【コラム】
風と土のカルテ(67)

大水害の経験から後世に何を残せるか

色平 哲郎

 今年は、巨大な台風が次々と襲来し、各地で甚大な被害が生じた。私が暮らす長野県でも、10月の台風19号で千曲川が氾濫して5人の方が亡くなり、9,000世帯以上が浸水被害を受けた。長野市の穂保地区では、約70メートルにわたって堤防が決壊。新幹線の車両基地が水浸しになり、10編成120両が使えなくなった。
 医療機関も浸水被害を受けた。厚生労働省によると、台風19号で7都県の29の医療機関と、8都県42の高齢者施設が浸水し、入所者が避難したという。水が引いても従来通り使えない施設が各地にある。

●受け継がれる洪水の記憶

 現在、私は長野市豊野町の医療・介護施設に支援に通っている。ここでは介護老人保健施設などに約280人が暮らしていた。職員の話では、「避難準備・高齢者等避難開始(レベル3)」が出た時点で2階以上への避難を開始。千曲川の堤防が切れる前日には全員2階以上に移っていた。そして、決壊当日の朝、水が迫るのを確認して、全員3階に避難し、どうにか無事に過ごせたという。早目早目の避難が功を奏したわけだが、その後が大変なのだ。

 入所者は市内や近隣の避難所に移ったが、一般の避難者と一緒に小学校の体育館では生活できない。自宅に戻った人が多く、訪問介護、訪問看護・診療の手が足りず、大わらわだ。水害被害は、かなり長く地域で尾を引いていく。

 実は、千曲川は、昔から水害の多いことで知られていた。曲がりくねった川の川幅が急に狭くなる「狭窄部」が流域のあちこちにあり、大雨が降るとその手前で水が満々と貯まり、やがて堤を切って宅地や田畑に流れ込む。

 30年前、私が初めて東信地方にやってきたころ、時を超えて洪水の記憶が受け継がれているのに驚いた。毎年8月1日の「お墓参り」がそれだ。お盆よりも盛大な法事が営まれる。この行事は、1742(寛保2)年8月に千曲川と犀川流域で発生した大洪水「戌の満水(いぬのまんすい)」で亡くなった人々の魂を鎮めるために行われる。被害規模は、各地の伝承や文書、慰霊碑などで伝えられているが、流域全体で2,800人以上の死者を出したともいう。

 実態は「二百十日」の雨台風だった。古記録によれば、台風は大阪湾に上陸し、京都で三条大橋を流し、信州各地に集中豪雨を降らせた。その後、関東に抜けて利根川を氾濫させる。江戸でも流死者や飢渇者が続出したようだ。

●「フロンティア堤防」の整備が突如中止

 戌の満水の大水害は、室町時代までは人の手が入らなかった「原野」が、江戸期に入って新田開発などで切り開かれたために傷口が広がったといわれる。信州の被災地では、その後、人びとは困窮しながらも造林に励み、山の保水力を高めて「鎮魂」にしたとも伝わる。このときの造林で増えた材木は、戦中の供出、戦後の東京復興を支えた。

 今回の千曲川氾濫で、私たちは後世に何を残すのだろう。

 財源が限られる中、効果的な堤防の決壊防止策をいかに講じるかが改めて問われている。その手法の1つに、堤防を強化する「アーマー・レビー(装甲堤防)工法」がある。これは、30年ほど前に開発された工法で、堤防の裏のり(住宅地側ののり面)が越水に耐えられるようシートなどで補強するもの。全国で10カ所の施工事例があり、浸水・越水に強いことが実証されている。2000年に壊滅的な被害を防ぐとして「フロンティア堤防」の名で整備され始めた。

 ところが、2年後、突如として整備中止が決定。代わって、巨額の資金が投じられるダムやスーパー堤防が河川整備の主流になった。アーマー・レビー工法は、スーパー堤防の数十分の一のコストで、工期も格段に短く、効果的だとされる。方針転換の背景について、東京新聞(2019年11月6日茨城版)は「ダム建設の妨げになると思った旧建設省河川局OBの横やりがあった」という同省研究所元幹部のコメントを紹介している。
  https://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201911/CK2019110602000149.html

 未来への投資のあり方を、本気で考えなくてはなるまい。

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年11月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
  https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201911/563242.html

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