【コラム】私見・仏教噺

①仏教とは何か:釈迦の生涯・教えに触れて

荒木 重雄
 
 この連載は、筆者・荒木が友人たちと集う私的サロン「仏教に親しむ会」で、2024年から26年にかけて呟いてきた仏教噺を、文字に起こした記録である。
 もとより信仰を勧める意図ではないし、学術的な主張を意図するものでもない。テレビ・ジャーナリズムや大学教育に一時身をおいたこともある、俗世間に生きる一人の男が、自らの常識に照らして見た仏教の一面の姿を語るものである。
 
 仏教とは何か:釈迦の生涯・教えに触れて
 
 このシリーズの第1回として、「仏教とは何か」を、創始者・釈迦の生涯と教えに触れて、見ていきたいと思います。
 ですが、はじめに一つ、お断りしておきたいことがあります。それは、「私が話すことが正解とは限らない」といいますか、「それだけが正解ではない」ということです。
 仏教といいますのは、それが生まれた紀元前5世紀頃から以来の、2500年に亙る、広いアジア仏教文化圏の、膨大な数の、さまざまな人々が考えてきたことの集積です。ですから仏教の中にはさまざまな考えがあります。
 しかも、キリスト教の異端審問のように、ですね、仏教では、「これが正しい」、「これは間違っている」と、厳しく問いただすようなことはせず、あらゆる考えや価値観を受け入れて、抱えてきました。ですから、いろんな考え方があります。それが仏教です。
 で、私は、そのなかで、出来るだけ論理的かつ客観的に見て、これが基本だろう、本筋だろうと思われるところ、そして、私自身が納得できるところをお話することにしています。
 ですから、当然、異論はあると思いますし、異論を否定しません。仏教には「これだけが正解」というものはない、という立場で、私はお話をする、ということを、あらかじめご承知おきいただきたいと思います。
 
 ◆仏教は仏(ほとけ)になる教え
 
 では、まずは、「仏教とは何か」、という、一番基本的なところから入りましょう。
 仏教とは、「仏(ほとけ)」になる教え。です。 私達自身が「仏になる」教えです。
 仏教とは「仏」すなわちお釈迦さまが説いた「教え」ですが、じつは、私達自身が「仏になる」ための教えです。
 「仏の」教え、そして、「私達が仏になる」教え。二重の意味があるのですね。すなわち、「仏(お釈迦さま)の教えに導かれて、私達が仏になる」教えです。「仏になろう」という教えですね。
 
 では、「仏」とは何でしょう。「仏」とは、インドの言葉で「ブッダ」といいます。仏教はインドで生まれたものですから、もともとのインドの古い言葉のサンスクリットでブッダといいます。そのブッダとは、「智慧を得た者」、「真理を悟った者」という意味です。
 このインドでのブッダ、「智慧を得た者」「真理を悟った者」という意味のブッダが、中国でその「ブッダ」の音を漢字で表しまして、「仏陀」になり、これを簡略化したのが「仏(ブツ)」で、それを、日本で「訓読み」したのが「ほとけ」ですね。
 ですから、仏(ほとけ)とは、「智慧を得た者」、「真理を悟った者」のことです。
 ここを押さえておいていただきまして、では、なんで、お釈迦さまは「お釈迦さま」なのでしょう。  
 
 お釈迦さまは、ほんとうの名前をゴウタマ・シッダールタといいます。なのに、「釈迦」という。それは、彼が、釈迦族という部族の出身だからですね。ゴウタマ・シッダールタは釈迦族の出身だから「シャカ」とよばれる。
 正確には、「シャカ」でなく「シャーキャ」ですが、これが中国で漢字に写されて、漢字の「釈迦」になった。
 釈迦は、「釈迦牟尼」ともよばれますね。「ムニ」はサンスクリットで「聖者」です。「聖者」「賢者」「尊い者」という意味です。ですから「釈迦牟尼」は、「釈迦族の聖者」「釈迦族の賢者」ですね。それをさらに簡略化した形が「釈尊」です。
 
 お釈迦さまの呼ばれ方のいろいろをご紹介しましたが、では、そのお釈迦さま=ゴウタマ・シッダールタは、何故、ブッダ(仏)なのでしょうか。ブッダは「智慧を得た者」「真理を悟った者」という意味でしたね。
 これは簡単ですね。ゴウタマ・シッダールタは、出家し、修行し、瞑想して、「智慧を得」、「真理を悟り」ました。それゆえに、そのときに、ゴウタマ・シッダールタはブッダになった、「智慧を得た者」「真理を悟った者」の、ブッダ(仏)になったのですね。
 
 と、すると、仏教は「私達が仏になる教え」ということは、ですね、すなわち、私達が、「智慧を得た者」「真理を悟った者」になることを目指そう。ということですね。私達が釈尊と同じような「智慧を得た者」「真理を悟った者」になろうということです。一足先に智慧を得、真理を悟った先達の釈迦、ゴウタマ・シッダールタに「倣って」、その教えに「導かれて」、 私達自身が「智慧を得た者」「真理を悟った者」になろう、ということなのですね。
 
 仏教は、私達自身が仏になる教え、「智慧を得た者」「真理を悟った者」になろうとする教え。これが、仏教の基本のキです。一番大事なところです。それは、「死んで」仏になるのではありませんよ、「生きているうちに」、「生きながら」仏になる。これが、仏教の一番大事なところです。
 
 では、どうやって仏になるのか。死んでからではなく、生きながら、どうしたら仏になれるのか。これには、仏教にも、いろいろな考え方があります。
 釈迦は、人間の苦しみの原因を「執着」、自分の命をはじめとするさまざまな物事への執着と考えまして、その執着を除き、なにものにも囚われない自由で安らかな境地に至ることを、「仏になる」ことと説きました。時代が下って大乗仏教になりますと、さまざまな考えが出てまいりまして、たとえば、真言宗では、ある行によって、大日如来という「宇宙そのものである仏」と一体化することで仏になれる、と、説きましたし、禅宗では、「自分の本質が仏」であることに気づけば、それで仏になれる、としましたし、日蓮宗では、法華経という経を世に広めることで菩薩になれる、と説きましたし、浄土宗や浄土真宗では、こちらは亡くなってから浄土に行くというイメージが強いですが、でも、阿弥陀仏への信仰を固めた人はこの世ですでに弥勒菩薩の位であると、説いていまして、こうしていずれの宗派もですね、その宗派の仏のありようやなりかたはさまざまですが、等しく、私達が仏になることを目差して説いているのですね。
 
 このあたりの詳しいお話は、また、おいおいさせていただきますが、仏教はいずれも私達に「仏になる」ことを目差させ、その道を説いている、ということを、このシリーズの初めに、是非、お心に留めておいていただきたいと思います。
 
 では、そのことを踏まえたうえで、仏教の原点であるお釈迦さまの生涯とその教えを、見ていくことにいたしましょう。
 
 ◆釈迦は人生の「苦」を見詰めた
 
 お釈迦さま、ゴウタマ・シッダールタは、いまのネパールの南に位置する釈迦族の中心地カピラヴァストゥの王、シュッドーダナ(漢訳で浄飯王)と、その夫人のマーヤー(摩耶夫人)との間の長男として、カピラヴァストゥに程近い「ルンビニーの園」で生まれました。
 母マーヤーが出産のため里帰りする途中、ルンビニーの園に差しかかりますと、急に産気づいて、マーヤーの左の脇腹から、ゴウタマが生まれ、生まれるとすぐ7歩あゆんで「天上天下唯我独尊」と宣言した。という伝説がありますが、伝説は伝説として、ときに紀元前463年とされます。諸説ありますが、一番広く支持されている、紀元前463年ということにしておきましょう。
 
 生後7日目に、母マーヤーは亡くなり、ゴウタマは叔母(亡くなった母の妹)マハープラジャーパティーの手で、育てられることになりました。
 実の母を失った満たされぬ渇きを秘めながらも、幼少期から青年期のゴウタマは、王子として、なに不自由ない暮らしを送ってきました。最も古い経典の一つに、釈尊自身が語った少年時代として、次のようなことが記されています。
 「わが父の邸には、蓮池が設けられ、そこには、あるところには青い蓮が、あるところには赤い蓮が、あるところには白い蓮が咲いていたが、それらはただ、私を喜ばせるためであった。私は、よい香りのするカーシー産の栴檀香以外は、決して用いなかった。着る物は、上に着るものも下に着るものも、カーシー産の絹織物であった。
 邸内を散歩するときも、寒さ暑さを防ぎ、塵、草、夜露に触れることのないよう、私のために、昼夜を分かたず、白い傘蓋が用意されていた。その私には、三つの宮殿があった。一つは夏のため、一つは冬のため、一つは雨季のためのものであった。それで私は、雨季の四ヶ月は、雨季に適した宮殿において女だけの楽士に囲まれていて、決して宮殿から下りることはなかった」――随分、贅沢な暮らしをしていたのですね。
 
 ところがそこに、「四門出遊(しもんしつゆう)」のエピソードに語られるようなことが起ります。・・「四門出遊」というのは、ですね、ある日、シッダールタは、馬車を駆って王宮の東の門から遠乗りに出かけた。そのときシッダールタは、痩せ衰えた老人を見て、人は「老いを避けられない」ことを知った。次に、南の門から出かけたとき、悶え苦しむ病人を見て、人は「病を避けられない」ことを知った。さらに、西の門から出かけたときには、死を嘆き悲しむ人々を見て、人は「死を避けられない」ことを知った。という話ですが、ま、その真偽はともかく、ゴウタマ・シッダールタは、「老い」、「病い」、「死」、という、人生の苦しみを深く考えるようになったのですね。とりわけ彼の心を捉えたのは「死」でした。死は、自分という存在を根底から否定する最大の「苦」である。人に死は避けられない。否、人とは、生まれたそのときから、ひたすら死に向かって歩む存在である。そのことを自覚したとき、「生」、生まれる、生きる、そのこと自体が「苦しみ」と認識されたのですね。
 このような「人間存在」とは何なのか。「自分」とは何なのか。人はこの「苦」から逃れることはできないのか。死から逃れられぬとしても、それを「苦」と感じることから逃れることはできないのか。
 妃ヤショーダラーとの間に王位を継げる男の子ラーフラの誕生を見たシッダールタは、この問題の解決を求め、一人、王宮を抜け出したのでありました。シッダールタ29歳のときでした。
 
 出家したシッダールタは、はじめ、当時の大国マガダ国の都ラージャグリハ(王舎城)で、二人の有名な仙人についてヨーガ(瞑想)を学びますが、あきたらず、ネーランジャラー川(尼蓮禅河)のほとりの森に籠もって、苦行に入りました。これは、断食や不眠(眠らない)、そのほかさまざまな方法で、肉体を痛めつけることで、・・インドでは、いまでも、片手や片足を挙げたまま何年もけっして下ろさない、とか、何年も逆立ちしたまま、とか、奇抜な行をしている行者がいるのですが、こうした行は、釈尊のはるか昔から行われていたことでして、これは、身体を痛めつけることで「精神の解放」を得よう、とするものでして、シッダールタも6年に亙って続けましたが、それでは悟りは得られませんでした。
 苦行の無意味なことを知ったシッダールタは、やがて、森を出て、ネーランジャラー川の水で沐浴し、村の娘スジャーターが捧げた乳粥(牛乳で作った粥)を食べて、精気を取り戻し、それから菩提樹の下に坐って、深い瞑想に入りました。そして、7日目の明け方、限りない安らぎと悦びのなかで、忽然として真理を悟った。のですね。
 この悟りに至る過程にはもっとさまざまな伝承、伝説もありますが、ここでは、こんなことにしておきましょう。
 
 悟りを開く直前に「悪魔を降伏させた」という有名なエピソードがありますね。それだけちょっと触れておきましょう。
 悪魔が、シッダールタが悟りを開くのを妨げようと、美味な食べ物や、美女や、財宝などを出現させて、誘惑し、また、猛獣や化け物などを繰り出して、恐怖に陥らせようとしたのですが、しかし、シッダールタは、その正体が、欲望、ねたみ、こだわり、疑い、怒り、恐れ、など、「煩悩」とよばれる心の迷いであることを見抜くと、悪魔は力を失って、消え去った。というのですね。
 こうして、ついに、シッダールタは、悟りを開いたのです。ゴウタマ・シッダールタは、このときを以て、「ブッダ」になったのです。ときに、シッダールタ、35歳でした。
 
 では、いったい、そのとき、ブッダ・釈尊は、何を悟った、のでしょうか。
 ここに、「仏教の精髄」があります。
 釈尊は、自分は「煩悩の激流を渡り、心の不安や生死を超えた」。と言っています。煩悩を乗り越えることによって、さまざまな不安や「生き死に」を思い煩うことから自由になることができた。というのですね。「生死を超える」。仏教では生死を「しょうじ」と読みますが、「生死を超える」、すなわち、「生き死にこだわらない境地を得る」ことが、「苦」から抜け出す一番勝れた方法であり、また、それが、「悟り」だというのですね。
 さらに釈尊は、自分は「老いるもの、病むもの、死ぬもの、憂うもの、汚れたものであるけれども、老いや、病いや、死や、憂いや、汚れに、『心の患い(苦しみ)』があることを知って、それらの無い、無上の安らぎを求め、そうして、老いや、病いや、死や、憂いや、汚れの無い、無上の安らぎを得た」。とも言っています。
 この、憂いや生死を超えた、無上の安らぎの境地、これが、「涅槃」、悟りの境地であり、「仏」になった状態なのですね。
 
 ◆執着を離れるための世界認識:「縁起」の理
 
 では、どうしたら、憂いや生死を超えることができるのか。「涅槃」に至ることができるのか。
 釈尊はそれは、「執着を離れること」によってできると、いうのです。
 なら、どうしたら、執着のこだわりを捨てことができるのか。
 その答えが、「縁起(えんぎ)」という、ものの考え方、世界の認識、世界の解釈の仕方なのです。
 では、「縁起」とは何なのか。ここが釈尊の教えの要点、最も大事なところです。
 
 「縁起」とは、「縁(よ)りて起こる」ということです。「関係」によって、物事は起きる。ということです。物質も精神の作用も、一切のものには「原因」と「条件」があって、それらの複雑な「関係」によって、はじめて生じる。
 「原因」と「条件」、これを「因」と「縁」といいます。
 「因」というのは、「タネがあるから、草が生える」というような、「直接の原因」です。 それに対して「縁」というのは、タネがあっても、適当な土や、水や、光や、温度などの、条件が整わなければ、発芽しないし、育たない。というような、「条件」、「環境」、因をめぐるさまざまなもののかかわりです。
 そして、この「因」と「縁」によって生じた結果が「果」でありまして、その「果」はまた、次の因となり縁となって、さらに次の「果」へと移っていく。
 
 大事なことは、ですね、すべての物事は「因と縁の結果」であって、すなわち、さまざまな「原因」とさまざまな「条件」の、さまざまな「組み合わせ」の結果であって、その、さまざまな原因とさまざまな条件のさまざまな組み合わせの結果が、「たまたま今ある形のものがある」ということでありまして、これを裏を返して言えば、ですね、「今あるもの」は、それをあらしめている「原因」なり「条件」なり「組み合わせ」なりの一つでも変われば、忽ちにして変わる、かりそめのもの、移りゆく、「実体のないもの」、 ゆえに、「執着するに価しない」もの、「思い煩うに価しない」もの、と、認識すること。なのですね。これを、「縁起の理」といいます。 
 釈尊が悟ったのは、そういう、「世界のありよう」の認識だったのですね。
 束の間に移ろう「実体のないもの」ならば、それを、思い煩ったり、執着したりしても、詮無いこと、意味のないことではないか。ですね。
 
 自分という存在を含めたこの世の一切は、縁起による、実体のない、束の間に移ろう、常ならぬものであるということを、理解、認識し、物事への執着を絶てば、生き死ぬ身ではありながら「生死を超え」、生き死にを思い煩うことを超えて、無上の安らぎ、涅槃に至る。のですね。
 
 この理を悟らず、物事への執着に囚われて、煩悩に閉ざされている状態、これを、「無明」といいます。この「無明」こそが、「苦しみ」をもたらす。
 だから、どのようにしたら、その「無明」を解き、「涅槃」に到達できるのか。どうしたら、そのようにして自分を解放し、他の人々をも解放してあげられるのか。これこそが、釈尊が自らに問い、考えを極め、そして「悟った」ところであり、したがって、それは、また、あらゆる仏教が取り組むべき一番根本の、最大の課題なのですね。仏教は、釈尊以降、さまざまに変化し、発展しましたが、この、「どうしたら、苦しみをもたらす無明を離れ、自らを解放し、他の人々をも解放できるのか」、が、あらゆる仏教、すべての仏教の基本テーマ、なのですね。
 
 さて、菩提樹の下で「縁起の理」という真理を悟った釈尊は、その悟ったこと、すなわち、「仏になる道」を、人々に伝えようと決意します。そして、悟りを開いた地のブッダガヤを離れ、ヴァーラーナシー(私達、ベナレスとよんでいましたが)、その郊外のサールナート(いわゆる鹿野苑)に行きまして、かつて森の中で苦行を共にしていた5人の仲間に、自分が悟ったことを伝えました。これを「初転法輪」、すなわち、「真理の教え」を車輪に譬えまして、それが最初に回った、という意味で「初転法輪」というのですが、その、最初の説法を行ないました。
 これ以降、多くの弟子が入門してまいりまして、・・釈迦の「十大弟子」に数えられるサーリプッタ(舎利弗)とかモッガラーナ(目連)をはじめ、多くの弟子や信者が釈尊を慕って集まってまいりまして、やがて、教団(サンガ)がつくられました。教団は、四つのグループから成っていまして、それは、「比丘(びく 男性の出家修行者)」、「比丘尼(びくに 女性の出家修行者)」、「優婆塞(うばそく 男性の在家信者)」、「優婆夷(うばい 女性の在家信者)」の、四つのグループです。
 釈尊のサンガ(教団)では、身分の高い低いや、貧富の差、男女の区別なく受け入れていたのですが、多くのVIPも、釈尊の教えや徳に惹かれて、帰依しているのですね。当時のインドでは、ガンジス河中流域のマガダ国とコーサラ国という二つの国が大国だったのですが、マガダ国のビンビサーラ王(頻婆沙羅)も、コーサラ国のパセーナディ王(波斯匿)も、また、それらの国々の大富豪も、釈尊の帰依者、スポンサーになって、土地や財産を寄進しています。
 たとえば、マガダ国のビンビサーラ王が首都ラージャグリハ(王舎城)で寄進した僧院の「竹林精舎」や、コーサラ国のスダッタ(須達多)長者という大富豪が首都シラーヴァスティー(舎衛城)で寄進した僧院の「祇園精舎」などは、有名ですね。
 
 釈尊をはじめ出家修行者たちは、しかし、一定の宿舎を持たず、林や洞窟に寝泊りしながら遊行するのが習わしでして、これらの立派な僧院が寄進されましても、釈尊と弟子たちは旅を基本に修行や伝道を続け、ただ雨季にだけ・・インドでは雨の季節が3ヶ月ほど続きまして、その間は、洪水で道が流されたり、毒蛇がたくさんいたりして、歩けないものですから、その間だけ、僧院に集まって定住し、議論を戦わせるなど、特別な修行を行ないました。この、僧院に留まって修行することを「安居(あんご)」といいます。雨季の安居ですから「雨安居(うあんご)」ですね。
 ついでにいいますと、出家修行者は、「糞掃衣(ふんぞうえ)」という、ゴミタメや道端に捨てられたボロ切れを拾い集めて一枚に綴り合わせた布を、身に纏い、托鉢に用いる鉢と、飲む水を漉すちいさな網と、坐ったり寝るときに敷く敷物だけをもって、諸国を遍歴するのが生活の基本でした。食事は一日一食、托鉢で布施されたものだけを食べるのですが、鉢に入れられたものは何であれ、拒まず、選ばず食べるのが、決まりでした。
 「物に囚われない、執着しない」を徹底する生き方の、一つの表れですね。
 「四依法(しえほう)」という、修行者の生活のルールがあります。「食は乞食に依ること」、「衣は糞掃衣に依ること」、「住居は樹下住(じゅかじゅう)依ること」、屋根の下ではなく樹の陰などで夜露をしのぐのですね。そして病めば、「薬は陳棄薬(ちんきやく)に依ること」。陳棄薬というのは、木の実を入れて醗酵させた牛の尿、ですが、それを薬とするのですね。そういう厳しい遊行生活をしながら、思索や瞑想に打ち込み、また、人々に説くのが、釈尊をはじめとする出家修行者の毎日の暮らしでした。
 
 そうして釈尊が人々に説いたことは何か、といいますと、それが、先程の「縁起の理」と並んで、「四諦(したい)」、「八正道(はっしょうどう)」でした。「縁起の理」と「四諦」「八正道」。これらが仏教の一番基本の教え、「基本のキ」の教えです。
 
 ◆執着を離れるくらしの規範:「八正道」
 
 では、「四諦」、「八正道」とはどのようなものか、まず、「四諦」から見ていきましょう。
 「四諦」の「諦(たい)」は、「あきらめる」ではなくて、「明らかにする」、あるいは、「明らかにされた真理」という意味でして、ですから「四諦」とは、「四つの真理」ということになります。
 ではその「四つの真理」とは何か、といいますと、「苦諦」、「集諦」、「滅諦」、「道諦」、の四つ、です。
 「苦諦(くたい)」とは、「人生は苦である」という真理です。人生の苦とは、「生、老、病、死」の四つの苦、「四苦(しく)」で代表されます。先程お話した、釈迦の出家の動機となった「四門出遊」のエピソードで語られる「生、老、病、死」の四つの苦、これが、人生の苦の代表的なものですね。さらに、これに、「愛別離苦(あいべつりく)」、愛するものと別れる苦しみ。「怨憎会苦(おんぞうえく)」、厭な人とも会わなければならない苦しみ。「求不得苦」(ぐふとくく)」、求めるものが得られない苦しみ。「五取蘊苦」(ごしゅうんく)」、すべて物事に執着することから生まれる苦しみ、を、「四苦」に加えて、「八苦」を数えます。これがいわゆる「四苦八苦」の語源ですね。人生はこうした「苦」に満ちている。
 「苦諦」に続く「集諦(じったい)」は、「苦には、それをもたらす原因がある」。という真理です。なぜ「集まる」という字がつくのか、それは、先に述べたような四苦八苦が「集まって」人生を苦にしている、という意味のようですが、ともかく「集諦」は、「苦には原因がある」、という真理です。では、その原因は何か、といいますと、それは、「無明」「煩悩」ですが、その本質は「執着」でしたね。物事への執着です。ですから、煎じ詰めれば、「苦の原因は執着である」。という真理です。
 次の「滅諦(めったい)」は、「苦の原因は、滅することができる、取り除くことができる」という真理です。苦しみの原因は、煎じ詰めれば「執着」でしたから、「執着は取り除くことができる」。という真理です。
 そして、最後の「道諦(どうたい)」は、「苦を取り除く方法、道」、です。苦の原因は執着でしたから、「執着」を取り除く道がありますよ、それを教えましょう。という真理です。
 では、どうすれば「執着」を取り除けるのか、取り除くことができるのか。
 
 一つは、先程お話した「縁起の理」という世界認識ですね。物事はすべて、「因」と「縁」、すなわち原因と条件のさまざまな組み合わせで成り立っているのであって、「今ある形」も、それらの組み合わせの結果、たまたま、「今ある形である」だけであって、それらの原因や条件や組み合わせの一つでも変われば、忽ちにして変わってしまう、無くなってしまう、束の間のもの、実体のないもの、すなわち、思い煩うに価しないもの、執着するに値しないもの、と、認識する、「縁起の理」ですね。そういう、「世界の成立ちの認識」です。
 
 加えてもう一つ、「執着を取り除く方法」があります。それが、「八正道」です。
 「八正道」とは、「八つの正しい道」、八つの正しい生活の仕方、身の処し方でありまして、 その八つとは、まず、「正見(しょうけん)」です。「正しい見解」。偏見に囚われずに物事を正しく見ることですね。 続いて、「正思(しょうし)」。「正しい考え」。偏った考えや邪な考えをもたないことです。以下、
 「正語(しょうご)」。「正しく語る」ことです。
 「正業(しょうごう)」。「 正しい行い」、です。
 「正命(しょうみょう)」は、「正しく生活する」こと。
 「正精進(しょうしょうじん)」は、「正しく努力する」こと。
 「正念(しょうねん)」は、「正しく思念する」こと。
 そして、「正定(しょうじょう)」の「定」とは禅定、ヨーガ、瞑想のことでして、「正しく心を統一すること」です。
 この八つですが、このようなことを心掛けて生活すれば、執着を離れ、煩悩を消滅させ、「苦」から脱け出て「涅槃」に至る、「仏になる」ことができる。と、いうのですね。
 
 いささかヤヤコしいことをお話しましたが、ちょっと、まとめて、整理してみますと・・
 釈尊が一生懸命考えて、そして人々に伝えようとしたこと。それは、「人はどうしたら苦しみから離れ、安らかに生きられるのか」。ですね。「苦しみからの解放」がテーマです。ですから、「人生は苦である(苦諦)」というのが、 釈尊の教えの出発点です。
 そして、その「苦には原因があり(集諦)」、「原因すなわち執着は取り除くことができる(滅諦)」、そして、「原因(すなわち執着)を取り除く方法を考えましょう(道諦)」とすすめてきたのが「四諦」でしたね。
 そして、釈尊は、「執着を取り除く方法」として、二つの道を提案しました。一つが、「縁起の理」で、もう一つが「八正道」です。しかも、この二つは、苦の止滅に向かって進むためともに必要な両輪です。
 「縁起の理」は、「すべての物事は移り変わるもので、執着に価するものではない」という世界認識、いわば「智」の側面でして、もう一方の「八正道」は、「執着の起こりにくい生活の仕方、身の処し方」という、いわば「行」の側面ですね。「智」の側面(世界認識)と、「行」の側面(暮らし方)の両方から、「苦の原因である『執着』を取り除こう」。としたのが、お釈迦さまの戦略だったのですね。
 
 さて、「縁起」、「四諦」、「八正道」と、釈尊が説いた一番基本の、大事なところはお話しましたので、釈尊の生涯に戻りましょう。
 
 ◆仏教の要諦は「生死を超える」こと
 
 釈尊は、くすんだ色の粗末な衣を身に纏い、鉢を提げて、幾人かの弟子たちと共に、街や村を巡り歩きながら、このようなことを説いて回りました。今も昔も変わらぬ、物質的豊かさや世間的成功が第一の世の風潮の中で、このような「超俗的」といいますか、「俗世の価値観の全面否定」を掲げてやってくる、「異様な風体の集団」は、当時のインドといえども、衝撃的な「反社会的」なものに映ったようです。しかし、釈尊の教えや人柄に惹かれて出家する者は後を絶たず、そのため、「修行者ゴウタマが子を奪う、夫を奪う。ゴウタマのせいで家が絶たれる」と恐れられたとも、伝えられています。
 しかし、晩年になって、釈尊は、自分が属する釈迦族がコーサラ国に滅ぼされるという悲劇に遭遇します。また、最愛の弟子の舎利弗や目連にも先立たれた釈尊は、アーナンダ(阿難)など数人の弟子をつれて、「失われた故郷」をめざして、マガダ国をあとに、北に向かいました。
 
 途中、鍛冶屋のチュンダに供養された食べ物に当たって、苦しみに耐えながらクシナガラまで辿り着きますが、そこの沙羅双樹の下で、・・「沙羅双樹」というのは2本のサーラの樹という意味ですが、その、2本のサーラの樹の下に、頭を北に向けて横たわり、・・「北」というのは、行き着けぬ「故郷の方向」ですね、そちらに頭を向けて横たわり、そこで、アーナンダらに見守られながら、静かに息を引き取りました。そのとき釈尊が弟子たちに遺した有名な言葉が、「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」、ですね。「私が亡くなったのちは、自らの信念を導きの灯火(ともしび)とし、法(真理、すなわち釈尊が説いた教え)を導きの灯火として、修行に励みなさい」。というのです。ときに釈尊、80歳でした。
 
 釈尊が亡くなったことを、「涅槃に入った」といいますね。
 「涅槃」は、インドの言葉でニルバーナといいますが、これは、「執着、煩悩が消えた、安らかな境地」、「悟り」のことです。これは、「生きながら」求めるものですが、死によっても執着、煩悩が消えることから、死ぬことも同じく「涅槃」というのですね。ただ、死による涅槃は、とくに区別して、「無余涅槃(むよねはん)」、余すところの無い涅槃とか、「大般涅槃(だいはつねはん)」、大いなる完全な涅槃、マハーパリ・ニルバーナといいます。
 「成仏する」と同じことですね。仏になる成仏は、生きながら目指すものですが、「死ねば執着、煩悩も消えるだろう」ということから、死ぬことも「成仏する」というようになったのですね。
 「成仏」や「涅槃」は、「生きてて」するのが、仏教です。
 ですから、釈尊が「涅槃に入った」というのは言語矛盾ですが、すでに涅槃に入っていた釈尊が、さらなる涅槃、マハーパリ・ニルバーナに入ったということでしょうか。
 
 関連していいますと、私達、いま、仏教というと、まず思い浮かぶのが葬式や法事ですね。「死者の冥福」を祈ったり、「自分の来世での幸せ」を願ったりします。ところが、これまでの話ではそういうことにはなにも触れませんでしたね。じつは、死に関して、釈尊がとった姿勢は「無記(むき)」でした。
 「無記」というのは、「霊魂はあるかないか」とか「死後の世界はあるかないか」とか、人が知ることができない領域の問題については、捨て置いて考えない。答えを出さない。ということでして、そのような問題にかかずらわって「迷いを深める」ことを戒める言葉です。
 「死後の世界があるかないかなど、わからない。だから、そんなことはどうでもよい。それより、生きている者が平安な境地で生きられることの方が、ずっと大事だ」。そして、「そのための修行に勤しむ者には、死後のことなどにかずらわっている暇はないはずだ」。というのが、釈尊の「死後の世界」に対する考えでした。
 ですから、釈尊は、自分が亡くなるときも、出家修行者たち、すなわち僧たちには、「修行の妨げになるから」として、葬儀にかかわることを禁じ、自分の遺体の始末は他の者たちにやらせたのですね。
 釈尊が、自ら求め、そして人々に説いたのは、「生死(しょうじ)を超える」こと、生き死に心を煩わせる執着から解放されること、だったのですね。
 
 このシリーズを始めるに当たりまして、仏教の原点である、お釈迦さまの生涯と、その説いたことの、基本のキをお話しました。

(2026.6.20)
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