【オルタ広場の視点】

<フランス便り(28)>

レギュラシオン学派の重鎮ボワイエ教授の近著『新型コロナウィルスの試練にさらされる資本主義』を読んで

鈴木 宏昌

 フランスは、この秋、新型コロナの感染者が急激に増加し、10月末から2回目のロックダウンに入った。約3ヶ月続いた春のロックダウンのときは、開いている商店や公共サービスは限られていて、パリの中心街は死んだ町のようになった。私の住む町の一角を通っている高速度道路は、普段は車の流れが絶えないが、春のロックダウンの際は、車が走っているのが珍しいほどだった。正体の分からないウィルスに国民が恐怖心を抱き、会社や役所に行くことを拒否した労働者も多かった。それに比べると、今回のロックダウンは緩やかで、ほとんどの企業は、テレワークを利用したり、労働者間の距離を最低1メートルをとるなどの衛生基準をクリアしながら、活動を続けている。

 今回の場合、学校(大学は閉鎖)と公共サービスが開いているので、春には別荘などに疎開したパリ市内居住者もパリに残り、静かに生活している。ただし、移動制限は厳しく、仕事と買い物以外の外出は、1日1時間に制限され、毎日、自己申告の証明書を持って歩かなければならず、精神的に苦痛であった。11月末からは、商店の営業が認められ、ようやくクリスマスの買い物をする人が街に戻ってきた。ただ、レストランやカフェが開いていなので、夜の賑わいは全くない。気の毒にも、スキー場やレストランの開業は1月中旬になりそうな気配である。

 ところで、今回のロックダウンが始まる直前に、フランスのレギュラシオン学派の重鎮、ボワイエ教授が『新型コロナウィルスの試練にさらされる資本主義』という本を10月初めに出版したことを知り、急いで読んでみた。長年、多様な資本主義の変化を追ってきた教授らしく、今回の伝染病による社会・経済の危機を、独特の視点で分析した興味深い内容だったので、その概略をここで紹介したい。

 まず、ボワイエ教授の横顔を描いてみよう。ボワイエ教授は、1943年の生まれなので、80歳も間近ながら、昨年までは、現役時代と同じように、世界を駆け回り、フランス、欧州、日本、南米などで講演活動や執筆活動を行っていた。日本には特別興味を持ち、毎年のように訪れていた。
 今年の春、ロックダウンで、海外への旅行ができない間、毎日12時間机に向かい、書き上げたのがこの本である。短期間に執筆された本ながら、これまでの50年にわたる資本主義研究を凝縮した作品でもある。

 教授は、数理系の秀才が集まることで有名なポリテクニックと高級エンジニア養成の Ponts et chaussées やパリ政治経済学院を出た後、マクロ経済モデルの専門家として、官庁エコノミストになる。財務省で、石油ショックのモデル分析をしていたとき、それまでの経済モデルでは、石油危機後の経済の停滞を説明できないことに気付く。同じような経歴と考え方を持った官庁エコノミストや大学の研究者とグループを作り、当時の主流経済学を捨てて、より広い視野―歴史、政治学、経済思想など―から、現代の資本主義の分析に没頭する。そして、『資本主義の危機』という名著を書いたミシェル・アグリエッタの周辺で、他の経済学者とともにレギュラシオン学派を創設する。

 個別の経済人の行動に立脚した主流派経済学と全く異なり、一国の経済発展を歴史の中でとらえ、消費、投資、資本と労働の分配、そして政治などの制度を絡めて、資本主義の生成を分析する。この立場から、石油ショックは単なる石油供給価格の危機ではなく、高度成長を支えてきた経済・社会の要因が分岐点に達し、石油ショックが起こったとした。
 すなわち、第2次世界大戦後の高度成長の循環を次のように説明する;大戦後、アメリカの影響から、フォード型の大量生産が普及し、その結果として、生産性が絶えず向上する。その成果は、労働者の賃金水準増加につながり、労働者の消費需要を押し上げる。大量生産で出回る安価な商品が消費性向を高めてゆく。そして、フォーディスム、賃金上昇、大量消費こそ先進国の高度成長の源泉だったと分析した。
 それが、石油エネルギーの高騰と消費者の嗜好の変化により、フォード型の大量生産から、多様な自動車モデルを同じ生産ラインで作れるトヨタ生産方式に変わり、労働者の賃金は相対的に停滞するので、消費活動は衰え、低成長期を迎えるとした。このようなレギュラシオン学派の中心に位置し、数多くの著作を発表し続けたのがボワイエ教授だった。

 さて、この本は、まず新型コロナの危機は、政府が衛生上の理由で、経済活動を3ヶ月停止させるという全く新しい経験であり、多くの経済の専門家が言及する2008年の世界金融危機や1929年の大恐慌とは異質な危機とする。これまでの経済危機は、経済活動自体の矛盾という経済の内生的な危機だったのに対し、今回の危機は、新型ウィルスという外生的な要因からくる。経済モデルは、経験則が適用できるリスクの場合には有効だが、今回の危機は単なるリスクではなく、極端な不確実性の世界をもたらした。
 極端な不確実性の下では、過去の経験は参考にならず、したがって、経済モデルでV字型あるいはV字型回復を議論することは間違っている。そして、ケインズの1930年の箴言、「経済学者は今の社会では、自動車の運転席に座っているが、本当は、後部席に座るべきである」を引用し、安易な予測をすべきではないと警告している。

 さらに、同じような不確実性は、医学の面でもみられる。フランス政府は、医学の権威を集めた諮問委員会を設け、その勧告をもとにしてロックダウンを行ったが、実際には、伝染病の専門家自身が、新しいウィルスの特性を毎日のように発見し、その理解を深めつつあるので、過去の定説は通用しない。したがって、諮問委員会の見解は決して絶対的なものではありえない。今回、政治的な影響が強かった伝染病モデルによる重症患者や死者数の予測は、経済モデルと同じく、不確実性の世界では過去のデータが有効ではないので、モデルの予測は信頼に値しない。

 このように、近未来の予測すら不能の中で、各国の政府は、国民の安全を最優先するとして、国境を封鎖し、様々な程度の移動制限を課し、国の3分の1のセクターの経済活動を停止させた。その結果、多くの国に共通の変化があることをボワイエ教授は指摘する。

 第一に、これまで先進国では、市場メカニズムが経済、医療、教育、環境などの優先順位を決めていたところに、今回、国が、国民の安全を守る名目で、医療の優先を決めた。このことは、国の役割が増大し、市場メカニズムに変わり、資源配分の方向を定めたことを意味する。今後、医療への優先度が高くなると考えられるので、これまでのような市場経済がすべての資源配分を決めていたものから、国の役割が強くなり、市場メカニズム至上主義は修正されると思われる。

 第二の点は、新型コロナの危機の下、資本主義は弱体化したのではなく、GAFAM(グーグル、アマゾン、Facebook、アップル、Microsoft)は目覚ましい成長を遂げ、むしろグローバル資本主義を強化している。これらのインターネット企業の特徴は、ほんの少数の専門職と多くの低賃金労働者を生み出し、貧富の拡大に拍車をかける。また、これらのインターネット企業は、各個人のデータを把握しているので、実際の個人の行動を操作することができる。

 第三のポイントとして、今回の危機の結果、国境が封鎖され、人の国際移動が不可能になり、各国が独自の判断で政策を決めている。これは、これまで国際関係で重要な役割を果たしてきた国際協調路線が弱まることを意味する。とくにEUにとって、問題は深刻である。新型コロナが経済体質の弱いイタリア、スペイン、ギリシャなどの経済を直撃したので、EU内の南北格差が大きくなった。今後、ユーロや域内の統一市場は、域内の南北問題の亀裂から大きな分岐路に向かう可能性がある。

 以上のポイントを指摘した上で、ポストコロナの世界は、二つの完成された資本主義モデルに集約されてゆくのではないかと考える。一つは、市場メカニズムが支配的ながら、実際には、市民の生活はGAFAMによって操作され、貧富の巨大な格差を持つアメリカ型の資本主義である。もう一つの極は、中国に代表される国家資本主義となる。ただし、歴史は書かれていないので、どちらのモデルも永続するとは限らない。アメリカの場合は、独占禁止法の適用で、GAFAMの解体の可能性もあり、中国では、国内の反対勢力による社会的混乱が待っているかもしれない。

 では、フランスには、明るい将来はないのだろうか? 多くの有識者がポストコロナに関して、例えば、環境にやさしい緑の経済成長を唱えるが、それには客観性はなく、個人的な願望でしかないと厳しい。とはいえ、ボワイエ教授は、個人的な希望として、社会的側面を優先させる経済成長の戦略がありうると考える。
 まず、人の健康を重視する観点から医療制度の優先度を高めること、各個人の発達を進めるために、教育・職業訓練の充実、そして文化の地位を高めることを提唱する。経済の目的は、単なる物質的な満足ではなく、国民一人一人の健康と幸福にあるはずなので、健康、教育、文化の充実は欠かせないとする。ただ、これは、あくまで個人的願望と結んでいる。

 以上がボワイエ教授の本を読んで、私の記憶に残った点である。氏の専門である経済分野のみならず、医学の専門書や政治学の本まで幅広い文献を使い、しかもそれらの情報を整理し、実に論理的に組み立てられている。さすがに、長年レギュラシオン学派を引っ張ってきたボワイエ教授らしいが、私はその知的好奇心の若さには驚嘆した。
  2020年12月14日 パリ近郊にて

 (早稲田大学名誉教授、パリ在住)

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