【コラム】
有閑随感録(84)
私立大学250校削減案
矢口 英佑
2026年4月23日に財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会が開かれ、大学数を2040年までに少なくとも250校減らすという目標数値を初めて明らかにした。
「ついに出たか」というのが正直な感想だ。大学という所に身を置きながら「日本は大学が多すぎる」と言ってきた私からすれば、今ごろになって、というところだ。
だが、この目標数値案を出してきたのは文科省ではない。カネを与る財務省からだ。18歳人口が減少を続けており、当分の間、増加も見込めず、日本私立学校振興・共済事業団の2025年度調査では、私立大学の約53%が定員割れを起こしている。しかも、募集停止や廃校に追い込まれる大学が毎年、出てきていれば「一定数の大学潰し」を言い出した財務省からすれば「ずっと我慢してきたのだ」と言いたいところだろう。
「大学が多すぎる」と言ってきた私からすれば、今回の削減案が文科省から示されたものでないことに大きな不満がある。なぜならここまで大学数を増やしてきたのは文科省だからである。しかも教育行政に精通しているのは財務省ではなく文科省である。
それにしてもと思う。18歳人口減少はかなり以前からわかっていたことで、それでも大学設置申請を承認し、結果的に大学数を増やし続けてきたのは文科省だ。いわばみずから蒔いた種を放置し、畑が荒れ地になり始めていても、あくまでも「大学設置者の自己責任」との姿勢を崩さなかった。良く言えば、大学の自助努力に任せてきたのだ。
しかし、1980年代までは新設大学の設置にはかなり厳しい条件がつけられていた。その当時、文科省の姿勢は「カネ(私学助成金)も出すが口も出す」だった。
ところが1992年を境に18歳人口は減少に転じたにも拘らず、政府の規制緩和も関係していたのだろうが、私立大学の認可基準は緩やかとなって私大は増え続け、1992年の384校から2025年度には624校となっている。国立85校、公立103校を含めると日本の大学数は812校である(文科省 2025年度「学校基本調査」より)。私立大学数は1992年から1.62倍にもなっており、上述したようにそのうちの約53%の私立大学が定員割れとなっている。したがって、財務省のもっぱら(と言っていいだろう)数字と統計資料に基づいた私大削減案に納得する向きもあるかもしれない。
なぜ文科省は財務省から削減目標数値を示される前にみずから動かなかったのか。もっともこれまでまったく手を打ってこなかったわけではないのだが。財政制度等審議会の今回の削減案の資料には、定員割れの私大の授業には義務教育で学ぶべき内容の授業もあって、助成金の支出に見合った教育の質が確保されていないという指摘もされている。日本の私立大学の実態を知ってか知らずかの見解だが、事実であることはまちがいない。
これに対して文科省は財務省への指摘に対する反論的な見解をすぐさま公表している。曰く、
①私立大学の事業活動収入に占める補助金等の割合は約1程度
②定員充足率90%未満の学部に対してはすでに減額・不交付の措置。一般補助の約9割は収容定員充足率90%以上の大学に交付
③経営体力のある段階での撤退の慫慂。規模の適正化を進めることが必要で、定員割れの事実だけで機械的な判断を行うべきではない
④日本の高等教育機関は世界的な研究・教育の拠点を目的とするのと、地域社会を支える職業人養成を目的とするものとがあり、異なる目的を無視して一律に扱うべきではない
⑤入学後の質の高い教育によって「出口」の質補償を行うことが重要。卒業時に大学の目的に照らした教育の質が担保されているか、各大学を厳正に評価することが必要
以上が財政制度等審議会の指摘に対する文科省の見解である。
①〜③は財務省へのカネに関わる面での文科省なりの反論という意味合いがある。やるべきことはやっていると言いたいのだろうし、財政制度等審議会の今回の「250校削減案」にしても、こうした文科省の実施している方策を容認しての数字だと思われる。
④と⑤はいかにも文科省らしい面からの反論だが、「あれっ」と思ったのは、大学はいつから〝職業人養成〟を目的とすることが前面に示されるようになったのかということだ。大学教育の大きな転換が起きているのだろうか。この点については改めて考えてみたい。
⑤こそ、私が「大学が多すぎる」と言ってきた理由である。私立大学にとって国からの補助金は経営上、重要であり、その重みはますます増してきている。それだけに毎年、入学定員数確保は私立大学にとって死活問題であり、なりふり構わずといった体での入学者確保競争が起きている。結果的には以前なら入学不許可だったはずの志願者まで受け入れるということが常態化している。上述したように、財政制度等審議会が「定員割れの私大の授業には義務教育で学ぶべき内容の授業もあ」ると指摘していたが、それは定員割れを起こしている大学だけでなく定員を満たしている大学でも起きているのだ。
かつては入学不許可としていた志願者まで入学させた大学側は、そうした学生への教育に力を入れるべき責任がある。「義務教育で学ぶべき内容の授業」があるのは、むしろしっかり入学者を教育しようとする姿勢の表れとも言え、決して批判されるようなことではない。しかし、4年間での卒業を遅らせてでもきちんと教育するといった方針をカリキュラムに組み込んでいる大学はほとんどない。それどころか暗黙の了解があるかのように、とにかく4年間で卒業させることが前提でカリキュラムを消化し、成績評価も厳正とはとても言えないままに社会に送り出す私立大学が多すぎるのだ。
教員も自分の担当科目、担当学生には目を向けて熱心に教育に取り組むが、大学全体の教育方針やカリキュラムに目配りをして、その大学の教育目的や学生を社会に送り出す責任を明確に自覚している者はそう多くない。もっとも教員は教育だけでなく研究も進めなければならないだけにゆとりがない実情は理解しているつもりだが。
文科省の財政制度等審議会への見解となる⑤に見える「入学後の質の高い教育によって「出口」の質補償を行うことが重要。卒業時に大学の目的に照らした教育の質が担保されているか」こそ、文科省が大学を評価する際に今後、厳正に進めるべき施策なのではないだろうか。
いわゆるカリキュラムポリシー(能力・資質を確実に養成するための最も効率的な授業科目)とディプロマーポリシー(卒業時に学生が身につけるべき能力・資質)との間がきちんと結びついていて整合性があり、自信を持って社会に送り出す人材を育てている大学にこそ私学助成が手厚く行われるべきだろう。
財政制度等審議会の今回の「250校削減案」を混ぜっ返した言い方になるが、「定員」が充足さえしていれば「国費投入」をする、としてはならないのだ。
ここまで書いてきて、今回の財政制度等審議会の「250校削減案」ぶち上げは、文科省が考える私立大学削減を強力に後押しするためのカンフル剤として、両者の了解のもとで行われたのではないか、とふと思ったのだが、これは勘ぐり過剰か。
元大学教員
(2026.5.20)
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