【コラム】
ケニア・タイ二都物語―国連で25年~南の国から大好きな日本へ~

学校に行きたい―ケニアの94歳の小学生

大賀 敏子

 ◆ 中高年の小学生

 ケニアの94歳の小学生のドキュメンタリー(邦題『GOGO(ゴゴ)94歳の小学生』)が話題になった。主人公はゴゴと呼ばれる、94歳の女性だ。視力も聴力も衰えてはいるがそれを乗り越え、小学校でひ孫と机を並べる。
 就学年齢のとき小学校に行けなかったから、いま行きなおす。牛の世話で忙しかったとのことだ。おそらくそれだけではなく、掃除洗濯も畑仕事も水くみも、およそ家の仕事をいっさい担っていたに違いない。彼女の世代、しかも農村部の女の子は、ほとんど学校には行っていないだろう。驚く話ではない。いまはだいぶ変わってきているものの、子供は労働力だ。いい子であればあるほど、忙しくて学校に行っている暇はない。

 2003年以来、ケニアの小学校は無償だ。同年誕生した新政権の公約の目玉だった。初等教育を受けるのは、すべての子供の権利なのだと。この政策に励まされて、84歳の男性が小学校に入り、世界最高齢の小学生だとして2004年のギネス・ワールド・レコードにも載った。1963年の独立前は、反英闘争のゲリラ兵士だったこの彼をモデルにして、英国の会社が映画までつくった(邦題『おじいさんと草原の小学校』)。ゴゴにせよ、この男性にせよ、あくまで自分の人生を堂々と生きる、その姿には心を打たれる。

 日本だったら、高齢化社会対策のなかで「高齢者は小学校に通おう」「老後の生きがいを小学校に見つけた」という感じか。この点ケニアは、国民の6割近くが25歳以下という若い国だ。当分、高齢化社会が問題になることはないだろう。

 ◆ ものすごくたいへん

 就学年齢を大幅に超えた中高年が、自らの希望で一念発起して小学校、中学校に入りなおす。ケニアではこのような美談にときどき出会う。筆者の知り合いにもいる。人によって事情はさまざまだろうが、就学が実現するまでには問題が山積し、ものすごくたいへんだっただろうと考える。本稿では、その相場観を書いてみたい。

 教育制度は、小学校(プライマリ・スクール)8年、中学校(セカンダリ・スクール)4年、そして大学・専門学校などからなる。小学校に入る年齢は6、7歳で、日本とほぼ同じだ。まだすべての子供が小学校に行けるわけではない。就学率は85パーセント[注]だ。

 画像の説明 ナイロビの小学生。休み時間にワークブックを見ているところ。

 ケニアは、なかなかの学歴社会だ。良い成績、良い学校、良い職業が幸せな人生の路線であると、社会一般が受け入れている。小学校、中学校それぞれの最終学年の児童・生徒は全国一斉の学力試験を受け、その結果によって次の行先が決まる。成績が良ければ、公立で、かつレベルの高い学校に進め、さらに政府の補助を受けることもできる。
 それ以外の場合は、自費負担枠で公立学校に行ったり、私立学校に進んだり、資金力がなければ、ひとまず進学をあきらめ社会に出たり。進学せず学年を繰り返し(これをリピートと言う)、試験を受けなおす場合もある。すると、8年で済むはずの小学校で9年、なかには10年過ごすことになる。

 コロナ禍でケニアでも学級閉鎖になった。ところが、オンライン授業への備えは、一部を除き、ほとんどの学校にも保護者にもなかったので、事実上、長い、長い休みになってしまった。年明けから対面授業が再開されたが、9ヶ月のブランクを埋めようと、詰込みプログラムになっている。教育現場の混乱は、当分続きそうだ。

 ◆ お金がかかる

 学校に行くには、意外とお金がかかる。先述したように、小学校は2003年から無償だ。2007年から中学校も無償になった。しかし、無料なのは授業料だけで、制服、教科書は別だ。補習のお金もかかる。「成績が悪いからこのままでは試験の結果が心配だ、だから補習を受けなさい」と教師に言われ、いやその必要はないときっぱり断れる保護者はなかなかいないだろう。ケニアの保護者は、こうして男親も女親も、学費のために必死で働く。つまり意志さえあれば、学校に通えるわけでは必ずしもない。

 制服も教科書も買えない子供もいる。そんな場合は、親戚縁者が少しずつでもお金を出して助け合うか、そうでなければ、学校や地域が制服も教科書もお古をプールしていて、なんとか間に合わせる。
 給食は、まだすべての学校で実現しているわけではないが、制服、教科書に次いで、学校運営上の優先事項だ。貧しくて家に食べものがなく、給食だけが命綱だという子が、どこのクラスにも、確実にいる。筆者の知る公立小学校に通う、10歳の女の子もそんな一人だ。クラスメートたちは「あの子には、朝ごはんも夕ごはんもないからかわいそう」と、いつもそれぞれの皿から少しずつ分け与えるとのことだ。大人が想像する以上に、子供たちには社会性と適応力がある。

 ちなみにナイロビの給食の定番は、豆とトウモロコシを煮込んで油と塩であえたものだ。大鍋で作り、配るときに加減すれば、人数の増減に柔軟に対応できる。豆もトウモロコシも、冷蔵庫がなくても、保存が効く。

画像の説明
  ナイロビの給食の定番。豆とトウモロコシ。

 ◆ お金があっても

 ドキュメンタリーのゴゴは、児童たちの人気者だ。おとぎ話を聞かせてくれるし、一緒に遊んでくれる。年長者がいれば、クラスがまとまる求心力になるかもしれない。教えられなくても自然と敬老の念を学ぶことにもなるだろう。子供たちにとっては、それでいい。しかし、保護者の意見はやや異なるかもしれない。
 先述したように、学歴社会だ。就学期は子供の一生を左右する貴重な数年だ。親なら誰でも、自分の子には、良い成績を上げ、最短で卒業して、人生の成功をつかんでほしいと願う。となると、アブノーマルな人がいれば、授業の足を引っ張るのではないかと眉をひそめたくなる。中高年が学校に戻ること、それは総論としてはたいへんいいことだ、でも「うちの子とは一緒にしないでほしい」と。

 学校側もつい考えてしまうだろう。子供人口が多いので、たいていの学校は超満杯だ。だから児童の数は抑えられるものなら抑えたい、増えてもらいたくないのだ。筆者はJOCV(海外青年協力隊)の授業を参観したことがあるが、ぎょっとするほど混んでいた。三人掛けと思われる長椅子に、肩をぶつけ合いながら、6、7人はいた。キャパシティ満杯なのは設備だけではない。教師の目も届きにくくなる。たとえ学校の責任者である校長が、中高年の入学に理解を示しこれを認めても、現場の教師たちが「私は担任したくない」と言うこともあるだろう。

 JETROレポートにこのような指摘がある[注]。
 「村に住み、これまで初等教育を経験してこなかった住民が学校教育を受けるようになった結果、生徒/教師比が管理不能な水準になっている。こうした問題を解決し、生徒/教師比を改善するために、政府は教師の採用を増やす必要がある。」

 ◆ 親は子に従え

 家族たちがいい顔をしない場合もある。ケニアの高齢者は一般に尊敬されている。しかし、必ずしも自由ではない。
 親は子供の教育にたいへん熱心だと書いたが、それは子供のためであると同時に、自分の老後の保障という意味もある。公的社会福祉にあまり期待できない。教育への投資は、年金のかけ金、健康保険の保険料と同じ意味合いをもつといっていい。

 実際、子供が成人し収入を得るようになると、親子の立場がほぼ180度入れ替わり、親が被保護者になる。空腹になれば息子に、娘にたかり、病気になれば、子供の手を借りて病院に行く。寒ければ上着を、靴を子供にねだる。幼い弟妹がいれば、その学費の負担も長兄長姉の責任になる。
 こうして高齢となった親たちは、子供の言うことよく聞く。となると、小学校に戻るのも、子供が「OK」と言わないかぎり、むずかしいだろう。

 ◆ 学びの芽をまもる

 筆者が訪ねたとき、少年は13歳だった。ケニア北部、トゥルカナ湖東岸のことだ。農村部はどこでも貧しいが、トゥルカナの貧しさは、また格別だ。何もない。電気、水道はおろか、にぎわいも、行きかう車も、街灯も。彼はそんな僻地の孤児で、とあるロッジの女主人に助けられ、住み込みで手伝いをしていた。お金も時間もなくて、学校には行っていない。
 片道三日かけてナイロビから到着した日、筆者は泥だらけのスズキの四駆をこの少年に洗ってもらい、わずかの労賃を渡した。それは、彼にとっては、めったに手に入らない、買い物に自由に使ってよい小銭だった。

 その夜、仕事を終え寝床に向かう彼が手にしていたのは、冊子だった。それも、英語のアルファベットの書き方の本だ。彼が欲しくてほしくてほしくて仕方なかったものは、甘くておいしいコカ・コーラでも、裸足をまもるゴム草履でも、あるいは、新しい(とは言っても、セカンドハンドの)Tシャツでもなかった。学ぶことだった。
 そんな一人一人の芽を、大事に育んでいける社会でありたいものだ。

 [注]データは外務省とJETROによるもので、2012年現在。

(元国連職員・ナイロビ在住)

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