【読者の声】

自称憲法学者というエセ学者が誤った言説を振りまくという危機—
竹田恒泰「おまゆう!SEALDsこそ民主主義の破壊者」に対する反論—

高橋 孝治


 学者という職業は不思議な職業である。例えば、弁護士などの場合、「資格を持っているか否か」でその職業を名乗れるかが決まる。それに対して、学者の場合、何をもって「学者」とするのかに決まったルールはないのである。例えば、博士号を持っていれば「学者」なのか、研究書を出版していれば学者なのか、論文を何本か発表していれば学者なのか、論文などは発表していなくても、人に何かを語ったことがあればもう学者と呼んでいいのかなどである。
 このように、「学者」という職業には、明確な定義は存在せず、ある意味「自分で名乗ったモン勝ち」の部分がある。結果として、「学者」を自称しているがとんでもない間違った言説を振りまくという状況が生まれることがある。このいい例としては、自称憲法学者である竹田恒泰氏が挙げられる。

 例えば、竹田恒泰氏の言説の中には「おまゆう!SEALDsこそ民主主義の破壊者」というものがある(https://m.youtube.com/watch?v=pk_nNCHKzpg)。これを要約すると以下のようになる。

・翁長知事が米軍基地の辺野古移設を反対しているがそれは知事の権限ではない。
・SEALDsは「翁長知事は民意の体現者」と述べているものの、選挙で選ばれている安倍総理に対しては「俺たちが民意」と言っておりこれはダブルスタンダードである。

 上記の点から、竹田恒泰氏はSEALDsに対して「おまゆう!(「お前が言うな」の略らしい)」と述べている。
 しかし、残念ながら竹田恒泰氏は憲法学者を自称している割には、憲法上の地方自治の基本理論を知らないらしい。上記2点には決定的な突っ込みどころがある。まず、日本国憲法上の「地方自治」とは、「人権の保障と行政の民主化を企図した結果である」と言われる[註1]。つまり、「中央政府の権力を抑制してその濫用から少数者や個人を守るもの」とも言える[註2]。つまり、国家が特定の地方の人々の権利などを無視した政治を行おうとする場合、その地方の人々は当該地方自治体を通じて、国家に抵抗することができるという意味である。その意味で、国家と地方自治体は上下関係にはなく、同等であるという言われ方がされることもある。
 こう考えると、確かに基地移設の決定は、知事の権限ではないかもしれないが、翁長知事を通じて、「基地建設に抵抗する」というのは、日本国憲法上の地方自治の理念に沿った行為と評価できる。その意味で、竹田恒泰氏の「知事の権限ではない」と簡単に切り捨てることは誤っているということになる。

 次に、国政選挙と地方選挙はその性質が異なる。地方自治体の長(翁長知事のような、「沖縄県の長」など)は、住民の直接選挙によって選ばれなければならない(日本国憲法第93条第2項)。これは、「地方自治の民主化を徹底するため」と言われている[註3]。つまり、日本の国政は、とりあえず形式的に選挙で議員を決めておけばいいが、地方自治体の場合、上述の特定の地方の人々の人権問題が関わっているので、より強い民主主義が求められているのである。
 地方自治体の長が直接選挙で選ばれるということは、地方自治体の長は直接住民投票で1人だけ選ばれるということである。このような選出の方法だと、国政選挙で言われる「一票の格差」問題が生じることはなく、住民の世論がそのまま選挙結果に表れると言える(特定の地方の構成員全員で1人だけを選ぶ場合、いわゆる3割の票で7割の議席を取得し、3割の票しか取得していないにも関わらず内閣総理大臣を輩出できるということは起こらない)。
 つまり、地方自治体の長選出の選挙は、国政選挙とは異なり、住民の世論をそのまま反映するのである。余談だが、日本では国民からの議会解散や内閣総理大臣の辞任要求ができないにも関わらず、地方自治では住民による地方自治体の長の解職請求が認められているのも、地方自治には「国政よりもより強い民主主義」を認めていることの表れである。

 総括すると、日本国憲法上、国政選挙と地方自治体の長を選出する選挙は以下のように本質が異なる。
・国政選挙 → 国民全体から満遍なく意見を集めようとする結果、いろいろな選挙方法を混合させて行う。しかし、小選挙区制度導入後は、少数意見を含めて、必ずしも多くの国民の意見が結果に反映される制度ではなくなった。
・地方自治体の長選出の選挙 → 特定の地方の民主主義のために、その地方の構成員から1人だけを選出し、純粋に「最も票を取得した人が選ばれる」ため、長の意見はその地方の「民意」と言える。

 つまり、SEALDsの述べている「翁長氏は世論によって選ばれた民意だが、安倍総理は世論によって選ばれてない」という言説は実はその通りなのである。むしろ、国政選挙と地方自治体の長選出の選挙の目的と本質、性質の差に気づかずに同列に扱って批判してしまっている竹田氏の無知さを露呈するだけのものになってしまっている。

 竹田恒泰氏と言えば、明治天皇の玄孫という触れ込みと慶應義塾大学講師という肩書で言論人のようになった人物である。しかし、慶應義塾大学の講師職を失ってから、憲法学に携わっている者のように見せたいのか「憲法学者」を名乗るようになった(余談だが、竹田恒泰氏を慶應義塾大学講師に推薦したのは、安保法制反対派の先陣に立っている小林節教授であり、小林教授は竹田氏を講師に推薦したことをものすごく後悔しているという)。しかし、憲法——特に憲法上の地方自治の理念——を竹田氏が全く分かっておらず、むしろ自分の都合のいいように(この場合、SEALDs批判)勝手に考えて論を展開しているのは明らかである。しかも、竹田氏は一時期はテレビなどにも頻繁に出演していた立場にあるため、「テレビに出ている憲法学者がそう言っているのだから、正しいのだろう」と思う人が出てくるかもしれない。これはまさに言論界の危機である。自称であっても学者の仕事とは、聴衆を騙すことではない。その意味では、上記竹田論を信じる人が一人でもいれば、竹田氏の行為はとても罪深い行為と言えるだろう。「自称憲法学者」ではなく、しっかりと勉強し、「誰もが認める憲法学者」になってほしいものである。

 最後に筆者は竹田恒泰氏に声を高らかにして言いたい。「いや。憲法の基礎理論も分かってないのに、お前が憲法学者とか言うなよ!」、「おまゆう!竹田恒泰こそ憲法学者の地位を貶める憲法学者の破壊者」である!

[註1]原田尚彦『行政法要論』(全訂第5版)学陽書房、2004年、9頁。
[註2]佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂、2011年、545頁。
[註3]芦部信喜、高橋和之(補訂)『憲法』(第5版)岩波書店、2011年、357頁。

 (筆者は中国北京在住、法律ライター、近著に<http://tskj.jp/nfqi>)


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