【コラム】八十路の影法師
土用あれこれ
竹本 泰則
今年の暦では7月20日から立秋(8月7日)の前日までの18日間を(夏の)土用としています。その真っ只中で本稿をつづっております。
「土用」は旧い時代に使われていた暦の用語です。
江戸時代までの我が国の暦は古代中国にならった太陰太陽暦でした。この暦法では月日と季節との間にずれが生じます。暦の一年は季節の一年(地球が太陽の周りを一巡りする期間、つまり公転周期)よりも十日くらい短くなります。このため何年かごとに閏月をもうけてそのずれを補正する必要がありました。このときの暦は1年が13か月になります。つまり、暦の日にちによって季節の移り変わりを知ることができないのです。このため別の目安が考え出されました。その代表が、立春、雨水、啓蟄(けいちつ)、春分、清明、立夏、……夏至、冬至、大寒などの「二十四節気」です。さらに「二十四節気」を補う目的で「雑節」と呼ばれる目安もできました。八十八夜、二百十日などはこれ。この雑節の一つが土用です。
土用は、立春、立夏、立秋、立冬という季節の区切り直前のおよそ18日間に当たります。現代のわが国では土用というと夏にだけ話題に取り上げられますが、ほかの三つの季節にも土用はあります。土用などの雑節は、国立天文台が毎年2月の官報で翌年分を発表しています(暦要綱)。2026年の場合、春の土用は4月17日から5月4日、秋の土用は10月20日から11月7日です。
ところで、土用は日常の生活でどんな意味を持つのかが小生にはわかりません。現に夏以外の土用は話題にすらなりません。あっても、ないに同然という状況です。さらに夏にしたところでウナギ屋さんの景気づけにはなっているかな……くらいのものです。
わき道に入りますが、夏の土用の間の丑の日にウナギを食べる風習があります。その仕掛け人は平賀源内だといわれることが多いようですが、その明確な根拠はないそうです。ほかにも、春木屋というお店の主人、あるいは狂歌師・大田蜀山人などといった説もあるといいます。
それはともかくとして、ウナギがからだにいいことは万葉の昔から言われていたようです。万葉集には「痩(や)せたる人を嗤咲(わら)へる歌二首」というのがあります。
その一首目は、
石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻捕り食せ (3853)
大伴家持が、夏痩せですっかり細身になった石麻呂という人をからかって「うなぎは夏痩せを治すにはいいというよ。捕まえてきてお食べなさい」とうたったもののようです。
第二首は、
痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな (3854)
これも家持の歌で、やせ老人がお相手です。「瘦せていようとも生きていることが何より。万が一にもないでしょうが、ウナギを捕まえて食べようと川に入って流されることなどがありませんように」くらいでしょうか。
「土用」ということばも奇妙です。文字をみても意味が浮かんできません。「土」は「つち」、「土地」「地域」などをいいますね、「用」の意味は「もちいる」、「つかう」のほか、働き、効用(薬用など)などもある……。そんな風にあれこれ考えてみても、この語の意味は想像がつきません。
インターネットで「土用」をあれこれ検索しているうち、この言葉は「土旺用事(どおうようじ)」の略であるということが分かりました。しかし、「土旺用事」と言われても、またまた首をひねるばかりです。そんな中で、この背後には古代中国で生まれた五行(ごぎょう)の思想があるということを知りました。
大昔の人々は自分たちの周りの事物・現象などについて、さかんに思索したようです。
古代ギリシア・ローマでは、あらゆる物質は土・水・火・空気(もしくは風)を元素とすると考えたそうです。古代インドでも、同じ四つをとりあげた四大(しだい)の思想があったようです。
古代中国では万物の成り立ちを木・火・土・金・水(モク・カ・ド・ゴン・スイとよむのが一般です。ゴンはコンとも)の五元素(行)とする思想が生まれます。孔子の時代には未確立であったと思われますが、その後、漢の時代には陰陽説と合体して陰陽五行説になり、さらに、儒教とも結びついて発展していったようです。
五行説の詳細までには理解が及びませんが、上っ面をかじってみました。
五行説は様々な事象との対応があります。たとえば、色。中国では青、赤、黄、白、黒という五つの原色を「正色」としていました。端午の節句のこいのぼりには吹き流しがセットになっていますが、あの五色は「正色」が由来です。また、文部省唱歌・「たなばたさま」の歌詞にある「ごしきのたんざく」もそうです。もっとも黒の短冊では、筆書きした文字が読めませんので紫に代えるようですが……。
この五色を五行に当てはめると、青は「木」、赤は「火」、黄は「土」、白は「金」、黒は「水」だそうです。
季節にも五行は当てはめられますが、四季は四つですから「行」が一つ余ります。春を「木」、夏を「火」、秋を「金」、冬を「水」としたうえで、各季節の終わり15日間(当時の暦日数)に「土」をあてた。これが土用の正体でありました。なんだか強引な感があります。
ちなみに「木」の行は色だと青、季節は春。二つあわせて青春です。同様に「金」の行は白と秋。北原白秋(本名は隆吉(りゅうきち))は、これを号としています。夏は「赤」の行に配置されますが、赤を表す「朱」に代えて朱夏、同様に冬は黒を同義の玄に代えた玄冬が別称とされるとのことですが、耳慣れません。これらは古文の世界でしょう。
五行説の影響はわが国でもいろいろな事物でみとめられます。7月26日、ユネスコの世界遺産委員会において奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」の登録が決定しました。ここには高松塚古墳も含まれています。内部に色鮮やかまま残った壁画が発見され大きな評判を呼びましたが、四方に描かれた青龍、朱雀、白虎、玄武の図は、その位置も含めて五行説に一致します。
相撲の放送などでは「青ぶさ」「白ぶさ」などということばを聞くことがあります。天井からぶら下がった屋根に色の違う房が下がっており、東が青、西が白だそうです。もっとも、実物を見ると、位置は90度ずれていますが。
ちょっと面白いのは「えと」です。甲・乙・丙・丁……の十干も五行に配当されています。十干ですから一つの行に二つが対応しますが、このとき五行の漢字は訓読みします。「木」は「き」、「火」は「ひ」ですが、「金」は「かね」ではなく「か」です。
「木」の行に配されるのは甲と乙の二つです。先を「え」(兄の意)、後を「と」(弟の意)と区別します。甲は「きのえ」(木の兄)、乙は「きのと」(木の弟)です。2026年の干支は「丙午(ひのえうま)」ですが、丙と丁の行は「火」です。丙は先ですから「ひのえ」、それに十二支の午(うま)が合わさるという成り立ちです。
五行説がわが国で十分に理解されて、自然や生活などの関する思考の具にまでなったかどうかは疑問ですが、中国に倣って普及したことは確かなようです。
ところで五行の「木・火・土・金・水」、並びの順序を変えるとわが国で使われている暦の七曜と重なる部分があります。今の暦も「五行」のしっぽを引きずっているのかと思ってしまいますが、これは違うようです。
七曜の原点は空海(774~835)が唐から持ち帰った『宿曜経(すくようきょう)』だそうです。経といっても仏教のお経ではなく、星占いのテキストブックだそうです。その中に七曜が含まれており、密教の大事な行事をいつにするかなど、七曜で吉凶を判断したうえで日にちを選ぶといった使われ方がされたようです。
平安時代の貴族は占いにはまっていたため、宿曜占星術は貴族の間で流行します。国宝となっている藤原道長の日記・『御堂関白記』には、暦の最上段に七曜が記載されています。その七曜は千年以上も時を隔てた今日までつながっているそうです。
ついでながら、かつては吉凶占いであった七曜が今のように生活に結び付いたものとなったのは結構最近のことでした。1873年(明治六年)に太陽暦が採用されて、その3年後には「日曜を休暇、土曜を半日休暇」とする太政官のお達しが発せられます。ところが、この通りに休めたのは公務員ばかり。職人の世界などは、昭和のはじめごろまで、10日ごと、あるいは、1日と15日を休むといった時代でした。働く人に対して「少なくとも毎週1日、または4週間に4日」の休日を与えることが法律で義務化されたのは1947年(昭和22年)の労働基準法の制定以来だそうです。週休義務化の齢は79歳、小生よりもお若いのであります。
(2026.8.20)
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