【コラム】
ケニア・タイ二都物語―国連で25年----南の国から大好きな日本へ
何回でも出直しを ——ケニアのストリート・ボーイズ——
◆ 行き場がない
コロナウィルスの影響で、ケニアからの便りが増えた(筆者は在バンコク)。便りというより悲鳴だ。お腹がすいた、住む場所がない、と。
ケニア政府は、3月下旬から始まったロックダウンに伴い、税の減免などのショック緩和策を打ち出したものの、それはフォーマルな(正規の)経済活動での話だ。日雇い、路上の物売りなどインフォーマル部門の人たちに恩恵はない。水、石鹸、マスクはおろか、食べ物も十分にない人たちは、生活苦と健康不安に、ただ必死で耐えている。
夜間外出禁止令が継続中だ(8月10日現在)。一部には、取り締まりに暴力を伴う例もあったと聞く。路上で暮らし、ほかに行く場のない人たちは、いったいどこへ逃げればいいのだろう。
ナイロビのストリート・ボーイズたちのことが思い出される。
◆ ストリートの秩序
路上生活する子供は、ナイロビだけで60,000人、ケニア全土では40万人ほどと推定されている。なぜ子供が路上で生活することになるのか。なかには10年も。
きっかけは、親の死や失踪のほか、離婚や再婚で環境が変わってしまい、それになじめず家出した、家にいたかったが虐待された、などだ。貧困だけでは説明できない。
路上には路上の生活と秩序がある。リーダー格の子供がいて、新入りはその指導を受ける。捨てられたものの中から、食べ物を見つけたり、再利用できるものをより分けて売ったりと、サバイバル・スキルを身に着けていく。仲間同士で助け合い、分け合うことも覚える。
才覚とやる気次第で、大人から洗車、車の番、草刈り、水運びなど、きちんとした仕事をもらえることもある。対価はおそろしく安いだろうが、汗して働けば報酬を得られることを実地で学ぶ。キャッシュは、すぐ楽しくなれるドラッグに使うことが多いが、ときには大好物のフライドチキンやバーガーを買うこともある。
避けるべき人や場所についてのカンも鍛えられていく。一見優しそうな大人のことはぜったいに信用しない。ひとかけらのイモやパン、ピーナッツなどに釣られたばかりに、すり、強盗といった犯罪行為を強制されたり、売り飛ばされたり。
路上の子供たちはテロリストの予備軍でもない。むしろ、富裕層出身で学歴の高い若者が一般にリクルートされやすいという。
ナイロビは赤道直下だが、標高が高いので冷え込む。空腹と非衛生と恐怖にふるえながらだが、子供たちは路上にたくましく順応していく。彼らは、泥棒でも犯罪者でもないし、その予備軍でもない。それどころか、条件さえ整っていれば、すくすくと育ち、社会で役立っていけるはずの子たちだ。
◆ ストリート・ボーイズのホーム
ナイロビ市街地から北へ10キロも進むと、両側を豊かな緑で覆われた道路が、高度を少しずつ上げながらつづら折りに続く。そんな一角に、ストリート・ボーイズ専門の小さなホームがある。キリスト教系NGO(African Growth Ministries)が2014年に開設した[注] 。
大きなバナナの林に囲まれた母屋と並んで、少年たちの寝床を並べたワンルームがある。その隣は炊事場、浴室、トイレ、裏は小さな野菜畑とニワトリ小屋だ。ここでは、年齢に応じて復学させるほか、手洗、入浴、掃除、洗濯など健康で清潔な生活のリズムを覚えさせる。野菜の栽培、植木の剪定、炭焼きなど、実生活で役立つスキルも教える。ドナーからの資金次第で、自動車整備、調理、大工など専門技術を習得させることもある。これまでおよそ120人の少年が滞在し、巣立っていった。
ホームの仕事は、そればかりではない。保護した少年よりはるかに多くを対象にして、ホームの側から路上に通い、相談にのってきた。信頼関係を築いて、話ができるようになるまで何ヶ月もかかることもある。
目的は、それぞれの人生を軌道に戻すことだ。薄汚れた姿でドラッグに浸り、大人の目から見れば眉をひそめたくなるような子供たちでも、仲間がいてインカムがある。大人ではないが、衣食住さえ確保されれば安心してすやすや眠れるほど子供でもない。ホームに来なさい、家に帰りなさいと、べき論を押しつけるだけでは必ずしもうまくいかない。地域の長老や警察、市役所、少年の家庭事情を知っている人などにも相談して、最善策を探る。
実際、社会で活躍している人の中には、親戚、孤児院、教会などの保護にいっさい背を向けて、「自分はストリートに育てられた」と言い切り、それをアイデンティティに感じている人もいる。大人がそうであるように、子供たちも、それぞれにふさわしい人生は、一人一人異なる。
◆ ダイヤモンドの微笑み
このホームに来た二人の少年の人生を紹介しよう。
15歳になるAは、両親が別居し、どちらからも「お前はいらない」と言われ、5歳でストリート生活を始めた。空腹とたび重なる大人の暴力に耐えかね、いったん家に帰ったが、知らない人が住んでいて、親の行方は分からなかった。シンナー、マリファナに浸れば愉快になったが、醒めれば絶望だけがあった。そんなとき、ホームに保護された。
Aは成績が良いので大学に進み、弁護士になりたいとはっきりした希望を持っている。訪問した筆者に対し、「二度とシンナーもストリートもいやです」という。「いまにきっと、自分の携帯も車も買えるようになるでしょう」と励ますと、真っ青な空と滴るような緑を背景に、にっこりと白い歯を見せた。
家出さえしなければ、もともと人に好かれ優等生になれる人材なのだろう。絶望だけの人生が、再び希望に導かれるようになった若者ならではの、ダイヤモンドのような微笑みだ。
◆ また、よい子になれない
別の少年B。母親が病死するまでは、サッカーが得意な小学生だった。父親が再婚し、後妻の連れ子はよい子たちだったし、学校も続けられた。しかし家庭にBの居場所がなくなった。腹が立つと家具や食器を壊して暴れた。そんなBのことを親は憎んだ。Bも自分自身を憎んだ。よい子になれなかった。12歳で家出した。
筆者はBに会っていないが、顛末をまとめると次のようだ。ホームのソーシャルワーカーが、一ヶ月以上も根気強く路上に通ってきた。復学すればサッカーができると説得され、ホームに来た。しかし、ほどなく戻ってしまった。街から離れ、たえず大人に見られていることが不自由だったうえ、まだ路上にいる以前の仲間たちから、戻ってくるようにしきりと誘われていたためもある。
きっかけは、ホームで暮らす別の少年が試験で好成績を上げたことだ。大人たちは、そろってその子ばかりを褒めた。洗濯されたシーツより汗の染みついた寝床が、正論を吐く大人より、サバイバル・スキルを手ほどきしてくれた路上の先輩や仲間に囲まれている方が、ずっと魅力的に思えたのかもしれない。またしても、よい子にはなれなかった。
ホームはBのことを止めず、当座のためにと炭が入った袋をもたせた。売れば1、2ヶ月は暮らせる。これがあだになった。路上に戻ったその日、取り合いがけんかに発展し、Bは殴り殺された。危険を避けるカンが鈍っていたのだろうか。
せっかくホームに助けてもらったのに、またダメだった、ならこの先ももうダメだろうと絶望してしまったのだろうか。それとも、ただ混乱していただけかもしれない。もはやBに尋ねることはできない。
◆ そっと手助けする理由
人生のステップを踏み外してしまうことは、誰にでもある。アフリカ人にも日本人にもある。子供ばかりでなく、大人にもある。
たまたま事情が悪かったうえに、判断を間違えた、思慮が足りなかった、怒りで後先のことを考えられなかったと、さらに輪をかけて悪くしてしまうこともある。気分が落ち込み、ついつい絶望に溺れそうにもなる。妥協する、折り合いをつける、あきらめる、開き直る、忘れようとするなど、どんな言い方でもいいが、人生を続けていくために、やり直しと出直しに取りかかるまでには、多少なりとも人の迷惑になるのも共通だ。社会的に一見立派に見える人も、けっして例外ではない。
ただ、そうして自発的に立ち上がっていくには、10代は若すぎる。だからこそ、大人がそっと手助けする必要がある。
ホームの運営費は、衣食住だけなら月5万円程度だ。パンデミックの禍中どうしているかと寄付金を少し送ったが、以前はすぐもらえた領収書が来ない。生き生きした写真が満載のホームページも、しばらく更新されていない。オーナーとその家族、ソーシャルワーカー一人が常勤だが、コロナウィルス感染者が毎日増加している非常事態で、その大人たちがそれどころではないためかもしれない。以前は欧米のボランティアやドナーがよく出入りしていたが、いまはケニアに渡航することもむずかしい。
ケニアでこのような活動をしているのは、日本人が熱心にかかわっているものも含め、ここだけではない。いずれもいまは厳しい状況だろう。遠く離れたバンコクで、ただ気をもんでいる。
[注]ホームページ https://pavementtoprosperity.weebly.com/
(元国連職員・バンコク在住)
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