<<講演記録>>

■日中相互理解促進のために               段 躍 中

 ――日本創業10周年の報告――
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        日本僑報出版社編集長・日中交流研究所所長
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★メールマガジン「オルタ」では本年2月2日、東京・神田の学士会館で、常連
執筆者を中心にささやかな「新春の集い」を行なったが、ここに掲載するのは、
集いでの日本僑報出版社編集長・段躍中氏の講演内容の要約である。
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 少しでも多くの方に日本でチャレンジしている留学生を応援していただければ
と思い、私の来日生活15年間と創業10年間のことを中心にお話しさせていただ
きます。
 すでに履歴をご覧いただいているとは思いますが、私は1958年に生まれまし
た。名前に大躍進の一文字「躍」が使われているのは、この時代の名残です。中
華人民共和国の大躍進時代にならって、段躍中と名づけられたのです。
 去年は、中国の故郷を出て30周年、結婚20周年、日本に来て15周年、小さ
な出版社をつくって10周年、そして48歳で年男と、記念すべきことの多い1年
でした。


 ◇来日して15年――留学生活からジャーナリズムへ


 91年8月、北京から東京に来ました。国外に出るのは初めてのことでした。
 私は、湖南省出身です。湖南省の特色は辛い料理です。それから少し自慢させ
ていただくと、湖南省は多くの政治家を輩出した省です。国家主席の毛沢東と劉
少奇。それから胡耀邦。中曽根さんとよい関係を持っていた胡耀邦です。前の総
理の朱鎔基もいます。このように、湖南省はたくさんの大物政治家を出した所で
す。
 91年に来日してから今年で16年目になりますが、簡単にわけるとふたつの時
期にわけられます。最初の8年間は留学生の時代で、修士号と博士号をとりまし
た。その後の8年間は、非常勤講師をしながらジャーナリズムの仕事にチャレン
ジしてきました。現在も、ある大学の非常勤講師をしながら出版を続けています。
 修士課程の論文のテーマは「日本の中国語メディア研究」で、後日、北溟社か
ら出版されました。薄い本ですが、150以上の中国語メディアの歴史と変遷、現
在の発行状況、編集、広告、とにかくいろいろなことを調べてまとめた、日本の
中国語メディアについての初めてのリストです。
 
95年4月、新潟大学の博士課程に進学し、2000年3月に課程を修了しました。
文部科学省の審査を受け、2003年に博士論文の「現代中国人の日本留学」を明石
書店から出版しました。その時、文部省から180万円いただきました。自分の出
版社で自分の論文を出さない方がよいと考えていますし、私の出版社よりはるか
に有名な出版社から出していただけたので光栄でした。これは、修士論文の延長
線上にあり、80年代以降日本へ来た中国人留学生についてまとめたボリュームの
ある本です。中国人留学生の歴史に関心がある方へお薦めの1冊です。
 留学生としての8年間の成果は何かと言えば、この2冊の本です。

 この他にも博士課程在籍中には「在日中国人大全」をまとめましたが、これは
後でお話しいたします。
 96年、新潟から川口市へ引っ越しました。川口では、知り合いの日本人の所に
住まわせてもらいました。その時から大学の非常勤講師として勤め始め、多い時
には10コマの中国語の授業を毎週担当してきました。家族が4人いましたし、
出版の費用などもあり生活は大変でした。
 この年配布した小冊子「日本僑報」は、以来ほとんど同じスタイルで作り続け
ています。このスタイルを選択したのは、中国の新聞は大きい紙面が多く研究者
文献を保管するのに不便だったため、このスタイルで毎年綴じた方が便利ではな
いかと言われたからです。


 ◇3メディアで在日中国人の活動や日中関係の情報を発信


 日本での主な創業活動については、四つの面からお話しいたします。

(1)まず、三つのメディアの発行です。
 「日本僑報 印刷版」は、最初は8ページしかありませんでした。今は16ペ
ージあり、毎月1日を目標に発行しています。小さくても長く続けるのが大変で
す。しかしおかげさまで今現在103号目まで発行いたしました。レイアウト、編
集、写真、すべて一人でやっておりますので、原稿料を支払うこともなく印刷代
だけあれば簡単に続けられる・・・。これはワンマン運転のよいところです。た
だ、近年はほとんど日本僑報社の出版物の宣伝になっており、そのため購読者も
少なく、殆ど無料で配布しています。
加藤さんからご紹介いただいたメールマガジン「日本僑報電子週刊」は98年8
月から配信しております。一昨日、613号目を配信いたしました。「日本僑報電子
週刊」は、昨年「まぐまぐ大賞2006」にノミネートされました。「まぐまぐ」と
いうのは電子メールで配信する情報誌、メールマガジンの配信システムで、そこ
に登録されているメールマガジンは全部で3万件以上ありますが、読者の推薦で、
ニュース・情報源部門の10誌にノミネートされました。残念ながら大賞にはな
りませんでしたが、とても光栄なことでした。購読者は多い時では1万人以上に
もなり、今現在では5千人以上います。メルマガはコストも少なく、印刷物より
便利です。購読者は世界中にいて、「日本僑報電子週刊」は日本国内に6~7割、
中国大陸を中心に台湾、香港、アメリカ、ドイツなど全部で20カ国以上の読者
を持っています。友人と連絡がとれなくなった方の伝言をメルマガに載せたら、
「私はここにいます」というメールがドイツから届いた、ということもありまし
た。そしておふたりは連絡を取り合うことができました。読者のコミュニケーシ
ョンにも役立てて嬉しく感じました。メルマガは素晴らしいですが、問題は一人
でいつまで続けられるか・・・です。先日、目標として1000号までは頑張ると
報告しましたが・・・。メルマガは、どこからでも発信できるというメリットが
あるので長く続けていくつもりです。

 ブログは、2005年から始めました。ほぼ毎日更新しています。今日現在、2294
本の原稿を書きました。9割以上は全部自分で書いたもの・編集したもので、ほ
かは数名の「日本僑報」の特約記者に書いてもらい、ブログで発信しています。
 この三つのメディアを通して、在日中国人の活動や日中関係の情報を中心に発
信しています。情報量はかなりあるのですが、一人の中国人が日本語でまとめて
いるものですから、文法を間違えたり、日中政府に対する批判や大使館の活動に
ついての不満などを率直に発言したりしているので、たまに批判意見が飛んでき
ます。
 私の大好きなこの三つのメディアを今後も続けていくつもりです。


 ◇日中の相互理解をめざして各種の出版活動


(2)創業活動についての2つ目は書籍の出版についてです。
 日本での創業10年間に150冊ほど出していますが、その第1号が「在日中国
人大全」です。約5年かけてまとめたデータ本で、98年に出版しました。
 まとめた理由は二つあります。修士論文をまとめていた時にたくさんの在日中
国人が活躍しているのを知ったためと、日本の新聞の社会面で中国人の犯罪ニュ
ースをよく目にするので、ジャーナリストの一人として日本社会での中国人イメ
ージを改善したい、日中相互理解に役立ちたいと思ったからです。そのため中国
人の活躍、たとえば日本の約7百の大学に何千人もいる中国人講師の活躍、6千
人を超える日本で博士号をとった中国人の活躍、そういった情報をこの1冊にま
とめました。98年までに博士号をとった中国人は2千2百人いて、それもこの中
におさめられています。中国人が日本語で書いた本は、その当時で5百冊を超え
ていました。その上たくさんの人が賞をとっていたので、その情報もあります。
日本の言論の自由のおかげでもありますが、百以上もの新聞雑誌を出しているこ
とは素晴らしい実績ではないかと思ったのでまとめました。
 
これは私がまとめた第1号の本です。情報はたくさん収集できたのですが、出
版の経験がまったくなかったので、編集、レイアウトはどうするかなど、本当に
苦労しました。この本は、まとめるのに約2年、編集に約2年かかっています。
その間、過労で倒れ2回も救急車で運ばれました。娘も自分のそばに置くことが
できず、北京の親戚のところにあずけていました。

 とにもかくにもこの1冊ができたということは自信につながりました。日本で
の反響もあり、私のような無名な留学生でもこの1冊のおかげで朝日新聞の「ひ
と」欄、NHK BS-1の「ハローニッポン」外国人の活躍を紹介する番組(毎回20
分)に取り上げられ、私の特集番組も作ってくれました。これは素晴らしいこと
でしたので、自分の特性を生かしてやっていけるのではないかと感じました。北
京では全国紙の新聞記者をやっておりましたので、日本でこうした仕事を続けて
いければこんな幸せなことはないと思い、98年の1冊を第1号として売れない本
をどんどん作り続けました。
 その中で自慢に思っている本がいくつかあります。
 ひとつは、私の出版社で企画した6冊の中国人博士論文です。博士号をとって
いる中国人は大勢いても博士論文を出版できる者はほんの一部です。博士論文は
価値のある学術の成果ですし、社会に役立てたいとも思い、「博士文庫」をつくり
ました。

 また、中国人留学生の修士論文を刊行しはじめています。この20数年間で約
20万人の中国人留学生が大学に在籍しました。現在は、留学生が7万人以上、就
学生も3万人で、10万人以上います。84年の時点から現在まで、何万人もの中
国人留学生が修士号をとっていますが、その修士論文を日本語の本として出版す
ることはほとんどありませんでした。私のところは小さな出版社ですが、修士論
文を公開して社会に発信しようと、2004年「中国のインターネットにおける対日
言論分析」を出版しました。この本は大変反響があり、多くの全国紙で取り上げ
られました。

 それから、2000年から始めた「8.15」シリーズがあります。日本の靖国神社問
題、戦争責任問題、中国侵略の史実を記録したもので、毎年8月15日に出して
います。今現在で12冊出ていて、年によっては2冊出すこともあります。「8.15」
という名前のシリーズは、世界でただひとつだと思いますが、このシリーズが一
番売れません。もちろん、翻訳、製本など様々な問題もありますが、こういった
本を日本で販売するのは難しいとつくづく感じています。それでも、歴史の資料
として残したいという思いから、これからも頑張りたいです。
 それから、「隣人新書」です。日中両国は永遠に引越しできない隣人と思うとこ
ろからこのタイトルにしました。日中国交回復30周年の2002年に文庫本のかた
ちで創刊しました。今現在まで17冊発行しています。テーマをひとつにしてい
るので早く出せるというメリットがあり、2004年のアジアカップ・サッカー問題
の時にはその話題の本として、企画から納品までわずか1ヶ月で出すことができ
ました。日本語と中国語の両方を載せているのでとても人気があります。このシ
リーズの何冊かは、中国関係の書籍の中でベストセラーになりました。
 
  それと、「氷点」シリーズです。このシリーズは新しいチャレンジとし
て、2006年に出しました。「氷点」は、今まで出したことのないようなスタイ
ルと内容でしたので、多くの方からご心配いただきました。全部で4冊企画し
ました。
 出版した約150冊の本の中で、中国語の本は約30冊、日中対訳の特色を持つ
本は約40冊あります。日中対訳は、私のような小さな出版社でしかできないか
もしれません。筆者自身は中国人なので中国語の編集の力は十分持っていますが、
日本語は各分野の先生方やアルバイト編集員のおかげで、こうした対訳本を出せ
ています。これは、日中文化交流における新しい成果ではないかと考えておりま
す。


 ◇50年後を目標に在日中国人の文献資料センター


(3)創業活動についての3つ目は、資料の収集・研究です。

「在日中国人大全」をまとめた際などもそうですが、こつこつ収集するのが好
きなせいか資料がたくさん集まったので、留学中に小さな資料室「中国留学生文
庫」を作り、その後名称を「在日中国人文献資料センター」に改名しました。今
まで発行された在日中国人による新聞・雑誌、日中友好のミニコミ誌を中心に集
め、まとめています。大宅文庫のようなものを目標にしています。
 これまで集めた資料は、今はそれほど価値がないかもしれませんが、30年、50
年後はどうでしょうか。たとえば魯迅、郭沫若といった大物が日本に来た時の資
料は、あまり残っていません。今日本で活躍している60万人の中国人は、多く
の書物、新聞や雑誌を出しています。30年、50年、100年後に彼らの活動を調
べる手がかりになればと思っているので、できるだけ集めて製本し保存していま
す。
 問題は、在日中国人による新聞、雑誌がますます増えているので、保管する場
所がなくなってきていることです。日本政府からも中国政府からも支援がまった
く得られません。この先どうしようかと困っております。この報告のチャンスを
生かして、何かアイディアやお力などいただければと考えております。


◇ 両国語の作文コンクールで本音の日中交流をめざす


(4)創業活動についての4つ目は、日中交流研究所の設立です。
 2005年1月に小さな日中交流研究所を作り、主に日本語作文コンクールと中
国語作文コンクールの二つのコンクールを行っています。これは、日中相互理解
に大変役立つものだと考えています。と言うのは、翻訳や通訳なしに直接その国
の言葉を使って相互発信しているので、本音が出し合えるからです。特に、日本
人の中国作文コンクールは素晴らしい作文が多く、私たち中国人が読んでも感動
の涙が出ます。お渡ししたチラシの「娘を連れての中国留学」も中国語のタイト
ルがついていました。このように日本人自らが中国語で書いた文章を中国に発信
し、中国の新聞雑誌に載ることは大変素晴らしいことだと自負しております。
 しかし、こういった活動は経済面で大変大きな困難を抱えています。スポンサ
ーはゼロです。今回なぜ皆様に贈呈できたかと申しますと、日本財団の笹川陽平
さんにご支援いただいたからです。これは日本語作文ですからご支援いただけま
したが、中国語作文コンクールは中国側企業からの支援がないとできません。で
すが、そのような支援はまったく得られませんでした。


 ◇活動を支えた「改革開放政策」と日本の国際化。


 ここまでやって来られたのには、いくつか理由があります。
 ひとつは、中国の改革・開放政策、鄧小平さんのおかげです。もしそのような
政策がなければ、日本に来ることはできなかったでしょう。鎖国時代のような政
策でしたら国外には出られません。私は北京で新聞記者をやっていましたが、そ
れでも外国へ行くチャンスはありませんでした。
 もうひとつは、日本の国際化のおかげです。国際化がなければ、私たち外国人
は日本で何もできません。どんなに努力してもできません。たとえば日本の大学
が何千人もの中国人講師を雇うことができたのは、日本に国際化の流れがあった
からです。
 私が本を出版できたのは日本の言論の自由のおかげです。「氷点」シリーズを出
してもそれほど問題にはなりません。小泉さんや石原さんを批判するものを出し
ても、まったく問題ありません。日本のジャーナリズムがこのような環境だった
ので、出版活動ができました。
 しかしここで、私の日中交流の体験上の不満を少し申し上げたいと思います。

 私は日本で三つの「重視」と「軽視」を感じました、中国語で言うと、(重官軽
民、重団体軽個人、重遠軽近)ですが、日本の国際交流の問題点として、この三
つを主張できるのではないかと思います。
 重官軽民。官僚や政府レベルは重視されるのですが、一般の市民や民間の行事
にはなかなか支援が得られず、日本語作文コンクールのような活動でも、国際交
流基金から続けて支援を得られませんでした。
 重団体軽個人。大きな団体は重視されますが、一個人は難しいです。後援名義
申請をする時、団体の場合は役員名簿などがありますが、私のところは何もない
のでいろいろ調べられ、後援名義さえもらえない時もありました。
 それから、重遠軽近。遠い場所との交流を重視しています。中国現地の人と交
流することは反対ではありませんが、隣に住んでいる中国人の付き合いとか、近
所を重視することは大切です。


 ◇「焦らず、急がず、止まることなしに」


 最後に私の「こころの語録」を述べたいと思います。「焦らず、急がず、止まる
ことなしに」。――これは私の日本の保証人から贈られた言葉で、いつもこの言葉
を胸に行動しています。これは、東京新聞の夕刊の一面にも取り上げられた言葉
です。これを締めくくりの言葉として皆様に申し上げたいと思います。
 短い時間でしたので、日中関係、日中交流の大きな話はできず、あくまでも私
の個人的な体験や活動でしたが、報告させていただきました。


<質問>


◇蝋山道雄さん
 私は日中関係については、かなり長いこと関心を持ってきたのですが、段さん
はなぜ日本に留学したいと思ったのでしょうか?


<回答>


 妻が89年に一足先に日本へ行きました。私が日本に来なければ別れるしかな
い状況だったので91年に日本に来ました。妻と一緒になるためです。
 当時33歳で、日本語も日本についても何も知りませんでした。中国では、全
国紙の新聞記者でしたので、社会的地位も収入面もとても恵まれていました。そ
の上、一面のデスクもやっていたので、中国での実績を全部捨てて日本へ行くこ
とはすごく怖かったです。ゼロからですよ。初めてのアルバイト先は居酒屋で、
注文を受ける時はいつも緊張していました。メニューには中国人が聞いたことの
ないようなお酒の種類がたくさんあって、間違うと店長に叱られ減給になります。
緊張して緊張して大変でした。
 日本語もわからない、日本のお金もない、知識もない中で日本へ行くのは勇気
がいりました。日本へ来る前に会社と、もし1年以内に戻ってきたら前の仕事に
戻れるように約束しました。でも、他の留学生にくらべたら妻と一緒の生活は恵
まれている方でした。妻は日本語ができましたから、妻が仕事を紹介してくれま
したし、アパートを探す苦労もありませんでした。巣鴨の4畳半で過ごした充実
した3年間は、今までの中で一番幸せな時間でした。
 こうした出版物は日本に来なければ出せなかったので、日本に来てよかったで
す。感謝しております。


 ◇著者略歴(別記)       


<配布資料>
 ・2006年 第2回中国人の日本語作文コンクールの受賞作品集
 ・出席者名簿
 ・本日の報告をまとめたレジメ「日中相互理解促進を目指して」
 ・「日本僑報」2部(最新号と博士論文を出版した時の特集号)
 ・新刊のチラシ「女児陪我去留学―第2回日本人の中国語作文コンクール受賞
作品集」
  「対日言論分析」「『氷点』事件と歴史教科書論争」 
 ・毎日新聞と朝日新聞に報道された記事のコピー
・日経新聞の文化メニューに登場した記事のコピー
 ・HP=http://duan.jp/jc.htm

       (日本僑報出版社編集長・日中交流研究所所長)
                                                  目次へ