【視点】

高市政権は3度目の危険な曲がり角

―「戦乱」のリスクを抱えるなかでの世論の危険
羽原 清雅  

 戦後日本政治の「右傾化」はおおまかにいえば、高市政権が3度目である。

 最初は新憲法ができて間もない朝鮮戦争の勃発による。米国占領下での戦時旧制度変革・戦争放棄・民主主義導入・女性解放・教育改革などの新体制が定着するかどうかのうちに、米国の方針転換により、のちの自衛隊結成・戦争推進組の追放解除と政財界復帰・自民党結成と憲法改定方針の定着など日本の針路は様変わりした。戦後日本の最大の変容と言えよう。
 第2は安倍晋三長期政権下の防衛省昇格・教育基本法など教育制度の変革・改憲手続きの国民投票法改定など(第1期)を経た以降の、集団的自衛権の行使容認など安全保障関連法制定。つまり、日米両軍一体化の「防衛」路線の確立でもある。ちなみに、自民党内にも反対、慎重論の河野洋平、山崎拓、野中広務、藤井裕久ら、他党では鳩山由紀夫、村山富市、細川護熙ら、一般人でも元官僚の柳沢協二、俳優の吉永さゆり、大竹しのぶらがいた。各報道機関の憲法学者たちの調査でもかなりの反対意見が示された。
 ついで現在の高市早苗政権である。2025年10月就任から7月末の国会閉幕までの権力の動向を見ておこう。

 *高市政権下の立法 高市政権は2026年1月の突発的な衆院解散で、予想外の3分の2もの議席を握った。「数の力」は世論を2分する政策を推し進め、右傾化を強めた。
 <国家情報会議設置法> 安全保障の確保、テロリズム防止、緊急事態時の対処などのための会議機能を持ち、事務方の国家情報局にその機能を集約する。一見、必要そうだが、現実としてその必要に迫られているのか、こうした機関設置は社会的な不安を醸成し、過剰な対応を生まないか、国家の干渉、統制を強め国民の自由と権利を制約しないか、といった懸念がある。
 <国旗損壊処罰法> シンボルとしての国旗だが、国家に国民を縛り付けることになるのではないか、もっと自由な扱いでいいのではないか、という自民党内にも「自由な扱い」を求める意見もある。行け行け どんどん、である。
 <改正皇室典範> 女性女系天皇排除、男性天皇の「伝統擁護」のためで、「国民の象徴」としての天皇家をないがしろにしているのではないか。旧宮家からの養子に男児を生ませ、それをいずれ天皇の座に送り込む。15歳以降に天皇となれば、それまでの天皇家の一貫した考え方とは異なる人物が天皇像を変えることもできる。そうした裏の狙いなのか。麻生太郎の存在は怪しくはないか。
 そうした皇室典範のドタバタ改正は、国権の最高機関である国会を軽視し、一部保守系勢力は平和を求める国民に寄り添う三代の天皇家の姿勢に反感を抱いているのではないか――皇室典範改正の裏に、何かうごめく意図を感じさせるおかしさが見える。「骨抜き天皇制」の画策で、戦前の天皇制を操った権力集団の逆を行こうというのか。
 これらの立法を強行した高市政権の狙いは何か。本当に法制化が必要な状況にあるのか。

 *高市政権の狙いはなにか 上記のような立法は、直接的で本筋の「軍事体制の強化」というよりは、むしろ側面からの環境整備、つまり国民世論を抑制し、国家の指針に添うべく早手回しに国家権力への同調機運を生み出そうとするものではないか。その気配が一層、防衛という名の軍事国家を目指すこの政権の危なさを印象付けている。

 たとえば、かつて1925年に普通選挙法の実施決定に伴って、同じ時期に治安維持法を公布しておき、1928年2月に初の普通選挙が実施され、反政府的な活動の高まりの兆しが出るや、共産党員などが一網打尽(3・15事件、ついで翌年4・16事件)の検挙となる。しかも、この28年6月には旧満州の現瀋陽で張作霖の列車が関東軍参謀河本大作らの謀略によって爆破され、張作霖爆死という事件が発生する。治安維持法は改正されて死刑・無期が追加される。事態は悪化し、4・16事件直前には労農党代議士山本宣治が右翼に殺害される事態も。
 さらにこの時期、世界恐慌が始まり、ロンドン海軍軍縮条約調印に伴って議会では統帥権干犯問題に火が付き、30年11月には浜口雄幸首相が右翼により狙撃、翌年9月に満州事変となり、日中戦争に向かっていく。事態が転がりだすと、悪化の一途をたどる。
 こうした歴史が繰り返されることはないとしても、歴史には学ぶところが多い。「よかれ」とする立法が、思わぬ余波を呼び、その余波がさらに大きな事件を引き起こす。
 政治の怖さは、ここにある。歴史に学ばなければならない。

 *高市首相の言動 彼女の言動はたしかに初の女性宰相としての新鮮味がある。歯切れのいい美辞麗句も、若い世代の心をときめかせるのかもしれない。
 日常的なキャッチコピーを見ておこう。
 「日本列島を、強く豊かに」「責任ある積極財政」「戦略的互恵関係」「戦略的財政出動」「日本と日本人の底力を信じて」「決断と前進の内閣」などなど。

 だが、溶解しつつある国是とされる非核3原則について「核兵器持ち込み」を認めるかの発言をし、小泉進次郎防衛相は年末の安保3文書改定に向けて、この核問題について「あらゆるタブーない論議を」と同調する発言を海外でも言い募る。小泉も、河野太郎同様に威勢ばかりよく、政治家としての広い視野の乏しい一過性の人物に過ぎないのか。
 首相は、被爆81年目のナガサキの平和祈念式典で「我が国は『非核3原則』を堅持しており・・・核兵器のない世界の実現に向けた現実的かつ実践的な取り組みを推進しています」と述べた。この発言について、朝日新聞の「天声人語」は、「しています」との現時点について言うものの、日ごろ使う「(進めて、努めて)まいります」との将来に向けた発言ではなかったことに疑問を投げかけた。
 現に、核兵器の開発・保有・使用・使用の威嚇を禁じる核兵器禁止条約に署名、批准せず、その締約国会議のオブザーバー参加にも躊躇したままだ。格好をつけた首相発言に騙されまい。
 ついでに、もう一つ、高市首相が8月3日に震災の視察に熊本県の八代入りした際のこと。放送タレントの松尾貴史氏が毎日新聞(8月9日付)に寄稿した記事によると、首相は酷暑のなかで避難する被災者のいる体育館に行かず、エアコンの効く地元中学校の校長室に「政府側と政治的に近い人と見られる」被災者から「快適だ、感謝している」「至れり尽くせり」などを聞いた、という。違和感、作為を感じた、という。陸上自衛隊のヘリの窓から「高市総理は、幾度となく手を合わせ」、内閣広報官のツイッターによる写真も、松尾氏によると「体の角度や合掌している手の様子、顔の表情などが見える絶妙なアングルで」収めているとして、「地震の惨状がわかる場所に降り立ったわけでなく、」「ある種の違和感があるけれど、そんなことは気にしないで晒してしまうチーム早苗なのだろうが、さもしいにも程がある。」と締めていた。 

 首相は、睡眠時間は極端に短いことを書き、お得意の「働いて」の五乗発言を繰り返して、格好を見せ、周辺による作為を弄し、美辞を繰り出す。メディアは舞台裏を報じないこの女性をどこまで信じていいものか。

 *高市首相の支持率は低下傾向 首相にとっての内閣支持率は政権の指針に動揺を与える。しかも、就任1年にならない時期の数字は、次に待つ国政選挙の結果に及ぼす影響、さらに政権の前途にも関わってくる。
 高市内閣はどうか。就任当初は6,70%台以上と高かったが、いずれも低落した。
 報道各社の世論調査について、国会開会中の6月と閉幕前後の7月を比べると、下記のように軒並み下落傾向が目立つ。
 <下落値> 読売12%(69→57)、日経10%(68→58)、毎日10%(51→41)、朝日7%(60→53)、時事通信5.3%(54.3→49.0)、産経3.7%(65.3→61.6)、共同2.1%(55.8→53.7)、 NHK2%(60→58)
 これについて、首相は「反省点は特にない」、「原因はわからない」とした。
 報道各社は「皇室典範の改正は国民の声が生かされていない」、「物価高騰への対応が不十分」などと見ている。この時点では、消費税率引き下げに決着がついておらず、この問題は歓迎の評価と財源枯渇の不安と、当面での歓迎派と減税の結果への批判派に2分した形だ。

 *政治舞台の不健全性 本論に戻ろう。政府の軍事防衛施策は急ピッチで進められている。その論議の場である国会は、野党の足並みの乱れ、対決野党の議員数の激減、それに野党各党の論点追及の準備不足と論客の不在など、もろくなった野党の態勢もあって、「熟議」も「論及」も及んでいない。
 しかも、副首都構想、衆院比例区の議員定数削減など、与党入りして日が浅く,かつ政治経験の乏しい維新の会の、いささか無理の多い要求に、足場の弱い高市陣営の「譲歩・受け入れ」と、多数勢力をもたらした首相への迎合的配慮もあって、世論サイドの視点が弱いままに国会審議が進められている。
 しかも政治の舞台は、11回30年も続く小選挙区比例代表並立制の衆院選挙制度のもたらすマイナス面が顕著になって、権力へのチェック能力が効かない。そのうえ、この選挙制度を動かし得る政党自体が、そこに胡坐をかく安定感に寄りかかって改革の意欲もない。
 弱体にして、言いなりの国会論議である。
 そうした舞台で、軍事防衛政策が進められる。望ましい方向が生まれるはずもない。その結果は国際情勢の悪化とも相まって、戦乱やむなし、の方向に向かう。
 
 *急ピッチの軍事防衛体制 安倍時代の政治の名残は色濃く菅義偉、岸田文雄両政権に受け継がれ、次の石破茂政権は口ほどの変化の兆しも見えないままに、意外性ある高市早苗の登場となった。安倍踏襲を目指すこの政権もまた軍事増強に情熱を燃やす。
 すでに書いてきてもいるので、要点にのみ触れておきたい。
 
 <財源未定の軍事防衛予算> 2023年度から27年度までの5年間の軍事予算を総額43兆円にする。毎年ほぼ1兆円ずつ増額の見込みだが、肝心の財源は不明。国民生活、とくに物価高騰下での教育、福祉、医療などへの影響が懸念される。借金にあたる国費とその利払いに依存するなら、健全な財政規律が守れるのか。
 現行の防衛関連費についてGDP比2%を目指すが、トランプ大統領は2035年度までに5%への増額をNATO諸国などに求めており、国際的にその扱いが懸念される。
 
 <武器輸出政策の大転換> 武器輸出は従来、共産圏や武器禁輸対象国、紛争地帯などへの輸出を禁止し、基本的に「慎む」方針(1976年閣議決定)だったが、ついで防衛整備移転3原則(2014年同)に改定されて、輸出は大幅に緩和され、防衛産業の国際共同開発、生産は制約的に扱われることに。さらに、高市政権の26年にも改定されて、非殺傷装備を含む「装備品」に拡大、国際共同開発も容認された。輸出制限が解かれ、積極的輸出が認められた。
 これにより日英伊3国による次期戦闘機開発が進められ、輸出市場の拡大、軍需産業の増強によって日本経済の発展に寄与させようと高市政権は目指すことにもなった。一時不調の軍需産業界は息を吹き返し、戦前の旧財閥跋扈の事態を思わせる。だが、武器輸出の拡充には戦乱拡大の側面もあり、殺傷能力のある装備品の輸出も原則容認されることにもなり、そうした場合の一般の非戦闘国民の安全はどうなるのか。
 AI技術やドローンなどの新兵器にとどまらず、サイバー攻撃など戦乱の展開様式の大変化が急ピッチに進むなかで、実際に戦乱が発生すれば、その被害は多様で、莫大なマイナスを招く。そうした研究、実践の発展には自制、抑制のシステムがない。大国のみならず、小国にも波及する。国際連合は5大国の安保理支配により、ブレーキが利かない。
 こうした軍事化の拡大を止める機能のない結果が、これまでにない戦乱の恐怖をもたらす。
 そうした抑制の感覚が日本の政府や国会、幹部官僚、議員、さらに経済界には見いだせない。
 
 <敵基地攻撃容認の国の政治> 専守防衛の日本の憲法は徐々に解釈を変えて、軍事化を許容してきた。そのひとつが「専守防衛」の拡大解釈だ。高市政府はすでに、アジア太平洋戦争を引き起こした戦前の日本の軍事体制を容認するかのように、敵基地攻撃可能の重装備を進める。「専守防衛」の延長線上で、敵対国の基地を先手必勝で攻撃することを認めている。「敵」基地への攻撃を相手国以前に仕掛ければ、基地ばかりでなく周辺の住民に被害を及ぼすことは必至だろう。それは、相手国に戦闘への大義名分を与えることになり、先に手を出した責任とともに自国への直接的な攻撃を受けることにもなる。この事態は「平和」「安全」を守ることになるのか。
 そうならないために、政府間の常時の外交が必要で、想定国との民間の交流が重い役割を果たす。だが、就任後の高市首相の「台湾有事」発言が従来の政府発言の枠をはみ出し、それが今も日中間のトゲとして人も物も文化も、その交流を大きく妨げている。その発言の責任者が軍事的な緊張を招き、交流自体を途絶えさせている。この責任は大きく、重い。かつて国会には、日中両国に細い絆を守る少数の人材がいたが、今はいない。
 
 ちなみに、田中角栄首相は「専守防衛」について、1972年の所信表明演説に対する野党の質問に対して答えている。これがいつしか敵基地攻撃に代わったのだ。
 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手国の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うこと」
 
 筆者(羽原)は、中国が国際的な諸国を敵に回してまで台湾に直接戦乱を招くだろうか、との疑問を持ち続けている。というのは、台湾関係の専門家7,8人の話を日本記者クラブで伺い、百戦錬磨の歴史を持つ中国がロシアのウクライナ侵撃、イスラエルのパレスチナ攻勢と同じように台湾への武力攻勢に踏み切るか、という疑問が消えないのだ。日中交流があれば、政府も台湾をめぐる中国の姿勢に別の見方を持っていただろう、と素人ながらに思う。
 
 <安全保障3文書の招く日本の危険> これから年末に向けて、岸田政権によった安保3文書の改定が始まる。すでに、公開されないままに、政府寄りの専門家を主力に検討が進められているようだが、政府の意向に従順なイエスマンのメンバーによる会議には期待はない。
 この文書改定に至れば、国の、つまり政府の今後長く続けられるであろう軍事防衛の方向が裏付けを得て、日本はリスクを抱えることになるだろう。
 この安保3文書は、岸田政権下の2022年末に決まったもので、①国家安全保障戦略は長期的な外交・防衛(軍事)政策の基本方針を示し、②国家防衛戦略は中期的な防衛強化と達成手段を示し、③防衛整備計画では当面する自衛隊の編成、主要装備、つまり保有すべき防衛力の水準を示すもので、国防の基盤をうたうものとなっている。ひとたびこの線が固まると、国会論議はあまり深まらないままに、60年安保時のような厳しい追及を受けず、国民世論に反発を持たれることなく、自衛隊として身動きしやすい決断を進めることになる。
 
 <戦乱への備えは確かか> では、こうした戦乱的な緊急事態が勃発したとき、政府は国民の生命、財産を守り切れるか。少なくとも、守る努力は認められるにしても、米軍と連携して戦乱を担う立場ともなれば、敵勢力に勝ち、国民を守り切るだけの保証はない。
 今日の沖縄、九州では、米軍と自衛隊の軍事体制は着々と進められているが、その戦乱を待ち受ける地元の人々は疑心暗鬼で、信頼を受けるほどの空気は生まれていない。
 なによりもこの80年余の間に、戦乱の事態に巻き込まれた時の人的・生活的・精神的犠牲の実相を語り伝えられているからだ。
 
 それは、いま進められている沖縄の人々を戦乱時に九州方面に“疎開”させる計画にしても、往時の厳しさ、生命や衣食住の苦難を聞き知っているからこそ受け入れたくないのだ。同調する人々がもちろんいても、それは「いま」という時期の生活に納得、満足しているからにほかならない。往時の本土人、軍人らの多くが、いかに沖縄の人々を差別し、無体な命令下に置き、犠牲の的にしたかの現実を聞き知っているのだ。
 本土の多くの行政関係者は、沖縄の人々が当時体験した沖縄からの疎開のみじめさを内心にとどめていることへの理解が足りず、机上の計画に納得しているにすぎない。軍事基地化した沖縄はいま、改めて往時の苦しさを悟り、日本軍指揮下の差別扱いなどを実感しつつあることを本土の為政者たちは知るべきなのだ。
 
 それに、日本の食料自給率(令和7年)は生産額ベースで66%、カロリーベースで37%、と先進国のなかでもかなりの低さだ。 戦乱ともなれば、この島国の輸入はますます厳しくなる。国民は食べていけるのか。80年前の戦時中の食糧難を思い出せば、わかるとおりだ。日常の食料がなく、どうして生きていけるのか。この一点でも、日本が戦争の事態に巻き込まれれば、多くの犠牲者を出すことは予想のつくことだ。為政者は、そうした多様な面から考えて、戦乱の事態の回避に最大のエネルギーを使わなければならないのだ。
 
 *ある国民の声 朝日新聞の声欄(8月10日付)に「戦争が憎い 本当の敵は自国に」という見出しの投稿が掲載されていた。58歳の女性のよう。
 「戦争を始めた人たち、国民をあおった人たちが憎い。・・・・本当の敵は戦争の相手国でも、その兵士でもない。本当の敵は自国にいる。」
 筆者<羽原>もそのように感じる。戦争は着実に段階的に積み上げられていく。戦争が終わった時、 勝とうが負けようが、むなしく死んだ人、失ったもの、破壊された文化など、取り返しのつかないことに気づく。だが、そのときでは遅い。
 いま、日本は戦争を避けて話し合う外交、相手の国を訪ねてお互いのさまざまな違いに気づき、相手の環境、風習、気性、文化、食事、言語、歴史などのありようの異なることを次第に理解する。その違いにあこがれ、教えられ、受け入れ、納得する。そうした交流が互いの理解を深め、許容し、平和を醸し、対立を和らげる。
 日本と中国にもひところそうした空気があった。日本と韓国の間も雪解けの端緒を思わせる時期があった。不可能なことではない。ただ、そうした悠長な気配は容易には生まれない。
 それを阻んでいるのが、現状の狭隘な政治そのものではないか。
 投稿はそんなことを示唆しているのではあるまいか。

(元朝日新聞政治部長)

(2026.8.20)
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