忘れてはいけない盧溝橋事件       今井 正敏

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 7月7日付け朝日新聞は「盧溝橋事件70年、もう一歩、踏み出す勇気を」との
社説を載せた。要旨は70年前の1937年7月7日に北京郊外・盧溝橋で起きた日
本側でいう盧溝橋事件、中国側では七七事変と呼ぶ、日中全面戦争発生の日を日
本人は忘れてはいけない。
 侵略された側の痛みを感じなければ真の友好は築けない。安倍首相になって日
中関係が修復方向に向かったのは評価するが、もう一歩踏み出して例えば南京を
訪れて慰霊するなどしたらどうであろうか。と提言したのである。
 
そもそも、この盧溝橋事件は参謀本部石原莞爾作戦部長の不拡大方針が、主戦
論の武藤章作戦課長らに押し切られたもので、発生から4日後には「北支事変」
と命名(9月に「支那事変」と改称)され、内地から3個師団(1師団は約1万5
千名)、朝鮮から1個師団、満州2個旅団(1旅団は約5千名)を動員する。中国
側も蒋介石総統が対日抗戦総動員令を発して、日中両国は全面戦争に突入する。
余談になるが、主戦論を唱えた主だった軍人は東京裁判でA級戦犯として処刑さ
れたが、その人たちが靖国神社に祀られたので中国側が反発する要因になる。
私は栃木県足利在の農家で生まれ育ったのだが、12歳のとき、田植えの手伝いを
しているとき、朝日新聞の夕刊で事件の発生を知った。80年たった今でもその記
憶は鮮明に残っている。戦火の拡大と共に「軍国少年」として育ちながらやがて
敗戦を迎える。
 
今、日本ではこれについての風化が進み、日中両国にとって、重大な岐路とな
ったこの大事件発生の日を多くの人が知らなくなっている。
 日本のマスコミでも社説で取り上げたのは朝日だけで、他の主要全国紙は翌8
日朝刊で中国各地で抗日戦争関連の行事があったことを伝えただけであった。T
VもNHKをはじめ各局のニュースでは無視され、総合雑誌では「世界」が特集
で「盧溝橋事件70年 日中戦争の記億とどう向き合うか」と大きく取り上げたが
「文芸春秋」「中央公論」ともに音沙汰なしであった。もっとも「文芸春秋」は6
月号の『大研究 昭和の陸軍 なぜ国家を破滅させたのか』のなかで盧溝橋事件
処理の石原莞爾や武藤章の責任問題をとりあげている。要するに、日本のマスコ
ミは関心を寄せていなかったのである。
 
一方、中・高校でも近現史を殆ど教えないから、盧溝橋事件や日中戦争のこと
を「学び」、「知る」機会はますます遠くなっている。わが「オルタ」も先月号に
「盧溝橋事件70年」の文字は見えなかった。「オルタ」の編集方針もあると思う
が、まもなく発表される「集団的自衛権行使容認報告」などについても堂々と反
対の論陣を張ることを期待したい。
            (筆者は元日本青年団協議会本部役員)
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