【オルタ広場の視点】

<フランス便り(27)> イスラム・テロとフランスの社会

鈴木 宏昌

 パリ近郊は日に日に夕暮れの時間が早くなり、並木道は枯れ葉でうずまり、晩秋の景色になった。10月の末からは、コロナウィルス対策で、ロックダウンが始まり、私たちの毎日の行動範囲は、1日1時間、しかも自宅から1キロ以内に制限された。10月末から、コロナ感染確認者が3万人にも上っていたので、腰の重い政府もロックダウンを行うほか選択肢がなかったのだろう。

 先の見えないこの伝染病の蔓延で、憂鬱な日々が続いていた10月中旬に、パリ郊外の町で、歴史・地理の教師―サミュエル・パティ氏―が18歳のチェチェン(国籍はロシア人)出身のイスラム教狂信者により路上で刃物で殺害されるというとんでもないテロ事件が発生した。その2週間後には、ニースの教会で、居合わせた信者3人が不法入国したチュニジア人により殺害された。いずれのテロ事件も、現在裁判が続いている2015年のシャルリ・エブドのテロ事件と関係している。この一連のテロ事件、とくに、教師の暗殺事件は、フランス国民に大きなショックを与え、今後、その影響は次第に出てくるものと思われる。

 日本でも、これらのテロ事件は簡単に報道されていると思われるが、問題がフランスの現在の社会制度の根幹と関連するので、一般のジャーナリストが本当に問題の深刻さを理解できたのか心配となる。そこで、今回は、現在進行中のコロナウィルスの問題ではなく、イスラムテロとその問題の深刻さに絞って書いてみたい。

◆ 1 イスラム・テロとフランス社会

 フランスにおけるイスラム教過激派によるテロは、最近、ずっと断続的に起こっていたが、反響が大きく、国民全体に大きなショックを与えたのは、2015年1月に起こった風刺週刊誌のシャルリ・エブドの襲撃事件で、イスラム教祖の風刺画を書いたことが、イスラム教への冒涜と考えてのテロ事件だった。2人のイスラム教過激派が新聞記者の集まった編集会議を襲撃し、居合わせたすべての人を射殺すると同時に、もう1人の共犯者がユダヤ系のスーパーで人質を取るという無残なテロ事件で、犠牲者は結局17人出た。

 その後の大きな事件のみ、列記してみる:2015年11月、パリ中心部での音楽会場バタクランでのテロ事件(死者130人)、2016年7月、ニースの花火大会の最中、トラックの暴走(2016年7月、死者86人)、ルーアン近郊の教会内で司祭を殺害(2016年7月)、そして今回の高校教師殺害及びニース教会でのカソリック信者の殺害となる。

 今回の高校教師殺害は、勤めている高校の倫理に関する授業で、教師が言論の自由に関する議論の教材として、モハメットの風刺画を使ったことを問題として、1人の生徒の父親、イスラム教過激派のシンパ、がソーシャル・メディアでパティの名前を公表したことが契機になる(その子供は、実際には、授業に参加していなかった!)。この父親は、狂信的なイスラム教徒で、インマーム(イスラム教の指導者)を名乗る過激なアジテータと通じていたとみられる。実行犯となったチェチェンからの難民〈18歳〉は、イスラム過激派に最近感化されたらしく、標的を探していたところ、パティ教師の名前を見て、犯行に及んだと報道されている。

 学校制度は、フランスの社会制度の一つ柱であること、また、これらのテロは、言論の自由を標的としていることから、その反響は非常に大きかった。その上、2週間後には、カソリック教会へのテロなので、この2つのテロ事件の後遺症は深い。いくつもの質の異なる問題と関連するので、3つの問題に絞り、考えてみたい。

◆ 2 テロの取り締まりと個人の自由

 テロ事件がこれだけ重なっているので、当然、フランスのテロ対策は強化されてきている。数十に及ぶテロ対策法が採択され、諜報活動の強化、テロを扱う特別検察などが整備されてきているが、テロの予防はできていない。その1つの大きな理由は、憲法が個人の自由を保障し、それを、行政から全く独立した司法が守っていることと絡む。

 フランスは1789年のフランス革命で、人権の尊重をうたい、絶対王政を倒した。市民権の尊重、すなわち個人の自由は、国家権力と言えども侵害することは許されず、司法がその番人の役割を厳格に果たしている。フランス革命以降、何回となく、国家権力と個人の自由は緊張関係にあった(例えば、1830年、1848年、1870年、1940-1944年)が、1958年の現憲法は、その序文の最初に、人権の尊重をうたい、フランス革命の精神に言及をしている。法治国家を自認するフランスなので、司法の独立は絶対である。

 このような背景がある中でのテロ対策なので、個人の信教の自由あるいは言論の自由と国の安全は、絶えず綱引きの状態となる。具体的な例をとってみよう。

 テロ実行犯の大半は、イミグレと呼ばれるアラブ系のフランス人あるいは外国人である。それならば、警察が怪しげな人たちをチェックし、身分証明書の提示を求めたり、武器の所持していないかをチェックすればよいと考える人もいるだろう。ところが、個人の出身や肌の色で、差別を行うことは、法の下での平等を犯すとして禁止されている(余程の疑いのある場合を除く)。
 組織だったテロの実行犯や共犯者は、ほとんどがイスラム過激派に通じるとして、要注意の人物だったが、事前の家宅捜査には司法の許可が必要なので、確証をつかむまでは、警察は動くことができなかった。テロの予防には、事前に情報をキャッチして取り締まる必要があるが、実際には不可能に近く、事後の対処になることが多い。

 もう1つ、最近の例を示そう。今回の高校教師の殺害の媒介をなしたのは、個人に対する誹謗・中傷を流したソーシャル・メディアである(ツイッター)。暴動を促すような情報は、昨年の黄色のベスト集団でも問題となっていたので、本年になり、ソーシャル・メディアに一定の責任を課そうという法案が出ていたが、結局、憲法との整合性を審査する憲法委員会で主要部分はカットされ、骨抜きになった。その大きな理由は言論の自由を阻害しかねないという内容だった。今回のテロ事件を受けて、政府は別の形で、法案を出す予定になっているが、まだ、その内容は明らかになっていない。

 フランスが、テロの取り締まりに苦労しているが、それは、反面、個人の自由や信教の自由を守ってきた伝統と表裏の関係にあるように思われる。イスラム過激派は、信教の自由を濫用し、アラブ人差別の運動を隠れ蓑として、その影響範囲を伸ばし、テロ事件を引き起こしている。彼らは、フランスに6~700万人いると推測されているイスラム教徒のごく一部にしか過ぎないのは確かだが、国民の安全を守る国の役割と個人の自由の尊重という難しい問題を投げかける。

 どこまで、そしてどのような条件の下で、国家権力は個人の自由に制限を課すことが許されるのだろうか? コロナウィルス対策も同じような問いを投げかける。どの範囲で、国は国民の健康と安全の確保のために、ロックダウンを行い、個人の自由の中でも最も基本である行動の自由あるいは労働の自由を制限できるのだろうか? 考えさせられる問題である。

◆ 3 学校制度と政教分離の原則

 フランスの学校制度は、共和国の歴史とともに歩いてきたと言える。学校・大学の教員は国家公務員であることが原則(もっとも、最近期限付きの契約も多少増えている)で、その数は100万人を超えていて、教育省の予算は、各省の中で最大である。私立の学校も少数ながら存在するが、教育省との契約の下でしか活動できないし、教員の給与の大半は国家や地方自治体の援助による。
 昔は、カソリック系の高校などがあったが、現在では、そのカリキュラムなどは教育省の意向が強いので、宗教色は全くなくなっている。この点、教育の自由が大きいアメリカとは対照的である。フランスでは、公立の学校教育を通じて、貧富の格差や出身の多様性を除き、国のモットーである平等を実現しようとする意図が託されている。

 政教の分離の原則は、1905年の法律で定められたが、それは、宗教が政治に関与することを禁じたものだった。とくに、まだ、カソリック教会の影響が強かった時代に、宗教教育や倫理の内容に関して、カソリックと無宗教の学校側との対立が続いた。それに終止符を打ったのが上記の法だった。
 その後は、公的な場(学校が含まれる)では、教会は介入してはならず、同時に国家(政治)は、宗教(カソリック、プロテスタント、ユダヤ教)に関しては中立を守ることを約束することとなる。フランスの町に古い立派な教会が多いが、それが教会所属である場合には、公費を使うことは許されない(パリ・ノートルダム寺院など有名な寺院はすべて国の管轄)。この点、教会税が存在するドイツとは全く異なる。

 今回のテロ事件のもとになったイスラム教の父親の例があるように、近年、イミグレの多い地区の学校では、イスラム教の戒律に反するとして、様々な抗議活動が頻繁に起こっていた。例えば、カリキュラムにある水泳の授業を欠席する女子学生が増えたり、アラル(ハラル)の食事を要求する父兄も多くなっている。その昔、スカーフの着用が問題となっていたが、様々なところで、イスラム教徒の要求が強まっている。その背景には、イスラム教徒の間で、イスラム原理主義が力を持ち出したことと関連する。

 もともと、一神教の宗教は、神の存在を絶対視する故に、国家を認めない傾向がある。キリスト教の場合は、近世の宗教戦争での抗争が激しかったことから、モンテーニュやヴォルテールといった哲学者が啓蒙の思想を普及させ、次第に、政治と宗教を分離する原則ができあがってきた。ところが、イスラム原理主義は、教祖の存在を絶対視するので、宗教から独立した政治や国家を認めない傾向がある。そのイスラム原理主義は、アルジェリアやチュニジアを介して、フランスのイスラム教徒で広がったものと思われる。

 イスラム原理主義がその地域で広がりをみせれば、その価値観を父兄が学校に持ち込む。食事や服装のことから、今回のような、カリキュラムの内容にまで介入しようとする。そのようなイスラム教徒の父兄の圧力に対し、学校の管理職や教育省の出先は、騒ぎが広がることを恐れ、断固たる措置を取ってこなかった。そのため、多くの教師は、問題の起こりそうなテーマを避けていたのが実態であったらしい。今回のテロ事件が根深いのは、それが、政教分離の伝統を持つフランスの学校制度に対する挑戦なので、国民のショックは大きかった。今後、少なくとも、教育の場では、明確な政教分離の原則を厳しく適用することが予想される。

◆ 4 ゲットー化するイミグレ集住地域

 ヨーロッパの都市に共通だが、フランスの大都市には、裕福な人が集まり住む地域、中産階層が多い地域、貧困な世帯が集まる地域が判然としている。どこの地区に住むかで、その人の所得水準や生活のあり方が推測されるほど、住んでいる地域は重要である。パリでは、一般的に西地域に恵まれた階層が集まり、北・東の地域が庶民の街だった。
 ところが、パリ市内の不動産が、ここ20年間に猛烈に値上がりし、次第に低所得者は北や東の郊外に移っている。パリ・ドゴール空港のあるサン・ドニ県は、低所得の世帯が圧倒的に多く、イミグレや不法滞在者が多いことで有名である。そのような地域の首長は伝統的に革新政党の手にあり、低所得者向けの住宅の割合が非常に大きい。私の住む町から電車で15分も行くと、ノハジ・セックというサン・ドニ県の町になる。そこでは、低所得者用の住宅が実にすべての住居の43%を占めているという。

 私の住む町の対岸に、シャンピニーという大きな町があるが、そこの一角に、ボア・ラべという高層の低所得住宅が集まった地区がある。もともと、1960年代に、パリ市からスラム街を追放するために、この地域を買収し、安普請の低所得住宅を建てたものだった。現在、この地域の人口は1万2千人で、50ヶ国以上の国籍の人がいるが、マグレブ出身者が大多数である。このような隔離された地域の特徴として、失業率が高く、麻薬取引がはびこっている。

 今年の春には、この地域の一角にある交番を多数の若者が襲撃し、警官が交番を封鎖したので、やっと彼らの命が救われたという事件があった。しばらく前に、私は、居住許可書の手続きをするために、バスでその付近を通ったことがあったが、その地域に近づくと、乗ってくる人は、ほとんど子供連れの黒人やスカーフをまとったアラブ系の人でびっくりした。このシャンピニーは、パリの北や南の郊外と比べると、それほど酷い地域とはみなされていない。麻薬や非行が昼間から公然と行われる地域では、警察ですらとても手が出せない場所が相当にあるようだ。

 イスラム過激派は、そのような地域で、勢力を伸ばしていると言われている。まず、その地域のモスクとそのインマーン(イマーム)が若者を過激思想に感化し、その地域でブルカの着用などを強制する。学校では、女性の水着やアラルの食事を要求し、学校に圧力をかけている。このように、イスラム・テロの温床は、ゲットー化したイミグレが集住した地域の問題と重なる。ところが、このような低所得者が集まるゲットーやスラム街は、すでに1960年代から社会問題化されてきた。多くの予算が貧困対策などで使われてきたにもかかわらず少しも改善されていない。

 例えば、教育の問題を考えてみると、イミグレが集中する地域の学校のレベルは低くなる。まず、家庭でフランス語を話す生徒が少なく、小学校の終わりの段階で、フランス語の学力は極端に弱い。しかも、そのような地域の学校では、よい教師を採用したり、確保することが難しく、採用されたばかりの教員や短期契約の教員が多い。その上、中学以上になると、授業妨害や、たまには、生徒が教師を威嚇したりするので、平穏な授業を行うことすら難しいこともあるという。昔から、この大都市周辺の学校教育の質は問題とされ、生徒数の削減、特別地域手当の支払いなどを行っているが、効果は上がっていない。

 こうしてみると、教育問題以外にも、所得格差、医療の格差、貧弱な公共交通機関など、二重、三重に問題が重なっている。その上に、イスラム過激派の温床と来るので、テロ対策は単純でなく、よほど長期な、広い意味での都市計画なしには、解決は難しいだろう。

  2020年11月15日、パリ郊外にて

 (早稲田大学名誉教授、パリ在住)

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