【オルタの視点】

現下日本の実態は完全に植民地だ

木村 三浩


 「国賊」「売国奴」と罵る夜郎自大こそ日本を崩壊させる元凶だ
  ─ 対米隷属情報に頼り失敗した不実な保守派のイラク戦争認識 ─

 米軍基地が日本各地に存在し、しかもその七割以上が沖縄に集中している。この異常な状況を「駐留米軍は必要だ」として看過し、自主防衛を追求しないのは、負け犬根性の極みではないか。戦後日本の政権は、巨額の思いやり予算を拠出しつつ、日米地位協定で米兵に特権的待遇を与えている。日本は今なお、精神的侵略を受けていると言っても過言ではないのだ。

◆◆ 米国大統領が横田基地に降り立つ意味は何だ?

 平成八年(一九九六年)、日米安保再定義が行なわれた。米ソ冷戦は終了したにもかかわらず、軍事の優先順位は下がらず、米国は北朝鮮・中国などがアジア・太平洋地域に不安定性と不確実性をもたらしていると危機感を煽っている。そして、ミサイル防衛構想の布陣を敷き、軍拡に余念がない。結局日本の資金でアメリカの軍需産業を潤わせることが続いているのだ。日本は戦後一貫して、米国に隷属している状況の本質から目をそらし、米国の兵器を買うための軍事費拠出を維持させられている。すっかり支配に慣らされ、それが当たり前のものと思い込んでしまっているのだ。昨年十一月、トランプ大統領は来日の際、横田基地から入国してきた。公式実務訪問賓客として来たからには、国際空港である羽田で降りるのが主権国家の原則であり、また礼儀であるはずだ。しかし、それに対して問題視した議員は誰もいなかった。また、識者も言及せず、マスコミは全く触れずじまいだった。

◆◆ 二千数百人に上る米国人の不法滞在

 現在、横田基地には東京入局管理局分室が設置されているが、常駐係官は基本的に一名であり、二十四時間で対応しているとされている。軍人・軍属以外、つまり日米地位協定を適用されない米国人が、年間のべ二千数百人おり、この入管で入国審査を受けている。横田からそんなに大勢の人が入っているということを、どれだけの日本人が知っているだろうか。さらに軍人・軍属にいたっては、統計が全くとれていないのだという。ということは、基地以外、つまり日本の主権下に入った米国軍人・軍属が不法行為を行なったとしても、日本は把握できないという可能性が大なのだ。
 東京入国管理局は、この現状に関する私の質問に対して、「米軍関係者の出入国については、日米地位協定に基づいて米軍に管理をお任せしている」と答えた。では何らかの出入国記録なり、文書が米軍から提示されるのかと聞くと、担当者は口ごもってしまった。末端の役人は上から言われる対応だけで、何が起きても対処できない現状に諦め感を抱いているようだった。とても主権国家とはいえない体たらくであり、まさしく米国の植民地である実態なのだ。

◆◆ 強盗殺人さえ〝免責〟される「日米地位協定」

 平成十八年には神奈川・横須賀基地所属の米兵が主婦を殺害した強盗殺人事件がある。刑事裁判で無期懲役の判決が下されたが、被害者遺族が賠償を求めた民事裁判では、横浜地裁で判決まで十年もかかった。元米兵に六、五〇〇万円の支払いが命じられたが、米国側が四割の二、八〇〇万円を「見舞金」として支払い、残りは日本側が「日米間の合意」により穴埋めをするという決定がなされた。しかも、元米兵を永久に免責するという条件まで付けられたのだ。遺族は全く不本意ながらも、それを認めざるをえなかったという。
 遺族によれば、十年もかかったのは、「地位協定の壁」が原因だという。加害者が賠償金を払えない場合、米国が応分の犠牲を払い謝罪するのが当然である。ところが、日本政府が代わりに賠償金を払って遺族を説得に回るのでは、米軍が図に乗るのは当たり前であろう。罪を犯しても支払いを免れるのでは、損害賠償金に犯罪抑止効果も何もあったものではない。同様の事例は他にもあり、日本政府はこれまでに十三件で、計四億二、八〇〇万円もの賠償金を、肩代わりして支払っているという。

 沖縄で多発しているヘリの墜落事故にしても、日本国内の事件であるにもかかわらず、国交省の運輸安全担当が現地で事故調査をすることすらできない。警察の捜査も同様だ。事故の当事者である、いわば加害者の米軍が自前で調査を行なうだけで、日本官憲は手を出せないのだ。オバマ政権下で国防予算が削減されたために、ヘリの整備が十分にできていないなどという指摘があるが、整備不良のまま、他国の国土の上空でヘリを飛ばすとは、傍若無人の極みではないか。

◆◆ 日本人の血税で生き延びる米軍需産業

 この状況にあって、安倍政権は米国の「対外有償軍事援助」名目で兵器を買い続けている。使用する当の自衛隊が導入を求めて選定に携わるのではなく、政治マターで購入が決定されているため、装備品が不足して使い物にならなかったり、維持管理まで米国に任せることになり、担当技術者の生活費まで負担させられたりしている。年間五兆円以上にのぼる防衛予算の一部が、このような無駄なものに費やされているのである。「中国の進出」や「北朝鮮の暴発」は、確かに憂慮しなければならない問題であるが、実際は、常に〝有事危機〟を演出して米国の軍需産業を潤し、維持させていくために過剰に煽られている疑いが濃厚なのだ。我々日本人はいい加減に目を覚まし、本質を見なければならないだろう。

◆◆ 検証と反省をしなかった保守派のイラク戦争認識

 どうしてこのような状況を生んでしまうのか。私は、安倍政権の責任もさることながら、今日の日本における、保守派と称するオピニオンリーダー達の意識のあり方に少なからず問題があると考えている。
 日本の保守派のターニングポイントは、小泉純一郎政権時代のイラク戦争における〝失敗〟にある。米国が「イラクに大量破壊兵器がある」と糾弾して戦争を始め、日本はそれに追従した。米国はイラクでフセイン政権を倒したものの、大量破壊兵器は存在しなかった。ところが、国際法を無視した米国はもちろん、日本もそのことを認めようとせず、全く反省しなかったのである。それまで米国の情報を鵜呑みにし、米国のイラク攻撃の支持を謳っていた日本の保守派の言説は、ここで完全に破綻したのである。しかし、認定すべき実情が変わったにも関わらず自己保身に走り、何ら検証されることはなかった。デタラメな根拠・分析を基に間違った結論に至っていた以上、その反省を経ることなしには、もはやその言説を信ずることは出来ないであろう。

 元来、保守には自らに非があれば認める度量の大きさと潔さがあったはずだ。平成二十一年に自民党政権が倒れ、民主党・鳩山由紀夫政権が誕生すると、保守派は自らの反省を棚上げしたまま、対米自立を志す鳩山・民主党を徹底的に攻撃した。確かに、民主党の基盤にも脆弱さがあり、政権運営の不手際などが見られたのは確かであるが、保守派はそれをよいことに、「米国と離反する民主党が国益を損ねている」と声高に追及し、威勢を取り戻していくのである。そして民主党政権が自滅して第二次安倍政権が誕生すると、親米の保守派は安倍政権を賛美し、反安倍派に対する徹底した攻勢をかけ、盤石な基盤を改めて確保したのである。
 こうして見れば、現代の保守派の米国追従のデタラメ言論は、結局何の反省も経ないまま、今では我が国の言論空間の基準値になりつつあるのだ。

◆◆ 保守とは公正・信義・義侠・寛容が基本か

 ここに、現代保守派の抱える本質的な問題がある。それは現状の世界と日本の認識において、対米隷属から目をそらすために、いわゆる〝第二次冷戦〟を煽り、目くらましでの言論を張っているのだ。米国と仮想敵国を共有することで、自分の拠って立つ所は(過去から現在まで)間違えていないとの論理の一貫性を保つことが透けて見えるのだ。ある意味では、昨今の過剰な『朝日新聞』叩きも、その延長線上にあると言ってもよい。
 『朝日新聞』はどちらかといえば左寄りと見られるし、過去には中国に親和的、米国には是々非々で対応してきた。現代保守派にしてみれば、叩き甲斐のある恰好の相手なのだ。しかし、朝日自身にも間違いはあり、自己検証が必要であることは別にして、保守派が朝日叩きに精を出せば出すほど、米国による精神的支配からの脱却は程遠いものになってしまうのだ。「日本に誇りを持て」と説きながら、実は日本を貶める。そんな危うい道を進んでいっているのが現代の保守派であるように思えてならない。

 現代保守派の言論は肥大化して世論を誘導し、対米従属まっしぐらの安倍政権をサポートしている。内閣官房機密費が一部保守系メディアに流れているのではないかとの見方もあるほどだ。私は元来、保守とは公正・信義・義侠・寛容がモットーだと認識している。しかし、今日の保守思想の状況はこうした徳目を顧みず、自分に都合の良いものを使ってお茶を濁しているだけのおためごかしにしか見えない。まるで、自己存在のアリバイ証明のようなものだ。私は、保守こそが、四つの徳目を守り、中でも特に公正さを取り戻し、言論を立て直してゆかねばならないと考えている。

 ところで、そうした真摯な言論を立て直すうえで最も頼りとする先達であられた評論家・西部邁さんが、去る一月二十一日に自ら命を絶たれた。ご自身の覚悟に基づく行動であったとはいえ、残された側にとってはとても残念でならない。少なくとも、現代の言論人の中で、公正と義俠を持ち、また知の質、教養の積み重ねにおいても、客観的評価に堪えうる言論の本質を持った人であった。
 一方、愛国を語るものの表層しか認識できていない保守言論も存在する。そのような夜郎自大の跳梁跋扈は、異論、独創、多様性を排除することになる恐れがある。特に「国賊」「売国奴」とレッテル貼りをすることによって、活発な言論空間を崩壊させることになりかねない。
 活発な言論とは、客観的な根拠ある批評をも含むものであるが、根拠のない一方的な思い込み・レッテルとは違うものである。声を大きくして真実があるとは限らない。真実を追求し、論陣を張っていく作業の積み重ねこそが重要な営みなのではないか。今や、ややもすると、異論・独創を封じ込めるようなレッテル貼りが横行している。まさに、それに対抗する言論空間の剣が峰にあることを、自覚しなければならないだろう。

 (一水会代表)

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