■【北から南から】
『中国のアフガニスタン その二』 佐藤 美和子
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無事にテストが終わってラマダーンも明けたある日、アフガン人の彼女の自室
に招かれました。主に国費留学生が住む大学寮は2人部屋で、部屋の標準装備は
ガタガタする勉強机、錆びた簡素なパイプベッド、小さな本棚と衣装ダンスのみ
です。経済的に余裕のある日本人や韓国人留学生の部屋には真新しい小型冷蔵庫
や電子レンジなどの家電があったり、カーペットを敷き詰めて居心地よくしてあ
ったり、また国費留学生の部屋でも代々の留学生に受け継がれてきたのであろう
古びたテレビなどが置かれていたりします。
各自の持ち物や部屋の装飾品、それぞれの部屋に篭るにおいに各国の文化が垣
間見られ、なかなか面白いものなのです。アフガン人の彼女の部屋は、標準装備
以外のものは一切ありませんでしたが、しかし丁寧に掃除されていて気持ちのよ
い部屋でした。
その彼女の部屋で、私は懐かしいものを見せてもらいました。本棚に置かれた
箱の中から彼女が大事そうに出してきたものは、不二家のLookチョコレートの包
装紙でした。ストロベリー味やバナナ味などがセットになった、板チョコの空き
箱です。
「これは以前の日本人ルームメイトが一時帰国したときお土産にくれたもので
ね、私の宝物なの。こんなに美味しいチョコを食べたのは生まれて初めてでとっ
ても感動しちゃった。あまりに美味しかったので、一日に一粒だけって決めて大
事に食べたけれど、とうとう全部食べちゃっても箱だってこんなにカラフルで美
しいし、どうしても捨てられなくって。中国のもアフガンのも、チョコレートは
まるで蝋みたいな味がするのに、これは口の中でとろけるんだもの。だからこれ
は、チョコがこんなに美味しいものだって初めて知った記念品なの」
チョコはやっぱりゴディバよね、などと思っていた自分はなんて底の浅い人間
だろうと反省させられました(でもその反省は直ぐに忘れちゃうんですが)。密
かにバツの悪い思いをしている私に、彼女は本当に目をキラキラさせて不二家の
チョコを絶賛するのです。中の銀紙まで、綺麗にしわを伸ばして大事にとってあ
るのを見て、思わず目が潤んでしまいました。
私の1年の留学期間が終わって帰国しても、彼女とは手紙のやり取りは続きま
した。そのうち彼女は父親の転勤でバングラデシュに移っていき、彼女の手紙か
らはとても苦労している様子がしのばれました。バングラデシュの情勢が安定し
ておらず中国よりもずっと治安が悪いこと、家計が苦しいので彼女も就職しよう
と頑張っているが、バングラデシュの景気が悪く、英語や中国語ができても現地
語ができない彼女にはなかなか就職先が見つからないことなどが綴られていまし
た。一度は日本国内の消印の手紙が届いて驚いたのですが、バングラデシュで知
り合った日本人が帰国する際に頼んで日本で投函してもらったとのことでした。
国際郵便切手代を、少しでも節約するためだったのです。
しばらくして、今度は中国から手紙が届きました。本国パキスタンの情勢が悪
化したために彼女の父親の給料がずっと滞っており、家族が食べる分にも困り始
めたため、あれほど未婚の娘を家から出すことに反対だった父親が、飢えさせる
よりはと彼女を一人、中国に送り返したのでした。本国に返さなかったのは、ア
フガニスタンでは紛争が続いていたのと、外交官という立場の父親は政治的な立
場が難しくて命の確証が持てないから、と……。
彼女は中国に一人で戻ったものの、しかし馴染みのある北京はなんと言っても
首都です。物価が高すぎて生活費をまかなうことが出来ず、やむなく中国でもも
っとも貧しい省と言われる、物価の安い内陸部の安徽省の大学寮に移ったのでし
た。
私は彼女から北京に戻ったと連絡があったとき、ちょうど会社の休みを利用し
て北京旅行を計画していました。2年ぶりに会えると楽しみにしていたのに、直
前になって彼女が安徽省に移ったことを知り、随分ガッカリしました。彼女に会
ったら渡そうと、せっかくお土産もたくさん用意したのに……。
仕方なく、お土産は北京の郵便局から、安徽省の彼女の元へ発送しておきまし
た。また大学で勉強することになった彼女のためのカラフルな文房具類。これか
らもたくさん手紙をくれるようにと可愛いレターセット。甘党の彼女のために、
ラードやアルコールが入っていないか注意して選んだいろんなお菓子。もちろん、
不二家のチョコレートも入れました。色々なフレーバーがあったので、全種類
取り揃えました。
北京旅行から帰国してほどなく、彼女からの手紙を受け取りました。この数日、
ぼろぼろに泣いて泣いて、やっと手紙が書けるほどに落ち着いたという書き出
しに驚きました。また彼女の家族や国のことで問題が出たのかと危惧したのです
が、そうではなく、実は彼女は誰かから小包のプレゼントを受け取るのが初めて
だった、というのです。寮のポストに自分宛の小包配達通知書を見つけたときは、
本当に自分宛てなのか信じられず、郵便局に行って実際に荷物を見るまでは半
信半疑だった。発送人の欄にあなたの名前を見て、やっとこれが自分宛てなのだ
とわかった。急いで寮に帰って箱を開けると、たくさんのお菓子や文房具が次々
に出てきて、そして私が宝物にしていたあのチョコレートを発見したときに涙が
止まらなくなってしまった、と。
私は北京留学中や広東省の田舎町で働いていた頃、実家や友人からちょくちょ
く小包を受け取っていました。1~2ヶ月に一回は受け取っていたと思います。実
家からの荷物には毎回私好みの食料品や本がぎっしり詰め込まれており、罰当た
りなことに20kgもの荷物を中国の郵便局で受け取って運ぶのは大変なんだと両親
に文句を言ったことさえあります。当時の中国にはザラ半紙のような硬くてゴワ
ゴワした灰色のトイレットペーパーしかなく、それを嫌って毎月のように大量の
ネピアを実家から送ってもらっている日本人留学生もいました。欧米人留学生た
ちも、クリスマス頃にはみんな何かしら荷物を受け取っていました。
こうして私たちが当たり前のように国からの荷物を受け取っていた中、彼女は
一度も経験がなかったなんて、知りませんでした。そして今回生まれて初めて小
包を受け取り、嬉しくて泣き通しだったとの手紙を読んで、私もつられて号泣し
てしまいました。
今、彼女はオランダに居ます。中国では大学を卒業してしまった彼女には滞在
ビザが下りず、中国にはそれ以上居られませんでした。そして彼女の父親に国か
ら帰国命令が出た時、帰国すると政治的な問題で命の危険があることから、家族
全員で帰国を拒否したのだそうです。恐らくイスラム教内の派閥問題も絡んでい
るのでしょう。これで帰る先を失くした彼らは、まず未婚で行き先のない末娘だ
けは安全な所へと、彼女を一人でオランダに移民亡命させたのです。
長らくオランダの移民施設からの外出も制限された生活を送りつつ、オランダ
風の新しい名前を貰ってオランダ語を勉強し、試験に合格して移民が認められま
した。オランダ移民となったので、過去の名前は使ってはいけないのだという知
らせには少し驚きましたが、移民施設に収容されていたときは毎月決まった額を
オランダ政府から生活費として支給され、自分でお菓子を買えるしオランダ女性
のファッションを眺めるのが楽しいとあり、とりあえず落ち着き先が出来ただけ
でもよかったのでしょう。
最近、深センのコンビニで不二家のLookチョコレートが売られているのを見つ
けました。彼女が感動したチョコレート、いつの間にか中国でもこんなに簡単に
手に入るようになっていたのです。またそのうち、彼女に中国産Lookチョコレー
トを送ってあげようと思います。
(筆者は在中国深セン・日本語講師)
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