【日本の歴史・風土・思想から】

宗像大社 沖津宮訪問記
―世界遺産登録ラッシュには疑問―

福井 孝幹


 「沖ノ島」は九州本土の沖合60km、玄界灘に浮かぶ周囲4kmの小島である。この島に鎮座する沖津宮(おきつみや)と、宗像本土より沖合10kmの大島にある中津宮(なかつみや)、そして本土の辺津宮(へつみや)に、それぞれに、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)により生まれたとされる宗像三女神を祀り、三社あわせて宗像大社をなす。今年、世界遺産に登録された島である。

 以前から友人の誘いがあり、退職した7年前、初めて参拝した。毎年5月27日、日露戦争の日本海海戦の日に合わせ、海戦に没した日露双方の兵を慰霊する沖津宮現地大祭に、普段は立ち入りができないが、事前に許可を得た男性200名だけが参拝できた。
 司馬遼太郎『坂の上の雲』にも登場するが、ここの神官が日本海海戦の唯一の目撃者であり、その日誌は貴重な史料となっている。

 島は昔から女人禁制で、男性も一般人が渡島出来る機会は他になく、島に入った者は一木一草一石たりとも持出し厳禁、「お言わず様」といって島で見聞きした事は島外では一言も喋ってはならないなどの厳しい掟があり、このことが千数百年に渡って「海の正倉院」と呼ばれる驚異の遺跡と遺物さらには貴重な希少動植物を守ってきたのである。

 前日26日午後6時に、大島にある中津宮での宵宮祭に参加、ここで厳かな空気の中に身を置く。この夜は大島島内にて一夜参籠することが義務付けられている。とはいっても通常の民宿での宿泊ではあるが。

 翌27日午前7時港に集合、ジェット船に乗る。大島から約1時間、波しぶきと船酔いに多くの人が辟易し始めた時、誰かが「島が見えるぞ!」と叫ぶ。一斉にデッキに出て前方に目を凝らす。水平線の上にぽっかりと丸い島が見える。皆、狂喜する。まるで海原を漂流する船で陸地を発見したような喜びようである。

 島に着く。船を降りると全員が海水に身を浄め、鳥居をくぐる。そして尾根沿いの急な階段を上り、さらに亜熱帯性の森に包まれたなだらかな平道を歩く。

 いささか奇妙に聞こえるかもしれないが、この島には亜熱帯の植物が繁茂している。冬に雪が積もることもないという。朝鮮半島との中間にあり、対馬暖流がまともにあたっているためらしい。また、島には、蛇や狐などがいない。陸地と遠く隔絶しているため渡ってこなかったようだ。だからこそオオミズナギドリなどの希少生物が命を繋ぐことができたのだ。ここにもこの島の貴重性がある。もし猫などの動物が持ち込まれそれが野生化したとしたら・・・そう考えるとゾッとする。

 そんなことを考えながら歩いて行くと、忽然と眼前に、見上げても尚その先が見えない巨岩が立ちはだかる。そしてその巨岩に押し潰されんばかりに鎮座する社殿が姿を現す。信仰心の乏しい私でさえ、畏怖と崇敬を込めてひざまずき崇めたであろう古代の人々の心情そのままに、霊気が全身を包み込むのを感じはじめる。そこに己が知る己とは全く違った己を見出すような気がするのである。
 初期の頃は岩上祭祀が行われ、時代が下るに従い、岩陰祭祀やがては露天祭祀へとその形態を変えて行われたという。磐座(いわくら)の原型だろうか。この遺跡の重要さはその遺物もさることながら、数百年にわたる祭祀の変遷が一か所でみられることである。その貴重な遺物は博物館に保存されているが、それでもなお、足元に、岩蔭に、木の根方に、様々な形の土師器の破片が無数に転がっている。えも言われぬ感動が腹の底から胸いっぱいに込み上げてくる。

 神事が進み、社殿にゆっくりと頭を下げるとさらに身の引き締まるのを覚える。下山した港では、地元の漁師の方々により、魚の荒煮、そして魚醤のつゆでいただく冷し素麺が振舞われた。たまらなく、美味い!

 帰路、船は島の周りを一周してくれた。島の景観の機微を堪能させてもらった。以来、私は6回参加させてもらったが、始めは、神事の後、古代祭祀の行われた岩陰遺跡を見学、頂上からの景色も楽しんだ。が、次の時にはこれは禁止となり、さらにその次には写真・動画撮影も禁止。そして、世界遺産登録を機に、今年からは一般人の渡島は全面禁止となったという。

 これは、この遺産を、後世に残すためには良いことだと思う。と、同時にこの世界遺産登録は何だったのだろう、とも思う。

 世界遺産は、今やその数は1,073件に及び167の国と地域に遍くあるという。数が増えればその質が低下するのは、どの世界でも同じである。世界遺産への登録は、観光客の誘致に直結し、その経済効果は計り知れないものがあるという。日本国内はもとより世界規模で世界遺産登録競争の様相を見せている。そんな中、今回の宗像大社の登録は、イコモスが沖ノ島とその周辺の岩礁に限る、としたものを日本政府は、ロビー活動により世界遺産委員会において宗像大社の辺津宮、中津宮、その他の関連遺産を含めて採決させるまでにこぎつけた。
 今回だけではない。石見銀山にあっては「登録延期」を登録に、富士山にあっては「三保松原を除外」を覆してきた。勿論それぞれに日本側の言い分はある。日本の歴史、文化、民族性をイコモスの委員が理解していないという要素も大きい。これを説明し、理解してもらうのがロビー活動だろう。だが現実はそうなのだろうか?

 国内の国宝や重要文化財の指定でもそうだが、世界遺産の場合特に、客観的、科学的な証拠に基づく「真実性」が問われて当然だろう。
 日本だけでなく、多くの大国が「登録」を目指して様々な手法を用いてゴリ押しをしているという。

 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因である。これはユネスコが今も全世界に発信し続けているメッセージである。ユネスコの為す事業は全て、国家間、民族間の疑念、不信を克服し、「心の中に平和の砦を築く」の為にこそある。

 しかし、「世界遺産」が温泉地で売る饅頭の箱に貼られた「経産大臣賞受賞」の文字を入れた金色のシールと同じであるなら、それは余りにも悲しい。

 ここに来て私は、伊勢神宮や皇居(江戸城跡)を世界遺産に!とは誰も言わないのと同じように、沖ノ島は世界遺産登録をすべきではなかったのではないかと思う。‥…未来永劫、今のままの「沖ノ島」であり続けて欲しい・・・そして、本当の意味で「人類の遺産」であって欲しいと思うのである。

<参考> NHK総合TV 2017年8月22日放送「時論公論」(NHK解説委員 名越章浩)

 (文化財管理研究者、元姫路市教育委員会勤務)

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