす方が、正確な認識だと思っている。
 この部分を正確に書くと以下の文章になる。
 「政治家たちが解散風を吹かしているから、政治記者たちが、その有様を報道しているという認識は正確ではない。政治記者たちが積極的に解散風を吹かし、政治家たちは報道に励まされて、風に乗っているだけという認識の方が正確なように思える」
[(注)終わり]

 9月26日、臨時国会が開会し、27日付朝刊の硬派紙面(注)は、国会開会と安倍晋三首相の所信表明演説中心の展開だった。

(注)業界用語に近いが、新聞紙面と取材陣を「硬派」と「軟派」に分ける。
 取材陣の方が分かりやすいが、社会▼学芸▼ラジオテレビ▼生活あるいは生活家庭▼科学あるいは科学医療、などの各部は軟派とされる。政治▼経済▼外信あるいは外報、国際などが硬派である。記事や紙面も、社会▼学芸▼生活などの各面は軟派、総合▼政治▼経済▼国際などの各面と、それぞれの記事が硬派とされる。
[(注)終わり]

◆「年始解散」を喧伝

 その日の硬派ニュースの焦点となるテーマを取り上げ、解説をまじえて報道するのが「時時刻刻」だが、この日の見出しは
<法案絞り短期論戦 年末に日ロ首脳会談、北方領土進展狙う 臨時国会開幕>
 だった。ロシア・プーチン政権からの「甘い言葉」を信じ、経済協力ばかり搾り取られている安倍外交の評価が甘すぎるのは大欠陥だが、この文章では「解散風」を焦点として取り上げる。冒頭の小見出しを
<「年明け解散」臆測も>
 としている。
 関連する記事は、以下の文章だ。

<「安定的な政治基盤の上に、しっかり結果を出していく」。26日、衆院本会議の所信表明演説で、安倍晋三首相は力を込めた。
 臨時国会の会期は11月末までの2カ月余り。政府・与党は成立を期す法案を最小限に絞って臨む。環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と関連法案、消費税率10%への引き上げを2年半先送りする消費増税法改正案、さらに2016年度第2次補正予算案。これ以外は「基本的にすんなり成立する法案ばかり」(首相周辺)という。
 いったん提出を検討した「共謀罪」の要件を変えた「テロ等組織犯罪準備罪」の新設法案も先送りを決めた。政権が安全運転に徹するのはなぜか。「高支持率を維持したまま、年末年始に『衆院解散カード』を切るタイミングを探っている」。首相に近い自民党幹部はそんな見方を示す。>
 「時時刻刻」記事が予測するのは「年始解散」だ。

◆支持率浮揚に全力

<実際、政権は年末年始に向け支持率浮揚を図る政治日程を組んでいる。首相はロシアのプーチン大統領と11月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、12月に首相の地元・山口で相次いで首脳会談を開催し、北方領土問題の進展に道筋をつけたい考えだ。
 「北方領土を前進させて冒頭解散ですね」。閣僚のひとりが最近そう尋ねると、首相は「ふふふ」と笑みを浮かべたという。12月上旬には国内で日中韓首脳会談を主催し、アジア外交のアピールも狙う。
 来春以降は衆院解散が難しくなるとの見方も、年明けの「冒頭解散」の臆測を呼ぶ一因になっている。
 来年は公明党が重視する東京都議選が夏に予定され、同党幹部は「都議選の前後数カ月は衆院選はできない」と主張する。「一票の格差」を是正するための新たな衆院小選挙区の区割りも来年5月までに固まる予定で、首相に近い閣僚は「選挙区を周知する期間が必要で、しばらく解散はしづらくなる」と話す。与党内からはすでに、年明け早々にも通常国会を召集する案が浮上している。
 ただ、衆院を解散しても、再び衆院で憲法改正の国会発議に必要な3分の2勢力を確保できなければ、首相は悲願の憲法改正が実現できない。頼みのロシア外交も、「すぐに成果が上がるか疑問だ」(閣僚のひとり)との見方がある。11月にある米大統領選の行方次第で、外交の基軸である日米同盟が混乱する可能性もある。
 自民党関係者はこう語る。「党内を引き締め、野党を牽制(けんせい)する。いまは『解散風』を吹かせた方が都合がいいということだ」>

 東京都議選は公明党が最重要と位置づける選挙で、熱心な創価学会員多数を都内に「移住」させるのだと噂されている。もちろん住民票を移すだけなのだが、移住後6カ月経過しなければ選挙権は得られない。それが理由となって、国政選挙と都議選は、半年以上の「時差」が必要とされる。

◆麻生太郎首相「失敗」の前例

 衆院解散については、首相だった麻生太郎の失敗の前例がある。麻生内閣の成立は08年9月24日だった。その直後10月10日発売の「文藝春秋」11月号は「内閣総理大臣 麻生太郎」署名入りの文章「強い日本を! 私の国家再建計画」が掲載された。その中で麻生は、首相指名を受けた直後の衆院解散を高らかに宣言した。
 しかしその後、公明党からの異論などに押され、解散断行を決意することができなかった。じっさいに衆院解散を断行したのは翌09年の7月21日。総選挙は8月18日公示、30日投開票となった。公明党が解散に反対した理由は09年7月に都議選が予定され、総選挙と都議選の間隔が短期にすぎるというものだった。しかし都議選は7月12日投票で行われ、総選挙の7週間前という超直近だった。
 衆院議員の任期切れは9月10日だった。解散無しで任期切れ総選挙になったとしても、同じような日どりになったはず。公明党にとって総選挙と都議選の間隔が空いていた方がベターなら、麻生が「宣言」した首相就任直後の解散の方がマシだった。公明党が何故「内閣発足直後解散」に反対したのか? 当時の報道では判然としない。おそらく麻生政権と公明党の意思疎通が上手く行っていなかったのだろう。些細な行き違いが発端で、政権内部がぎくしゃくすることは稀ではない。

 このとき、都議選、総選挙とも与党・自公は惨敗した。都議選(定数127)では民主党が改選前の34議席から54議席に躍進し、自民党に代わって初の都議会第1党になった。自民党は選挙前の48議席を10議席下回り、40年間守り続けた第1党の座を失った。38議席は、議長選汚職をめぐる混乱の中で行われた1965年選挙と同数で、結党以来の最低タイとなった。それまで4回の選挙で公認候補全員を当選させてきた公明党は、前回と同じ23人を公認、全員当選を果たした。しかし自公併せた議席は61で、過半数に達しなかった。
 総選挙でも民主党が過半数を上回る308議席を獲得して政権を獲得した(鳩山由紀夫内閣の成立)。自民党は結党以来初めての第2党となり119議席にとどまった。公明党(21議席)とともに、歴史的な惨敗となった。

◆首相の「宣言」代作した朝日編集委員

 じつは「内閣総理大臣 麻生太郎」の名で「文藝春秋」誌上に掲載された「首相指名直後解散宣言」は、朝日新聞政治記者(当時編集委員)の執筆だった。この「代作」を告発したのは、フリーの政治ジャーナリスト上杉隆。告発されたのは2011年12月から14年1月まで朝日新聞政治部長だった曽我豪である。
 月刊誌「新潮45」2008年12月号に上杉の<「麻生総理と朝日新聞編集委員」のただならぬ関係>という記事が掲載された。この年9月1日、当時の首相・福田康夫が緊急記者会見を行い、退陣を表明した。22日の自民党総裁選で、幹事長だった麻生太郎が他の4候補を破り、第23代総裁に選出された。24日、麻生は国会で首相指名を受け、第92代、59人目の首相に就任、新内閣を発足させた。
 上杉執筆の記事によれば、「文藝春秋」同年11月号(10月10日発売)に掲載された「内閣総理大臣 麻生太郎」署名入りの文章<強い日本を! 私の国家再建計画>は、当時編集委員だった曽我が執筆したものだという。この文章は前述のように首相指名を受けた直後の衆院解散を高らかに宣言したものだったから、国会でも論議のテーマになった。
 「文藝春秋」の校了日は、発売前月(11月号の場合は9月)の最終日。上杉は麻生本人にも「いつ書いたのか」とただしたが、答えは「9月22日から23日にかけて」だったと書いている。22日は総裁選投票の当日。確かに全国遊説など、総裁選勝利のための行動は終わっていた。しかし新総裁決定の場に「不在」であることはできない。新総裁に決定した後は、さっそく党三役人事に入る。首相就任のさいの閣僚人事との関連もある。
 人事の決定権は新総裁の麻生本人にあるが、側近をはじめ、総裁選で「麻生支持」だった有力議員などに「相談した」という形をつくらなければならない。麻生は在京している限り、夜はホテルオークラのバーなどで飲むことを「日課」としている。22、23両日で、400字詰め35枚にものぼる原稿など、書くヒマがなかった。
 現実に麻生が原稿を執筆する姿を見た人もいない。またどこかにこもって原稿を執筆した、という形跡もない。その代わり、曽我が「代作」したと証言する人は多い。

●「赤坂太郎」という確証
 上杉は、意外なところで「確証」が得られたと書いている。それは同じ「文藝春秋」11月号の政治コラム「赤坂太郎」だ。タイトルは<攻防210議席/両党とも勝てず>だった。その中に<麻生は首相になった暁には冒頭解散だと決意しており、悩みどころはいかに民主党の抵抗姿勢を暴き出し解散の名分を成すかだけだった>という文章がある。冒頭解散の後には総選挙となるからこそ、<攻防210議席/両党とも勝てず>という見出しが成立する。
 「文藝春秋」校了日の9月30日まで、麻生本人が「首相指名直後の解散」方針を語ったことはなかった。新聞などのマスコミが、そのような推測記事を掲載したこともなかった……。この赤坂太郎だけが断定的に、「首相指名直後の解散」説をうち出したのだ。
 じつは赤坂太郎の執筆者も曽我だったというのが、上杉の主張だ。曽我はよく「今月の赤坂太郎は良かっただろう」と言い、続けて「じつはオレが書いてるんだ」と自慢していた。麻生と親密であることも、曽我の自慢のタネだった。麻生執筆としていた文章は「代作」だが、赤坂太郎の場合は「ゴーストライター」ということになる。赤坂太郎が、どこか政治部のベテラン記者だというのは「政界常識」でもあった。

●「文藝春秋」総力特集をつくる
 それにしても問題の「文藝春秋」08年11月号は、表紙の題字下に刷り込まれたキャッチフレーズが「総力特集 麻生自民 vs 小沢民主」だった。その「特集」の中には鳩山由紀夫(当時民主党幹事長)のインタビュー<小沢は命を賭して総理になる>などの記事もあるが、メーンは麻生の解散宣言と、赤坂太郎だった。
 新聞社などの政治部記者が雑誌などの記事を書く「アルバイト」は、半ば公認されていると言っていい。しかし政治家の名前で原稿を代作するまでになると、その政治家と「癒着している」という批判を免れない。しかもこの「文藝春秋」08年11月号の場合、朝日の編集委員だった曽我が「総力特集 麻生自民 vs 小沢民主」の企画にまで踏み込んでいた! 単純に原稿を書くだけのアルバイトではなかった。上杉の<「麻生総理と朝日新聞編集委員」のただならぬ関係>は、曽我が政治家・麻生だけでなく、月刊誌「文藝春秋」とも癒着していたという、ダブル癒着を告発した文章だといえる。
 もちろん上杉は、曽我だけでなく、朝日新聞社、文藝春秋(企業名)にも、それぞれ見解を求めた。しかし文藝春秋社から、麻生名義の文章について「そういう(代作の)事実はいっさいございません」という内容の回答があっただけ。曽我と朝日は、何の返事もなかったと書いている。
 タテマエ的には朝日も曽我も「代作」の指摘を無視せざるを得ない。しかし筆者の上杉も、「新潮45」という媒体も、それなりの知名度を持っており、「2チャンネル」に代表される「雑音」ではない。朝日新聞社政治部という小宇宙では、この上杉の文章が大きな話題となっていたはずだ。

 私が1980年5月から89年1月まで在籍した毎日新聞政治部の常識は、アルバイトはやってもいいが、「アルバイトに精を出している」ことがバレると、記者生命は大きなダメージを受ける、ということだ。場合によっては政治部を追い出され、地方に飛ばされかねない。曽我のように、編集委員から政治部長に「昇進」することなどあり得ないことだ。この点を中心に「朝日新聞論」を書きたい意欲はあるが、怠惰であるため、実現への道は遠いだろう。

●解散風を吹かす快感
 テーマの「解散風」に記述をもどそう。曽我の「代作」から考えると、政治記者にとって、解散風を吹かせるのは快感を伴う行為だと言えるのではないか。すでに書いたように政治記者といえども、政治家と同じ永田町の住人である。しかし記者たちの任務は報道・論評である。政治・政策マターについての発言はできない。その点で、同じ永田町の住人でありながら、政治家とは大きな落差がある。
 09年9月の曽我は現職首相だった麻生の代作者として、また「文藝春秋」赤坂太郎のライターとして解散風を吹かした。今年9月の朝日政治部記者は、朝刊「時時刻刻」の記事を書いて解散風を吹かした。媒体が異なるだけで、解散風を吹かせたことは同じだ。ともに「愉快さ」が行間からにじみ出るような記事だった。

●「改憲」は、政権のホンネか?
 解散・総選挙がらみの文章を書いていると、自公連立政権のトップであるはずの首相にとって、公明党に逆らうことが、タブーだと分かる。創価学会という組織力に優れ、選挙区では自民党候補のために電話作戦はもとより戸別訪問もいとわない人々の支援があるからこそ、自民党が多数を獲得できるのだ。
 その意味では、自民党が「改憲」を掲げているのは単なるタテマエで、公明党をおもんばかって、「改憲」に触れないことこそホンネであろう。朝日・毎日やブロック紙など、「護憲派」各紙の社説「改憲がホンネである首相が、選挙前に憲法に関して口を閉ざすのはおかしい」と主張するのは笑止と言うべきだろう。安倍首相にとって最優先のホンネは、公明党の支援を受けて選挙に勝つことである。選挙前に「改憲」を主張するなら、公明党組織の動きが鈍り、大敗につながっていく。

「首相は国政選挙の時こそ『改憲』を語れ」と言わんばかりの社説は、自公政権の現実からひどく乖離している。日本の新聞論調は低レベルに過ぎるというのが私見だが、その理由の一つは「改憲こそ政権のホンネ」いう粗雑な認識にある、と考える。

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(注)
 1.2016年10月15日までの報道・論評を対象にしています。
 2.新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。
   引用文中の数字表記は、原文のまま和数字の場合もあります。
 3.政治家の氏名など敬称略です。
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 (元毎日新聞記者)


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