【コラム】私見・仏教噺
②仏教が辿った道:「悟り」の宗教から「救い」の宗教へ
荒木 重雄
この連載は、筆者・荒木が友人たちと集う私的サロン「仏教に親しむ会」で、2024年から26年にかけて呟いてきた仏教噺を、文字に起こした記録である。
もとより信仰を勧める意図ではないし、学術的な主張を意図するものでもない。テレビ・ジャーナリズムや大学教育に一時身をおいたこともある、俗世間に生きる一人の男が、自らの常識に照らして見た仏教の一面の姿を語るものである。
今日は、「仏教噺」の2回目として、仏教の流れをごくごく大雑把に見ておきたいと思います。
前回は、釈迦の生涯を軸に、「仏教とは何か」ということを、ご一緒に考えましたが、一つ、大事なことを言い逃していました。今回はそこから入りまして、前回お話した「釈迦の仏教」の復習をして、それから、仏教の歴史に入りたいと思います。(1回目はこちら→【コラム】私見・仏教噺「①仏教とは何か:釈迦の生涯・教えに触れて)
前回、言い逃した大事なこととは、仏教は、「神はいない」ということを出発点にしている、ということです。
「神はいない。祈れば救ってくれるような神はいない。ならば、人は、自分で自分を救うしかないのだ」。という、認識と覚悟を、仏教は、出発点にしています。
インド古来の宗教、バラモン教やヒンドゥー教は、たくさんの、それこそ無数の神々がいて、それらの神々を祀り、もてなし、祈れば、さまざまな願いが叶えられるし、救われる。とする宗教です。
釈迦は、「四門出遊」の故事で知られるように、「人は、老い、病、死を免れえない。それらへの恐れから、生まれながらにして『苦』を背負った存在なのだ」。ということを痛感して、「ではどうしたら、それらの『苦』から逃れることができるのか」、と、考え詰めて、宗教家の道を歩みだしたわけですが、なぜか、当時盛んであったバラモン教の神に救いを求めるのではなくて、「神はいない。ならば人は、自分で、自分を、救うしかないのだ」という立場にたったのですね。
そして、「苦」から脱する道を求めて出家した釈迦は、はじめ、苦行に打ち込んだのですが、肉体を痛めつける苦行ではその道が求められないことを知って、思索と瞑想を深め、そして、あることを発見したのですね。それが、「『苦』は『執着』によってもたらされる」。という真理でした。自分の命をはじめ、家族・親族の安泰から、財産や地位、名誉。それらへの執着、欲望が、苦しみをもたらす。ということが解ったのでした。
では、どうしたら、執着を超えることができるのか。執着や欲望を捨て去ることができるのか。そこで釈迦が考え出したのが「四諦」、「縁起」、「八正道」の三本柱でしたね。
この三本のかかわりを、私は、釈迦の「悟りの方程式」、あるいは「悟りの見取り図」とよんで、勝手なイメージを描いているのですが、前回の復習を兼ねて、そのイメージで、もう一度、釈迦の教えを描き出してみましょう。
ここが仏教の基本のキ、仏教の一番の核心だと思うのです。
◆釈迦の悟りの「見取り図」
「悟りの見取り図」の中央には、「四諦」の教えが、太~い柱、あるいは塔のように立っています。その柱を、両脇から支える柱が、「縁起」と「八正道」です。
釈迦が一生懸命考えて、そして人々に伝えようとしたこと。それは、「人はどうしたら苦しみから離れ、安らかに生きられるか」、でしたね。「苦しみからの解放」が釈迦のテーマです。ですから、「人生は苦である」というのが、「釈迦の教えの出発点」になります。そこで、 教えの中央に、「人生は苦である」を頂上に戴く「四諦」の柱が立てられました。
「四諦」の「諦」は「あきらめる」ではなく「明らかにする」という意味でしたね。ですから「四諦」は「四つの明らかなこと」、すなわち、「四つの真理」です。人生は、四つの真理で成り立っている。その「四つの真理」を四層に重ねて建てたのが、「四諦」の柱です。
この「四諦」の柱を、上から順に見ていきますと、一番上が、「苦諦」、「人生は苦しみである」という真理です。「人生は苦しみである」から始まって、次は「集諦」、「苦しみには原因がある」、という真理です。で、その原因とは、「執着」でしたね。ですから、苦しみの原因は「執着」であるという真理です。続く「滅諦」は、「苦しみの原因は取り除くことができる」、という真理です。苦しみの原因は執着でしたから、執着は取り除くことができるという真理です。そして、最後が「道諦」。「苦しみの原因を取り除く方法がありますよ」。執着を取り除く方法がありますよ。という真理です。このように、この「四諦」の柱は、「苦しみの認識から、その原因を見定めて、取り除く筋道」を示しているのですね。
では、その「苦しみを取り除く道」は何か、方法は何か、ということで、釈迦は、片方に「縁起」を、もう片方に「八正道」を設定した、のですね。
まずは「縁起」です。「縁起」はのちの「空」にも繋がる、仏教では極めて大事な概念です。釈迦の仏教だけでなく、大乗仏教も含む、仏教全体のベースになっている極めて重要な概念ですので、少し詳しく、前回を思い起こしておきましょう。
「縁起」とは、「縁(よ)りて起こる」。ということでしたね。「関係によって物事は起きる」。 ということです。物質も精神の作用も、一切のものは、「原因」と「条件」があって、その「かかわり」によってはじめて生じる。
「原因」と「条件」、これを「因」と「縁」といいます。
「因」というのは、「タネがあるから、草が生える」。というような、「直接の原因」です。それに対して「縁」というのは、タネがあっても、適当な土や、水や、光や、温度などの条件が整わなければ、発芽しないし、育たない、というような、「条件」、「環境」。因をめぐるさまざまなものの「かかわり」です。
大事なことは、ですね、すべての物事は、さまざまな「原因」とさまざまな「条件」のさまざま「組み合わせ」の結果であって、すなわち、そのさまざまな「原因」とさまざまな「条件」のさまざまな「組み合わせ」の結果、「偶々、今ある形のものがある」だけであって、その原因なり、条件なり、組み合わせなりの、一つでも変われば、忽ちにして変わる、「かりそめ」のもの、移りゆく、「実体のない」もの、ゆえに、すなわち、「執着するに値しない」もの、「思い煩うに価しない」もの、と、認識すること、なのです。
「束の間に移ろう実体のないもの」なら、それを、思い煩ったり、執着したりしても、詮無いこと、意味のないことではないか。ですね。
「自分という存在も含めたこの世の一切は、縁起による、実体のない、束の間に移ろう、常ならぬものである」ことを悟り、物事への執着を絶てば、生き死ぬ身ではありながら「生死を超え」、生き死にを思い煩うことを超えて、無上の安らぎ(涅槃)に至る。とするのですね。
釈尊が説いた最も大事なことが、ここだと思います。釈迦が説いた、人が、「自らを、苦しみから救い出す道」が、この、「縁起」の理という世界認識、「ものの考え方」です。たんに「無常」を説くだけでなく、「原因」と「条件」とそれらの「組み合わせ」の不安定性、偶然性という原理から「無常」を説いた、この「縁起」の理こそが、釈迦の教えの真髄です。
この、「世の中は移り変わる実体がないもので、執着に価するものではない」という世界認識。これは、いわば「智」の側面ですね。しかし、それだけでは充分でない。もう一つ、「執着の起こりにくい生活の仕方、身の処し方」という、いわば、「行」の側面からのアプローチも必要ではないか。として、もう一つ、釈迦が考え出したのが、「八正道」です。
すなわち、「智」の側面と「行」の側面の両方から「苦の原因である執着を取り除こう」としたのが、お釈迦さまの戦略だったのですね。
その「八正道」、「八つの正しい生活の仕方、身の処し方」とは、まず、正見(しょうけん)ですね。正しい見方。偏見に囚われずに物事を正しく見ることです。以下、正思(しょうし)、正しい考え。正語(しょうご)、正しく語ること。正業(しょうごう)、正しい行い、正命(しょうみょう)、正しく生活すること。正精進(しょうしょうじん)、正しく努力すること。正念(しょうねん)、正しく思念すること。正定(しょうじょう)、正しく心を統一すること。です。
このようなことを心掛けて生活すれば、執着を離れ、煩悩を消滅させ、「苦」から脱け出て、涅槃に至り、やすい。というのですね。
繰り返しますが、「智」の側面と「行」の側面の両方から、「苦の原因である『執着』を取り除こう」、としたのが、お釈迦さまの戦略でした。
釈迦の教えには、さらに、「三法印」とか、「五蘊無我」とか、「十二因縁」とか、ありますが、その基本は、この「四諦」、「縁起」、「八正道」、ですね。この三つをしっかり押さえておくことが、「釈迦の仏教の理解」には大事だと思います。
そして、ですね、これらの教えを、頭で理解するだけでなく、生き方として身に沁み込ませようとしたのが、赤貧での遊行を軸とした、「釈迦の仏教の修行」だったのですね。
前回、「四依法」の話をしましたね。「食は乞食に依ること」。「衣は糞掃衣(ふんぞうえ)に依ること」。「住居は樹下住に依ること」。「薬は陳棄薬(ちんきやく)に依ること」。です。
釈尊をはじめ出家修行者たちは、「糞掃衣」という、ゴミタメに捨てられた襤褸切れを拾い集めて綴り合わせた布を身に纏い、托鉢に用いる鉢と、飲む水を漉すちいさな網と、坐ったり休んだりするときに敷く敷物だけをもって、諸国を遍歴するのが、生活の基本でした。食事は一日一食、托鉢で布施されたものだけを食べるのですが、鉢に入れられたものは何であれ、拒まず、選ぶことなく、食べるのが、決まりでした。そして、住居は、屋根の下ではなく、樹の陰で夜露をしのぎ、病めば、陳棄薬、木の実を入れて醗酵させた牛の尿を薬とする。そういう厳しい遊行生活をしながら、思索や瞑想に打ち込み、また、人々に説くのが、釈尊をはじめとする、出家修行者の日々の暮らしでした。
これが、釈迦が生きて教えを説いていた頃の、仏教の姿。いわゆる「釈迦仏教」「原始仏教」の姿でした。
さて、ここから、今日のテーマの「仏教の歴史」に入りましょう。
◆原始仏教、部派仏教、大乗仏教
釈迦が生きて教えを説いたのが、紀元前の5世紀から4世紀。多数の弟子、信者が集まり、教団が組織され、釈迦の教えがまだ、生き生きと息づいていた時代。この時代を「原始仏教の時代」とよびます。
ところが、釈迦の没後、百年、二百年たちますと、釈迦が説いた教えや戒律の解釈を巡って、教団が幾つもの派に分裂して、互いに論争し合うようになりました。出家者が行脚を怠り、僧院に籠って、複雑煩瑣な観念論に終始するようになったのですね。これが、紀元前3世紀頃からです。この時代を「部派仏教の時代」とよびます。「部派」とは派閥、セクトです。大きくは、「釈迦が説いたこと、行ったことのみを、正統として、そこから逸脱しないよう厳しく守る」伝統墨守の長老たちのグループ、いわゆる「上座部」と、「時代の流れや人々のニーズに即して、伝統は柔軟に扱ってもいい」とするグループ、「大衆部」の、考え方の違いを軸としてなのですが、20くらいの派に分かれて、互いに論争し合うようになりました。
これが「部派仏教の時代」ですが、先程の原始仏教とこの部派仏教の両方の時代を纏めて、「釈迦仏教の時代」とよぶ呼び方もあります。
私見としては、原始仏教の時代を「釈迦仏教の時代」とし、部派仏教の時代は明確に「部派仏教の時代」とした方が、内実を示せると思うのですが、それは措いておきまして・・
この原始仏教から部派仏教の時代を通じては、出家者が厳しい修行や思索によって「自ら悟りを求める仏教」が行われていたのですが、出家できる者は限られていましたし、教義が複雑煩瑣になり過ぎたこともあって、仏教が、衰退の方向に傾いていったのです。
そのようなとき、紀元前後ですが、そうした「出家者仏教」「僧院仏教」を批判して、「釈迦の教えは、出家者だけでなく、『在家の者』、普通に俗世で生活している人々も『救われる』ことにあるはずだ」。と唱えるグループが、現れてきました。
これが、「大乗仏教」です。現在に繋がる「大乗仏教」の出現です。
彼らは、自分達の主張を「大乗(マハーヤーナ)」とよび、従来の仏教を「小乗(ヒーナヤーナ)」とよびました。大乗・小乗の「乗(ヤーナ)」というのは「乗り物」のことでして、「涅槃(心の平安の理想)に人をして到達せしめる教え」を、乗り物に譬えたわけです。大乗の人たちは、自分たちの乗り物は大きく、「衆生(多くの人々)を乗せて、導き運ぶ」。「それに比べて、お前たち(従来の仏教)の乗り物は小さいではないか。自分一人が乗るだけではないか」。というわけです。
マハー、ヒーナには、形のうえの大小だけでなく、「偉大な」「卑小な」の意味もありますが、いずれにせよ、この「小乗仏教」という言い方は、大乗の側から、従来の仏教を見下してよんだ差別表現ですから、私達、普通に使っていますけど、少しセンシティブになりたいところですね。最近は、小乗仏教という呼び方は避けて、「部派仏教」とか、その代表格の「上座部仏教」という名でよぶことが多くなっていますね。
さて、こうして大乗仏教では、「衆生の『救い』」、ということが、重要視されるようになりました。普通の人たちには、「自ら修行をして自ら『悟る』」のは難しいから、既に悟った者、あるいは、仏さまそのものに『救って』いただこう」。となったのですね。
ここで、仏教が、「悟り」の宗教から「救い」の宗教へと、大きく転換しました。
さあ、そうなりますと、「仏教の中身」に、大きな変化が現れました。
まず、仏教の中に、「衆生を救う存在」、「衆生を救う『神々のような』存在」が、創りだされたのです。釈迦は、人間存在の苦と向き合って、それを救ってくれる「神などいない」ことを実感して、ならば、人は、「自分で自分を救うしかないのだ」と決意して、そして取り組んだのが仏教でして、「縁起」の理も「八正道」も、そうして人が「自分で自分を救う道」として考え出されたものなのですが、ところが、大乗仏教になりますと、「衆生を救う『神々のような』存在」が求められてきたのです。
その、「衆生を救う『神々のような』存在」が、「菩薩」です。大乗仏教になるとともに、数多くの菩薩が現れてきました。
「菩薩」というのは、ほんらいは、「衆生を救う仏教者」ですから、 実在の「人」がほんらいの菩薩ですが、その人が祀り上げられて伝説化されたり、あるいは、まったく架空の神話や伝説・・仏教ではそれは「経典」ですから、「経典由来の菩薩」が、たくさん出てきました。 観音菩薩とか地蔵菩薩とか、文殊菩薩、普賢菩薩とか、私達が普通に知っている有名な菩薩は、みな、「経典由来」、ですね。経典に説かれている菩薩です。
釈迦仏教の時代には、自らの悟りを求めて修行して、一定のレベルに達した者が「阿羅漢」とよばれて、尊敬されました。しかし、大乗仏教になりますと、替わって、衆生を救う役割を持った「菩薩」が、一躍、スターになりました。仏教が求めるものが、阿羅漢から菩薩に変わったのですね。 大乗仏教は、「菩薩重視」です。
仏教で最高の位にあるのは「如来」です。その如来も、経典によって、たくさん生み出されました。仏教最高位の如来は、ほんらいは、仏教の創始者・釈迦、釈迦如来だけが「如来」だったのですが、大乗仏教になりますと、新たに、薬師如来、阿弥陀如来、毘盧遮那如来、大日如来など、さまざまな如来が経典によって創り出されまして、それらがときに、釈迦如来よりも重要な位置を占めたりするようになったのですね。
また、「仏像」を造って拝む。ということも、始まりました。
仏教が生まれたインドには、その前から、バラモン教、のちのヒンドゥー教がありまして、そこには、たくさんの神々がいて、それらの神々の偶像を造って祀り、救いを求める、あるいは願いを叶えてもらう、ということが行なわれていたのですが、しかし、それに対して、先程もいいましたように、「そのような神はいない」、「拝んで救ってくれるような神はいない」、「だから、人は、自分で自分を救うしかないのだ」。として、ヒンドゥー教の偶像崇拝や儀礼主義を一切否定してうまれたのが、仏教でした。
ですから、始めは、「仏像を造って拝む」、というようなことは、けっしてしないで、釈迦を、絵や彫刻で表す場合でも、姿は写さず、「菩提樹」とか「車輪」とか「足跡」とかで、象徴的に表してきたのですが、ところがそれが、大乗になりますと、仏を「仏像」に造って拝む、ようになったのですね。
それも、 釈迦の像だけではなく、さまざまな仏さまの像が、造られまして、「自ら修行したり瞑想したりして『悟り』を求めなくても、それらに祈れば『救われる』」。とされるようになったのです。
「さまざまな仏」というのは、ですね、先程もいいましたように、大乗になって生まれた薬師如来、阿弥陀如来、毘盧遮那如来、大日如来など、さまざまな「如来」の下に、観音菩薩、地蔵菩薩など、さまざまな「菩薩」がいて、さらにその下に、不動明王、愛染明王など、多数の「明王」や、梵天、帝釈天、吉祥天などの多数の「天」がいて、・・この「明王」と「天」は、ヒンドゥー教の神々を仏教に取り入れたものですが、そうした仏たちも、大乗仏教になると加わりまして、こうして、ここに、「無数の仏、菩薩、明王、天のパンテオン」が創り出されまして、それらを拝めば「救われる」、ということになっていったのです。
すなわち、大乗仏教になって、仏教が「悟り」の宗教から「救い」の宗教に変わるとともに、仏教の「多神教化」、「偶像崇拝化」が進んだのですね。
さらにそれだけでなく、「救いの宗教」と化した仏教は、しだいに、ヒンドゥー教が持っているさまざまな「神秘主義的な要素」、呪術や、祈祷や、女性の「性の力」に対する信仰や、極端な場合には「性交儀礼」までも、取り込んでいきまして、こうして、「ヒンドゥー教的要素をたっぷりと含み込んだ仏教」、「ヒンドゥー化した仏教」、これを、「密教」といいますが、こうして仏教は、7世紀頃から、「密教」の色彩を濃くしていきました。
さて、そうなると、もう、仏教とヒンドゥー教との違いは、殆どありません。ヒンドゥー教と区別されるべき「仏教の独自性」が、ありません。
独自性を失ってヒンドゥーと同化した仏教は、ヒンドゥーに吸収されるしかありませんね。こうして仏教は、ヒンドゥー教に吸収されていきまして、殆ど消えかかったところに、12世紀に、インドにイスラム教徒が入ってくるようになりますと、イスラムは徹底した「偶像崇拝否定」でして、偶像を破壊しますから、これにトドメを刺されて、仏教は、インドでは消滅してしまった。のですね。
象徴的な出来事として語られるのが、「インド仏教の最後の拠点」とされた、現在のビハール州のガンジス河畔にあった密教の道場「ヴィクラマシーラ僧院」が、1203年にイスラム教徒によって破壊された事件でして、この事件をもって、千数百年に及ぶインドの仏教は幕を下ろした。とされるのですね。
その後のインドでの仏教というのは、時代がぐ~んと現代まで下って、1956年からはじまった、「被差別カーストの解放運動」としての「ニューブディスト(新仏教徒)運動」になるのですが、これはここでは省略すると、以上が、インドでの、仏教が辿った大まかな歴史となります。
さて、このようして、「仏教の故郷インド」では、仏教は滅びるのですが、これらの仏教は、他のアジアの地域に広がっていきました。話は、「仏教の伝播」に移ります。
◆アジア各地に広がった仏教
まず最初に、「部派仏教」、そのうちの一派である「上座部仏教(テーラヴァーダ)」、これは、釈迦のみを信奉し、出家して、厳しい修行によって自ら「悟り」を求める、初期の仏教ですが、これが、紀元前3世紀頃、スリランカに伝えられ、やがて、東南アジアに広がりました。ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアなどの、パーリ語による仏教です。
紀元前後からは、中央アジアを経て、中国に、大乗仏教が伝えられ、これが朝鮮半島を経て日本にも伝えられました。 日本に仏教が公的に伝わったのは6世紀ですね。
ですから、私達が知っている日本の仏教は、この、中央アジアを経て中国に伝えられ、漢訳されて、そこから日本にも伝えられた大乗仏教。さまざまな仏がいて、「救い」を求める仏教です。
さらに、7世紀頃からは密教が、チベットに伝わって、地元のボン教と結びついて、独特な「チベット仏教」が創られました。
仏教は、こうした、広大な、「時間的・歴史的な広がり」と「空間的・地理的な広がり」をもっています。そうした広がりの中で、さまざまな考えや、思想や、信仰が生まれてきた。その総体が「仏教」ですね。それらについては、順次、お話していきます。
(2026.8.20)
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