【沖縄・侃々諤々】

「誇りある豊かさ」で何を思うかーー内容を固める責任

仲西 美佐子(談:編集部が取材・編集)


■琉球非武の成り立ち
 古代琉球の成り立ちについての伝承は、1603年に漂着したという、いまの福島県いわき市出身の浄土宗僧侶・袋中上人(たいちゅうしょうにん)による「琉球神道記」に紹介されている。それは、「ゆらゆらととろけたところに神様がアダン、ススキ、ダシチャの三つを植えると島が固まった」という話が中心で、武力統一の話はまったく出てこない。琉球の成り立ちは、このように武力闘争のない国づくりという古代の神話に始まっている。
 琉球統一30年後の1458年、首里城正殿に設置された梵鐘の銘文「万国津梁」(世界のかけ橋の意)と、16世紀後半、守礼門に掲げられた扁額「守禧之邦」とは一対の思想であり、多角的貿易と非武装平和外交という琉球の国是を示すと考えられている。とりわけ琉球と日中韓との関係が重視されていた。
 身近な例で、床の間にはヤマトのように刀を架けるのではなく三線を架ける習慣が形成されていたこと。ヤマトの歌舞伎に匹敵する組踊りの関係者は、だれもが「琉球の伝統芸能には殺す・殺される場面もないし言葉もない」と断言していること—なども、琉球王国が「非武」の文化と社会であったことの証明ではないだろうか。
 以上から、武器を持って戦わない文化の起源は、1609年薩摩藩侵略よりはるかに以前からと考えられ、またそのことが私の「誇り」の中心になっている。したがって、米軍基地だけではなく自衛隊基地を含めて、沖縄からいっさいの軍事活動をなくすべきだし、究極的には世界の非軍事化をめざしたい。翁長さんはそこまで主張していたわけではないが、方向性は同じではないかと感じている。

■名護市の基本構想
 翁長さんが、「沖縄の県民所得は47位でも生活満足度は16位。誇りある豊かさの基本はできている」というのを聞いて、1973年「名護市総合計画・基本構想」を思い出した。それは「自然の摂理を無視し、自らの生産主義に全てを従属させるようになった幾年月の結論は、今自然界からの熾烈な報復となって現われ、人間は生存の基盤そのものさえ失おうとしている」と書き出されている。私はいまでもこの指摘は正しいと思う。
 この構想によると、新全総や列島改造論は「所得の向上のみを至上目的とした、資本の論理に足許をすくわれた考え方」。地域の将来に必要なことは、経済的格差をふまえた上で、「むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、(農林漁業の)豊かな生産のもつ、都市への“逆・格差”をはっきりと認識し、それを基本とした豊かな生活を自立的に建設」すること。そして「農林漁業と地場産業の正しい発展は人類の使命」とまでいい切っている(第1章「計画の視点」、以下同じ)。これは「名護市の逆格差論」と呼ばれている。
 国と県の開発計画は、工業生産と都市を優先し、人口の増大と過密化、所得の上昇、産業規模の病的肥大化という「とどまることを知らない悪循環」をもたらすといい、この悪循環を全国に押しつけるのは、「農村から都市への安価な工業労働力の転出」「中央から地方への産業公害の輸出」「地方自然資源の破壊」を進めるもの。この「悪循環」に巻き込まれないようにするためには、沖縄の“失われた歴史と場所”は何よりも第一次産業と地場産業において回復されなければならないとし、工業や観光業など他の産業はそれを補うものとされている。

■基本構想のその後
 これがその後どうなったか。2014年1月、二期目の当選を果たした稲嶺市長は同年5月、県内雑誌「N27」のインタビューに答えて、「ある時期から経済だ開発だということで、列島改造論とかリゾート法ができると、名護市もそれに組込まれるというか、流れに乗ってしまうような時代があった」、「その次に来たのは…軍事基地とのバーターというか、軍事基地を容認することによって、国から入ってくるお金や振興策に目が向いてしまった時期。私の前の三代の市長がそういう形で進んできた」、そして「米軍基地に頼った街づくりではやっぱり駄目」といっている。
 稲嶺市長は、一期目から基地再編交付金を打ち切られ、それがなくても「ちゃんとやっていけるんだと、名護市民もしっかりと理解してくれたと思う」。ただし、私(仲西)には「基本構想」がどのような形で再生されるか、まだわからない。「三代の市長」の失敗をはじめ、政府・与党の新全総や列島改造論を根拠とする開発政策や県の「長期経済開発計画」などの「流れに乗ってしまう時代」は、どうしたら防ぐことができたのかも研究されなければならない。
 その場合、どの政党も「基本構想」に匹敵する、あるいはもっと実践的に発展させるビジョンを持たなかったことを反省すべきだろう。とくに日本と世界の非軍事化をめざす政党は、軍事抑止力に依存する文化とはまったく異なる「ヌチドゥタカラ」の文化を創造しなければならない。したがって、自然生態系の生物多様性とともに生きるビジョンを提起しなければ、非武の琉球にふさわしい名護の「基本構想」は再生できないだろう。

■内容を固める責任
 「誇りある豊かさ」の提起についてもこれと同様で、翁長枠の幅広い支持母体または支持政党の責任によって、この貴重な提起の内容を固め、実らせることが必要である。総理大臣が「沖縄振興開発計画」を定めるという異常なシステムは、1972年から2012年(計画期間)まで続いたが、ようやく2010年の「沖縄21世紀ビジョン」から県によって作られるようになった。この「ビジョン」を「米軍基地は経済発展の阻害要因」という翁長さんの観点から見直し、修正することに展望が持てるようになったと考えている。

(なかにしみさこ:百姓未満、60代、恩納村)


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