【コラム】技術者の視点(10)

担うべき十字架

荒川 文生


◆ 1.復興支援コンサート

 新緑に包まれて穏やかな「ゴールデンウィーク」を如何お過ごしでしたでしょうか? 混迷と退廃を極める国際情勢のなか、日本では一部の狂信的政治家が歴史に学ぶことを忘れ、再び孤立と破滅への途を歩もうとしています。

 しかし、情勢を見誤っていない人々、例えば、「認定NPO法人おんがくの共同作業場」の皆さんは「3・11 鎮魂の歌はまだ終わっていない」として、5月5日に杉並公会堂で東日本大震災復興支援のコンサートを主催されました。自然災害を原子力発電所事故という人災でいっそう過酷なものとした責任の一端を担うものとして、些かでもその罪の償いを為すべく会場に向かいました。

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◆ 2.マタイ受難曲

 これまで『メサイア』など宗教音楽を聴き、それなりの感動を覚えたことがない訳ではありません。しかし、福島事故の責任といったある種の罪の意識を持って『マタイ受難曲』を聴くことで、些か自意識過剰とはいえ、思いもよらぬ感情と思考とを強いられることと為りました。イエスが担ってくれた十字架が、我々を罪から救ってくれるのかという感情と、それで事態は何の解決にも至らぬであろうという思考です。

 バッハが『マタイ受難曲』を通して人々に訴えたかったものは、イエスをこの世に遣わせて人々を罪から救おうとした神の愛の大きさなのか、それにも拘らず人間が犯す罪の悍ましさなのでしょうか? また、受難曲を災害復興のために謳う人々、指揮者、演奏家、コーラスメンバー、更には主催者の皆さんのお気持ちが、被災者の皆さんにどの様に伝わるのでしょうか? そして復興の衝に当たっておられる方々に、このお気持ちがいっそうの励みとなって伝わることを祈らずにはいられません。

 その一方で、このような感情を抱いたことを以って災害からの復興が図られるとするのは、非現実的と言わざるを得ません。その気持ちを励みとして、復興に当たるべき者一人ひとりがその能力と状況に応じて為すべき事を着実に具体化して行く事を決意する思考が求められます。受難曲の後半に歌われるバスのアリア『おいで 甘き十字架よ…』(#57“Komm, süßes Kreuz,”) が、チェロの二重奏を後ろ盾にして、聴き手の心に響かせるものはこの思考を確かなものとして実践する決意です。

◆ 3.つぶてソング

 休憩を挟んで次に歌われた『つぶてソング』は、フルサト(共同体)を奪われた人々が心の底から叫ぶ言葉の数々を、或いは激しく厳しく、或いは切なく哀しく、聴く人の胸に響く旋律を以って伝えるものでした。

 曰く 「この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか。」 「許せるか、あなたは、この怒りを。許せるか、あなたは、この時を。怒りは怒りを許せるのか。悲しみは悲しみを愛せるのか。」 「僕はあなたは、この世に、なぜ生きる。僕はあなたは、この世に、なぜ生まれた。僕はあなたは、この世に、何を信じる。」 これらの問いかけに応えるべき何物も持たない者は、ただじっと身を固くして座席に蹲るのみでした。ただ、つぶてに打たれて身も心もボロボロ・・・。担うべき十字架の重さを感じて気持ちは落ち込み、復興の道のりの遠さを考えて思案に暮れるばかり・・・。

 しかし、復興に当たるべき者一人ひとりがその能力と状況に応じて為すべき事を着実に具体化して行く事を決意する以上は、受難曲のバスのアリアが「私のキリストよ! その十字架を何時も私の心に授けて下さい!」と歌うように、キリストと共に十字架を担い、復興への長い道のりを歩み通さねばなりますまい。

◆ 4.担うべき十字架

 電気学会は、1998年5月に「倫理綱領」を制定しました。それに付随する「行動規範」には、次の一項が標されています。

 1-2 安全の確保と環境保全: 会員は,電気技術が公衆の安全や環境を損なうことにより健康および福祉を阻害する可能性があることを強く認識し,技術が暴走し破滅的な結果を招かないよう,安全の確保と環境保全のため常に最大限の努力を払うと共に,安全と環境管理に関する責任体制を明確化する。

 この規範が的確に順守されていれば、東日本大震災に伴う福島原発事故による災害が、これほど過酷な物とは為らなかったと考えられます。この趣旨に即し、2011年5月に会員の一人として然るべき責任を負うべく「処分」を願い出ましたが、その結果 「処分に該当しない」として願いは却下されました。諸般の事情に鑑み、この結果を已む無しとは致しましたが、復興への長い道のりを歩む次の一歩として、福島原発事故の検証を試みました。
 具体的には、電気学会に「日本における原子力発電技術の歴史に関する調査専門委員会」の設置をお願いし、主として原子力発電所の安全を確保する技術の発展過程における事実を集積し、これを国際的かつ社会的視野を含めて分析し、的確に達成されたものや為すべくして為されなかったものを検証し、今後への提言を報告書に纏めました。(2016年6月、技術報告第1356号)

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 この報告書には、例えば「原発再稼働是か非か」といった問いに直ちに答える内容は含まれておらず、諸賢のご期待に必ずしもお応えするものとはなっておりません。下手な言い訳ですが、学会の研究活動は、さまざまな見解を集め、それらに対する事実に基づく合理的な判断を示すもので、それに拠り会員各自が主体的な実践を為すべきものなのです。

 そこで現在、微力な電気技術者が取り組むべき復興への長い道のりを歩むさらなる次の一歩を検討中です。抽象的であまり定かな物でないところをご寛恕戴けるならば、その作業目標は2050年を目途に、「電気を『スマート』に使う共同体」の在るべき姿を描き、それに至る道のりを提案する事です。諸賢のご指導ご鞭撻をお願いする所以です。

  受難曲復興に向けた鯉幟  (青史)

 (地球技術研究所代表)

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