【アフリカ大湖地域の雑草たち】(58)

未来の読者に語りかける

大賀 敏子

 I あきらめていた本 

 ブルアン儀典長 

 アンドレ・ブルアン(Andrée Blouin、1921‐1986年)は、1960年ルムンバ内閣のプロトコール・チーフ(儀典長)とスピーチライターを勤めた女性だ。
 1950年代末セク・トゥーレ指導下のギニアに始まり、政治的リーダーとして、コンゴ・レオポードビル、コートジボワール、コンゴ・ブラザビル、アルジェリアと、脱植民地運動の熱気に包まれる大陸を幅広く渡り歩いた。そんな彼女を1960年代の西側メディアは、「黒い情熱家」「アフリカの謎の女性」「ルムンバの背後にいる女性」「アフリカで最も危険な女性」と呼んだ(アンドレについてはオルタ広場2024年9月号で簡単に紹介した)。

 2025年kindle版 

 彼女は著作を遺した。1983年『My Country, Africa―Autobiography of the Black Pasionaria』(Praeger社)である。絶版になったハードコピーの入手はほぼ不可能とあきらめていたが、このたびkindle版が出ていることに気づき、さっそく購入した。先稿執筆時に気づかなかったのか。そうではない、2025年に再出版されたばかりだったのだ(写真1(kindle版表紙)、写真2(アンドレ・ブルアン、The Worldから転写)。

画像の説明画像の説明
        写真1                写真2

 (註)2025年版のCopyright page
 My Country, Africa
 Autobiography of the Black Pasionaria
 Andrée Blouin in collaboration with Jean MacKellar
 This paperback edition published by Verso 2025
 First published by Praeger 1983
 © Verso 2025
 Foreword © Adom Getachew and Thomas Meaney 2025
 Epilogue © Eve Blouin 2025
 Verso is the imprint of New Left Books

 II 歴史の証言 

 おいたち 

 アンドレはウバンギ・シャリ(いまの中央アフリカ共和国)のBessouで生まれた。父Pierre Gerbillatは41歳のフランス人ビジネスパーソン、母Joséphine Wouassimbaは現地の14歳だった。3歳でブラザビル(いまのコンゴ共和国の首都)の混血児専門の孤児院に預けられたが、これは父親がフランス人正妻を迎えアンドレの居場所がなくなったためだ。
 17歳で脱走するまでの14年間を過ごした孤児院は、白人修道女が運営する監獄に等しかった。教育とは名ばかりで、そこで得たのは裁縫、料理などのライフスキル、空腹とムチ打ちにおびえた記憶、そして、刷り込まれ続けた価値観―アンドレのような混血児はそもそもいてはならぬ、存在そのものが罪であるという、父親の責任を完全に棚にあげた、白人優位、男性優位の価値観―だった。

 キニーネをもらえない 

 19歳で第一子Rita(1940年、父親はベルギー人ビジネスパーソンRoger Serruys)、21歳で第二子René(1942年、父親はフランス人ビジネスパーソンCharles Greutz)を出産した。これらの男性はプライベートではアンドレを愛していたものの、社会的には、根深い人種差別に基づく世間常識に従順で、彼らとの関係はたえず葛藤に満ちていた。
 そんなさなか、バンギ(中央アフリカ共和国の首都)で2歳の息子Renéがマラリアにかかった。特効薬キニーネが必要だった。ところが植民地政策は、黒人の血を引く者にこの特効薬を処方することを禁止していた。「人種を強固に保つため」に「自然淘汰理論が作用する一例」とのことだ。彼女はガバナーに直訴した。子供の父親も自身の父親もフランス人であるうえ、彼女もフランス市民権を持つと訴えたが、拒絶され、護衛官につまみ出された。父親のCharles Greutzは世間体が悪いと言って協力しなかった。医師のレターを持って再度出直したが再度拒絶され、しまいには、フランス人である老父を伴って訴えた。それでも拒絶され、その結果、息子は命を落とした。
 これが反植民地闘争の原体験となった。

 冷静な分析 

 これらは、本書に満載されたエピソードの一部だ。読み進めると、アンドレのフランス移転とバンギ帰還、3人めのパートナー(フランス人André Blouin)との出会い、その男性の転勤に伴うギニアへの移転、ギニアで出会ったアフリカ各地の独立・解放運動の活動家たち、そして、彼女自身が脱植民地化運動を担い、大衆運動の指導者へと歩みを進めていく……といったストーリーが続く。
 セク・トゥーレ、バルテレミー・ボガンダ(ウバンギ・シャリ(中央アフリカ共和国)首相)、ルムンバ、ギゼンガ、ムレレなど活動家・指導者たちと働いた記録を読むと、あたかも彼らの息づかいが伝わってくるようだ。独立はしたものの、白人にとって代わって黒人による支配体制ができただけだったという現実からも目を背けず、彼女の克明で冷静な証言はとどまらない。

 わが祖国、アフリカ 

 ヨーロッパ人たちにも目が向けられている。圧倒的な力で植民地体制に君臨する冷酷な支配者だったが、ときに父親や夫たちは思いもかけぬ心の葛藤を抱えていたこと、数年間のフランス滞在で、予期に反し、人種差別のかけらも感じさせない暖かなフランス人たちに出迎えられ、支えられたこと、第二次世界大戦が勃発・進行するなか、祖国を守れと従軍志願しバンギを離れた父親の愛国心などだ。これらのヨーロッパ人の心の動きと表情は豊かで、そうであればあるほど、植民地システムの病理と残酷さがより赤裸々になってくる。
 従軍志願した父親の犠牲的行為は、祖国を愛するということのお手本になった。タイトルの『My Country, Africa(わが祖国、アフリカ)』は、ならば自分の場合、祖国愛を捧げる対象はアフリカ以外にはないという決意の表れだ。何ヶ国も渡り歩いたのに、My Countries(複数形)としないのは、彼女がパン・アフリカニスト(汎アフリカ主義者)であった証だ。彼女の中では、国境はアフリカ大陸には存在しなかった。

 III 再出版は別ジャンル 

 出版を阻止したい 

 自伝、しかもその英語での出版が1983年に実現したのは、友人で編集者・翻訳家でもあるJean MacKellarの協力によるところが大きかった。彼女がインタビューし、アンドレが口述するのを原稿化した部分もあった。
 ところがアンドレは、Jean MacKellarによる編集完了後の原稿に満足せず、出版を阻止しようとしたという。その理由は、できあがった原稿には、混血児としての葛藤、恋愛と家族といった、個人史の印象ばかりが強く出ていたためだ。アンドレが記録し伝えたかったのは、「勇気あるアフリカ女性」「かわいそうな母子」のストーリーではなかった。それとは、まったく異質なもの―Political testament、つまり、政治的証言、植民地政策の実録、女性差別・人種問題―だった。
 2025年再出版の意義は、まさにこの点を改善し、原著者の意図を生かすことにあった。

 歴史的な位置づけ 

 2025版を実現させたVerso社Southern Questionsシリーズは、脱植民地化を生きた当事者たちの直接の証言を伝えることを趣旨としている。
 シリーズ編集者であるアドム・ゲタチュー(Adom Getachew(エチオピア系アメリカ人の政治学者))とトーマス・ミーニー(Thomas Meaney(ジャーナリスト・編集者))は、前書きで次のように述べている。
 It is a chance not only to widen our understanding of the figures involved in the collapse of formal European imperialism, but to approach more closely the reality and meaning of this great historical upheaval through its participants’ own perspectives.(これ(この本の再出版)は、公式ヨーロッパ帝国主義の崩壊に関わった人物たちについての理解を深めるだけでなく、この大きな歴史的激動のリアリティとその意味するところを、当事者自身の視点を通して、より深く理解する機会でもある。)
 2025年版は単なる1983年版の復刻版ではけっしてない。アンドレの目を通して、彼女が生きた脱植民地化とその余波を、歴史的、思想的文脈に明確に位置づけるための新たな挑戦だ。

 感情の発露か政治的主張か 

 なぜ1983年版原稿は、著者の意に添わぬものになってしまったのか。想像の域を出ないが、著者が女性だったことも影響したのではないか。
 一般論として、女性が義憤や悲嘆を表明すると、家庭と育児などの私的文脈に押し込められ、「感情の発露」と捉えられがちだ。その一方、プライベートな経験を記しても、その発信者が男性だったらどうだろう。それは社会への抗議、政治的な立場表明と考えられやすい。女性は感性、男性は理性というステレオタイプが、どこかで作用しているとは言えないだろうか。
 こう感じるのは、筆者だけだろうか。

 IV 将来の読み手のために 

 普通のママ兼ハウス・ワイフ 

画像の説明

 イヴ・ブルアン(Eve Blouin)は、アンドレの第四子だ(写真3(The Worldから転写))。彼女はアンドレのギニア滞在時(1950年代)に生まれ、モブツによるクーデターでコンゴ国外追放となった母を追って、父アンドレ、兄のパトリックとともにアルジェ、パリに移転した。

 イヴによると、家族のパリでのアパートは、いつも来客でにぎやかだった。世界あちこちの解放闘争活動家たちが立ち寄り、休んで行ったためだ。父アンドレも彼らを歓迎し、パイプをくゆらせながら熱い会話に加わった。イヴの記憶の中の母アンドレは、政治を離れればごく普通のママであり、もてなし上手のハウス・ワイフだった。

 40年かけて約束をまもった 

 2025年版は、この娘イブの働きなしでは実現しなかった。1983年版の著作権を回復し、散逸した資料を整理したうえで、前版の記述のなかで、母親の気持ちや言動を良く知っている娘の立場から見て不自然・不適切と思われる個所を修正した。
 これらの一連の仕事について、イヴはエピローグにこう書いた。
 It took me decades to recover them (the rights) and save her out-of-print book from oblivion. I had sworn to honor my mother’s memory, and I kept my word.(私は権利を取り戻し、絶版となった本を忘却から救うのに何十年もかかりました。私は母の記憶を尊重すると誓い、その約束を守りました。)

 著者の意図が読まれるとき 

 かくて、著者の死後40年近くもかかってから、著作が、ようやく著者の希望どおりの形で人々の手に届けられることとなった。このことを、2025年版前書きで、アドム・ゲタチューとトーマス・ミーニーはこう言っている。
 The memoir benefits not least from Blouin’s prose, which rarely dissimulates, seizes on details, and allows us to relive moments and conversations that she has preserved as if with future historians in mind.(この回想録は……覆い隠すことなく細部をとらえ、瞬間や会話を保存して、これを読む者に追体験をさせてくれる。それはあたかも(著者が)未来の歴史家を念頭に置いているかのようだ。)
 文章を書く―もちろんいまは、執筆以外にも音声、映像など多様な媒体と発信手段があるが―とき、どれだけの人に届くのかわからないし、意図を理解してもらえるともかぎらない。ただ、放っておいたら忘れられ、消えていってしまう出来事、声、存在、記憶を遺しておきたい、その一心しかない。
 いまの読者には理解されなくても、未来の誰かに語りかけることにはなるかもしれない。アンドレとその2025年再出版は、そんな希望の具現化だ。ただ書き続ける愚直さに、静かな励ましを与えてくれるのではないか。

 ナイロビ在住

 (註)本稿は、コンゴ動乱をテーマにした先の20稿(『アフリカ大湖地域の雑草たち(17)-(19)、(21)-(29)、(31)、(40)、(41)、(43)、(52)、(53)、(56)』(それぞれオルタ広場2022年5-7月号、9-11月号、2023年1-2月号、4-5月号、7-8月号、11月号、2024年9-10月号、12月号、2025年9-10月号、12月号、2026年1月号)の続きである。先稿のリンクは末尾に示すとおり。

 参考文献
 Karen Bouwer, 2010, 『Gender and Decolonization in the Congo: The legacy of Patrice Lumumba』
 https://theworld.org/stories/2025/01/28/the-story-of-one-womans-fight-to-gain-african-independence-from-colonial-rule

 先稿リンク
オルタ広場93号(2026.1.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(56)女性たちの反国連デモ⑳
オルタ広場92号(2025.12.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(55)恐怖政治のなかの女性閣僚⑲
オルタ広場90号(2025.10.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(53)仕事より人間関係がつらいとき
オルタ広場89号(2025.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(52)平和ボケ⑰
オルタ広場80号(2024.12.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(43)やわらかな微笑のうら⑯
オルタ広場78号(2024.10.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(41)なかなか気づかないこと⑮
オルタ広場77号(2024.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(40)規格にはまらない⑭
オルタ広場67号(2023.11.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(31)用済みにされた英雄⑬
オルタ広場64号(2023.8.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(29)いちばんこわいこと⑫
オルタ広場63号(2023.7.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(28)思いやりは無用の長物⑪
オルタ広場61号(2023.5.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(27)国連をダメにしたくない⑩
オルタ広場60号(2023.4.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(26)武力をつかって平和を追求する}⑨
オルタ広場58号(2023.2.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(25)誰が問われているのか⑧
オルタ広場57号(2023.1.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(24)国連のきれいごと⑦
オルタ広場55号(2022.11.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(23)生涯感謝している―アフリカ大湖地域の雑草たち(23)⑥
オルタ広場54号(2022.10.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(22)お兄さんと弟―アフリカ大湖地域の雑草たち(22)⑤
オルタ広場53号(2022.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(21)相手の実力―アフリカ大湖地域の雑草たち(21)④]
オルタ広場51号(2022.7.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(19)国連職員のクライアント③
オルタ広場50号(2022.6.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(18)ベルギー統治時代のコンゴ②
オルタ広場49号(2022.5.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(17)1960年の国連安保理①

(2026.3.20)
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