■【北から南から】

深センから 『中国の出稼ぎワーカー事情 』(そのニ)  佐藤 美和子

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 さて、今回はワーカーさんたちの日常生活についてです。
  前回にお話ししたように、出稼ぎワーカーさんたちは故郷から小ぶりなスーツ
ケースと、リュックに詰められるだけの衣類、洗面具のみを詰め込んでやってき
ています。荷物はそれだけ、その後もほとんど私物を増やす事はありません。な
ぜなら、ワーカー寮には個人のスペースが、ほとんどないに等しいからなのです

 工場のワーカー寮は、部屋の壁に沿って3~5台の二段ベッドずらりと並べられ
た6~10人用の大部屋です。自分のスペースは、各自に割り当てられたベッドと
部屋の隅にある小さなロッカー(貴重品入れ)のみ。故郷から持ってきたスーツ
ケースは下段ベッドの下の隙間に押し込んで、今後も衣類をしまうタンスとして
使います。なので、衣類はスーツケースに納まる程度の枚数にしておかねばなり
ません。

 狭い寮の中で、自分の居場所はベッドの上だけです。みんな布きれを買ってき
て、自分のベッドの周囲に取り付けて目隠しカーテン代わりにし、少しでも快適
に過ごせるよう工夫します。ベッドの壁側に板切れを打ち付けて、小物を置ける
棚を作る器用な子もいます。

 広東の夏は暑くて長いです。しかし、ワーカー寮にはクーラーなんてある訳も
なく、しかも大人数が暮らす部屋の熱帯夜は、人いきれで蒸し風呂のよう。それ
なのに、台湾・香港系の小規模工場の中には各部屋にシャワー室どころか、そも
そも寮にシャワーの設備が一切ない!という、劣悪な環境の会社もあります。そ
んな場合はどうするか?通常、部屋の奥にはベランダというか、洗濯物を干す狭
いスペースが付いています。ベランダには石かタイルでできた洗面台があるので
、大きなたらいに水を汲んで行水したり、濡れタオルで体を拭いたりする程度が
精一杯のよう。東莞の田舎では、大型トラックが行きかう道路脇でシャンプーを
するワーカーの女の子たちをよく見かけたものです。魔法瓶と洗面器にそれぞれ
お湯や水を汲んできて、二人が交互に水を掛け合い、路上で長い髪をシャンプー
しているのですよ。初めて見たときは、なぜわざわざ路上に出てきて?!と驚き
ましたが、大人数が住む部屋に蛇口が二つか三つしかないような狭苦しい寮では
、なかなか水道の順番がまわってこないからなのだそうです。おまけに路上だと
、水はほうっておけばそのうち乾くし、後始末の掃除をしなくて済むからなので
す。

 毎日残業続きでくたくたに疲れるので、水を汲むのに重労働な行水やシャンプ
ーは、どうしても数日おきになってしまいます。水道の数も、人数分ないことが
多いですしね。9割がたのワーカーさんは丈夫なジーンズを愛用していますが、
洗濯機がないので洗面器や洗濯板を駆使しての手洗い、もちろんベッドのシーツ
も手洗いです。硬い生地のジーンズや大きなシーツを手洗いするのは大変なので
、洗濯の頻度も間遠になりがち。おかげで夏場はちょっぴり、体臭のきつい子も
・・・・・。冬は冬で、寮の水道にお湯なんて出ませんから、冷たい水で洗うの
が大変で、やっぱり洗濯は間遠になってしまいます。こんな寮の環境なら、仕方
ないですね・・・・・。

 同じ部屋に、早番の人と遅番の人がいると、トラブルが起きやすいです。やっ
と退勤してきて、部屋でくつろいだり洗濯をしたりすると、そういう生活音が寝
ている人には騒音となってしまいます。また出身省によって反目があり、仲の悪
い省の人を同じ部屋に配置すると、些細なきっかけで取っ組み合いのケンカが発
生する事も。歌を歌いつつ作業をする風習をもつ地域出身の人が周りにうるさい
と文句を言われ、娯楽のない生活なのだから歌くらい自由に歌わせろとケンカに
なるなど、生活習慣の違いから起こるトラブルも多いです。二段ベッドをぎゅう
ぎゅうに詰め込んだ狭い部屋だから、なおさらストレスが溜まりやすいのでしょ
う。

 中国の工場勤務の多くは『包吃包住』といって、住むところと食事は会社が保
障(負担)するのが一般的です。たいてい社内に社員食堂があり、一日三食が無
料、もしくはわずかな金額負担で食事ができるようになっています。しかし、食
堂の食事は往々にしてあまり美味しくないものです。食事時間に出遅れると、め
ぼしいおかずが残っていないこともあります。それにワーカーさんたちのほとん
どが、ハタチ前後の食べ盛り。女の子なら、たまには甘いものだって食べたい。
そんな時は、工場内外にある売店で夏はアイスキャンデー、冬は肉まんなどを買
い食いしています。そんなワーカーさんを当て込んで、大きな工場の門前にはパ
イナップルやハミ瓜など果物の切り売りや、シシカバブ(羊肉の串焼き)などを
売る天秤棒担ぎ?も出没します。

 私が東莞にいた頃は、ワーカーさん向けに売られている食べ物は、一つ0.5~1
元(当時のレートで約8~16円)のものが多かったです。多くのワーカーさんた
ちは、給料の大半を故郷の家族に仕送りしています。週に数回、退勤後に友達と
買い食いを楽しむのに出せる金額が、平均してそれくらいなのでしょう。

 私も工場勤務時代は夕食にでかけるのが面倒な時、よくワーカーさんたちに混
じってこの0.5元の肉まんを買っていました。味付けはイイのですが、紙切れの
ような食感のザーサイが申し訳程度に入った、女性のこぶしサイズの小ぶりな肉
まんです(よく考えたらこれって野菜まんですよね。当時も湿った紙っぽい歯ざ
わりだなぁと思いつつ食べていたので、中国のダンボール肉まん事件が報道され
た時も、さもありなん・・・・・と思っちゃいました。私があの頃食べていたの
も、やっぱりダンボール肉まんだったのかしら?)

 売店で観察していると、夕飯代わりにするために3つほど買って部屋に持ち帰
る私とは違い、ほとんどの子は一つだけ、立ったままで友達とおしゃべりしなが
ら、それはそれは美味しそうに頬張っていました。学生時代、下校途中で友達と
こっそり買い食いを楽しんだ事を思い出します。
夏場はアイスキャンデーが一番人気です。私は時々街中のスーパーで、広州工場
製の明治製菓の宇治金時や、静岡いちご味のキャンデーを買っていたのですが、
6本入りのお徳用パックが当時、20元ほどしていました。一本あたり、3.3元(約
53円)の計算です。あるときふと興味がわいて、ワーカーさんたちが食べている
0.5元のミルクキャンデーを売店で買ってみた事があります。私が普段食べてい
るものの1/6の値段のキャンデー、どんな味だろうと舐めてみると・・・・・ま
るで脱脂粉乳だか小麦粉だかに砂糖水を混ぜて冷やして固めたかのような、口の
中にザラザラした粉と嫌な味が残る、それは酷いシロモノでした。余りにまずく
てどうしようもなく、とうとうひと舐めしただけでこっそり捨ててしまいました
。本当はハーゲンダッツのアイスクリームがいいのだけど、東莞には売っていな
いから明治のアイスで妥協するしかないわね、などと思っていた私、なんだかも
のすごく罪悪感を覚えてしまいました。私にはまずくて食べられなかった0.5元
のキャンデー、彼女たちはたまの楽しみにしか買えないし、とても美味しそうに
食べているのですから。

 彼らが時々買い食いをするのには、もう一つ訳があります。東莞の工場近辺の
売店の店先には、たいていテレビがあるからなのです。店の軒先の高い位置に、
20か22インチくらいの古いブラウン管テレビが外向きに吊るされています。戦後
日本の紙芝居のおじさんように、お菓子を買わない子は追い払われる・・・・・
ということはないですが、店で食べ物か飲み物を買った子達が固まって、路上に
立ちっぱなしでテレビを食い入るように見つめるのです。店が客寄せのために、
日本や台湾などの人気ドラマVCDを用意しておいて、彼らが退勤する頃に合わせ
て放映するのです。
(VCDとは:ビデオCDの略。DVDが主流になる前は、中国を中心にアジア圏で広
まっていた。画像は荒いし、1枚につき1話入っているドラマの最初や最後がよ
く切れたりしていて結末が分からず仕舞い、また海外ドラマは字幕中国語訳が間
違いだらけでぜんぜん違うストーリーになっていることもあったが、当時は安価
なためかなり普及していた)

 もちろん、狭いワーカー寮にはテレビなどありません(高校+専門学校卒か、
大卒の幹部候補クラスのお給料だと、ルームメイトとお金を出し合って部屋に小
さなテレビを買うこともできます)。工場地帯ではこれといって遊べるところは
ないし、お金がかかる遊びはできないし、第一寮に帰ったって、ベッドの上しか
居場所もない。残業のないときでも8時~17時まで工場で働き、残業があれば更
に20~22時まで働きづめで泥のように疲れているだろうに、例え立ち見であって
もワーカークラスの子達がテレビを見られるのはこういう売店に来たときだけで
あり、また日常生活で唯一の娯楽でもあるのです。
次号に続きます。
                   (筆者は在深セン・日本語教師)

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