【コラム】大原雄の『流儀』

芸の伝承と世代交代(上)

大原 雄

 18年10月26日、18年度の文化勲章・文化功労者(文科省が管轄)が発表された。歌舞伎役者の十五代目片岡仁左衛門も、文化功労者の一人として選ばれた。仁左衛門は、10月の歌舞伎座に出演していて、前日の25日に千穐楽を迎えたばかりだった。江戸歌舞伎の華と言える演目の主役・助六を東京では20年ぶりで、演じ終えた。
 仁左衛門は、上方歌舞伎の和事の演目「廓文章 吉田屋」の優男(のっぺり、ウジウジのキャラクター)の伊左衛門も演じれば、江戸歌舞伎の荒事の演目「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」(松嶋屋の「助六」外題)の鯔背な江戸っ子キャラクターの典型・助六も演じることができる役者である。
 歌舞伎界は、長らく、現代も、江戸歌舞伎は、成田屋(市川團十郎系統)、上方歌舞伎は、山城屋・成駒家(坂田藤十郎・中村鴈治郎系統)を二つの軸にしているが、上方系ながら、松嶋屋系として、仁左衛門は、第三の道の可能性に向けて、400年を超える歌舞伎の歴史の中で独自の熟成の花が開き始めてきたのではないか。文化功労者選定は、仁左衛門という歌舞伎役者人生の、そういう時分どきを知らせているように思える。

★歌舞伎の文化功労者と人間国宝

 歌舞伎の文化功労者(文科省管轄。現在、現役存命では、6人。将来の文化勲章受章候補)は、四代目坂田藤十郎、二代目市川猿翁、二代目松本白鸚、七代目尾上菊五郎、二代目中村吉右衛門、十五代目片岡仁左衛門。このうち、既に文化勲章を受章しているのは1人、四代目坂田藤十郎のみ。
 文化勲章受章は、閣議で決定される。また、歌舞伎の人間国宝(こちらも、文科省管轄。人間国宝=重要無形文化財保持者、現在、現役存命では、7人)は、四代目坂田藤十郎、六代目澤村田之助、七代目尾上菊五郎、二代目中村吉右衛門、五代目坂東玉三郎、十五代目片岡仁左衛門、六代目中村東蔵。
 人間国宝と文化功労者は、どういう違いがあるのだろうか。文化功労者とは、文化の向上発展に、特に功績が顕著な人、という。年額350万円の終身年金がつく。一方、人間国宝は、日本の伝統工芸・技能を支援・奨励して後世に残すことが目的で、その実践者の「技」という形のないものを顕彰する。だから、無形文化財。

★顔見世月とハロウィーン

贅言; 11月なので、ついでに、歌舞伎とハロウィーンについて、一席。昨今、異常に流行っている感のあるハロウィーンは、11月から翌年10月までを1年とするケルト人の暦が起源。2000年前から始まった秋の収穫祭。だから、かぼちゃ。かぼちゃを悪霊払いのランタンに加工する。正月(11月)の前夜、つまり、大晦日の10月31日が、ハロウィーン。「諸聖人の祝日の前夜」という意味。キリスト教は、ハロウィーンを原則的には認めない。ハロウィーンを容認するキリスト教の会派もある。

 歌舞伎の顔見世も、11月を顔見世月とし翌年10月までを1年とする。「年間」に対する概念がケルト暦と類似。11月(つまり、正月)の興行、当時は年度最初の興行を「顔見世興行」と名づけて、その芝居小屋の向う1年の新しい座組(一座の構成)の顔ぶれや座付作者の紹介、力量を披露するのに重点を置く特別興行として世間に披露した。歌舞伎役者らの契約が、当時は11月から翌年の10月までの1年間であった。昨今のハロウィーンの大騒ぎ(今年は、東京・渋谷で、異常なバカ騒ぎがあった)は、「ファッショ的な高揚感」が滲み出ていて私は好きではないが、非日常性を求めるハロウィーンの「ハレ意識」と顔見世月のハレ意識には、互いに通じる共通性があるように思われるのは、なぜか。

★芸の伝承と世代交代

 さて、本題へ。10月歌舞伎座(10.1~25)の興行は、「芸術祭十月第歌舞伎 十八世中村勘三郎七回忌追善」と銘打たれていた。昼の部の演目は、「三人吉三巴白浪」「大江山酒呑童子」「佐倉義民伝」、夜の部の演目は、「宮島のだんまり」「吉野山」「助六曲輪初花桜」であった。この論考では、歌舞伎の先達役者たちが、松竹との協力の下、後継役者たちをどういう目で見守り、伝統芸の伝承と世代交代を図って行こうとするのかを解説してみたい。十八代目中村勘三郎(1955年5月~2012年12月)は、歌舞伎役者として、力量も愛嬌もある役者だった。この論考で取り上げる演目は、10月歌舞伎座の昼夜通し6演目のうち、3演目。昼の部の「佐倉義民伝」、夜の部の「助六」、「吉野山」である。

★十八代目勘三郎七回忌追善

 10月の歌舞伎座は、十八代目中村勘三郎の七回忌追善興行と銘打たれただけに、一階ロビー下手側出入口近くに、勘三郎の遺影が飾られていた。天才肌の歌舞伎役者十八代目勘三郎が亡くなって、早や、6年が過ぎてしまった。57歳で亡くなり、存命だったら、今年は、63歳。本来なら、この6年間は十八代目勘三郎の熟成期の始まりともいうべき舞台を観ることができたはずだ。

 勘三郎は、4歳で五代目勘九郎を名乗り、まずは、子役として歌舞伎界を走り始めた。子役から、青年役者へ。若手時代、花形時代、中堅時代、そして、2005年3月、49歳で十八代目勘三郎襲名したのをきっかけに始まった熟成期。どの時期も、同世代の役者たちのトップを切って走ってきた。50歳から70歳、役者の熟成期形成という芳醇な時期。生きていれば、この時期もトップを切って走り続けていたことだろう。そういう、観客にとっても貴重な時間が流れていたに違いない。

 しかし、現実は違う展開を余儀なくされた。勘三郎の遺児たち。勘九郎(37)・七之助(35)の兄弟は、消えてゆく偉大な父親の背中をどのような思いで見つめていた、のだろうか。勘九郎は言う。「偉大さを感じるだけでなく、私たちも(父のように)輝く存在にならないといけないと思っています。私たち兄弟は、お客様と一緒に常に父が見ているという意識で演じています」。また、七之助は、次のように述べている。「その存在は色あせることなく、大きくなっていると感じます」。
 勘九郎・七之助の兄弟にとって、父親・勘三郎は、常にこちらを向いて、顔を見せながら迫ってくる存在のようだ。ますます、大きくなる存在。兄弟が、歌舞伎の魅力や難しさを実感するようになればなるほど、勘三郎は、父親として、歌舞伎界の先達として、彼らに向かってくるのではないか。彼ら兄弟も、この6年間だけでも、勘三郎の芸を引き継ぎつつ、勘三郎とは違う味わいも付加させながら、大きく成長してきたように思う。

 父親の熟成を楽しめなかった観客たちは、遺子の兄弟たちの成長ぶりを楽しめた。10月の歌舞伎座は、昼夜で、勘三郎と勘九郎・七之助の兄弟との芸の切磋琢磨の、幽冥を超えた「現況」という、その新しい局面を私たちに見せてくれるのではないだろうか。

 まず、10月歌舞伎座に出演する十八代目勘三郎の兄貴格の役者たち。斯界の先達である。二代目松本白鸚(76)、十五代目片岡仁左衛門(74)、五代目坂東玉三郎(68)の3人が、勘九郎・七之助と共演する。

 まず、昼の部では、勘九郎・七之助の相手は、「佐倉義民伝」の白鸚。今年の歌舞伎座出演は、1~2月連続の歌舞伎座高麗屋三代襲名披露以来、全国の主要劇場での襲名披露興行に追われ、歌舞伎座はご無沙汰だったという白鸚。久しぶりの歌舞伎座出演で主役の宗吾を演じる。その白鸚を相手に、女房・おさんを七之助が初役で演じる。世話女房役である。勘九郎は、将軍・徳川家綱を演じる。品格が要求される。
 夜の部では、「助六曲輪初花桜」の仁左衛門と玉三郎。仁左衛門の助六を相手に、七之助は、揚巻を演じる。初役で、女形の大役中の大役を任せられた。玉三郎は、七之助の揚巻を指導しながら、助六の母・満江を演じる。七之助は、仁左衛門と玉三郎という立役と女形のふたりの人間国宝の視線を浴びながら、25日間、揚巻を演じるわけだ。千秋楽まで無事勤め上げれば、どれだけ成長することだろう。
 「吉野山」の玉三郎。玉三郎は、静御前。従える狐忠信は、勘九郎が演じる。勘太郎時代を含め、狐忠信を演じて、今回が4回目。相手役の静御前は、亀治郎時代の猿之助、福助、七之助、そして、今回は、いよいよ玉三郎である。松竹の重役陣が、中村屋兄弟にかける期待が、いかに大きいかが、よく判る布陣であり、配役である、と言えるだろう。

 そのほかの演目では、勘九郎は、「大江山酒呑童子」の酒呑童子。勘九郎は、この役は2回目。今回は、先輩の扇雀、錦之助や後輩たちと共演する。酒呑童子は、人間ではない。鬼である。異様のものを表現しなければならない。七之助は、「三人吉三巴白浪」のお嬢吉三。七之助は、この役は4回目。先輩の獅童(46)や後輩たちと共演する。お嬢吉三は、両性具有。それも男が、女に化けているが、その男は七之助という女形になって、男が化けた女を演じている、という多重的な両性具有だ。

 「宮島のだんまり」には、今回は、勘九郎・七之助の兄弟は出演していない。こちらに出ているのは、扇雀、錦之助、高麗蔵、彌十郎、萬次郎、片岡亀蔵、歌女之丞、吉之丞らベテラン、歌昇、隼人、巳之助、種之助、鶴松らの若手。

★助六を演じないまま亡くなった勘三郎

 10月歌舞伎座夜の部のハイライトは、まず、「助六」である。今回は、仁左衛門の助六なので、外題が「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」となっている。仁左衛門が、助六を演じるのは、9年ぶり、歌舞伎座では、仁左衛門襲名披露興行以来になるので、20年ぶりのことだ。私は、この襲名披露の歌舞伎座の舞台を観ている。

 「助六もの」(総称的に使う外題は「助六由縁江戸桜」。本来は、成田屋独自の外題)は、今回で、私は、10回目の拝見となる。私が観た助六、実は曽我五郎は、團十郎(4)、新之助時代を含めて、海老蔵(4)、そして、仁左衛門(今回含めて、2)。歌舞伎座の上演記録を見ても、成田屋のふたりが圧倒的に多い。まもなく終わる平成期では、合計25回上演のうち、團十郎が9回、新之助時代を含めて海老蔵が8回。孝夫時代を含めて仁左衛門が6回。菊五郎、三津五郎がそれぞれ1回となる。

 今回の主な配役。揚巻(七之助。抜擢の初役)、意休(歌六)、助六らの母・満江(玉三郎。初役だ)、白酒売新兵衛、助六の兄・実は曽我十郎(勘九郎)、通人の里曉(彌十郎)、若衆の艶之丞(片岡亀蔵)、くわんぺら門兵衛(又五郎)ほか。鬘をつけた裃後見として松之助が支えている。

 仁左衛門は、「助六をこの歳で勤められることもありがたいですし、(私としても)今回が集大成のつもりです」と話している、という。

 十八代目勘三郎は、助六を演じることなく亡くなってしまった。父親の十七代目勘三郎は、本興行で、6回助六を演じている(上演時の外題は、「助六曲輪菊」)が、息子の十八代目は、一度も助六を演じなかった。「助六」に出演している場合は、白酒売新兵衛、実は曽我十郎、通人の里曉、福山かつぎなど。このうち、白酒売新兵衛、実は曽我十郎、通人の里曉の舞台などを私は歌舞伎座で観ている。

 建て替えとなる歌舞伎座が、閉場になる直前。10年4月、旧・歌舞伎座興行の最終月、「さよなら歌舞伎座」の舞台。通人の退場の花道の場面。新・歌舞伎座開場を期待したアドリブの科白が場内で受けていたが、勘三郎は新・歌舞伎座開場を待たずに12年12月に亡くなってしまった。歌舞伎座の建て替えによる閉場期間は、10年5月から13年3月末までだった。再開場は、勘三郎の死から4カ月後だった。勘三郎はいずれ、助六は自分も演じると思っていたことだろう。演じたかっただろうな。永遠に見ることができない十八代目勘三郎の助六。

 仁左衛門の話に耳を傾けよう。筋書の楽屋インタビューで仁左衛門は、「助六」を十七代目勘三郎から教えを受け学んだ、という。また、十八代目勘三郎からは、(生前)助六を「教えてほしい」と乞われていた、ともいう。

 「初演では、十七代目のおじさまに教えていただき、その後、十八代目に、自分が助六をやる時には教えてよと言われていましたが、実現できず残念です」。私(仁左衛門)が「彼に『私より東京の人から教わったほうがいいんじゃない?』と言ったら、『兄ちゃん(仁左衛門)に教えてほしいんだ』と、勘三郎は言っていた」、という。「(その実現できなかった思いを勘九郎君につなげたい。)勘九郎君には、(今回の舞台で)私の『助六』を傍で見ていて欲しいですし、(大和屋さんの指導の下、)七之助君は『揚巻役者』になって欲しいと思います。(「助六」コンビとしての)ふたりに対する期待ですね」と語っていた、という。

 仁左衛門は、今回含めて7回、助六を演じているが、このうち、今回を除く6回は、すべて玉三郎の揚巻を相手にしている。玉三郎以外の揚巻と共演するのは、今回の七之助が初めてだ。大抜擢の七之助の揚巻。長年の揚巻役者だった玉三郎は、今回は、曽我兄弟の母親役で同じ舞台に立ち、七之助の揚巻を指導する。

 ひとりの歌舞伎役者を育てるのは、祖父・父親、兄など、家族親戚を含めた直系ばかりではない。祖父・父親に教えを受けた他家の役者なども支える。今回の仁左衛門など典型であろう。先達から受けた恩義を若い世代への指導という形で返して行くのである。歌舞伎界は、そういう意味で、役者の、いわば「護送船団方式」(「護送船団」とは元々軍事用語なので、適切な比喩ではないかもしれないが。要するに、業界全体を皆で守る方式の意味で使ってみた)が徹底し、若手役者を育成していると言えるだろう。時の流れの中で、護送船団は、先達が後輩を見守り、指導しあって行く。

 ならば、我々も、仁左衛門型「助六」の勘九郎・七之助兄弟への継承(上方から江戸へ)に期待しよう。今回、勘九郎は、白酒売新兵衛、実は曽我五郎で出演し、仁左衛門の助六を同じ舞台の傍で見ている。仁左衛門を相手に揚巻を演じる弟の七之助をも見ている。勘九郎がいつの日か、こうした体験を踏まえて、十九代目勘三郎を襲名する。七之助の揚巻を相手に、仁左衛門・玉三郎の指導を踏まえて、さらに勘三郎の名跡の下、助六を演じる日も来ることだろう。体調管理をしっかりやって、元気で、その舞台を観ることができると良いな、と思っている観客も多いことだろう。

★さまざまな「助六」外題

贅言1);成田屋の「助六」の外題は「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」だが、仁左衛門が「助六」を上演する時は「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」、菊五郎が上演する時は「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」、三津五郎が上演する時は「助六桜(の)二重帯(すけろくさくらのふたえおび)」という外題を使う。これだけ歌舞伎役者たちにもてはやされる歌舞伎の名作「助六」だが、原作者は、不明。芝居小屋の多数の狂言作者や役者、そのほか関係者たちが、憑依した状態で、知恵を出し合い、複数の工夫と魂胆の果てに、今のような演目に育ててきたのではないか。まさに、歌舞伎のエキスの熟成された名作が、「助六」というわけだろう。

贅言2);閑話休題で、ついでながら。稲荷鮨と海苔巻きの「助六寿司」というネーミングは、助六よりも揚巻優先。稲荷鮨(あげ)と海苔巻き(まき)が、語源。揚巻を間接話法で忍ばせながら、相手役の助六の名前を直接話法で表示する。この辺りが、江戸っぽい美学。

 私は、今回、東京で20年ぶりに演じられた仁左衛門の「助六曲輪初花桜」を観たわけだが、「助六由縁江戸桜」と、「助六曲輪初花桜」が、その劇的構造を大きく異にしているわけではない。それぞれ、独自の外題をつけて演じている以上、家の芸としての工夫はいろいろあるのだろうが、私の印象では、仁左衛門の「助六曲輪初花桜」は、成田屋と違って、河東節を使わずに、長唄を使っている。仁左衛門の持つ上方味が、江戸の男伊達・助六に團十郎のオーラとは、一味違う味付けとなっているように感じられたことなどか。

 仁左衛門の十七代目勘三郎への恩返し、十八代目への友情、勘九郎・七之助兄弟への継承、歌舞伎界の歴史の断面の一つ(世代交代)を見るような舞台だった。七之助の揚巻は、キリッとしていて良かったと思う。特に、意休が持っていた刀が、探していた「友切丸」と判った後、三浦屋の中へ戻る意休。意休の帰り道を襲おうと待ち伏せのために、先に花道へ消えて行く助六。花道の引っ込み。これで閉幕と思って、場内は、帰り支度で、ざわつき始める。ひとり、本舞台に残った七之助の揚巻は、舞台中央に移動した後、客席に背を向けて衣装を広げ、左斜め後方に振り向く姿勢をとり、横顔を見せながら静止のポーズをとる。暫くすると、そこへ、上手から定式幕が閉まり始めてくる。この瞬間が、本当の「助六」の閉幕となるわけだが、席を立ち始め、わさわさしている観客たちは、どれだけが、この七之助の美しい姿を観ていることだろうか。

★「助六」の演劇構造

 「江戸桜」も「初花桜」も「菊」も、「助六」の演劇構造は、大きくは違わない。構造分析、題して、「スケロク・オペレーション」とは、何か。それは、トリック・スター(助六)の宝刀奪還作戦。横恋慕の三角関係。伊達男の扮装も、曽我五郎の隈取りに、この男の性根を露見させている。

1)美男美女、悪人の「三角関係」(横恋慕)。少年(助六)・やや年上の女(揚巻)と年寄りの大人(意休)の三角関係の物語。

 江戸歌舞伎の特徴、「荒事」の代表作の一つ。江戸歌舞伎の華・荒事は、荒々しいエネルギー、稚気を表現する。江戸っ子の意気を示す、江戸のスーパースター・助六は、子どもっぽい。餓鬼(少年)なのだ。助六の隈は、「むきみ」隈=蛤のむき身の舌に似ているので、こう名付けられた。実は、曽我五郎という本性を示す。五郎も、隈取りは、むきみ隈。敵(かたき)討ちを果たして、亡くなる英雄・五郎の隈より、助六は、やや細めだが、同根という性根を滲ませる。宝刀奪還という志を秘めた洒落男・傾(かぶ)く男・伊達男。紫の鉢巻き(左巻きの病巻と違って、右巻き)などの扮装、衣装、持ち物など、当時の江戸のオシャレの「粋(すい)」を体現している。色彩・様式美など歌舞伎の美学が、横溢。実質的な荒事の創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。しかし、そういう華やかさのなかにも、じっと、凝視すれば、粘着質的に敵を付け狙う曽我五郎の闘争家としての性根を見て取ることが出来る。

 助六の所作は、「大げさ」(オーバーアクション)が、売り物。稚気をいっぱい含んだ助六が、本来の助六の姿だろう。大人・髭の意休に対する餓鬼の助六という構図を見逃さない。間に挟むのは、助六にとって、年上の女性(大人というより、少女に近いかも知れない。特に、意休から見れば、少女だろう)・花魁(遊女)の揚巻。情夫(まぶ)の少年の助六に対する愛情ぶりが、(姉さんらしい)真情に溢れている。「姉さんの深情け」を見落とさないようにしたい。「突っ張った少年と深情けの姉さんだが、世間的には、少女に近い花魁という若いカップル」対金持ちで「年寄りの大人」の、三角関係の物語。今風に言えば、意休のセクハラ、パワハラだろう。

2)「宝刀奪還と敵討ちの物語」。「三角関係」の裏に隠されている。

 助六が、意休に喧嘩を仕掛けるのは、仇討のための「刀改め=源氏の宝刀・友切丸という刀探し」の意図がある。助六が、曽我五郎で、白酒売が、曽我十郎という、兄弟。髭の意休、実は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。友切丸を取り戻すために、助六は、三浦屋の、後の場面で意休を殺す。意休は、歌舞伎の衣装のなかでも、特に重い衣装を着ている(実は、揚巻の衣装も重い。40キロあるという)。それだけに、憎まれ役として、あまり動かずに、姿勢を正し続けるだけでも、大変そう。白酒売は、助六の兄で、滑稽感を巧く出し、弟の助六の荒事が光るように、江戸和事の味わいを出しながら、兄の曽我十郎としての気合いも、滲ませる必要がある。「股潜り」という遊び(これも、「刀改め」作戦のひとつ)。最後に、母親が出て来て、兄弟の「刀改め」が、たしなめられる場面があるが、まさに、叱られた餓鬼(不良少年)たちである。

3)吉原の風俗活写。「助六」は、既に触れたように作者不詳の名作だが、ストーリーより、舞台の見た目を重視する芝居である。絵画的な一幕の場面が、「三浦屋格子先の場」なのである。吉原のメインストリート仲之町三浦屋の格子先で繰り広げられるひと夜の夢。

★「助六」の隠れた魅力、傍役たちのおかしみ

 見た目を重視する芝居の、多彩な傍役たちの魅力。歌舞伎の典型的な配役が、ほとんど見ることができるので、歌舞伎の構造が判る。白酒売の滑稽さ。意休の手下たち=滑稽な、くわんぺら門兵衛、朝顔仙平(当時人気のあった「朝顔煎餅」のコマーシャル。鬘や隈=朝顔を図案化した趣向に注目)。通人(洒落の人)・里暁は、笑わせて、場内の雰囲気をやわらげる。特に、里暁は、アドリブ(捨て科白)の、巧拙で、舞台の出来の印象さえ異なって来る大事な役どころ。毎回、どういう(「現代風」な)アドリブが登場するか、お見逃しなく。粋な「福山かつぎ」。注文を受けて、饂飩を配達する人。吉原で暮らす町の人の代表格。このほか、若衆、あるいは、国侍(地方出の侍)など。庶民たちの一芝居が、おもしろい。昔は、出前に来た人を、舞台に引っ張り込んだというエピソードも伝えられているが、本当か。ここも、注目。若衆・艶之丞(片岡亀蔵)役は、成田屋型では、お上りさんで、不器用な国侍の役回り。白酒売・助六の兄弟との駆け引きにも、注目。

★「助六」は、吉原の風俗を描く芝居

 吉原という遊郭の「花魁道中」の華やかさは、ほかの演目でも、出て来る。「助六」の特徴は、遊女屋の店先、つまり吉原という街そのものが、副主人公になっている。いろんな人たちが通ることで、遊郭の話だが、遊郭内にとどまらずに、店先から、周辺の地域社会が、垣間見えるおもしろさがある。奥深さがある。新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、貴重な空間になる。三浦屋で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で働く人、通う人などが、出て来る。「助六」の舞台は、日が暮れて、妓楼にも明かりが灯るころ、三味線が「清掻(すががき)」(吉原のコマーシャルソングか)というお囃子を弾き鳴らす。11月ころの時期なら、午後6時ころに始まる花魁道中から始まって吉原の唯一の出入口の大門が閉められる午後10時くらいまでの、数時間の華やかな吉原の夜見世の時間の経過が描かれる。

 多様な町の人たちを演じる役者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、300年前の江戸の風俗が、細部に宿っている。例えば、助六の花道の出で、なくてはならないものは、大きな蛇の目傘。傘を持たずに助六が出て来たら、芝居にならないだろう。それほど大事な傘。黒と白のモノトーンが、なんとも粋だ。紫の鉢巻き、黒羽二重の小袖、鮫鞘の一本差し、背中から帯に挿した尺八、印籠などは、どの助六も同じだろう。

 このほか、助六の舞台には、提灯、染め物、塗り物、半纏、刀、煙管、珊瑚や鼈甲の櫛、笄など、江戸趣味に溢れる小物がいろいろ登場する。こういう小道具の作り手(職人)は、江戸の下町以外にも関東の各村に散らばっていた。今も、地域の伝統工芸として伝えられているが、後継者難は、いずこも同じようだ。歌舞伎の演目の中でも、本筋とは違うが、地域社会が見える演目は、数が少ないので、貴重。何百年という時空を超えて、タイムカプセルに入っている風俗情報に直に触れられるのは、「助六」の大きな特徴である。

★十八代目勘三郎・見果てぬ歌舞伎の夢

 さて、最後に十八代目勘三郎に戻ろう。捨て科白(アドリブ)をたっぷり言う時間のある通人役の勘三郎が、6年前に言った科白。役者の気持ちだけでなく、観客の気持ちも代弁して、花道で言っていた科白を最後に記録しておこう。

 「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

 「さようなら」は、そのまま、十八代目の遺言になっているようで、6年経っても、悲しい。しかし、「新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう」は、勘九郎・七之助兄弟へ引き継がれている役者の思い。そして、私たち、観客の思い。夢の歌舞伎、歌舞伎の夢。

 (ジャーナリスト/元NHK社会部記者、日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)

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