A Voice from Okinawa (4)

■ 見直すべし沖縄パッケージ合意        吉田 健正

      
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  政権交代で誕生した新政権が日米合意などを検証(レビュー)するのは
"completely appropriate(「至極当然」)"-米国のオバマ大統領は、来日前のNH
Kとのインタービューで、日米同盟堅持の重要性を強調しながらも、日本の政権
交代による普天間海兵隊基地移設を含む在日米軍再編ロードマップ(行程表)合
意の見直しに理解を示した。ブッシュ政権を引き継いだ彼自身が、多くの政策転
換(「チェンジ」)を余儀なくされたからだ。11月13日の鳩山・オバマ会談のあ
との共同記者会見でも、鳩山が「前政権の日米合意は重く受け止めている。ただ、
総選挙の時に『県外・国外』と言ってきた。沖縄県民の期待も高まっている」
と合意見直しの意向を示したのに対し、大統領は「政権が代わって見直しするこ
とは率直に支持する。(見直しに伴い、米軍再編合意の)ロードマップ(行程表)
の修正が必要になることもあり得る」と現行案の変更に柔軟な姿勢を見せた。
 
これで、新政権発足後の2か月間、合意見直し→県内・県外・国外をめぐって
北沢防衛大臣や前原沖縄担当大臣の相次ぐ沖縄訪問、仲井真県知事の「県外がベ
ストだが、県内もやむなし」発言、ゲーツ国防長官の来日と「普天間移設なくし
て在沖海兵隊員のグアム移転なし、グアム移転なくして(嘉手納以南の)基地の
整理縮小(土地返還)なし」発言、岡田外相の「県外は、選択肢として考えられ
ない」発言に続く嘉手納空軍基地との統合案提示、県内移設後の輸送機の岩国基
地移転や在沖米海兵隊員とその家族のグアム移転を定めた現行ロードマップ合意
は民主党公約に反せずという北沢防衛相の発言、嘉手納統合案や現行合意踏襲案
に抗議し普天間基地の県内移設に反対する県民大会……と狂騒劇の観を呈してい
た普天間基地移設問題は、ようやく外交的解決へ向けて動き出した。 
 
両首脳が「対等なパートナー」としての日米関係の重要性を強調し、日米同盟
の建設的・未来志向的「深化」や来年で50周年を迎える日米安全保障条約の再検討
を約束する中で、普天間基地移設問題を閣僚級作業グループの協議を通じて両政
府が決着をつけると合意したことは、大きな前進と見るべきであろう。結論が、
鳩山首相の言う「沖縄の民意」を踏まえたものになるか、オバマ大統領が望まし
いという「日米合意に基づく(キャンプ・シュワブ沿岸部への)移設計画の履行
」になるのか、今後の交渉を見守る必要があるが。
 
鳩山民主党政権は、日本の「戦後」に区切りをつけ、「主体的外交」「対等な
日米同盟関係」を進めるためにも、「民意尊重」に基いて「沖縄の負担軽減」
を実現する意欲を失ってはならない。それこそ、政権交代の大きな意義だ。
 
本稿では、米海兵隊が普天間基地や沖縄に駐留する必然性がほんとうにあるの
か、なぜ普天間基地は県内・辺野古に移設されることに決まったのかを中心に検
証する。鳩山新政権は、小泉・ブッシュ政権の日米合意が沖縄に押し付けようと
した日本政府の資金支援による「沖縄パッケージ」(普天間基地の県内移設→在
沖海兵隊員と家族の大幅グアム移転→嘉手納以南の基地の整理縮小)を打ち壊し
て、県内移設を伴わない、つまり前提条件なしの普天間基地の早期撤退・海兵隊
部隊のグアム移転・嘉手納以南の基地整理縮小を求めるべきだ、というのが本稿
の趣旨である。それは米国が進めてきた軍事トランスフォメーション(世界的な
軍事変革・再編)計画にも沿っており、包括的な日米関係を傷つけ、地域の平和
と安定を損なう可能性も少ない。

■【普天間基地と県内移設候補地】

 今回争点になっている普天間海兵隊航空基地は、沖縄本島中部・宜野湾市のほ
ぼ中央の市街地にフェンスを隔てて隣接する。沖縄本島上陸直後の1945年4月、
米軍が日本本土攻撃のためのB29、B32重爆機発進基地として建設したもので、朝
鮮戦争やベトナム戦争でも活躍した。現在は第1海兵航空師団第36海兵航空群と
佐世保を母港とするヘリコプター空母・エセックスの艦載機部隊が配置されてい
て、長さ2,800メートル、幅46メートルの滑走路を、ヘリコプター、空中輸送兼
給油機などが連日、密集した住宅地上空で爆音を立てながら低空離着陸訓練を続
けている。

 通常の飛行場と違って、「内」と「外」との間にクリアゾーン(安全地帯)が
なく、しかも海に向かうはずの滑走路が旧軍道1号線(現国道58号線)と住宅街
の間をそれらに並行していること、すなわち普天間基地を離陸した米軍機の訓練
飛行地帯が必然的に住宅街上空になっていることが、危険を高める。2004年に訓
練中の大型輸送ヘリが、住宅側フェンスに隣接する沖縄国際大学構内に墜落・炎
上したが、いつ再び近辺の学校、病院、ガソリンスタンド、アパートなどに墜落
しても不思議はない状況だ。中東などの戦場へは、普天間基地の輸送機や東岸の
ホワイトビーチに停泊する航空母艦で出撃する。
 
日米合意では、普天間基地の移設は、沖縄本島北東部の辺野古岬とこれに隣接
する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置し、それぞれ1600メートルの2本の
滑走路がV字型に配置されることになった。辺野古沖には、キャンプ・シュワブ
の水陸両用訓練場が広がる。潜水艦が寄航・停泊するのに便利な深い大浦湾もあ
る。

 周辺には広大な北部(ジャングル)訓練場、辺野古弾薬庫、都市型射撃(対テ
ロ)訓練施設、兵舎や病院・銀行などを備えた実弾射撃演習場キャンプ・ハンセ
ン、沿岸上陸作戦訓練場などいくつかの海兵隊基地、さらには海域・空域演習場
もあり、海兵隊にとってはほぼ理想的な場所だが、かつて地域住民の重要な漁場
だった一帯は、絶滅が危惧されているジュゴンの棲息地としても知られる。移設
予定地の近くには、沿岸に沿って辺野古をはじめ豊原、久志、二見、大浦、瀬嵩
などの古い集落も点在する。

■【岡田「沖縄に海兵隊がいなくても抑止力は失われない」】

 岡田外相は、11月4日の衆院予算委員会で、「海兵隊が沖縄になくても抑止力
が完全に失われることはない。(中略)日本以外で海兵隊の大部隊が米国本土以
外で展開している地域があるのか。基本的には米国本土に置いてある」と述べた。

 国防総省の資料(08年3月)で海兵隊の国内外配置状況を見ると一目瞭然だ。
米国・米国領141,526人(本土103,978人、ハワイ6,150、一時滞在31,348人)、
ヨーロッパ804人(ドイツ258人、スペイン147人、英国72人)、東アジア・太平
洋15,006人(日本14,062人、韓国537人、フィリピン122人)、北アフリカ・近東
・南アジア4,742(洋上4,345人、バーレーン137人)、サブサハラ・アフリカ958
人、米国を除く西半球338人(キューバのグアンタナモ134人)、末配置25,873人。

 岡田の指摘通り、ほとんどが米国に駐留しており、海外では日本が突出してい
る。しかも、在日海兵隊の大半12,402人は沖縄に駐留している。ハワイ駐留の6,
150人のほぼ2倍だ。米国領グアムに駐留している海兵隊はわずか9人に過ぎない
(空軍は1,615人、海軍は1,105人)。米領サモアは2人。沖縄・うるま市のキャ
ンプ・コーテニーには3つの米国海兵遠征軍のひとつ、第3海兵遠征軍が司令部
をおき(3つのうち海外に司令部があるのは第3海兵遠征隊のみ)、沖縄を中心
とするほぼすべての在日米海兵部隊を指揮下において、イラク戦争で「主要な」
役割を担っている。

2004年以来現在まで、沖縄を基地とする第3海兵師団、第3海兵兵站群、第1海
兵航空団から「何千人もの」海兵隊員がイラクとアフガニスタンに展開した
(米軍の準機関紙「星条旗」、11月9日付)。在沖海兵隊員のほぼ7割は2年間
の単身赴任か3年間の同伴赴任で、残り3割は米本土やハワイの本拠地(ホーム
ベース)から6か月間、訓練のため部隊単位で移動してきた歩兵や航空兵だと
いう。

 「海兵隊が沖縄になくても抑止力が完全に失われることはない」のなら、日本
政府は普天間航空基地を含む在沖海兵隊の「すべて」の撤去を求めても不思議は
ない。海兵隊は空・海から緊急展開が可能な部隊だから、後方(米国本土かハワ
イ)、あるいはグアムやミッドウェイ環礁島に移転しても、米国の戦略には支障
を来たさないだろう。そもそも、グアム移転は、後述する「トランスフォメーシ
ョン」で予定されていたと考えるべきだ。米軍の沖縄県内移設もグアム移転も、
日本政府が巨額の経費を負担するのだから、米国としては「在日米軍再編ロード
マップ」に沿って県内移設(による施設の近代化)もグアム移転もやりたい、と
いうことだろう。合意文書そのものが英語で書かれ、日本文は仮訳に過ぎない。
日米関係の不平等性を象徴的に示している。

 鳩山政権としては、自民党長期政権の下でマスコミや多くの国民が共有してき
た対米依存症とでも言うべき精神構造を背景に交わされた現行日米合意を、切り
崩し、日本を変えたい。しかし、「県内」「県外」「国外」という方向性のはっ
きりしないレッテルによって、国民や沖縄県民だけでなく、米国政府まで混迷さ
せたようだ。

 これら三つの選択肢のうち、「県内」移設には、60年間も巨大な米軍基地を抱
えてきた沖縄住民の強い反対があり、連立3党合意の「沖縄県民の負担軽減」に
も反する。「県外」すなわち沖縄以外の日本というのは、米ブッシュ政権と「ロ
ードマップ」合意を交わした小泉首相が「総論(安保維持)賛成、各論(基地負
担)反対」という言葉で説明したように、本土他府県が移設受け入れに反対して
きた。北朝鮮脅威論や中国脅威論を唱える人々からも、普天間基地を北朝鮮や中
国に近い日本海沿岸、あるいは日本の人口・政治・経済・交通・文化・学術の中
心地である関東地方に移設すべしという声はない。

 残った選択肢は「国外」移設、すなわち、米国に普天間基地を日本国以外に撤
去してもらうことである。日米安保条約第6条によれば、米国に基地を提供する
のは日本であって、米国に決定権はない。決めるのは日本政府だ。しかも、日本
は、今や世界軍事費10大国に入っており、在日米軍がなければ「専守防衛」さえ
できないほどの無防備国ではない。しかも、「好戦の共和国」(油井大三郎)と
称される米国のレンズさえ外せば、一部の「脅威論」を除いて日本周辺も安定し
ている状況にある。米国が普天間基地を日本国外のどこに移設するのか不明だが、
トランスフォメーション計画に従えば、また岡田の「(海兵隊は)基本的には
米国本土に置いてある」という事実からすれば、米本土かハワイへの移設が考え
られる。
 
「主体的な外交戦略」や「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直し
の方向」というマニフェスト、さらに選挙前に「(移設は)国外。最低でも県外」
と公言した鳩山代表の言葉でスタートした鳩山政権。その言葉通り、小泉政権
の下で「同盟関係にとって死活的な在日米軍のプレゼンスを確保」するためとい
う名目で、しかし明らかに米国の意向に沿って作成された在日米軍(及び関連自
衛隊)再編ロードップは、果たして正当かつ必要なものだったのか。政府は、米
国のトランスフォメーション計画や上記の米国防総省の海兵隊配置数字などを念
頭に、日米合意、特にその「沖縄パッケージ」を根本的に洗いなおすべきであろ
う。
 
普天間基地移設と「パッケージ」にされた海兵隊員とその家族のグアム移転
や、移転後の嘉手納以南の施設の整理縮小と土地返還も「トランスフォメー
ション」の一環としてそのまま実施してもらえばよい。基地整理縮小と海外配
置部隊の本国・米領引き揚げは米国として予定内のことであり、困ることはな
いはずだ。
 
日米同盟は「強化」ではなく、「正常化」への道を探るべきだろう。日米関係
は、安全保障条約だけで成り立っているわけではない。経済・貿易関係、歴史的
関係、文化・スポーツ・技術・学術などの交流、観光、そして国連などの国際機
関や多国間協議を通じた関係……ときわめて多様で多角的だ。安保だけで日米関
係を見るのはきわめて視野狭窄的になり、軍事超大国・米国への「隷属意識」を
醸成してしまう。この際、冷戦時代の締結から来年で50年を迎える日米安全保障
条約も、米軍を治外法権的に優遇する日米地位協定にもメスを入れるべきだ。

■【優先すべきは日米ロードマップ合意か沖縄の負担軽減か】

 これまでの2か月間、岡田外相と北沢防衛相を混乱させた最大の「功労者」は、
皮肉なことに、地元の仲井真知事であっただろう。衆議院選挙で沖縄の4候補
とも「県外移設」を掲げて選出され、世論調査でも約70%の県民が県外を支持し、
県議会やいくつもの市町村議会が県外移設を要請する決議をしていた。すなわ
ち「県外」(=沖縄からの撤去)は明白な「民意」であったに。にもかかわらず、
3年前の県知事選挙で当選直後に浮上した日米ロードマップ合意による辺野古
沖合移設案を受け入れていた仲井真は、今回訪沖した各大臣に「県外がベスト」
だが、これは難しいから早期移設を実現するための「現実的対応」として県内移
設を容認するという発言を繰り返した。

「チェンジ」を掲げる新政権からの負担軽減の提言を退け、日米交渉への意気
込みに水をかけ、「合意」順守を望んだ米側にエールを送ったのである。仲井
真は多くの県民の批判を受けて、「県外がベスト」を強調するようになった
が、ときすでに遅し。しばらくは鳩山首相までも知事の見解を沖縄県民の「総
意」と誤解し、米側は米側で、知事の発言および沖合50メートル移動容認論を
味方に、鳩山政権にロードマップ合意の順守を迫った。

大手マスコミは米国の知日家やメディアなどから「懸念」や「困惑」といった
言葉を引き出して、盛んに日米関係の「危機」をあおったが、冒頭に掲げた
ゲーツ国防長官の発言は、沖縄では「恫喝」と評された。
 
もし岡田外相や北沢防衛相の妥協案が通れば、普天間海兵隊航空基地は本島北
東沿岸の辺野古とキャンプ・シュワブ地区に移設されるか、ほぼ1日中戦闘機、
爆撃機、輸送機、偵察機、空中給油機などがすさまじい轟音を立てて離着陸する
嘉手納空軍基地に統合され、本島中部から北部にかけては海兵隊と空軍(沖縄に
は、在日米空軍所属の12,540人中、半数近い5,909人が駐留している)を中心と
する駐留・訓練・発進基地となる。海兵隊員と家族が転出し、嘉手納以南の基地
・施設も閉鎖・返還されるとしても、今後とも沖縄が「日米同盟」の中心的役割
を負い続けることに変わりはない。
 
しかし鳩山自身は、普天間移設について「最後は私が決める」と述べ、10月26
日の所信表明演説では「沖縄の方々が背負ってこられた負担、苦しみや悲しみに
十分に思いをいたし、地元の皆様の思いをしっかりと受け止めながら、真剣に取
り組む」と宣言した。首相には、「日米同盟のあり方について包括的なレビュー
を行いたい」「苦渋の選択を県民に押しつけるつもりは毛頭ない」などの発言も
あり、期待を抱かせた。ロードマップ合意より沖縄の負担軽減を優先させる考え
方である。議会での答弁や11月13日の共同首脳記者会見での発言は、自民党政権
の下で続いてきた従属的な対米関係や沖縄の過重な基地負担を主体的に根底から
見直したいという鳩山のぶれない姿勢を印象づけた。

■【沖縄にとって「マニフェスト」が意味するもの】
  ここで、改めて、民主党の「沖縄ビジョン」と「マニフェスト」から関連項目
を抜き出してみよう。

■「沖縄ビジョン」(2005年8月改訂版):
  SACO合意が期待通りに進まない間に地域・国際環境は大きく変化し、米軍の軍
事技術も目覚しい進展をみた。このような状況を踏まえて、SACO合意の適切な実
施に向けて努力をし、また、沖縄県民の意思を最大限尊重した更なる基地の整理
縮小を検討する「SACO2」の設置を目指す。

航空管制権及び、基地管理権の日本への全面的返還を視野に入れつつ、大幅
な地位協定の改訂(改定の意か)を早急に実現する。
トランスフォメーションを契機として、普天間基地の移転についても、海兵隊
の機能分散などにより、ひとまず県外移転の道を模索すべきである。言うまでも
なく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。

■「マニフェスト」(2009年7月27日):

日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交
戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす。
日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見
直しの方向で臨む。
(連立3党合意では、「沖縄県民の負担軽減の観点から」という前置きをつけ
て、日米地位の改定を提起し……)となった。)
 
「マニフェスト」は、民主党が野党時代にまとめた「SACO合意の実施」「航空
管制権及び基地管理権の日本への全面的返還を視野に入れ(た)大幅な地位協定
の改定」「普天間基地の国外移設」を盛り込んだ「沖縄ビジョン」と比べて、か
なり後退した印象を拭えないが、「緊密で対等な日米同盟関係」「主体的な外交
戦略」「米国と役割を分担」「日米地位協定の改定」「米軍再編や在日米軍基地
のあり方についても見直し」といった文言は目を引く。マニフェストは、「国民
の生活が第一」「国連を重視した世界平和の構築」、「『国民主権』『基本的人
権の尊重』『平和主義』」という現行憲法の原理(の尊重)もうたっていた。「
マニフェスト」の根底には「沖縄ビジョン」があるものと解したい。
 
これらの言葉がそのまま沖縄で実行されれば、60年に及ぶ小さな島における巨
大な米軍の駐留、実弾演習、基地周辺の日常的な爆音と危険、核兵器の存在が疑
われる弾薬庫の存在、はるか中東地域まで含む戦闘参加、米軍基地と軍人・軍属
・その家族を優遇する日米地位協定は、国家としての主権放棄、県民意思の無視、
国民平等性への違反、平和主義との背馳、基本的人権の侵害は消えることにな
る。新政権に対する期待が高まったのは、この「マニフェスト」と「沖縄ビジョ
ン」のおかげだろう。
 
普天間基地の「県内」移設には大半(新聞社の世論調査では約70%)の沖縄県
民が反対。「県外」移設は、上述のように、本土自治体(国民)の「総論賛成・
各論反対」によって実現の可能性は少ない。鳩山政権も、本土有権者の反発を恐
れて、沖縄から本土への普天間基地移設は強行できないだろう。
 
ロードマップ・パッケージ合意の再交渉が立ちはだかっていようとも、最も妥
当な解決策は普天間基地の閉鎖→海兵隊と家族のグアム移転→嘉手納以南の基地
撤去ということになる。再交渉には時間がかかるため、それだけ普天間基地の危
険が継続するという声もあるが、基地の閉鎖・撤去は短期間にできることを下記
の例は示している。閉鎖・撤去の要求は、必ずしも米国にたてつくことでもない
。日米同盟を傷つけるなどというのは、従来型(旧思考)の日米関係を当然視す
る現状維持派の杞憂に過ぎない。日本政府は沖縄県民(日本国民)の安全と負担
軽減を最優先すべきなのだ。

■【再編で閉鎖・撤去が相次ぐ米軍基地】

 岡田外相は「海兵隊が沖縄になくても抑止力は失われることはない」、「日本
以外で海兵隊の大部隊が米国本土以外で展開している地域があるのか」と述べた
。国防総省の数字も岡田発言の正しさを証明した。海兵隊は、米国から輸送機や
航空母艦で世界のどこへでも緊急展開できるし、中東のような不安定な地域であ
れば近くの洋上基地で待機すればよい。

 実際、近年、米国が世界的に軍事変革(トランスフォメーション)を進めてい
るほか、世界各地で「代替不可能」とされた場所を含む米軍基地の閉鎖・撤去が
相次いでいる。
  1980年代末以来、冷戦時代に次々建設した軍事施設を整理縮小して、運営・維
持費を節約し、その分を装備や戦略の近代化に回そうという基地統合・閉鎖(bas
e realignment and closure=BRAC)計画を進めてきた米国防総省は、89年から95
年までに実施された4回のBRACで、米国内で350以上の軍事施設を閉鎖した。最新
のBRAC計画はブッシュ政権下の2005年に承認され、2011年9月15日までに25施設
を閉鎖し、他の24施設を整理統合することになっている。

 (閉鎖が決まった施設は、工業、商業、娯楽、教育、住宅などの用地として安
全に再使用できるよう、基地にありがちな有毒性汚染物質が連邦環境保護庁の基
準に基き州の環境保護局の監視のもと浄化されたのち、返還される。国防総省は
、調査や浄化、州の監督に要する費用をすべて負担するほか、返還後に汚染が見
つかった場合も原状回復に責任を負う。普天間基地や嘉手納以南の基地の閉鎖・
撤去についても、米国は当然、汚染物質の除去→環境の原状回復にも責任を持つ
べきだが、日米地位協定にとって米国はその責任を免除されている。)

 フィリピンでは、ピナツボ山の大噴火(91年6月)により灰燼に埋もれたクラ
ーク空軍基地が閉鎖されたあと、破壊的被害を逃れたスビック湾海軍基地につい
ては、1947年に締結された基地協定の期限切れ後も米軍駐留の延期を認めるはず
だった友好・平和・協力協定の交渉がこじれ、フィリピン政府は米国に1年以内
すなわち1992年末までに撤退するよう求めた。これを受けて、米国は設備や機材
を沖縄などの海軍基地に移送し、92年11月24日には正式に基地を閉鎖・返還した。

 米国自治領プエルトリコの大西洋艦隊射爆撃(武器テスト)演習場では、1996
年のビエケス島での誤爆致死事故が引き起こした基地反対運動を受けて、ブッシ
ュ大統領が米海軍の強い反対にもかかわらず2001年にビエケス島からの撤退を発
表、2003年には同島東岸の射爆撃訓練場そして西側の弾薬庫地区から撤退を完了
した。まもなくプエルトリコ本島東側に位置する演習場の本拠地、巨大なルーズ
ベルト・ロード海軍基地も閉鎖された。演習場は米本土に移転された。
 
1990年代から米軍が段階的に削減されていた韓国では、2004年の在韓米軍再編
計画に基き、06年までに南北非武装地帯に近い小規模施設を含む32もの米軍基地
が閉鎖され、返還作業が進められた。04年8月にイラクに展開した第二歩兵師団
第二歩兵旅団の3,900人は、韓国に戻ることなく、コロラド州フォート・カーソ
ンに移転した。予定では、在韓米軍は昨年末までに12,500人減って、25,000人
規模に落ち着いたはずである。2006年6月7日付「星条旗」紙によれば、米国はす
でに閉鎖した25基地(総面積11,000エーカー)を無償で返還しようとしたが、環
境浄化に不満を抱いた韓国政府が返還を認めたのは7施設だけだという。
 
ヨーロッパでは、冷戦終結により大きな戦争の可能性が減ったとして、欧州駐
留米軍の約85%に相当する約7万の兵士が、主としてドイツからテキサス州フォ
ート・ブリスとカンサス州フォート・ライリーに移動中で、在欧米軍基地の大半
は、最終的に非恒久的で軽装備・低費用の施設に置き換えられるという。
  2006年には、米国は地中海有数の観光地として知られるイタリア・サルデーニ
ャ島沖合のマッダレーナ島にあった原潜補給基地を、近海での原潜事故と観光へ
の影響の懸念から撤退運動が高まったサルデーニャ市の要求を受けた米イ合意に
基き、わずか1年で閉鎖・返還した。米国は冷戦後のトランスフォメーションの
一環、と説明した。
 
また、冷戦終焉を機に90年代には米国の海外基地が大幅に減り、強襲揚陸艦、
補助艦、接続艦などで構成する洋上基地(シーベイシング)構想が浮上した。SA
COが打ち出した普天間の海上基地移転案も、この構想に沿ったものであったと思
われる。
 
こうした例からすると、日本国内における住民の安全、地域発展、観光(経済
)振興といった観点から撤去を主張すれば、米国は普天間基地を1年や2年以内に
閉鎖・撤去できるはずである。原潜が「補給」を理由にたびたび寄航する沖縄の
ホワイトビーチも、日本は閉鎖を要求すべきではないか。

■【再編ロードマップ合意と普天間航空基地】

 そもそも、普天間基地移設問題の発端は、3人の米兵による少女強姦事件が引
き起こした沖縄県民の基地反対運動を受けて、日米両政府が「沖縄県民の負担を
軽減し、それにより日米同盟関係を強化するために1995年に開始した「沖縄に関
する特別行動委員会(SACO)」プロセスにあった。
 
SACOが翌96年12月に発表した最終報告は、そのまま実施されれば、「沖縄県に
おける米軍の施設及び区域の総面積(共同使用の施設及び区域を除く)の約21パ
ーセント(約5,002ヘクタール)が返還される」という、かつてない大規模な基
地整理縮小を描いていた。(ただし、SACO合意がすべて実施されても、沖縄県に
は在日米軍専用施設の約70%が存在することになり、沖縄が過重負担しているこ
とに変わりはない。)

 SACOで、米国が同意したのは、普天間基地、北部訓練場の半分以上(約4千ヘ
クタール)、安波訓練場、ギンバル訓練場、楚辺通信所、読谷補助飛行場、キャ
ンプ桑江、牧港補給地区、那覇港湾施設などの返還、キャンプ桑江とキャンプ瑞
慶覧の米軍住宅地区の統合と一部返還であった。そのほとんどがパッケージ化さ
れた(条件つきの)返還であった。

 最終合意に至る経緯について、「SACO合意を究明する県民会議」(代表・真喜
志好一)は、米国の情報公開法を使って得た情報を分析、同合意が「老朽化した
施設の更新、那覇軍港の移転促進、(従来のヘリコプターに代わる新鋭機)オス
プレイ配備にそなえた関連基地の新設という……基地のハイテク化・強化計画」
の一環であり、「オスプレイの配備計画が、普天間返還と大いに関わっている」
と結論づけた(「なぜか消えた海外移設計画」『週刊金曜日』2000年4月7日)。
真喜志によれば、「海兵隊はオスプレイ配備にともない、普天間常駐の第36海兵
航空群をハワイのカネオヘ湾に移す計画をもっていた。

 一方で、シュワブ区域からの弾薬空輸を実現するために、その海上に新しいヘ
リパッド(注・発着帯)を建設する必要もあった。(中略)そこで、もともとハ
ワイに移設する予定であった普天間を「県民の要求だから」(という名目で)返
す代わりに、海上ヘリ基地を建設するという口実をつくったのではないか」とい
う。こうして、96年4月の記者会見で当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米
国大使が「普天間基地を全面返還する」と発表したことが、SACO最終合意では「
県内移設」という条件付き返還に変わったというのである。(米海兵隊は、2009
年10月に公表した「2010米会計年度海兵航空計画」で、普天間基地に代わる名護
市辺野古新基地に、従来の輸送ヘリコプターより、航続距離5倍、速度2倍、積載
量3倍をもち、騒音が激しく危険性も高いといわれる垂直離着陸機オスプレイの
配備を明記した。当初のシナリオ通りである。)

 「重要な軍事的機能」を県内に移設する、という条件を満たすため、日米は、
(1)嘉手納飛行場、(2)キャンプ・シュワブ、(3)海上に建設される施設の3案を検討
した結果、「海上施設(海上ヘリポート)」案を採択した。SACOが、「他の2案
に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質に
も配慮するとの観点から、最善の選択と判断」したためである。「海上施設は、
軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失わ
れたときには撤去可能なものである」との文言も付け加えられた。輸送機(KC-13
0)12機を岩国に移駐し、嘉手納飛行場を追加整備することも合意された。

 SACO合意の中でも普天間基地の県内移設は沖縄でさまざまな議論を呼び起こし
た。名護市辺野古地区沖合の海岸(環礁地帯)を埋めて代替基地を建設するとい
う当初の日本政府案に、名護市長も名護市議会も反発し、市民投票の結果も「ノ
ー」であったが、名護の過疎化解消を目指す市長は受け入れに転じた直後に辞任

それを受けた選挙では、(1)基地被害を極力抑える安全・環境対策を確立し、
(2)飛行場(当時の稲嶺知事は15年後の軍民共用化を条件に承認していた)は
3キロ以上沖合に建設する、(3)辺野古区を中心とした拡充北部振興策の実施
を閣議で決定するなどの条件付きで建設を容認した候補者が当選したものの、
移設先の辺野古では現在も反対運動が続いている。98年10月には、大田沖縄県
知事も海上へリポート受け入れ拒否を表明した。最大の理由は、米軍基地に反
対してきた沖縄が自主的に新基地建設を認めるわけにはいかない、というもの
だった。

 SACO合意は、まもなく「在日米軍再編ロードマップ」に変わる。きっかけは、
米国のブッシュ大統領が2004年8月16日、退役軍人クラブ大会で発表した新軍事
展開計画であった。新軍事計画というのは、冷戦終結によりソ連の脅威が消えた
あと、新たな脅威が生じつつあるとして、米国が2003年9月の同時多発テロ以来
練ってきたもので、米国が1980年代から進めてきた「トランスフォメーション」
に沿っていた。大統領は次のように説明した。

1.今後10年間に、米国はより機動的でより柔軟な軍隊を展開する。その結果
、より多くの部隊が米国に駐留し、米国から展開することになる。また、想定外
の脅威に緊急対応するため、一部の部隊を新しい場所に移動する。21世紀の軍事
技術を活用して高い戦闘能力をもつ軍隊を迅速に展開できるようにする。

2.この計画は、わが国が21世紀のこうした戦争に勝利することを助けるだろ
う。これは、世界中でわが国の同盟が強化し、平和維持のため新たなパートナー
シップを築くことにもなる。米国軍人とその家族のストレスも緩和する。米国は
海外に引き続き大規模な部隊を駐留させるものの、今後10年間に6万人から7万人
の将兵、そしておよそ10万の軍属と家族が帰還することになろう。海外で不要に
なった基地と施設を整理・閉鎖することにより、米国の納税者の負担も軽減され
る。
 
世界中に展開した米軍の海外基地は整理縮小し、部隊の多くを後方(米本国)
に移す。そうすれば、国土防衛の強化につながるだけでなく、軍人とその家族の
精神的負担や国家の経費削減にもつながる。海外へは新しい軍事技術を使って効
率的に部隊を緊急派遣すればよい――というのである。国防総省の言葉を借りれ
ば、「冷戦時代の戦略から21世紀型戦略への転換によって、ほとんどの部隊は米
本土におき、海外で有事が発生すると訓練や参戦のため急派できるようにする」
という。先に見た海兵隊配置の数字とも整合している。
 
2005年9月の郵政民営化選挙で圧勝して誕生した第3次小泉内閣では、この米
国の新軍事展開計画を受けて、早速、麻生外相と額賀防衛相がブッシュ政権のラ
イス国務長官およびラムズフェルド国防長官と協議して、米国が進めていた「同
盟関係にとって死活的に重要な在日米軍のプレゼンスを確保」するための「(在
日米軍・自衛隊)再編実施ロードマップ(行程表)」に合意する。
 
トランスフォメーション計画に従えば、沖縄などの在日米軍基地も整理縮小→
米本国移転の対象になるはずである。ところが、日本は戦後60年以上経ち、冷戦
終結から20年が過ぎても、米軍基地を受け入れるだけでなく、NATO全体より2倍
も多い米軍駐留支援(「ホストネーション支援」)によって直接(地代、労務費
、訓練移転費、宿舎を含む施設建設費、水道光熱費、基地周辺対策費などの、い
わゆる「思いやり予算)、間接(空港・港湾・道路使用料などの免除)に米軍駐
留を資金援助し、おまけに地位協定によって基地と軍人・軍属・その家族を特別
扱いしている。沖縄を除いて、目立った反米軍基地運動も少ない。米国にとって
、日本はきわめて「ありがたい」存在だ。
 
日米合意により、普天間基地は、日本の財政支援で、本島北部太平洋沿岸の辺
野古沿岸を埋め立てて移設されることになった。必ずしも沖縄にこだわらなかっ
たという米国も、日本国内では沖縄県内以外に選択肢はないとの日本政府の説明
を受け入れて、辺野古への移設で決着した。これにより、地域住民が嫌がる古い
普天間基地から撤去して、周辺に海兵隊基地が点在する沖縄本島の北部沿岸へ移
設できるのだから、米軍には「猫にかつお節」のような解決法であっただろう。
移設は古くなった施設の更新・近代化を意味するから、尚更である。
 
在沖海兵機動展開部隊所属の約8,000人とその家族約9,000人のグアム移転は移
転に必要な日本政府の資金支援と普天間基地移設の進展、嘉手納以南の基地の整
理統合は海兵隊員と家族の移転完了が前提とされた。つまり、普天間基地の移設
が進まないことには、2014年期限とされたグアム移転もなければ、キャンプ桑江
の全面返還もキャンプ瑞慶覧の部分返還も、普天間飛行場や牧港補給地区や那覇
港湾施設の全面返還もないという「パッケージ」に組み込まれた。海兵隊員と家
族のグアム移転及びSACO合意に沿った嘉手納以南の米軍基地の整理統合は、日本
が米国のトランスフォメーション計画を資金的に支援する形で実現したのである。

 日米は、在沖米軍基地の再編のほか、(1)キャンプ座間にある米陸軍司令部の改
編→陸上自衛隊中央即応集団司令部のキャンプ座間移転→相模補給廠における米
戦闘指揮訓練センターなどの建設、(2)東京都府中市にある航空自衛隊航空総隊司
令部と関連部隊の横田飛行場への移転や横田空域の一部日本返還、厚木飛行場か
ら岩国飛行場への空母艦載機の移駐、ミサイル防衛、日米共同訓練についても合
意した。
 
「ロードマップ」の「施設整備に要する建設費その他の費用」は日本政府が負
担することも決められた。米国が負担するのは、「(ロードマップ案の)実施に
より生ずる運用上の費用」だけである。トランスフォメーションが米国の計画で
あるにも拘わらず、日本が施設建設費を負担するというのも、おかしな話である
。オバマ大統領が共同記者会見で述べた「日米は対等なパートナー」の精神にも
反する。

■【沖縄差別の「総論賛成、各論反対」】

 前回の拙稿に書いたように、危険な普天間基地を沖縄本島内に移設することに
したのは小泉首相のいう国内の「総論賛成、各論反対」(日米安保体制には賛成
だが、自分たちの自治体への基地移設には反対)による。2006年に沖縄タイムス
が行った世論調査では県民の69%が普天間基地の県内移設に反対した。同年11月
の県知事選挙では、県内移設を容認していた仲井真候補が勝利したが、2008年6
月の沖縄県議会議員選挙では、辺野古移設案に反対する議員が議会の過半数を占
め、その後の県議会で、建設反対を決議した。
 
しかし、小泉政権は他府県の反対は尊重しながら、沖縄の声は無視した。あか
らさまな差別である。在沖基地の整理縮小を「(条件つき)パッケージ」に入れ
たSACO合意と同じように、日米合意の中で普天間基地と嘉手納以南の基地だけが
「パッケージ」化されたのも、差別的としか言いようがない。
 
在日米軍再編日米合意、中でも普天間基地の県内移設を前提とする沖縄パッケ
ージは、沖縄県民の長年の願いにそむくだけでなく、軍隊は国土防衛強化・経費
削減・軍人と家族のストレス緩和のためにできるだけ自国内に駐留させる、海外
への緊急出動は21世紀の軍事技術が可能にするという米国のトランスフォメーシ
ョン計画にも合致しない。鳩山政権は、「緊密で対等な日米同盟関係」や「沖縄
県民の負担軽減」という路線を貫いて、一日も早い普天間海兵隊航空基地――で
きればすべての在沖海兵隊基地――の閉鎖・撤退を強く米国に要求すべきであろ
う。政権交代の見せどころである。
            (筆者は沖縄在住・元桜美林大学教授)

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