【コラム】
有閑随感録(82)
一つのデータから
矢口 英佑
私の手元に一つのデータがある。と言っても出版界の動きなど考えたこともない人にはまったく無用の長物と言える資料だろう。
紀伊国屋書店が自分の店(全国・海外店舗)で1年間に売り捌いた多くの出版社の年間売上高をその金額に応じて1〜1120位までランク付けした一覧表である。
この一覧表に記載された出版社すべてに配布されているわけではなく、紙媒体としては小範囲にしか配布されていない代物のようである。思うに、紀伊国屋という全国規模で運営している書店が記録として自分の店での各出版社の売上高を数字で示してみたというところなのだろう。(いつ頃からこうした資料が作成されているのか私にはわからないが、かなり以前からのようだ)
私はたまたまこのデータを紙媒体で手にしたが、ネット上でも一定程度は見ることができる。見たからと言って、何か利益が得られるわけではないが、他人の懐具合を覗くというか、経営状況を窺うというか、他人の家の奮闘ぶりを垣間見ることができるので、人間が持つ〝覗き趣味〟を大いに満足させてくれることはまちがいない。
この一覧表には単に売上高だけでなく、昨年比の順位変動、売上高前年比、国内店舗、海外店舗、営業部売上、大学書籍売り場、テキスト、電子書籍等々の項目別での数字も記されている。さらには前年、前々年の売上高まで入っているので、出版社の通信簿のような意味合いもあるかもしれない。もっとも、あくまでも紀伊国屋書店全店での売上高であって各出版社の全体像が見えているわけではない。とは言え一定の判断材料にはなっているだろう。
たとえば、海外店舗での売上高が極めて多い出版社、テキスト売上高が異様に多い、電子書籍の売上高が伸びている、あるいは大学書籍売り場での売上高が非常に少ないといった点からその出版社の得意分野・領域、営業の力点、出版物の傾向などがおおよそ理解できる。
非常に顕著なのは医学系や法律系の出版物を柱にしている出版社ではテキストの売上が非常に大きい。また、語学教科書を柱にしている出版社では大学書籍売り場とテキストの売上が圧倒的に多い。一方、受験参考書などを出版物の柱にしている出版社の大学書籍売り場での売上がほとんどないのは当然かもしれない。そのほか、英字新聞を発行していた新聞社から独立したこの出版社の売上高は100位に近いのだが、海外店舗の売上高だけで見ると10位以内に食い込んでいる。
それでは売上高第1位の金額はどの程度か、となると、約29億7千万円である。そしてドンジリの売上高は約74万円である。繰り返すが、この売上高はあくまでも紀伊国屋書店でのそれで、他に丸善ジュンク堂や三省堂等々の大手書店もあり、2024年の紙の書籍と電子書籍を合わせた金額は 1兆5,716億円だった。紙の出版物(書籍・雑誌)に限ると 1兆56億円で書籍にはムック本、雑誌にはコミックも含まれている。
紀伊国屋書店での売上高上位6位までは2023〜2025年の3年間は変わらず、1位講談社、2位KADOKAWA、3位集英社、4位小学館、5位Gakken、6位新潮社となっている。
それぞれの売上高は順に2,972,652,766円、2,841,622,580円、2,277,616,533円、2,129,383,661円、1,182,474,707円、857,399,657円となっている。この6社での合計売上高は約102億1千万円だった。
それなりの金額に上るが、出版事業界のジリ貧傾向からは脱却できてはおらず、これらの数字もさらに下降していくのかと考えると、なんとも気持ちが萎えてしまいそうになる。
今回の資料からは業績を伸ばした出版社も少なくない。売れ行きの良かった本を作ったからだろうと推測できるが、その伸び幅が驚くほど大きい出版社はごくわずかである。それだけに、このデータは大勝ちを狙わず、地道な本作りで〝一歩前進、半歩後退〟を目指すことが出版社を、そして活字文化を生きながらえさせる道だと教えているのかもしれない。
元大学教員
(2026.3.20)
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