【コラム】八十路の影法師
選挙と漢字
2026年1月23日、通常国会が開会するや否や衆議院は解散となった。総選挙は1月27日に公示、2月8日には投開票というあわただしさだ。
選挙という熟語は辞書で見てみると古くから使われていた言葉のようだ。
古代中国における官吏の登用は、隋・唐以降の「科挙」と呼ばれる有名な試験選抜の制度が確立する以前は、地方の長・有力者が地域の優れた人材を「選」び、中央に推「挙」していた。あがってきた候補者を吟味し、最終的には皇帝(中央政府)が選ぶという方式だった。このシステムを「選挙」といっていたようだ。中国・漢代の歴史書である『漢書』にはこの熟語が20例ほどみえるという。
わが国でも奈良・平安時代に編纂された六国史などに選挙という語はみられるそうだが、その内容までは承知していない。ただ、菅原道真の漢詩文集・『管家文藻』(成立は900年)の中にこんな詩句があるという。
教授我無失 (教授、我れ失ふところなし)
選擧我有平 (選擧、我れ平なることあり)
(学生たちに)教えることについては、私には落ち度はなかった。(試験結果の評価による)選抜については、私は公平であった(公平を保った)……、そんな大意だろう。
道真の時代には「考課制」といって、試験による人材登用の制度が機能していた。道真は文章博士(もんじょうはかせ)として学生への教授と、試験結果の評価(選抜の合否を決める採点)に携わっていた。若者たちの将来を決めるだけに姿勢の厳正を求められるし、周囲から不本意な誹謗中傷もあっただろう。他者の声にびくともせず、公正さを貫いた自信を詠ったものかもしれない。
それはともかく、わが国の「考課制」は十世紀中には姿を完全に消してしまい、「選挙」の語は近代にいたるまで埋没してしまっていたようだ。
近代といえば、幕末から明治中期にかけての日本語について参考になる辞書がある。『和英語林集成』といって、J.C.ヘボンという米国人宣教師の手になるもの。日本語をローマ字で表記する方式のひとつであるヘボン式はこの辞書によって広く普及したものだ。この人は、幕末から30年余りの間わが国に滞在している。
辞書の初版刊行は1867年(慶応三年)で、1872年には再版され1886年(明治十九年)に第三版が出ている。初版、第二版ともに選挙という語は収録されていない。第三版になって「SENKYO センキョ 撰擧」の見出しで出てくる。
第1回衆議院議員総選挙が行われたのは1890年(明治二十三年)だ。板垣退助、後藤象二郎らによって民撰議院設立建白書が提出されたのが1874年(明治七年)、その15年後の1889年(明治二十二年)に大日本帝国憲法とともに衆議院議員選挙法が公布されて、その翌年が総選挙というのが時の流れである。
『和英語林集成』(第三版)が出たのは総選挙の4年前だから、「選挙」の語は人々の口にのぼるようになっていたのかもしれない。
蛇足ながら、最初の総選挙の有権者は「満25歳以上の男性、直接国税15円以上を納めている者」に限られていたという。
国政選挙といえば、投票がつきもの。被選挙人の当落は得た票の多寡で決まる。
この投票という言葉は難物だ。この熟語は中国やわが国の古典には見られない新しい言葉のようだ。語義としては票を投げる、投じるということだろうが、「投げる」は少し奇異な感じがある。
辞書で「投」をみると「なげる」の意味のほかにもいろいろあって、この字は多義的な漢字のようだ。投機、投降、投合、投獄、投宿などは「なげる」という動作を含んでいないように思える。
一方、字義の中には「贈る」、「与える」、「送る」、「届ける」などが見える。これらのことから類推すると、「目的をもって、ものを自分のもとから外へ出す」といったニュアンスを持つ字かもしれない。であれば、紙片に支持する候補者名を記入し、定められた箱の中に入れる行為に「投」が使われるのは合点がいく。
「票」の方はややこしい。辞書はこの字を「示」(しめす)の部首群の中に入れているが、起源の字形を見ると下部は「示」ではなく「火」だ。その上部に「高くのぼる」という意味をもつ字が組み合わさった会意文字なのだという。古典で「票」の字が入る熟語の用例としては票禽(素早く飛ぶ鳥)、票軽(すばしこいさま)、票然(かるくあがるさま)などのたぐいだ。
一方、現代では選挙で用いられる票という字から派生する熟語のほかには精々伝票のたぐいにしか使わないように思う。もともとの意味とは重ならないのだ。この意味の変化は不可解だ。
字の意味の変化についての解明はあきらめるとして、投票という言葉はいつごろ、どのようにして生まれたものだろう。
もう一度『和英語林集成』を繰ってみた。実は、この辞書はおおいに売れて版を重ねている。注目されるのは版ごとに収録されている語彙数が増加していくことだ。
1867年の初版における見出し語数は20,772語、1872年の再版では22,949語である。ところが、第三版では一挙に35,618語と、初版の1.7倍にまで増えている。
鎖国体制の終焉とともに欧米の知識、思想、事物などが紹介されるのに合わせて、日本語の中で、特に英語に対する翻訳語が膨大に増えたことを示してくれる。第三版にあって、その以前の版にはない言葉の多くはこれだ。ほんの一例を抜き出すと、哲学、思想、主義、人民、事故、人類、時間、空間、分子、原子、滋養、女子、授業、巡査……などなど。つまり、この時代に作られた新しい日本語を教えてくれるのだ。
『和英語林集成』第3版には投票という日本語の見出し語は見当たらない。「表」や「評」はあっても「票」もない。
この辞書には簡単な英和辞書が付属している。そこでballotを引いてみたところ「Nyu-satsu、 ire-fuda、 tõhyõ」とある、投票があるではないか。さらにBallot boxには「nyusatsuhako、 tohyo-hako」としている。
念のため、この辞書の第二版でballotの項を調べると、「Nyu-satsu、 ire-fuda」、ballot boxは「niusatsu bako」と出てくるが、「tohyo」の語は表れない。
肝腎の和英辞書の部に「投票」の語がないというのがいぶかしいが、「選挙」と同様に、最初の総選挙少し前には「投票」という言葉も使われていたと推察していいようだ。
選挙も投票も今では会話の中でもごく自然に使っており、その語源だの詳しい語義だのといったことを意識することはない。それでいいのだ。皆がその言葉で支障なく理解し合えるならば用は足りる。言葉とは、そういうものとも言えそうだ。
(2026.02.20)
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