海外論潮短評(77)

無気力な風潮につけ込む右翼の台頭
—忘れられる世界大戦の教訓—

初岡 昌一郎

 ロンドンの『エコノミスト』誌は、昨年末のクリスマス特集号(12月21日)社説トップで「憂慮を持って振り返る」を掲載、新年が第一次世界大戦100周年となる機会にさいし、最近の政治動向に対して警告を発した。

 さらに同誌は、新年最初の1月4日号巻頭社説「ヨーロッパのティーパーティー」で右翼政党の台頭を論じ、続く解説特集記事のブリーフィング欄では「ヨーロッパの右翼反体制派」を取り上げた。以下にその順で要約紹介する。

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* 一世紀を経た今日に出現した類似する政治状況
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 1914年当時、西欧のほとんどの人々は楽観的な気分で新年を迎えた。それに先立つウオータールー戦以後の100年も、アメリカ市民戦争、アジアでの幾つかの戦争、普仏戦争、数々の植民地紛争など、決して戦争の悲惨から無縁ではなかった。しかし、欧州大陸では平和が維持された。

 その間にグローバリゼーションと新技術(電話、蒸気船、汽車)が世界を結びつけた。代表的な経済学者ケインズは、ロンドンっ子の当時の生活を次のように評した。「ベッドでモーニングティーを飲みながら、全世界からの産品をとり寄せ注文する(今日のアマゾンのように)。ただ、これから良くなるという展望が欠けている人々は、ヨーロッパ経済が高度に統合されているので、戦争は不可能という「大いなる幻想」(ノーマン・ エンジェルのベストセラー小説)に浸っていた。

 しかし、間も無く世界は最も恐るべき戦争に巻き込まれた。900万人が犠牲になった。その戦争に付随したロシア革命、中東における恣意的な国境策定、ヒットラーの登場などに伴う犠牲者を加えれば、その数は優に倍加する。

 技術は自由の友から、暴虐、虐殺、奴隷化の手先となった。1930年代の大恐慌中には、特に世界中で障壁が構築された。ケインズ時代のロンドンが僅かに享受したグローバリゼーションは、1945年以後に再出発した。再出発は東欧が解放され、小平の改革が成果をあげ始めた1990年代以後だと見るものもいる。

 世界を奈落に突き落とした原動力は、ヨーロッパを支配する口実を求めていたドイツであった。しかし、エリートと国民の無気力も責められるべきである。ロンドン、パリ、その他ヨーロッパの首都で、根拠の薄い楽観論が支配していた。イギリスとドイツはアメリカに次ぐ主要貿易パートナーであり、衝突は経済の論理に合致しないので、戦争は起きないと信じてられていた。

 経済危機に対する対応に見られるように、人類は誤ちから学ぶことができる。1世紀前に始まった恐怖の記憶は、指導者たちが今日の戰爭の危機を回避するのに役立つであろう。また、核の恐怖も無謀なエスカレーションに対するブレーキとなる。

 しかしながら、類似する状況が懸念を喚起する。アメリカが衰退するイギリスに位置し、民族意識の高揚から軍備を急速に拡大する中国がドイツの役割を演ずる。現代の日本は後退する覇権国の目下の同盟者であり、国力が低下する地域大国のフランスだ。この対比は正確ではない。中国には領土的野心がなく、アメリカはイギリス帝国に比肩できない巨大な軍事力を保有している。

 それにもかかわらず、1914年と今日には大きな共通点がある。それは無気力な現状肯定である。今日の経済界は当時と同じく利益追求に熱中しているばかりで、貿易の舞台裏にうごめくヘビの魔力に注目していない。政治家は、100年前同様にナショナリズムを弄んでいる。習近平は嫌日を経済改革の隠れ蓑に使い、安倍晋三も同じ理由から日本のナショナリズムを煽っている。

 インドの次期首相と見られるナレンドラ・モディはヒンズー・ナショナリストで、彼が現在首相を務める州でのイスラム教徒虐殺を容認している。回教国の隣邦パキスタンとの潜在的衝突では、彼が核兵器のボタンを握ることになる。プーチンはシリアが自滅するのを満足して傍観している。20世紀の流血に対する対応として結成されたEUは、結成以後のいかなる時期よりも分裂傾向を深め、新しいナショナリズムの波にもまれている。

 小さな衝突の火花が引火して大火となるのを防止するには、2つのことが必要だ。第一は、潜在的な危険を最小化するためのシステムである。これには、アメリカと中国の持続的な対話と協力が不可欠である。第二は、アメリカが積極的な外交政策を取り、隣国に敵対し、挑発する国の政府を抑制することである。

 1914年の惨劇が繰り返されることはまずあるまい。人種、宗教、民族のいずれを動機とするものであれ、狂気が合理的な利益に取って代わることは、通常の時代においてはあり得ない。しかし、狂気が勝利するのは、無関心が共犯を演ずる時である。これが1世紀前の教訓である。

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* ヨーロッパの「ティーパーティ 」 — 右翼政党躍進の時
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 2010年頃から共和党叛乱派、ティーパーティがアメリカの政治を引っかき廻してきた。その構成は複合的であるが、3つの信念が共通している。(1)支配層のエリートがアメリカ建国の理念を失った。(2)連邦政府が膨張し、自己利益を追求している。(3)違法移民が社会秩序にとって脅威である。ティーパーティ運動がアメリカ政治を引き裂く紛争の中心に座し、予算と移民法改革を困難にしている。

 ヨーロッパでも同様なことが起きており、反体制派政党が伸びている。だが、アメリカとヨーロッパには大きな相違がある。ティーパーティ派はアメリカの主流政党内で活動しており、小さい政府を求める保守主義の伝統を継承しているが、ヨーロッパの右翼政党は体制外少数反乱分派で、一部は極右である。

 ヨーロッパの右翼政党はアメリカ以上に多様である。ノルウェイの進歩党はハンガリアのヨビック党と異なる世界におり、イギリス独立党(UKIP)はフランス国民戦線(FN)と距離を置いている。しかし、ヨーロッパの右翼政党とティーパーティとの類似点もある。彼等は怒れる人々であり、よりシンプルな時代に回帰しようと求め、移民を嫌う。

 彼らは没落する中産階級から派生し、庶民がトップのエリート層と下層寄生者の犠牲になっているとみる。ワシントンやブリュッセルの権力中枢にある官僚が自らの利益のために行政機構を膨らましていると信じている。

 ヨーロッパの主流派諸政党は彼らをファシスト、人種主義者と呼ぶことで政治の片隅に押しやろうとしてきた。しかし、それが成功を収めなかったのは、右翼が信頼性を得ようとそれなりの努力をしてきたからである。UKIP、FN、オランダ自由党(PVV)はそれぞれ5月のEU議会選挙で過去最高の得票を見込まれている。

 フランスでは、55%の学生がFNに投票を考えている。進歩党はノルウェイの政権に参加し、スロバキアでは極右の州知事が誕生した。ギリシャのシリザ党やイタリアのファイブスター運動などの反体制左翼を考慮に入れれば、ヨーロッパの主流派諸政党は戦後のどの時期よりも弱くなっている。

 反体制派政党が伸びているのは、主流派既成政党がお粗末だからでもある。各国政府は内需拡大の掛け声により、消費者がクレジットで不要な買い物するのを奨励し、銀行にはやりたい放題をさせた。その挙句がユーロ危機である。過去5年間、増税、失業、賃金凍結により、庶民は政治的愚行のツケを払ってきた。

 現代国家が本来奉仕すべき国民に対してよりも、国家自体の利益を追求してきたという、ティーパーティの主張に共感があるのを本誌はもっともと思う。加盟国有権者のかなりの少数派がEUは正当性を欠くと見ているのに対し、EUから有効な回答がない。これがユーロをも危うくしている。だが、ヨーロッパの右翼政党はこれにとどまらない。

 オランダPVV党首ビルダースはコーランを“ファシストの書物”と呼び、イスラムを全体主義宗教だという非寛容な立場をとっている。FN党首ルペン女史も、パリの街頭で祈るイスラム教徒をナチスの巴里占領になぞらえた。彼女の党は勢力を伸ばしており、最近の調査によると学生の55%が次の選挙で投票を考えているという。10年以内にFNが政権につくと見る評論家もいる。

 ほとんどの国で極右は批判的抗議政党として支持を拡大する可能性はある。これらの政党は政権政党としては政策を持たず、無能さを自ら暴露するだろう。しかし、右翼政党がその主張を実現し、改革に障壁を構築するのには、政権奪取に勝利する必要はない。

 反体制派をファシスト呼ばわりすることは、ヒットラーの記憶が新しいうちは効果をあげたが、今日の若者には“狼襲来”的な脅かし戦術と受け取られている。反移民、反グローバル金融、反EUの気分をクールな政策で右翼政党が取り込んでいることを過小評価してはならない。既成政党はあまりにも、実現可能性と合法性に捉われており、将来に対するビジョンがない。現状の弥縫策に追われ、新しいことを行なう勇気に欠けている。

 究極的な選択は有権者に委ねられる。アメリカでティーパーティが猛威を振るえるのは、ゲリマンダー的に区割りされた下院選挙区で少数派が予備選挙を左右出来るからである。EU議会選挙で右翼が躍進できるのは、多数の市民が投票に無関心だからである。無関心が最大のギフトである。ヨーロッパ人が政治的敗北に甘んじるには、事態を歎き、不平不満を口にするだけにとどまり、投票に足を運ばないだけで事足りる。

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* 右旋回する政治 — だが、右翼は躍進で抗議か、政権参加かの矛盾に直面
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 この5月に28のEU加盟国が751人の代表をEU議会に選出する。世論調査によれば、フランスFNは躍進し、イギリス独立党(UKIP)とオランダ自由党(PVV)も善戦すると見られる。左右の反EUポピュリスト政党が16−25%の議席を獲得するだろう。ほぼ倍増するが、多くの票は反EUポピュリスト左翼がとり、右翼と極右派は9%程度と予想される。しかし、既成主流派政党を脅かしているのは左翼ではなく、右翼である。

 反移民感情と回教徒嫌悪感を吸収する反EUポピュリズムの風潮に対する主流派政党の対応は、1930年代の記憶を喚起し、それに対する警戒感が高まることにとどまっている。バロッソEU委員長は「遠くない過去に、排外主義、人種主義、非寛容の非常に忌まわしい事態を招いた」ことを忘れてはならないとのべている。

 しかし、1930年代のファシズムへの回帰を論ずることは的を得ていない。ほとんどの欧州右翼政党は極右派的ルーツを持っていないか、過去の先例に距離を意識的に取ろうとしている。問題は、これらの政党がどの程度大衆的な不満を利用し、政権に接近できるかである。

 フランスFN党首マリー・ルペン女史は、信頼性と尊敬を獲得することが政権に近づく鍵であることを理解している。極右のファナティックというイメージの払拭に努め、無頼漢的な要素を排除して来た。黒人の法務大臣をサルの絵と並んでフェイスブックに乗せた党候補は除名された。FNは政策チームに超エリート校ENA(国立行政大学院)出身者を加えた。これは、官僚の中枢を占めるエナルク(ENA学閥)に対するメッセージである。

 ルペン女史は「体制にではなく、左右主流派政党の安易なコンセンサスに反対している」と強調する。右翼政党も拡大すると、権力への接近を目指し、より広い支持を獲得するための穏健化と、原点である極右反体制的ラジカリズムの矛盾に直面する。これが根本的な不安定をうみだす。オーストリア自由党が2000年に政権参加した後に崩壊したのは、抗議と権力の衝突をマネージ出来なかったからだ。

 この分析に立てば、ヨーロッパのポピュリスト運動は今や頂点に到達しつつある。
 経済が復調し、失業が低下すれば、彼らの主張は失速するかもしれない。EU議会内でもこれらの政党は同一歩調が取れず、期待が失われる可能性が高い。

 しかしながら、当面は打ちひしがれたヨーロッパが彼らに豊穣な地盤を提供している。失業率低下と経済回復の兆候がほとんど見えない。欧州統合とユーロにたいする不満と「この混乱に突き落とした指導者たち」への恨み節が聞こえてくるばかりである。

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■ コメント ■
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 評者が現在愛読する唯一の週刊誌が『エコノミスト』になってしまった。この雑誌は、英国内だけでなく、広く世界の知識層で読まれている最も有力なオピニオン誌となっている。この英国誌はネオリベラル経済思想に立脚しているが、硬直的ではない。政治的には保守主義だが、それほどイデオロギー的ではない。なによりもいいのは、世界の潮流を鳥瞰的にカバーし、分析的報道に務めていることである。残念ながら、日本のジャーナリズムからはこれだけ質の高い国際情報をえられない。

 同誌の特徴は、巻頭の社説において掲載主要報道記事について自らの立場を常にはっきり表明していることだ。時には、他国の選挙において好ましいとする候補に公然たる支持を表明することも辞さない。欧州統合には反対ではないが、慎重で緩やかな国家連合を伝統的に主張してきた。そして外交的立場の軸足は、イギリスに伝統的に根強い、大西洋両岸協調におき、アメリカとの密接な協力を特に重視している。

 以上の点を踏まえて。ここに紹介した諸論文を読むと興味深いし、国際情勢を読む上で参考になる視点が提供されており、共感できる点が少なくない。日本の政治と外交政策は、こうした国際的な視点から見ると共通する危うさが浮き彫りにされるだろう。

 歴史的に見ると、ヨーロッパのファシズムが体制外からの批判と運動を通じて権力を奪取したのに対し、日本の軍国主義は体制的な移行によって成立した。軍部と右翼集団がリードしたことは間違いないが、既成政党、財界、言論界、社会団体が見るべき自立的批判なしに、これに追従した。このDNAは現在の日本でまた立ち現れているように見える。誤った進路は、無気力な言論と、無関心な国民の共犯によって実現した歴史の教訓を噛みしめたい。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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