【コラム】神社の源流を訪ねて(86)
伽耶87
風土記の構造
栗原 猛
地方氏族も多彩な降臨神話
降臨神話というと記紀に登場する邇邇芸命が知られるが、実はこれだけではない。風土記をはじめ万葉集の歌謡、古語拾遺、先代旧事本記などをはじめ伝承などにも数多く伝えられている。したがって神社を知るには地方の降臨神話にも目を通すことが欠かせない。
風土記には播磨国、常陸国、出雲国、国、豊後国の5つある。一番早くできたのは播磨国風土記(715年)で、出雲国風土記(733)年がこれに続く。風土記の編集方針は713(和同6年)、群郷の名前に好字を使うように指示が出ていて、同時に各地域の銀銅、草木、禽獣などの種類、土地の地味、古旧聞異事―などについて報告を求めている。
古事記は712年、日本書紀は720年の成立だから、急速に国の体制を整えようとしていたのであろう。ただどの風土記も中央の支持を意識しながらも、独自の視点がうかがえることだ。
例えば出雲風土記の「国引き神話」は、出雲にだけ伝えられている話である。出雲風土記の有名な場面に、ヤツカミズオミズノミコト(八束水臣津野命)が「国来、国来」と島を引き寄せる有名な国引きの場面がある。神話の重要な柱になる話だが、なぜか記紀神話には出てこない。一方出雲風土記には天皇、王族などに関する神話は書かれていない。もう1つ出雲風土記の有名な場面である国譲りの主役の一人、武甕命(タケミカヅチノミコト)は、出雲国風土記には出てこない。
出雲風土記では大穴持命(オオナムチノミコト)は「天の下造らしし大神」として、最大の敬意を払っている。素戔嗚尊の八岐の大蛇退治は、出雲国風土記には見られない。このように、記紀神話と出雲国風土記には編集方針に違いが感じられる。
「常陸国風土記」には常陸の国特有の話があり、香島郡の項で「香島の天の大神の神話や、久慈郡には天降る「タチハヤヲノミコト」や、筑波郡の条には福慈(富士)の神と、筑波の神をめぐる「新粟の新嘗」の伝承など地域特有の記録がある。
「播磨国風土記」には、揖保郡(いひぼ)の項に、伊和大神の伝承をはじめ、オオナムチとスクナビコナの冗談めいた話などを載せている。「豊後国風土記」では国の紹介、日田、玖珠、直入、大野、海部、大分、速見、国埼の各郡の由来などを記載、景行天皇の九州巡幸に関するものが多い。変わったところでは土蜘蛛の記述がある。
物部氏の祖先神、饒速日命、天磐船(あまのいわふね)に乗って、河内の哮の峰(いかるがだけ、現在の磐船神社周辺)に降臨している。日本書紀では、饒速日命は神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かったとされる。「先代旧事本記」によると、32人の命がお伴をしてし、河内の国(大阪府交野市)の哮ケ峯に降臨したとする。ただしこれは、邇邇芸命の降臨とは別系統の説話とされ、祭祀を司る物部氏の祖神が、神武天皇より先に出雲系の王権が存在したことを示すとの見方の根拠になっている。新撰姓氏録では饒速日命は、皇統ではないとされる。
また「日向国風土記」の逸文には、天孫降臨の折には「天くらく、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別期がたかりき」と述べ、「名前を大鉗(おおくは)、小鉗(おくは)と曰うもの二人」が、「稲千穂を抜きて籾となして、四方に投げ散らかしたまはば、必ずあかりなむ」とあり、記紀神話の降臨場面とは異なる。
このように地域の氏族はそれぞれ独自の降臨神話を持っている。記紀神話だけで日本の神話を語り尽くせないところがまた面白い。
◆◆以上
(2026.1.20)
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