【コラム】風と土のカルテ(106)

心の中に刻まれた恩

色平 哲郎

「人々のニーズに合った医療とは何でしょうか」

 日本の医学生や看護学生から、この根源的な問いを投げかけられるたびに、フィリピン国立大学医学部レイテ分校(School of Health Sciences; SHS)のことを話している。
 そして、若手医師、看護師を含む150人以上を、合宿研修のためSHSに送り出してきた。
 当コラムでも何度か紹介した小さな医療・保健学校だ。

 SHSは、1976年、佐久総合病院の若月俊一名誉総長(1910~2006)の「農村医科大学」構想をベースの1つとして設立され、「ネパールの赤ひげ」と呼ばれた岩村昇先生(1927~2005)らのサポートを得て軌道に乗った。

 創設の大義は、まさに「ニーズに合った医療」の提供だった。
 1970年代、フィリピンでは医師の約半数が高い給与を求め、看護師として欧米や中東諸国に出かけていった。
 海外で医師として働くためには、各国の医師国家試験合格が必要だが、フィリピンの免許を持つ医師が看護師として働く際、看護師国家試験が免除される国が多かった。
 海外に労働者を派遣し、家族や親せきが「仕送り」を受けることが国策として奨励されており、労働雇用省傘下に「海外雇用庁」が設けられている。

 「頭脳流出」で国内の医療は手薄になり、特に人口の5割以上が暮らす地方の州立病院には全医師の1割ほどしか配置されておらず、大多数がマニラなどの都市部に集中。
 すさまじい医療格差が生じていた。
 この難題を克服し、地方のニーズに合った医療を提供するためにSHSは創立されたのだった。

 設立から半世紀近くが経過し、2000人以上の卒業生が輩出されている。
 その9割が故郷の島や山に戻り、医療技術者として働き続けている。
 所期の目標を達成しているといえるだろう。

卒業生が海外に流出しない理由

 前述のように、私はこれまで、日本人の医療者、学生をSHSに送り出してきた。
レイテ島での医療カリキュラムを経験した彼らの多くが、帰国後、改めて2つの疑問を口にする。

「なぜ、SHSの卒業生は海外での高い給料に見向きもせず、故郷に戻るのか。
なぜ、貧しい村人のために働いているのだろう?
 入学時の契約や、地元の期待を背負っているからだと言われたけれど、
まだ腑(ふ)に落ちません」

「どうして、日本から行った私たちが、あれほど歓迎されたのか。
SHSの人たちにとって日本の若者を歓待しても何の得にもならないのに、なぜなのでしょうか」

 寄せられた疑問について読者はどうお考えだろうか。
 問いへの答えの鍵の1つがフィリピン語の「Utang na loob」(心の中に刻まれた恩)の価値観だ。
 Utang とは借金、loob は心の中を意味し、恩義を感じるといったらよいのかもしれない。
 村の人々は、労働の汗を合わせて奨学金を送り、学寮にコメや野菜も送ってSHSの学生を支えている。
 だから、若者たちは自分の村に恩義を感じ、それを返そうとするのだ。
 ちなみに、恩義を感じないで勝手な行動をすると、それは 「恥知らず(Walang Hiya)ということになってしまう。
 こうしたフィリピンの文化的価値観に基づき、SHSで学んだ学生たちは地域を担う。

 そしてフィリピンが多民族国家で、地方の貧しい町や村で暮らす人々の最大の医療ニーズが「安全な出産」という事情も関係している。

 フィリピン人の大部分はマレー系の民族だが、単純化していえば社会の支配層は
スペイン、中国、米国などをルーツとする財閥とファミリーだ。
 支配層が居住するような都市であれば、スラム以外なら医療のアクセスもそれなりに保たれているが、離島・山岳地域の100以上の先住民族や、イスラム教徒の人々が暮らす(都市から離れた)場所では、医療から隔絶された生活を強いられてきた。
 地方の農民たち、そしてミンダナオ島の先住民族のコミュニティーにとっては、大土地所有が残存し、公的医療保険制度でカバーされていない部分があるという事情に加え、人口構成がものすごく若いこともあって、病気を治す以前に、安全に子どもを産むことの方が差し迫った医療ニーズなのだ。

 これを満たしてくれる医療人材が渇望されている。
 だから、地元の期待を背負ってSHSに入学した学生は、まず、助産師資格を持つコミュニティー・ヘルス・ワーカー(地域健康指導員)を目指す。
 座学に加えて週の半分は、レイテ島内の村々に張り付き、資格を持つ先輩に付いてお産や保健指導、予防接種などのノウハウを身に付ける。
 約2年間勉強して助産師の資格を取ると、故郷に戻り、地域に貢献する。

 地域で活動する助産師たちのうち、地元の人たちから「もっと医療の勉強をしてきてください。われわれを助けてほしい」と支持された者が、再びSHSに戻り、正規看護師資格を目指す。
 その後、資格を得たら故郷に戻って働く。
 看護師の中で、さらに支持され、選ばれた者がSHSに戻って学び、医師を目指すのだ。
 国家資格をつ医師が誕生するまで、入学から約10年かかる。
 民衆の支持というハードルを何度も越えた者が医師になっている。
 これがSHSのステップラダー・システム(はしご方式)と呼ばれるカリキュラムだ。
 地元に帰った医師に求められるのは「帝王切開」の技術である。
 SHSは安全な出産という医療ニーズを中心に人材育成が行われているから、地元への定着率が高いともいえるだろう。

 では、SHSで日本の若者が歓迎されるのはなぜか。
 これには、若月、岩村両先生をはじめ、先人たちがSHSに単なるボランティアとして関わるのではなく、人材育成の「事業」として取り組んできた歴史が関係している。
 次回は、そこに触れたい。

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2023年2月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202302/578711.html

(2023.3.20)
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