■ 海外論潮短評(52)                 初岡 昌一郎

~アメリカの世界における地位は不変か ― 栄光は永続しない~

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 先月号で『フォーリン・アフェアーズ』誌のアメリカ特集を紹介したが、時を
同じくして『フォーリン・ポリシー』11月号もアメリカ問題の大特集を組んで
いる。いずれもアメリカの現状を反省し、衰退をもたらした要因に厳しい批判を
加えている。後者の特集は紙面の大半をあてて、ヨーロッパ人をも含む多くの論
者を登場させ、外交、国内政治、教育、経済など多面的な検討を行なっている。

 ここでは、その中から二つの論文を選んで、その骨子を紹介する。(1)は、
特集冒頭に取り上げられている「帝国の傲慢」と題する論説。筆者のイアン・
コールマンはオランダ人評論家で、現在はニューヨーク公立図書館の客員フェ
ローとして滞米中。

(2)では、総括的な位置を占めている、特集巻末に掲載されている表題の論文
を取り上げる。共著者の一人トーマス・フリードマンは『ニューヨーク・タイム
ス』外交問題コラムニストであり、もう一人のクリスチャン・ハーターはジョ
ン・ホプキンス大学院アメリカ外交史担当教授である。いずれも著名な国際問題
専門家として知られている。

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(1) アメリカの衰退 ― 傲慢の代償
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  過剰な権力は個人にとってだけでなく、国家にとっても好ましくない。それ
は、全能の過信という子どもじみた幻想を生む。善意に基づく場合でも、パワー
の乱用につながる。

 アメリカの場合には、「世界史における偉大な国家」という、エクセプショナ
リズムの幻想が建国の起源から育まれてきた。フランスとアメリカだけが革命に
よって生まれた民主主義国である。アメリカもフランスと同じように、共和制が
人類の希望だけでなく、普遍的価値を代表していると主張する。アメリカン・ウ
エイはグローバル・ウエイであり、当然そうあるべきと見る。

 フランス人の言う「文明開化の使命」がアメリカの原動力であった。国家的な
使命は未開の世界を文明化することである。この使命を信ずる人たちは必ずしも
アメリカ政治の主流ではなかったが、9・11事件以後の十年間に目覚しく再興
隆してきた。彼らは必要であれば武力行使を辞さず、自由と民主主義を輸出する
のが義務と信じている。

 これはアメリカ外交政策におけるナポレオン的拡大主義の側面である。ナポレ
オンの衝動はキリスト教の伝統に根ざしていた。フランスとアメリカの民主主義
は非宗教的であるが、宣教的な熱意と普遍性の主張はそれらの国の宗教的な過去
にルーツを持っている。

 過去においてアメリカ万能の幻想を制約していたものが1989年以後は消滅
し、世界を好むままに動かすアメリカン・ドリームを阻止するものがなくなっ
た。このアメリカの傲慢がパラノイア(偏執狂)的な雰囲気と混ざりあって、他
国に対し、そしてアメリカ自体にとっても破滅的な結果をもたらした。宣教的な
熱意を伴った、不必要な戦争によって人命とアメリカの財力が垂流されてきた。

 コストは直接計算できるものだけではない。アメリカ社会の漸進的な軍事化、
増大する軍事予算、軍部に対する政治家の媚び諂いが、開発途上国のお粗末な独
裁に付随する様相すら現出させている。すなわち、ガタガタの橋梁、アナだらけ
の道路、崩壊する学校、そして最新・最上のハードウエアを過剰なばかりに装備
した軍隊である。

 これはアメリカ人にとってだけではなく、同盟国にとっても好い事ではない。
当然の理由から戦争に飽き飽きしているヨーロッパ人と日本人は、スポイルされ
た大人のように、アメリカという大男の父親に安全保障をほぼ依存している。東
アジアにおいては、“パックス・アメリカーナ”が支配している。それは日本の腰
が定まらないからだけではなく、中国が現状維持をよりましとしているからだ。

 ヨーロッパ人がアメリカから乳離れしつつある兆候は出ている。リビアにおけ
る最近の出来事は、フランス主導によるヨーロッパの独立心を示した。アメリカ
は最近の多くの失敗に草臥れ、後部座席に座っていた。しかし、これでさえアメ
リカの後ろ盾がなければ成功しなかった。

 西欧、特にアメリカの衰退はよく語られるが、決して新しいものではない。中
国、そして長期的にはインドが、ロンドンからワシントンが奪ったように、世界
的なパワーを担当するといわれている。おそらくは、そのような時期は到来せ
ず、全ての大国のパワーが終りをむかえるだろう。中国、インド、その他いかな
る国も、アメリカが行なってきたように世界を支配するとは思えない。中国の野
心はアアジア地域を越えるものではないし、インドは依然として貧しく、自国の
領土を反乱から守るのに汲々としている。

 アメリカの衰退は長期的なプロセスとなりそうだ。一部の産業部門の失敗は他
の部門の成功で償われている。デトロイトの工場は閉鎖されたが、グーグル、マ
イクロソフト、フェースブックが登場した。アメリカを批判していろいろ言われ
ているが、その提供する安全保障をいま少し持続してほしいと思う人は多い。

 しかし、歴史から教訓を学ぶならば、ナポレオン的な拡大主義政治は物理的精
神的消耗に終わる。万能幻想がパックス・アメリカーナを長もちさせるのではな
く、究極的な没落を加速させることに疑問の余地はない。

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(2) アメリカは依然として偉大な国か
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  この問いが、このところアメリカ政治において論争点となっている。この答は
共和党と民主党の政治的消長をはるかに超えた意味を持っており、世界全体の繁
栄と安定に影響するものである。

 大統領を批判する共和党は、オバマが「例外的にすぐれた国」(エクセプショ
ナリズム)としてのアメリカの歴史を否定していると繰り返し非難している。
2009年に、かれはこの問いに対して「イギリス人がイギリスのエクセプショ
ナリズムを信じていたように、ギリシャ人がギリシャのエクセプショナリズムを
信じていたように、私もアメリカのエクセプショナリズムを信じている」と述べ
ていた。

 エクセプショナリズム(例外主義)という概念は重要な知的根拠を有してい
る。学者が用いる場合には、アメリカがヨーロッパの古い国々とは歴史的に異
なっているという意味である。建国の理念が明確であること、世襲的な貴族を頂
点とするタテ型階級社会でないこと、欧州からの移民主体で建国され、人口の少
ない広大な国土が各地からの移住者を吸引したことを指すものであった。ところ
が、アメリカの政治において、いまやこの言葉が祝福された特別な意味に使われ
ている。巨大な富、国力、経済的機会、世界において拡大する役割を含む、自由
と繁栄の模範を意味するものになっている。

 例外主義をめぐる今日の空騒ぎでは、一方が他方を自国の根本的価値を無視し
ていると論難するアメリカ政治における日常茶飯事である。しかしながら、国の
現状と将来に対して根拠のある不安を示している。アメリカが依然として例外的
に優れた国の地位にあるという主張に対し、政治家は誰一人として公然と疑問を
投げかけようとしない。だが、アメリカが本当にそれほど優れているのかは疑問
と既に多くのアメリカ人は密かに思っており、かなり多くの人が公然と疑念を表
明している。

 リンカーンが云ったと伝えられている逸話を思い出す。「馬の尻尾を脚だとす
ると、馬には何本足があるか」との問いに対して、彼は「答は4本。尻尾を足と
呼んでみても、実際にはそうではない」とかれは答えた。同様に、アメリカがず
ば抜けて優れていると宣言してみても、現実は豊かにも、強力にも、ダイナミッ
クにもなるものではない。

 エクセプショナリズムとは、社会保障受給権や、大学人が一定の年齢が来ると
自動的に授与される名誉教授号のようなものではない。それは、野球選手が毎年
稼がなければならない打率のようなものである。その打率は年々下がっており、
トップに残るためには21世紀の挑戦に効果的に応えなければならない。

 グローバル化によって形成される世界経済と情報技術革命にたいし、備えるべ
き教育システムをアメリカは採用してきていない。連邦政府と地方公共団体の赤
字をコントロールする政治的意思を持っていない。化石燃料に対する過度の依存
から脱却する長期的なステップを効果的に採用していない。これらの具体的な失
敗の底流には、公共政策の出発点にある諸問題に対応することを国民的に怠って
きたことがある。

 第二次大戦後、アメリカは多くの公共財を世界に提供してきた。ドルを世界通
貨として維持することで、アジアやその他の地域における目覚ましい経済発展を
支えてきた。アメリカ海軍は世界貿易のシーレーンを防衛してきたし、アジアと
ヨーロッパにおける駐留軍がそれらの地域の安全を担保した。アメリカ軍はペル
シャ湾岸の石油に対する世界のアクセスを確保したし、諜報、外交、軍事力が国
際政治における危険、特に核拡散を防止した。

 2011年においても、世界においてアメリカが保有する活力のある役割は引
き続き基幹的である。しかし、アラブ世界の動乱、ヨーロッパ共通通貨・ユーロ
の危機とEU自体の将来への疑念、中国の急成長と大国化に直面して、経済成長
のモデルとしてのアメリカの可能性は尽きてしまったかのように見える。

 “アメリカン・パワー”について論じることは流行遅れとなっている。左翼はそ
の力の建設的活用を十分に理解しないことがよくあり、時としてあったパワーの
乱用にのみ焦点を置いてきた。他方、右翼はパワーの源泉を十分に理解していな
い。パワーは単に意思の問題ではなく、手段に依存している。手段は不断に更新
される必要がある。その成功はアメリカが直面する主要な内政上の挑戦に応えら
れるかどうかに左右される。

 アメリカが挑戦に適切に対応できる可能性について、われわれは楽観的であ
る。最上部はマヒ状態にあり、政治システムが行き詰まり、必要な公共政策を採
用していないものの、草の根は極めて力強く残っている。

 個人の創造性がますます重要となる世界において、アメリカほど有利な国はな
い。技術革新が急速に進み、経済のフレキシビリティが求められる世界におい
て、アメリカ経済ほど柔軟な経済はない。透明性、信頼できる制度、法による統
治がますます要求されている世界において、アメリカは傑出した法体制を持って
いる。

 最も賢い発明家と経営者も成功の前には試行と失敗を繰り返すものだが、アメ
リカの事業文化はこの失敗が成功の必要条件であることを理解している。最近の
危機においてもこれらの特徴は一つとして失われていない。

 歴史的にみて、アメリカが大きな挑戦に応ずることを怠ったことはない。18
世紀の独立革命以降20世紀の冷戦時代まで、アメリカはそれぞれの局面で優秀
さを示してきた。それを今後も続けるために、今年創立100年を祝っている
IBM再生の教訓が参考になる。IBMはパソコンを発明したが、その創造物の
波及的な意義を十分に理解していなかった。この会社のように、アメリカと多く
のアメリカ人が、一旦優秀になってしまうと、それが当たり前で、永続的だと考
えている。

 IBMはどうしてそれが発明・創造した世界の行く先を見失ってしまったの
か。IBM現社長サムエル・パルミサーノの答えは「将来を見据えるよりも、縮
小するパイをめぐって議論するのに時間をかけてきた」。そのために「時代の大
転換をみすごした」。

 今日のアメリカの政治家と政党は、国全体の最重要問題よりも、自分のアジェ
ンダと利害に拘りすぎている。アメリカの政治もIBMと同じように、過去の栄
光に溺れるよりも、来る大変化に対応するために、今日の状況を的確に認識しな
ければならない。


●●コメント●●


  両論文に共通するのは、アメリカの外交上および軍事上の失敗が、内政上の挑
戦に向きかう姿勢の不足と同根とみていることである。この視点が、日本の外交
や国際関係を検討する際にも不可欠だ。ここで指摘されているような状況変化に
たいする政治の立ち遅れは、アメリカにもまして日本でさらに顕著となってい
る。両国共に根本的な大問題よりも、自分のアジェンダと利害から行動する政治
家が多すぎる。

 しかしながら、重要な相違点は、失敗は成功の前提条件と見る文化がアメリカ
にあることである。これが、日本に決定的にかけているものだ。官僚制は減点主
義に立っており、成功はそれほど報いられないが、失敗は必ず報復的な結果を招
来し、先は不可能でないとしても、非常に困難である。この文化は、官僚社会だ
けではなく企業社会においても深く浸透している。

 特に、大企業の病弊となっている。この新しい企図と改革に非寛容な文化が支
配している限り、改革や新しいイノベーションは困難となる。ましてや、世界を
リードするなどという一部エリートの主張は、空想的な大言壮語にすぎない。

 アメリカの代表的な歴史家、ポール・ケネディ(エール大学教授)が、9・
11事件十周年に当たり『ニューヨーク』タイムズに寄稿した論文の中で、「漂
流するアメリカ」をここに紹介した論文と同じような観点から観察している。
9・11以後の錯誤と無策によって失われた10年がアメリカ人の閉塞感を生み
出し、社会結束がバラバラに崩壊を始めていると指摘している。

 アメリカの建て直しには、二つの誤った戦争からの撤退と外交政策の再検討だ
けでは足りず、内政上の課題とグローバルな変化により広い視野から対応するこ
とが提唱されている。

          (筆者はソシアルアジア研究会代表・姫路獨協大学名誉教授)

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