【コラム】八十路の影法師

竹本 泰則 

 令和7年のニュースを沸かせたトップ賞はトランプ大統領か熊か、どっちだろう。回数は大統領と思うが、「今年の漢字」には熊が選ばれた。
 このところ熊の個体数は増えているようだが、変化は数だけではなく、質も変わってきているのかもしれない。人間でいえば「新人類」のような新たなタイプが出てきているようだ。
 熊は人間を警戒していて、むやみに近づいてくることはないから、熊が出そうなところに入る際には鈴だの携帯ラジオなどで音を出し、ヒトがいることを知らせることが有効だとされてきた。子供たちのランドセルにはクマ除けの鈴がつけられた。ところが、警戒するも何もあったものではない。住居の中にまで侵入するわ、市街地を動き回るわ、はてはスーパーマーケットにまで入り込んできた。
 人間を守ることが優先されて、猟銃取り扱いの規制を緩めたり、自衛隊を出動させたりなどという事態になっている。
 さらには、冬眠という種としての習性までも消えてしまいそうな気配まである。

 わが国では明治の初めまで旧暦(太陽太陰暦)が使われていた。太陰暦では暦日と季節との間にずれが生じるため、暦の日付とは別に、二十四節季・七十二候を定めて季節の変化を知るよすがとしていた。一年間の太陽の動きを二十四等分したものが節季で、立春から始まり「雨水」、「啓蟄」、「春分」……「小寒」、「大寒」と続く。一つの節季をさらに三等分したものが候。「東風解凍」(はるかぜこおりをとく)、「桜始開」(さくらはじめてひらく)、「蛙始鳴」(かわずはじめてなく)といった類。これらによって季節を把握していた。
 その七十二候の一つに「熊蟄穴」(熊、穴にこもる)というものがある(節季、候とも古代中国がオリジナルだが、中国とわが国では気候も異なることから候の一部は日本流に改訂されている。「熊」の字が現われるこの候も日本だけで用いられたもの)。今の暦でいえば、おおむね12月12日から16日までの間をいう。
 熊の出没が今のようなままで続けば七十二候のさらなる見直しが必要になってきそうだ。
 
 思いつくままに日本人と熊のかかわりについて探ってみた。
 国内の80か所あまりの縄文遺跡からはツキノワグマの骨が見つかっているという(地方別では東北地方が約4割を占め、関東では埼玉県秩父地方の洞窟遺跡などでも)。狩猟採拾の時代にあって熊は食料として食べ出はあったろうが、果たしてどんな具で人は闘ったものだろう。
 少し驚かされたのは熊を象った土づくりのミニチュア作品や骨などを加工して作られた装身具とみられるものも出ているらしい。縄文遺跡に残る動物を象った土製品には熊のほかイノシシ、トリ、イヌ、サル、巻貝といったものがみられるという。
 縄文人は熊に何を感じたというのだろう。やはり、強さや力といったものに惹かれたのだろうか。どう考えても可愛いらしい、美しいといった相手ではない。
 『万葉集』には「荒熊」と詠みこんだ歌があり(巻11・2696)、熊はこの一首のみに登場するようだ。さらに、およそ似つかわしいとは思えないが、王朝和歌の世界にも熊は登場するという。源俊頼の私家集(『散木奇歌集』)に収録されている「信濃なるすがのあら野にはむ熊のおそろしきまで濡るる袖かな」(1011)というもの。袖が涙でひどく濡れてしまった様を熊のおそろしさを借りて表現しているように読める。
 中世以降、歌題に「寄熊恋」などまであって、熊が詠まれた歌が散見されるようだ。しかし、いずれも動物の熊自体ではなく熊に象徴されるような荒々しさ、恐ろしさなどを表現する手段として使われたようだ。また、『源氏物語』・若菜上には明石入道の遺言「かひなき身をば、熊狼にも施しはべりなむ」の一文があるというが、これも熊を云々するものではない。
 古典の中で熊そのものをいうのは『うつほ物語』にあるエピソードだけだという。その内容は、世間から身を隠して生きる母子が山の中で熊の親子に木の洞穴(うつほ)を譲ってもらって住む、というものらしい。
 近世以降になると熊は毛皮、熊胆(くまのい)を得るため「マタギ」などと呼ばれる職業的な猟師による狩猟の対象になってしまったようだ。熊が登場する文学も管見の限りでは少ない。宮沢賢治に『なめとこ山の熊』という童話があって(昭和9年刊行)、この主人公は熊撃ちの達人という設定らしい。
 熊との接触による人間の被害は明治から大正にかけて北海道で顕著になる。
 開拓期は入植者にヒグマの被害が多発している。昭和の高度成長期には家畜への被害が出るようになり、駆除に当たった狩猟者までに犠牲が拡がったりしている。

 熊は日本に住む動物では最強といえよう。人間は熊と格闘してもまず勝ち目はない。だから熊はいつの時代にあっても恐れられていたはずだ。さらに、その姿かたちも愛らしいものではない。もっとも、テレビに映る子熊が転げるように動き回るさまは愛くるしいといえるが、あれはテレビだからのこと。
 そんな熊であるのに、縄文時代から土を固めたミニチュアが作られている。もうひとつ目を引くことは熊の字が入る地名が多く見られることだ。
 今年の漢字に熊が選ばれたということから内外地図(株)という会社が「熊」の字が入る地名を調べて「X」に投稿している。それによれば、全国で2354件を数えるそうだ。感覚的にはずいぶん多い数だと思う。もっとも、そのすべてが動物の熊に因むものではないようだ。
 「くま」には湾曲しているものの曲がり目、奥まった所、暗く陰になっている所などの意味がある。九州の熊本は、南北朝時代には「隅本」と表記されていたというが、慶長十二年(1607年)加藤清正がかの地で築城するに当たり「熊本」に改めたという。「隅」の字のつくり「畏」は畏怖、畏縮などのように「おそれる」、「おじけづく」などといった意味があるので、それを嫌ったのだといわれている。ほかにも、熊野権現(熊野三社)への信仰に由来するらしいものもある。
 熊の文字が入る地名のすべてが動物の熊に由来するとは言えないとしても、熊に因むものはもちろんあるだろう。根拠があるわけではないが、結構な割合になるのではないかと思っている。先に触れた七十二候でも、わが国では熊の冬ごもりを時候の指標として採用している。地名も七十二候も人々の生活に密接なかかわりがあるものだ。 人と熊とは、想像以上に近接していたのだろうか。
 たとえそうだとしても、はたして人々は熊に親しみを感じていたのだろうか。
 足柄山の金太郎は熊にまたがりお馬のけいこをしていたそうだし、童謡「森のくまさん」は息の長い人気を保っているようだ。熊が登場する童謡はほかにも十曲近くがインターネットにみられる。さらには、県名に「熊」の字が入るというだけの発想ではないかと思われるが、熊本県のPR用のマスコットキャラクタ「くまモン」は全国的に有名になっている(熊本県に野生の熊はいない。平成24年には、熊本県に限らず、九州全域でツキノワグマは絶滅したと環境省が宣言している)。

 1980年(昭和55年)から2025年(令和7年;ただし11月までの実績)の熊による人身被害のデータを見ると、被害の数は次第に増加している。
 素人目では2000年(昭和12年)ころを境として様子が違ってきているように思う。
前の20年(1980~1999年)における被害者数はおよそ26人/年、そのうち死亡者数は0.75人/年。50人を超える被害者の数が出るのは1ヵ年のみで、20人以下にとどまる年が8回ある。
 一方、2000年以降の25年間では被害者数はおよそ92人/年、死亡者数は2.36人/年と、前の20年間の平均の3倍から3.5倍に増大する。
 そして昨年、2025年は11月までの数字ながら被害者数は230人、そのうち死亡者数は13人となっている。

 どの程度の人が被害にあっているのか、それは報道されない限り一般にはわからない。裏返していえばニュースがなければ「安全」、「無事」と錯覚してしまう。この半世紀の間で、熊被害が全国的にニュースなどで取り上げられたのは、被害者の数が初めて200人を超えた2023年(令和5年)くらいではないだろうか。さらに取り上げ方も個別事象をいうだけにとどまっている。
 熊の生息数の正確な把握が困難なことは理解できるが、有意の概数を含めて可能な限り基礎的な知見を充実させていかない限り、現在のような場当たり的対策が続くのではないだろうか。
 熊は九州では絶滅した。四国は従来20頭以下にとどまるとされ絶滅が心配されていたものが、昨年の調査で26頭が識別され、その中で親子が4組ほど確認できたという。
 人と熊とがどのように共存してゆけばいいのか。その答えはあるだろうか。あったとき、それは実現可能だろうか。
2025年の「今年の漢字」は何かと考えさせてくれる。

(2026.1.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧