【沖縄の地鳴り】
公権力不自由の原則
—市民からみた国の訴状の決定的矛盾(2)
<沖縄の誇りと自立を愛する皆さまへ:第29号 2015年12月号>
辺野古・大浦湾から 国際法市民研究会
※これは、国土交通大臣が埋立承認取消処分の取消を求めて翁長知事を訴えた「訴状」の矛盾と深く関連する問題である。
埋立工事がとまらないのはなぜか。それは、防衛省沖縄防衛局による行政不服審査請求に応じて、公有水面埋立法を所管する国土交通大臣が「知事の取消効力の一時停止」を裁決したからだ。翁長知事はこの裁決を違法とし、その取消を求めて12月25日、那覇地裁に抗告訴訟を提起した。
行政は国民のために機能すべきものだから「国民に対して行政庁に対する不服申立ての道を開く」(行政不服審査法第1条)。それによって「簡易迅速な手続きによる国民の権利利益の救済を図る」と規定されている(同)。この条文は、行政と国民(私人)が一種の緊張関係にあることを示している。したがって「沖縄防衛局も国民(私人)」というヘリクツで「不服」を申立てるのは、制度の意図的な誤用であり、違法不当といわなければならない。
国土交通大臣が翁長知事を訴えた「訴状」は、米軍基地の建設は「国の外交・防衛上の義務」だと強調する(前号参照)。したがって建設主体は、あくまでも公権力としての沖縄防衛局であり、国民(私人)ではない。
こうして行われた“身内審査”は、工事を続けて既成事実を作ってしまうための作戦と思われるが、法治主義を犯し自治権否認の効果を持つ。法治主義とは、公権力が憲法をはじめ法律に従わなければならないということであり、行政法学では「公権力不自由の原則」と説明されている 。
安倍内閣の“やりたい放題”が批判されているが、公権力が自由に振る舞えば、結局、自治権を含む国民の諸権利が侵害され、抑圧される。公権力を自由にさせないのは法であり、それを作り支える主権者国民である。憲法第92条の「地方自治の本旨」とは、自治体が国民(住民)の諸権利を守るために公権力を自由にさせないこと—ということができる。新基地建設問題で県民が翁長知事の側に立つ理由はここにある。「本旨」の核心は、公権力の“出先や手先”としての自治体には存在しない。
読谷村の石嶺村長は、村長も議会も挙げて反対だったトリイ基地の拡充強化に「反対してもとめられない」ため、基地再編交付金受入れに方針転換(12月16日村議会本会議答弁の論旨)。全議員協議会も同意したという。次号は、読谷村が日米の公権力に“やりたい放題”させない道を追求する。
(文責:河野道夫、international_law_2013@yahoo.co.jp、080-4343-4335、読谷村)