【視点】

日中関係と日中友好運動の現状と課題

久保 孝雄

1、国交回復以前ー民を以て官を促した時代(1945~1972)

 中国には「民を以って官を促す」という言葉があるが、これは日中関係を考える上で重要な言葉だ。日本は1949年に成立した中華人民共和国を承認し、国交を正常化した1972年まで23年もかかったが、この23年間の日中関係はまさに民を以って官を促した時代だった。

 この時代の初期、日本は米軍占領下にあり、米ソ冷戦も始まり、朝鮮戦争が起きるなど米国は中国、ロシアを敵視し、台湾の国民党政府と国交を保ち、日本を「反共防波堤」と位置付け、大陸中国との交流は占領軍によって厳しく禁止されていた。1952年に占領が終わった後も日本政府によって引き続き禁止・制限されていた。日本は1971年の中華人民共和国の国連代表権承認にも米国と共に反対する敵対的政策をとった。

 この壁を突き破る原動力の一つが民間の力だった。新中国成立の翌年1950年には早くも民間有志の力で日本中国友好協会が結成され、全国に広がった。51年には日中貿易促進会が結成され民間経済人たちが厳しい制約を受けながらもモスクワや香港経由で中国に入り、中国との民間貿易を求めて活発に活動した。廖承志と高碕達之助のLT貿易が有名だ。さらにこの頃、総評などの労働団体、市民団体が立ち上がり、日中国交回復国民会議を発足させ、これも労組組織を通じて全国に広がり、国交回復への世論を盛り上げ、政府への圧力を強めた。

 こうした民間の動きを受けて1972年、台湾の国民党政府と結びついた右派グループの強い反対を抑え、米国にも先んじて田中首相、大平外相のコンビで日中国交回復の偉業を成し遂げることができた。まさに民を以って官を促した時代だった。田中首相は米国に先んじて中国と国交を開いたことでキッシンジャー元国務長官の怒りを買い、ロッキード事件で失脚させられたと言われている。

 ここで大切なことを付け加えておきたい。当時中国外交の最高責任者は周恩来総理だったが、彼は日本との関係を大変重視していた。しかし日米安保条約によって外交自主権のない日本との国交回復は難しいので、当面の日中関係は「国民外交」しかない、「民を以って官を促がし、貿易を以って外交を促がす」ことが大切だと考えていた。今、村田横浜国大名誉教授が翻訳されている「周恩来伝記」(来春出版予定)によって明らかになった。これが日本側の民間の動きと相まって国交回復への大きな流れを作っていった。

 それから50年、今年は日中国交正常化以来50周年の記念すべき節目の年だが、日中関係はこの50年で最も良くない状態になっている。いろんな世論調査を見ても国民の80%が中国に「親しみを感じない」と答えている。「親しみを感じる」人は1割程度しかいない。(最近の内閣府の調査では「親しみを感じない」国民は79%だが「日中関係は日本にとって重要だ」と考える国民が80%いる。後で触れるがこれは重要なことだ。日経10.10)

2、国交回復・日中関係黄金時代ー官民共進の時代(1972~2010)

 しかし国交回復した1972年から20数年は、今とは正反対だった。首脳同士の交流もあり、中国に「親しみを感じる、好ましく思う」国民が70%から80%を占めていて、日中関係黄金時代と言われる時代だった。

 この時代の特徴の1つは日中友好運動が盛んだったことだ。特に日中の自治体間、都市間の友好提携が大きく広がった。47都道府県の全てが中国の省と、約400の市町村が中国の都市と友好提携をしている。これほど多くの自治体が外国の自治体と友好提携している国は中国と米国だけ。これは日中関係の大きな財産だ。神奈川県でも中国遼寧省と友好提携(1983)しており、この協定には神奈川県民と遼寧省人民は二度と戦わないという「不戦の誓い」も入っている。

 ところが自治体間の友好提携は1980年代と90年代に集中していて、2000年以降は激減し、2015年以降はゼロになる。友好都市間の交流活動も2000年までは年間1000件もあったがその後は激減している。また太極拳、中国料理、中国語講座、友好訪問などから始まり幅広い交流に発展した草の根市民の友好交流も同じ傾向をたどってだんだん下火になり、今は停滞している。これは一体何故なのか。

 中国は1949年の建国以来30年間は大躍進、人民公社、文化大革命など試行錯誤の連続で、多くの失敗があり犠牲者を生み、経済と社会が停滞、混乱した苦難の時期(50~70)だった。

 友好運動が盛んになった1980年から90年代にかけての時期は、中国がこの苦難の時期をようやく脱し、鄧小平の指導のもと改革開放路線に大きくに転換(1978)し、経済建設が軌道に乗り始めた時期だが、当時の中国はまだ日本より貧しく遅れた状態で、日本からの資金援助や技術協力が強く求められていた時期だった。日本にもまだそれに応じるだけの経済的余裕と技術優位があった(中国へのODAが始まったのもこの時期。1979~2018で有償3.3兆円、無償・技術協力計3400億円。日中戦争で中国に与えた被害に比べれば微小)。

 国交回復した1970年代は中国のGDPは日本の10分の1、改革開放に転換した80年代から90年代初めにかけてもまだ日本の4分の1くらいだった。鄧小平が平和条約批准書交換のため初来日された1978年に「中国はまだ遅れています。アジアで一番進んだ日本から多くのものを学びたい」と述べ、その謙虚な姿勢が日本国民にアピールし鄧小平ブームが起きた。日産座間工場、千葉の製鉄所、大阪の松下電器を視察したがどこでも大歓迎、日中友好ムードが大いに盛り上がった。

 ところが90年代後半から2000代年にかけて中国経済が驚異的な高度成長を遂げ始め、忽ち「世界の工場」になり、2001年にはWTOに加盟、2009年にはGDPで日本に追いつき(5.1兆ドル:5.2兆ドル)、さらに2010年にはなんと日本を追い越して(6.0兆ドル:5.7兆ドル)世界第2、アジア第1の経済大国に躍進した。これは歴史的なことで、日中関係だけでなく、東アジアの情勢が明治以来150年ぶりの大変化を起こしたことになるが、日本のマスコミは大きく報道しなかった。

3、中国台頭・米中対立・日中関係悪化ー官停(退)民滞の時代

 そしてこの頃から日中関係はぎくしゃくし始めた。日本にナショナリズムが芽生えてきた。当時ある財界人は「抜かれたといってもまだ3,000億ドルだよ。こんなモノ2、3年で取り返せるさ。世界No2の地位を中国に奪われるわけにはいかない」と悔し紛れ話していた。

 ところが実際は奪回するどころかその後も差はどんどん拡大し、現在は日本のGDPの3.5倍から4倍までに大きくなっている(17兆ドル:5.3 兆ドル)。中国は世界最大の輸出国になり、150か国で最大の貿易相手国になっている。産業発展の基盤である研究開発費も日本の3倍、自然科学の重要論文数や特許件数でも中国が世界一、日本を大きく引き離している。もはや奪回は不可能だから、最近の財界は「中国経済なしに日本経済は成り立たない」と言う考えに変わってきている。十倉経団連会長も「世界は中国を必要とし、中国は世界を必要としている」と述べており、中国敵視の政府とは一定の距離を置いている。しかし経済で敗れた上に多くの政治問題が重なり、米国の圧力も強く、政府レベルの日中関係は悪化の一途をたどっている。国交正常化50周年の今年も政府主催の記念行事はなかった。経済界の意向もあり中国との決定的な対立を避けるため対話継続の姿勢は見られるが、日米同盟の厳しい制約からは逃れられない限界がある。

 中国は購買力平価では2014年にすでに米国を上回っており、2028年には為替レートでも米国を抜くと見られている(英国シンクタンク)。日中関係悪化の最大の要因はこの中国を「最大のライバル」とする米国の中国敵視、中国包囲戦略であり、日本がこれに同調し、香港、台湾、ウイグルなどで中国敵視政策に組み込まれていることだ。日本の政党もマスコミも有識者・専門家も大多数が反中国派になっており、これが反中世論を高め、友好運動を妨げる大きな壁になっている。

 中国が日本より貧しく遅れた国だった頃はうまく付き合えたのに、中国が150年ぶりに、日本より強く大きく、進んだ国に生まれ変わったのを見て、多くの日本人が驚き、慌て、戸惑い、マスコミや米国のプロパガンダの影響も受けて無用の恐怖心や警戒心、敵対心まで持つようになっているのが現状だ。

 中国の躍進に驚いているのは日本だけではない。世界中が驚き慌てている。特に米国は世界No1の地位を奪われるのではないかと恐れ、中国抑さえ込みに躍起となっている。その中国包囲戦略に巻き込まれつつある日本政府は防衛費を大幅に増やし、敵基地攻撃能力や南西諸島の軍備増強を進め、台湾有事は日本の有事だと危機感を煽っている。

 要するに国も自治体も国民も、さらに世界も、米国と並ぶ大国になった中国とどう向き合っていけばいいのか腰が定まっていない。中国の急速な台頭、躍進が世界構造を大きく変えており、この変化に世界がまだ対応できていないまま、米国の中国敵視政策に引きずられている。日中関係がなかなか改善しない、自治体間の交流が停滞し、国民の間にも中国への疑心暗鬼が芽生えているのは、こうした中国の歴史的台頭とそれに伴う世界的構造変化をまだ受けとめ切れないでいることの表れでもある。

4、今後の課題ー再び民を以って官を促す時代

 最後に、今後の課題について。まず基本的なことから考えてみたい。以上で見たように、日中関係は常に政治や国際情勢の強い影響、特に日米関係、米中関係の強い制約を受けており、壁はかなり厚い。同時に日中関係の改善は米国の世界戦略である中国包囲網を崩し、アジアと世界の緊張緩和に大きく貢献することでもある。それだけに米国など日中関係改善を望まない勢力からの圧力も強い。日中関係改善の課題は予想外に重く、大きいと言うことだ。

 このように日中関係の改善には国内政治や国際情勢の大きな転換が必要だが、米国の対中戦略、これに追随する日米同盟強化の日本政府、各政党の中国政策を、今ここで大きく変えることは困難だ。だとすれば国交回復以前のように民の力で状況を変えていくしかない。

 この場合、国交回復以前に比べ、環境が大きく変わっていることに注目したい。
まず有利な情勢としては
(1).中国がアジア第1、世界第2の経済大国になり、日本経済は中国経済なしには成り立たなくなっていること(国民の8割もこれを知っており、中国は日本にとって重要な国だと考えている)。またコロナ以前には、世界経済成長への中国の寄与率は32%だった。中国経済は世界経済の大黒柱になっている。中国に貿易戦争を仕掛けている米国の対中輸入は増え続けており(21年の対中輸入は対前年比28.7%増の7556億ドルで対日の3倍だった)、中国への依存度が最も高い国だ。

(2).強大だった米国の世界支配が崩れ、アジアでも世界でも影響力が低下している(米国の対露制裁参加国45に対し不参加国145、10数年前までは米国の意向に従う国が80%を占めていたが、今は30%に落ちている)。

(3).元イギリス首相トニー・ブレアは「欧米による世界支配の時代は終わりつつある。世界は2極または多極の世界になるだろう。(世界を変える原動力は)第2の超大国になった中国だ。(中国の台頭は)今世紀最大の地政学的変化だ」と言っている(スプートニク7.18)が、国際政治における中国の威信と影響力は格段に大きくなっている。こうした世界史的な視野に立った深い洞察力で世界を見る政治家が残念ながら日本にはいない(「先読まぬ小物ばかりが集う国」朝日川柳9.9)

(4).コロナで中断しているが、コロナ前は中国から800万、日本から200万の観光客の往来があり、日中両国民大交流時代が始まっていたが、コロナ後これが復活する可能性がある。

(5).中国で8億人が利用しているWe-chatを多くの日本人も利用し始めているなどSNSを使っての交流も始まっており、日中両国民の相互交流、相互理解が大きく進む可能性が生まれている。特に中国が大きく成長、躍進した後に生まれ育った若い世代には中国への偏見が少ない(内閣府調査でも18~29歳では「中国に親しみを感じる」が42%で一番多かった。70歳以上では13%)。

 このように、以前に比べ民の力を発揮しやすい環境が生まれているが、マイナス面もまだまだ大きい。最大のマイナス面は言うまでもなく米中対立の影響だ。特に米国による激しい反中プロパガンダが世界的に拡散しており、日本はその影響を最も強く受けている国だ(イスラム研究の大家、東大名誉教授の板垣雄三氏は「米国の情報をそのまま垂れ流している先進国は日本だけだ」と言っている)

 但し、メディアの世界にも大きな変化が起きている。この10年間で読売新聞は1000万部から710万部へ、朝日新聞は800万部から475万部へ大幅に読者を減らしている。今やメディアの中心は紙媒体から電波さらに電子媒体に移っている。

 したがって取り組むべき第1の課題は、あらゆる機会を捉えて米国と並ぶ大国となった中国へのリアルな認識、構造変化を遂げる世界情勢への正確な認識を深め、日中友好が世界史の大きな流れに沿った正しい道であることに自信を持つこと。研究会、講演会、映画会、交流会などでこの認識を広げ、政府や国民の中国認識を転換させていくこと、そのため、SNSやZOOMなどITを積極的に活用することが必要だ。

 米欧日には「中国は攻撃的だ、威圧的だ、覇権主義だ」と批判する声がつよいが、かつてフランスのサルコジ大統領(07~12)は「私は中国が攻撃的とも、威圧的とも思わない。大国になるにつれて自己主張を強めているだけだ。世界は中国にもっと大きな発言権を認めるべきだ」と述べたが、これが世界が読める、先が見える政治家の中国認識だ。

 第2は、当然のことながら地方議会から国会まで、少数派になってしまった日中友好を支持、推進する議員や政党を増やし強化する地道な活動を強めること。今の国会は反中国翼賛議会になっており、過度な対米同調で世界の大勢に逆行している。第3は日中交流におけるニーズの多様化、高度化に対応し、これまでの経済、文化交流に加えて医療、福祉、介護、環境、防災など相互に経験を交流し、学び合うテーマを広げていくことだ。中国もこれから日本と同じく本格的な少子高齢化時代を迎えるのでこうしたニーズが切実になっている。
 民間交流にあたって注目すべきことの一つは、2000年来の文化交流の遺産が大きいことだ。論語、唐詩、三国志などは今でも日本の代表的なロングセラーだし、最近も人生や経営の指南書として人気のある三国志をテーマにした漫画「キングダム」が9600万部も売れている。三国志ゲームも人気のようだ(参考までに「鬼滅の刃」が1億5000万部、国民的漫画と言われる「サザエさん」が8600万部)。また広大で豊かな中国の自然や悠久の歴史の愛好者も非常に多い。これらはすべてが日中友好のための豊かな土壌になる。

 最後に、かつて神奈川県の長洲知事は、3600万人の犠牲者を出した第一次世界大戦後、フランスの政治家クレマンソーが「今や戦争は軍人たちの専権事項にしておくには重大すぎる」と述べたことをもじって「今や外交は外交官たちの専権事項にしておくには重大すぎる」と主張して外交への市民参加を提唱し、これを「民際外交」と呼んで実践した(周恩来の「国民外交」に共通する)。中国遼寧省との民際外交、友好提携にあたって、中国との交流で大切な3つの気持ち、心得を持ち続けることの大切さを提唱されたが、これは今でも日中交流にとって重要なことと思われるので紹介しておきたい。

  1、2000年来の中国文化の恩恵に対する尊敬と感謝の気持ち
  2、15年にわたる侵略戦争で多大な犠牲を強いたことへの謝罪と反省
  3、日中友好なくしてアジアと世界の平和と繁栄もはないことへの強い信念

 いまから40年も前のことだが、遼寧省との友好提携の交渉にあたってこの知事の考えを伝えたところ、高く評価され、交渉はトントン拍子に進んだことを紹介して私の報告を終わりたい。
(9月25日の日中国交正常化50周年記念オンライン講演会での講演記録に加筆した)
         (アジアサイエンスパーク協会名誉会長 元神奈川県副知事)

(2022.10.20)
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