海外論潮短評(70)

一歩前進、二歩後退―逆進する世界の民主主義とその原因―

                          初岡 昌一郎

アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・ポリシー』3/4月号が、冷戦後拡大し
てきたグローバルな民主主義が今や後退期にはいっているという、表記の論文を
掲載している。その原因は、民主主義の主体として評価されてきた中産階級の
弱体化と無気力にあるという。

筆者のジョシュア・カーランチックは国際問題評議会東南アジア研究員で、近著に『後退する民主主義:中産階級の反乱と代議制統治の世界的な衰退』がある。

民主主義の前進がピークアウト、後退局面に ― 2005年以降

過去2年間、アラブ世界、アフリカ、アジアにおいてこれまで予想されなかった急激な変化に世界の関心が惹きつけられてきた。

ビルマでは、たった6年前まで乱暴な軍部が黄色な僧衣を纏った僧侶を街頭で射殺したが、過去2年間に民主主義的な民政へと正式かつ本物と見える移行が進んでいる。

チュニジア、エジプト、リビアでは長期の専制政権が人民革命によって打倒されたが、これらの国の市民は民主主義の落とし穴を実感しつつあるように見える。『ニューヨーク・タイムス』は、アラブの人民が「我が国が支えてきた暴力的で専横な政権に対して自らの回答を持って立ち上がった」と書いた。

誇大な宣伝を信じてはならない。現実には民主主義が後退している。アフリカとアラブ世界の一部の国は過去2年間にわずかに解放されたが、かつて政権交代の模範とされてきた他の国では、落胆すべき民主主義のメルトダウンが共通してみられる。「フリーダム・ハウス」(評者注:市民的自由を評価する格付け報告を毎年発表している国際的NGO)は、ここ7年間にわたって継続的に低下してきた世界における自由が、2012年には今世紀最低に堕ちたとしている。

ますます多くの国で、ポピュリスト(大衆迎合)的極右排外主義的で、民主主義をほとんど尊重しない政党が人気を博するようになっている。政権に批判的活動家を弾圧しようとする政府も増加した。

「アラブの春」は、域内でシリアのバシャ―ル・アル・アサドやバーレインを支配するアル・カリファ一家を追い詰めたが、反面で世界中の専制的政権に強硬路線を民衆に対してとらせることになった。

中国は抗議を意味する間接的な表現までも検閲削除の対象とさせているし、ロシアでは新しい国家反逆罪が制定され、人権NGOが弾圧された。アラブの春以降、変革を求める大衆運動に体制側が敏感になり、巧妙で厳しい抑圧策を採るようになっている。 

もちろん、その責めをアラブの春に負わせるわけにはゆかない。民主主義の世界的な前進のピークは2000年代のはじめに終わっている。グローバルな民主主義を包括的に調査している「ベテルスマン財団」の変化指標によると、「開発途上国において全般的に民主主義の質が低下した」それによれば、とても本物の民主主義国とは思われないほど制度、選挙、政治文化が劣化した国が52に上った。
 
軍部が権力の中枢を握る国が近年再び増加傾向

ロンドンの『エコノミスト』誌調査部の大がかりな調査によると、2011年に調査して167ヵ国中、48ヵ国で民主主義が劣化した。その報告は、「過去5年間、グローバルな支配的パターンは後退である」と述べている。

これらが指しているのは、悪名高いウガンダやパキスタンだけではない。反対派の声に機会が奪われ、法による統治が欠け、代議制の機能しない政治機構を持つ国々を専制政治とあまり相違のない「極めて不完全な民主主義」と変化指標は分類している。

新しい民主主義のモデルとしてしばしば挙げられてきた国でさえも、過去10年間に逆進している。チェコ、ハンガリア、ポーランド、スロベニアは、2004年にEUに加盟した当時、成功物語と持て囃された。しかしながら、EU加盟後10年にして、その輝きが曇ってしまった。特にハンガリアは、共産党支配下とあまり変わらないほど、報道の自由が大幅に後退した。

ヨーロッパの民主主義が揺らいでいる一方、旧型のクーデタが各大陸で復活してきた。アフリカ、アジア、ラテンアメリカにおいて、1990年代には軍事クーデタが稀になっていた。しかし、2006年から2012年の間にバングラデシュ、フィジー、ギニア、ギニア―ビソウ、ホンジュラス、ホンジュラス、マダガスカル、マリ、ニジェール、タイなどで軍部が権力を握った。エクアドル、メキシコ、パキスタンなどの国では、軍部はむき出しのクーデタこそ謀りはしなかったものの、政治の中心的立役者として権力を回復した。

中近東においても全般的にこの傾向がみられる。アラブ民衆の蜂起が軍部の力を弱体化させ、大規模な不安を惹起し、中産階級リベラルの国外脱出を招き、スラム主義者の台頭を促した。イエメンからエジプトに至る諸国で抗議運動は勇敢に指導層に挑戦したが、支配者が残ることができたかどうかは軍部の支持によって決まった。

民主主義弱体化の理由はなにか ― 中産階級の政治的変質と無気力

どうして事態が悪化したのか。中産階級という、意外な犯人を名指しすることから始めたい。サムエル・ハンチングトンの近代化論とは逆に、セイモア・リプセットやほとんどの西欧の世界的リーダーたちは、開発途上国における中産階級の成長が民主化のブームを生むと長年にわたって主張してきた。ところが、そうは作用しなかった。

理論的には、中産階級が拡大するにつれて、教育水準があがり、経済的社会的政治的民主主義拡充の要求が高まるはずであった。ひとたび一人当たり所得が中間的所得水準に達した国は、専制的政治に後戻りするはずではなかった。

「(民主化された)ほとんどの国で、民主化のもっとも積極的な支持者は中産階級であった」ハンチングトンは書いた。ロシアのエコノミスト、セルゲイ・グリエフは「ロシアの中産階級は非常によく教育を受け、生活の質を享受しようと意欲的なので」プーチンの忍び寄る専制主義ではなく「腐敗の削減と参加機会の拡大を要求するだろう」と今年2月に述べている。

しかし、彼らの云う通りになっていない。中産階級がグローバルに見て拡大しているのは事実である。中産階級は、世界銀行の推算によると、1990年から2005年の間にアジアの開発途上諸国で3倍になり、アフリカ開発銀行によると、アフリカでは過去10年間に3分の1以上増加した。今日、世界中で約7000万人が毎年中産階級入りしている。

しかしながら、このグローバルな新中産階級は、何よりも安定を選択している。アルジェリアからジンバブエに至る中産階級は、大衆的民主主義に対する障壁として軍部を支持してきた。彼らは、貧民、宗教者、無教育なものを恐れた。

過去10年間の開発途上世界におけるクーデタ(成否を問わず)を調査し、現地のメディアや世論を分析したところ、50%のケースで中産階級が事前にクーデタを煽るか、事後に全面的に軍部を支持していた。もともと中産階級はこれまでパキスタンやタイなどで軍部を政治から排除する運動の先頭に立ってきたことから見れば、これは驚くべき数字である。

多くの国において、暴力的行動ではなく、選挙よって政治指導者を交代させる民主主義の原理を中産階級が軽視している。ボリビア、ベネズエラ、フィリピンなどで、中産階級が選挙で選ばれた指導者を追放するために街頭デモや裁判闘争をおこなっている。

こうした傾向は強くなるばかりである。多くの開発途上国での世論調査は、民主主義の質が低下しているだけでなく、民主主義についての一般大衆の見方が後退している。亜サハラ地域のアフリカ、中央アジア、旧ソ連でこれが特に著しい。最近の世論調査では、民主的に国を統治することが非常に重要であると答えたロシア人は16%だけであった。

同様に、コロンビア、エクアドル、ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグア、パラグアイ、ペルーという中南米諸国で、民主主義が他の統治形態よりも好ましいと答えた人は、過半数をわずかに上回るか、少数派にすぎなかった。

金融財政危機で市場主義が民主主義を圧倒

2008年の金融危機以後のグローバルな経済的低迷が民主主義に対する市民の支持を弱めた。各国、特に東欧において、この経済的混乱が中産階級に打撃をあたえた。2011年の欧州復興開発銀行報告は、新EU加盟10ヵ国すべてにおいて危機が民主主義に対する支持を深刻に低下させたとみている。「より自由を享受しているものが、危機によって打撃を蒙った時に、民主主義よりも市場を優先した」と報告は述べている。

世界で最も経済的に活気があり、グローバル化している地域であるアジアでさえも、世論が民主主義に不満を持っていることを示している。例えば、インドネシアは、2000年代における民主主義の成功物語と見做されている。だがしかし、票の買収や選出された議員の腐敗が問題視され始めている。2011年
の調査では、回答者の僅13%のみが、民主的に選挙された政治家がスハルト時代の指導者よりましだと述べたにすぎない。

民主主義がもっと深く根付いている国でさえも、近年、政治にたいする幻滅が浮上している。インドでは何十万の人々が政治腐敗に抗議デモを行い、イスラエルでは基礎的な経済問題を政治家が軽視していることに対する抗議の座り込みがテルアビブで続き、フランスでは政府の緊縮措置を国民が押し返すなど、中産階級はその主張をますます街頭で表明するようになっている。

失業率が50%を超えたスペインでは、「投票に行くのは政治の恩恵を受けてきた両親たちだけ」と若者が新聞記者に語っている。「我々の世代にとって投票は無意味」だと。

オバマは、「世界中の民主主義の推進に助力する、とこれまでの大統領と同じように、第二期の就任演説で述べた。オバマの意図するところは良いが、実際にはほとんど出来得ることではない。開発途上国における民主主義の後退は悲しいが、アメリカが制御しうるものではない。アメリカはまず自国を制御しなければならない。

コメント

本論文が指摘しているような、民主主義よりも政治的安定と市場を優先する潮流が、参議院選挙以降日本でも一段と強まることが懸念される。日本の民主主義が今後さらに逆流するのを許せば、もっとも主要な先進産業国の一つがこの傾向を初めて顕著に示すことで、21世紀の歴史上、禍々しいランドマークとなるだろう。

20世紀末にソ連とその共産圏が崩壊したことで冷戦が終わり、ドミノ的に他の政治独裁が相次いで消滅した。独裁の担い手もしくは後ろ盾であった軍隊は兵舎に引き上げ、民政移管が進んだ。東アジアにおいては韓国や台湾が、冷戦終結前より政治の民主化の先鞭をつけていたので、冷戦終結に民主主義拡大を起因するのは短絡にすぎる。ソ連の崩壊と冷戦の終結にすべての民主化の根源をみる、フランシス・フクヤマ流の単純な民主主義普遍化論はさすがに影が薄くなった。共産主義が崩壊したので、民主主義に挑戦する政治理論が無くなり、政治体制は「歴史の終わり」に到達したというよう楽観的で、ノー天気な民主化論は姿を消した。

地球の環境・資源・人口などから見た制約を無視ないし軽視し、景気回復と経済拡大、そのための経済競争力拡大を優先する「アベノミクス」的近視眼的ポピュリズムが、民主主義の根底を揺るがす「政治的回帰」と精神的里帰り傾向と結合するときに、極めて危険かつ無責任な扇動型政治家が登場する素地が生まれる。これは必ずしも日本だけに固有な現象ではない。

シュレジンジャー・ジュニアが、かつて本誌で紹介した『フォーリン・アフェアーズ』の論文で警告していたように、情報の流通と政治プロセスのデジタル的加速化が進むことが、対話とか検証という時間のかかるプロセスを必要とする民主主義に危機をもたらす危険を強く実感するようになった。検証されない
情報が大量にマスコミとネット上で垂れ流され、批判的議論のプロセス抜きに行われる「世論調査」で生まれた思想的潮流が、「世論」を流砂のように風次第として、政治を左右する加速的流動をうんでいる。

政治的民主主義が社会的民主主義と経済的民主主義によって補強されてない社会では、民主主義は「ひ弱な外皮」に止まり、絶えず政治的不安定によって脅威にさらされることになる。
  (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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