【オルタの視点】

蜃気楼に浮かぶサウジアラビア
―ムハンマド皇太子(MbS)の賭―

渋谷 祐


・最大のガン細胞を摘出
・MbSのトリプル演技力
・MbSと競う青年王子の群像
・南北からイラン脅威迫る
・米中ロと日本の対応に温度差

◆◆ 最大のガン細胞を摘出

 4日、サウジアラビアの実力者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、有力王子11名や現職閣僚・国際投資家ら200人超(女性実業家1名を含む)を逮捕・拘束した事件から3週目を迎える。動揺はおさまらない。

画像の説明
  左=ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MbS)
  右=牢獄に転用されたリッツ・カールトンホテル、ジッダ~AFPより

<衝撃だった次期国王候補の逮捕>
 サウジアラビアの国旗はコラーンの聖句と剣を描いたデザインである。剣は聖地メッカ・メジナの守護を表し、王国権力の象徴である。
 その名誉ある伝統の権力構造の一翼を担った国家警備隊は実質無力化される方向が決まった。国家警備隊担当大臣であるムトイブ・ビン・アブドッラー王子が汚職の容疑で逮捕された。
 ムトイブ王子は、サルマン国王(第7代)・ムハンマド皇太子に対抗しうる閣内に残された唯一の王族であった。

<国家警備隊は「最後の権力中枢」>
 ほぼ50年間、アブドッラー前国王(第6代)が最高司令官として君臨した国家警備隊は「私兵化」した、いわば最大級のガン細胞だったが摘出に成功し、ムトイブ王子は拘束・軟禁された。
 国家警備隊は、本来はクーデター対策、聖地守護や国防軍を補強するという均衡維持のための組織だったが、10万人体制に膨れ上がり組織は形骸化した。病院や学校運営などに事業拡大し、利権の温床になった。
 他方、今回の粛清で、伝統的にナーイフ家が押さえてきた内務省系の組織も形骸化が進み改革される方向が決まった。
 サウジアラビアの複雑な部族ネットワークを軸に築かれた「国家警備隊はおそらく、皇太子と王位の間に立ちはだかる最後の自律的な権力の中枢だった」(7日、FT/日経)。

◆◆ MbSのトリプル演技力

 サウジの民衆は、MbSによる①権謀による絶対的な地位奪取、②巨大汚職と戦う「戦士の王子」の姿、③長老王子を投獄する「曲芸技」、というトリプル演技を喝采しているという。
 一方、苛烈で容赦しないMbSの権謀術数に対して、合議制のルールを主張する保守勢力の反発は強い。
 ショックだったのは、逮捕されたムトイブ国家警備隊大臣は、罷免されたあげく拷問を受け鞭でたたかれたことだ(20日、『ミドルイースト・アイ』誌)。(真偽のほどは未確認)。

<流砂・蜃気楼のベドウイン社会>
 MbSの果断な粛清専断を光とすれば、王国を支える遊牧社会(ベドウイン)の精神風土が流砂の如く変質する影の側面が浮かび上がる。
 シャンマール族など割拠する地方部族の動揺、シーア派住民が蜂起する東部州や排他的なワハビズムの宗教原理主義に、MbSは危機感を募らせている。
 サウジ王室は王族間の微妙なバランスのもとに統治された。
 建国90年をまもなく迎え、豊富なオイルダラーに支えられた王国の権力構造と栄華は、蜃気楼のように消えるのだろうか。

◆◆ MbSと競う青年王子の群像

<「第3世代」への政権譲渡>
 病身で高齢のサルマン国王(81歳)の生前譲位の可能性が高まるなかで、MbSは粛清プログラムを実行に移した。
 現状打破を訴える「第3世代」の旗手としての期待に応えなければならない。
 まず、第2世代の指導原理だった有力ファミリーによる集団指導体制(合議制)の殻を破ることだ。
 MbS(32歳)は、4月、未来政治モデルを構築するためファミリーを超えた忠誠心のある野望と熱気盛んな30~40代の青年王子をひそかに呼び込んだという(英公共放送=BBCなど)。

<世代交代期の権力闘争>
 筆者の旧知のサウジウオッチャーである、サイモン・ヘンダーソン氏(元FT記者、現在米シンクタンク研究員)は要旨次のように米国の外交誌『フォーリン・ポリシー』誌(11月号電子版)に寄稿した。

 往年の第2世代を象徴した「スデイリーセブンあるいはファイブ」による40年間に及ぶ支配構図は事実上終わった。
 いま、第3、第4世代の権力構造に移行する新段階に入った。
 MbSは、汚職腐敗の撲滅を理由に有力者をねらって摘発を行い、「分断と征服」の王道学を実行して、抵抗勢力の機先を制した。
 被逮捕者の中には、名門のスデイリー・ファミリーの一員やアブドッラー国王(第6代)の孫ムトイブ(前掲)らがいる。

<伯仲登場する青年王子>
 (ヘンダーソン氏は続けて)MbSは、血統主義がまだ幅をきかす王室のなかで、次に掲げる能力のある青年王子のポテンシャルを重視している模様。

 ①ハリド・ビン・サルマン(29歳)。駐米大使。MbSの実弟。F15の元パイロット。サルマン家。
 ②アブドッラー・ビン・サウド(33歳)。内相。父は東部州知事。ナーイフ前内相は叔父。ナーイフ家。
 ③アブドッラー・ビン・トルキ(34歳)。総合スポーツ庁副総裁。父は駐米・駐英大使と総合諜報局長官を歴任し、イスラエルとの関係改善に前向き。ファイサル家。
 ④バンダル・ビン・ハリド。王宮府顧問。父はメッカ州知事。ファイサル家。
 ⑤アハメド・ビン・ファハド。東部州副知事。父も東部州元副知事。ファハド家。
 ⑥トルキ・ビン・ムハンマド(38歳)、王宮府顧問。父は東部州元知事。ファハド家。
 ⑦ハリド・ビン・バンダル。駐ドイツ大使。オックスフォード大学留学。父は有名な元駐米大使で、9・11同時テロ事件を処理。スルタン家。
 ⑧アブドラアジズ・ビン・ファハド。 ジャウフ州副知事。父は陸軍司令官。祖父は元国家警備隊副司令官(2013年没)。バドル家。
 以上に加えて、⑨ファイサル・ビン・サタム(駐イタリア大使)、⑩サウド・ビン・ムハマド(38歳、メディナ州副知事)らの逸材がいる。

 アハメド・ビン・アブドラアジズらの有力政敵も多いのは事実だ。
 なお、有力対抗馬といわれたマンスール・ビン・ムクリン(アシール州副知事)は、5日、原因不明のヘリコプター墜落事故のため死亡した。

<オールスルーの改革宣言>
 前掲のムトイブ国家警備隊大臣は汚職容疑で失脚し、家格は落ちるが、次官だったハリッド・ビン・アヤーフが後任に任命された。
 海軍提督のアブドッラー・ビン・スルタンも拘束された。
 宗教界では、9月にMbSがワッハーブ派の強硬思想の聖職者たちを一掃した。女性の車運転に反対する宗教警察らを押し切った。
 サウジ社会の文化・文明化をめざすMbSの前途には相当困難な試練だ。MbSは、サウジを穏健な昔のイスラム教の国に戻すと宣言している。

<「サウジ・ビジョン2030」構想は急がず>
 脱石油依存と雇用創出のためサウジが追求する「サウジ・ビジョン2030」を牽引した重要閣僚のファキーフ経済企画相と、アラムコの取締役であるイブラヒム・アッサーフ元財務相も逮捕され、更迭された。

 さらに世界的に著名な投資家のアルワリード・ビンタラール王子が逮捕された。
 ビジョンの具体的な内容の「国家変革計画」やサウジアラムコの新規株式公開(IPO)の実施が遅れる見込みであるがMbSは急がないという。
 ビジョンの中核は、若年・女性労働力の活用による非石油・民間部門の経済活性化であるが、保守層や官僚たちからは反発が強いという。

◆◆ 南北からイラン脅威迫る

<GCCとアラブ連盟の調整失敗>
 イラン断交(2016年1月)を契機に、MbSは6月、湾岸協力会議(GCC)の一員だったカタールと断交して経済制裁を加え、これによりGCCは分裂状態が明確になった。
 11月、レバノン大統領の辞任危機の調停解決に臨んだが、アラブ連盟はまとまらず、MbSの外交手腕にはきびしい現実が立ちはだかる。

<イスラエル和解というリスク>
 MbSは、イランの勢力拡大に対抗するため、イラク、シリアやレバノンにまたがるシーア派勢力を分断する構想を進めている。その「禁じ手」といわれているのがイスラエルとの和解工作である。
 ただ、もし、MbSがイスラエルと和解すれば、パレスチナ自治政府(PA)やヨルダンなどアラブ諸国はどう反応するだろうか危うい。
 また、イエメン戦争において劣勢に傾くサウジであるが、いま南北ダブルのイラン対抗作戦を迫られている。

<イエメンからミサイル発射>
 4日、粛清劇で揺れるリヤドをめがけて隣国イエメンからミサイルが発射されたが、迎撃ミサイルに撃ち落とされたと地元メディアが報じた。サウジ国営放送は、発射したのはイランを後ろ盾とするシーア派武装組織「フーシ」という。

<エネルギーインフラは大丈夫か>
 サウジアラムコが運営する東部州や紅海側の石油生産施設やパイプラインのインフラ・セキュリティの確保を強化して、アルカイダなど内外勢力による人的・物的なテロやサイバー攻撃などの脅威からいかに守るか、いわゆる「石油防衛隊」のチェック体制の強化がいま求められる。

<原油価格は2年半ぶりに上昇>
 4日の粛清発表とミサイル発射報道に反応したNY原油価格(WTI先物)は1.71ドル(3%)上げ、2年半ぶりにバレル当たり57.35ドルの高値を付けた。

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◆ 米中ロと日本の対応に温度差

<トランプは粛清劇を「承認」>
 アジア歴訪中だったトランプ米大統領は、粛清発表があった当日(4日)、わざわざサルマン国王に電話して、サウジの現代化の動きを称えたという。
 トランプ大統領の娘婿の上級顧問クシュナーは中東特使として、サウジを事前に訪問した事実があり、トランプ政権から暗黙の「承認」を得たという(ニューズウィーク日本語版、11月17日)。

<中国の果敢な支持表明>
 16日、習国家主席はサルマン国王に対し電話で、(直接粛清事件には触れずに)「中国は、サウジの国家主権を保護する努力を支持する」と表明し、「国際的・地域的な状況がいかに変わろうとも、サウジとの戦略的協力を深めようとする中国の決意は揺らがない」と語った(中国外務省)。
 3月、サルマン国王は訪中し、サウジの「ビジョン2030」と中国の「一帯一路」イニシアティブの連携について双方は合意した。

<プーチンの存在感が高まる>
 内戦が続くシリアをめぐって、アサド政権を支援するロシアのプーチン大統領は、反政府勢力を支える米国とサウジアラビアの首脳と相次いで電話で会談し、アサド政権の存続を容認するようイニシアティブを発揮している。イランとの関係を持続して米国を凌ぐ存在感を高めている。10月、サウジ国王によるロシアへの公式訪問はソ連時代を通じて初めてだった。

<「日・サウジ・ビジョン2030」の運命>
 粛清事件の起こる前、7月、安倍総理とサルマン・サウジアラビア国王との首脳会談において、「日・サウジ・ビジョン2030」が合意され、「サウジ・ビジョン2030」と「日本の成長戦略」のシナジーを目指すことで合意した。
 サウジ産は日本の輸入原油比40%に迫っている。サウジ激震リスクへの備えは大丈夫だろうか。 (Copyright EGLJ 2017)

 (早稲田大学資源戦略研究所事務局長・主任研究員・メルマガ「新・ジオポリ」編集発行者)

※この記事は渋谷祐氏が編集・発行するメールマガジン『新・ジオポリ』(有限会社エナジー・ジオポリティクス 2003年8月創刊)2017年7月号(第168号)から著者の許諾を得て転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。

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