【コラム】技術者の視点

荒川 文生


●隅田川のとなり

 初めまして、隅田川のとなりを流れる荒川と申します。メールマガジン『オルタ』編集氏のお奨めで、貴重な紙面を汚すことと為りました。

 ところで、隅田川の水源は何処か、ご存知ですか。何と、それは秩父の山奥から流れ出る流路延長173kmの一級河川「荒川」が分流する北区の岩淵水門なのです。1965年3月24日に出された政令によって荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称され、荒川と隅田川はともに独立した一級河川となりました。
 「知恵袋」の受け売りで恐縮ですが、謡曲「隅田川」に謡われるのは、かつて江戸時代初頭まで荒川と利根川が合流して江戸湾に流れていた川だそうです。徳川家康が江戸に入り、江戸幕府が開かれると、幕府は江戸の水害を少なくするため、大規模な河川改修を行いました。1629年(寛永6年)、先ず、荒川を熊谷から南下させ、川越と大宮の境で入間川と合流させる一方で、利根川を東に流し鬼怒川と合流させて太平洋に流れるようにさせました。この時から荒川本流の江戸周辺が漠然と隅田川と呼ばれるようになったそうです。 (http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1472784574

 古来「水を制する者は国を制す」といわれ、治水事業は為政者にとって民心を掌握するためにも、支配下の土地を豊かにし、権勢を確立するためにも有効な手段でありました。産業革命以降、人間の営みがその生活を便利で豊かにしたように見える陰で、自然環境の破壊が進んでいる現代とその近未来において、「水」は人類生存の貴重な資源として、エネルギーに続く国際紛争の種に為りつつあります。資源を巡る紛争は、「偏在」が主たる要因となっていますから、その解決方法のひとつは「地産地消」です。砂漠に井戸を掘る技(わざ)を持って行き、現地の人から親しまれ、尊敬されている中村さんという方が居られるそうです。吾らが仲間の切り開く未来への展望に、大いなる期待を抱いております。

 これから読者の皆様にお届けする「エンジニーア・エッセイ・シリーズ」では、人間がその生活を便利で豊かにしてきたたように見える営みの技(わざ)や術(すべ)が、自然環境の破壊などを齎している事について、倫理的な反省を含めその背景を探り、未来への展望を模索したいと愚考しております。読者諸賢から忌憚の無い御所見がお寄せ戴ければ、望外の幸甚に存じます。もとより、「徒然なるままに、日暮らし硯に向かひて」為らぬパソコンに向かい、「心に浮かぶ由無しごとを」キィボードに打ち込めば、「妖しうこそ、もの狂おしけれ」という遊び心の為せる技(わざ)なので、お読み捨て下さいますよう 衷心より願い挙げます。

 技(わざ)と術(すべ)花と散りつつ隅田川  (青史)

●人間の力はどこから?

 物を動かすのには力が要ります。その基がエネルギーです。アイザック・ニュートンがこの原理を発見する切っ掛けになったのが、木からリンゴの実が落ちるのを見た事だといわれています。それが理科の教科書で方程式を使って説明されるようになると、話は生活実感からかなり離れたところに移ります。「エネルギー保存の法則」といわれると、何となくわからないでもないとは思いつつ、さらに、アルベルト・アインシュタインが物質の持つエネルギーをその質量から計算できるとその方程式を示したとなると、その原理が原子力発電として利用されているのに、その方程式の意味を実感できる人は多いとはいえません。

 自分を含め吾が仲間の悪口を言いたくありませんが、彼らが世間知らずの「技術バカ」といわれる所以のものは、この力やエネルギーを使って仕事をしている割には、それが何を基に如何やって生み出されてくるのか、本質的なものをについて考えていない所為ではないでしょうか? もう一つの理由は、動かす対象を「物質」に限っているためと考えられます。世間では、人を動かすという事が、とても大切なことなのに・・・。

 2007年、白髪のロマンティスト政治家として国民的人気を博した江田三郎氏の生誕100年(没後30年)を期して、『政治家の人間力』が上梓されました(北岡和義 責任編集、明石書店)。その表紙を飾る題字は、ご子息の江田五月氏が墨痕鮮やかに、迫力に満ちた筆致で認めておられます。10年近くたった今、改めてこの書物を繙いてみると、「人間力」の大切さと有り難さが身に染みてよく判ります。その力とエネルギーの源泉が、地球と人間への暖かい思いやりとそのあるべき姿に対する深い洞察、そしてその実践に向けた熱い情熱であることが、江田三郎氏の人生そのものと、それに教えられ励まされた人々の「手紙」に込められた想いとから、読者の胸にひしひしと伝わってきます。

 具体的には、日本の農村の実情に根差した労働運動の展開の中で長島愛生園に語り継がれている言葉や行動、例えば、外来者は白衣を着てクレゾール石鹸で手を洗って中に入る事になっているのに、江田氏は「そんなものはいらん! そんな白衣なんかいらん!」と、どんどん患者の中へ入って行かれたといったことや、また、生活向上、反独占、中立の三要求を基礎とし、「社会主義の目的は、人類の可能性を最大限に花開かせることだと思う。」との前置の上に、「人類がこれまで到達した大きな成果は、(1)アメリカの平均した生活水準の高さ、(2)ソ連の徹底した社会保障、(3)イギリスの議会制民主主義、(4)日本の平和憲法という四つである。これらを総合調整して進む時、大衆と結んだ社会主義が生まれる。」と述べられた、広い国際的視野に基づく「江田ヴィジョン」を提起して権力闘争を超えた高い目標を社会に訴えた江田氏の実践などの中に、それらを読み取ることができます。

 「人間力」の源泉が地球と人間への暖かい思いやりとそのあるべき姿に対する深い洞察、そしてその実践に向けた熱い情熱であることは、理科の教科書に書かれてはおりませんが、科学者や技術者の伝記(特にその倫理観)をよく見れば理解できるでしょう。そしてこれを理解して実践する事は、2011年3月11日の災害とそれへの対応が明らかにした「原子力安全神話」の崩壊、そして、全地球的な政治と経済、社会の「制度疲労」の実態という現実のなかでこそ、喫緊の課題として取り組まれねばなりません。具体的には、放射性廃棄物の処理と処分、原子力発電所の廃止に関する現実的な措置を着実に実行すること、そして、確実な「人間力」を持った政治家を憲法の保障する「一人一票」の規定に基づいて選挙で選び出すことがまずその第一歩となるべきでしょう。

 夏雲のごとく湧くべし「人間力」  (青史)

 (筆者は地球環境研究所代表)